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第五章- 暗黒の騎士ナインライダーズ-9 ヴァルハラ最強の男

冥界の祭りの夜。


メルコール直属機関《静謐局》が

ついに動いた。


だが――


その瞬間、

空が「逆に」割れる。


雷神トール・ドンナー。


ヴァルハラ最強の男が

戦場に降り立つ。




――空が「逆に」割れた。


 雷鳴ではない。

 雷そのものが、天蓋の骨を内側から叩き割った。


「……っ!?」


骨灯りが、一斉に青白く消える。

代わりに、世界の色を塗りつぶすような白雷が落ちた。


 冥界ヘルヘイムの黄昏空に、本来ありえない青空が、縦一文字に走った。


「ア、アーク放電……? こんな規模、制御できるはずが――」


静謐局の術師が、思わず呟いた。


その“空割れ”の中心から、笑い声が降ってくる。


「――あっはっはっは!! 相変わらずだな、じい様の手先どもは!」


雷鳴が、笑った。


次の瞬間。


ドガァァァァァン!!!


黄昏の広場のど真ん中に、一本の雷柱が突き立った。

屋台の影も、骨灯りも、全てを真っ白に塗り潰す電光。


祭りの客たちが、一斉に悲鳴をあげ――


 ……ない。


「うわぁぁぁ!!」

「やっべ、演出すげぇ!」

「第5区間クリア記念のサプライズ花火か!?」

「#冥界フェス エグすぎw」


誰も、“本物の軍事行動”だと認識できていない。

塵芥鏖の精神フィルタが、すでに働いているせいだ。


雷光が、ゆっくりと収束した。


そこに立っていたのは――



長い金髪。


いや――

金ではない。


雷の色だ。


腰まで届く髪を無造作に束ね、後ろで一つに結っている。


上半身は堂々たる筋肉の鎧。

ベージュのコートを肩からざっくりと羽織り、その下はほぼ裸同然。

腰には、世界樹の根を削り出して作ったような巨大戦鎚ミョルニル。


瞳は、空の青。

笑みは、嵐の前の狂気。


「――雷神トール・ドンナー」


レッドが、思わずその名を呟いた。


挿絵(By みてみん)


アースガルド神族にして、

主神オーディンの息子。

メルコール・ヴォータンの孫。


そして、ロキの“兄弟ブラザー”。


本人は、満面の笑みで腕を広げていた。


「よぉ、クソ真面目な“お役人”ども。冥界はいい所だな! 酒は濃いし、メシはうまいし、女は強いし、ガキどもは泣き声がうるせぇ!! 最高じゃねぇか!」


静謐局の隊員たちが、一斉に警戒態勢に入る。


「雷神トール・ドンナー……貴殿はアースガルド軍の将。此度の任務に関しては、ヴァルハラ議会による正式な――」


「うるせぇ」


トールは、にやり、と笑った。


空気が、一段階重くなる。


「ここで“メルコール様の御名のもとに”とか口走った瞬間、俺はその口ごと粉々に砕くからな。試すか?」


静謐局隊長の眉が、ピクリと動いた。


「……貴殿とて、立場というものが――」


「立場?」


トールは首を傾げる。

次の瞬間、目の前から消えた。


「――なっ」


隊長が気づいたときには、トールはもう彼の背後にいた。

片手で隊長の肩をがっしりと掴み、あっさりと持ち上げている。


「雷神トール・ドンナー、アースガルド軍第一雷戦団総大将。主神オーディンの息子。メルコールの孫。肩書き欲しけりゃ、まだいくつか付くぞ?」


彼はにやにや笑いながら、隊長を目の前にぶら下げる。


「で――」


青空の瞳が、一瞬で殺意の色に染まった。


「“子ども”に毒針向けてたよな、お前ら」


 静謐局の隊員たちが、全員一歩だけ後退する。

 任務より先に、本能が危険を察知していた。


トールは、ニカとシルフィスを一瞥した。

ふるふる震えながらシグルドの脚にしがみついている二人。


「……俺はな」


ふっと、笑みのトーンが変わる。


「ガキの泣き声には、ちょっとばかし……うるせぇぐらいに弱くてな」


その瞬間――


バチィッ!!


トールの全身から、青白い雷があふれた。

静謐局隊長の身体が、空中で一瞬だけバグったように歪む。


「ぐっ、あああああああ!!」


「隊長!!」


「安心しろ、殺してねぇよ」


トールは、まるでゴミを放り投げるみたいに隊長を骨の床に投げ捨てた。


「“記憶”だけちょいと焼いただけだ。“ここで子どもたちを回収しようとした”なんて、報告書に書けねぇ程度にな」


静謐局の隊員たちの顔色が、一斉に変わる。


「貴殿、何を――」


「主神オーディンの“命令”だ」


雷神の声が、冥界の黄昏を貫いた。


「――ヨグ=ソトースのカケラを巡る件に、これ以上“勝手な干渉”をするな」


沈黙。


冥界の風さえ、音を失ったかのようだった。


「“勝手な”ってのはな」


トールは雷鎚の柄を肩に担ぎ、無造作に静謐局の隊員たちを見回す。


「メルコール爺様の独断も、ヴァルハラ官僚どもの自己保身も、全部ひっくるめての話だ。……あいつら、俺の親父を甘く見てる。好々爺みてぇな顔してニコニコしてるからって、舐めるなよ?」


オーディンの顔が、脳裏に過ぎる。

片眼を隠した初老の男。

常に笑みを絶やさず、何を考えているかわからない。


――だが、その眼の奥だけは、いつだって“戦場”だった。


「親父は言ったぜ。“見届ける必要がある。九つの月が交わり、九つの世界が繋がるこの刻の狭間で、暗黒時空神のカケラがいかなる選択を示すのか。世界線の収束を見極めなきゃならない”ってな」


トールは指で静謐局の胸元の紋章を弾く。


「だから――」


雷鳴が、低く唸った。


「ここで一歩でも前に出た奴は、“反逆罪”で俺が始末する。理解できた奴から、とっとと失せろ」



静謐局の隊員たちが、一斉に互いの顔を見た。


「…………撤退、だと?」


「しかし、メルコール様の――」


「メルコール様は“今は相談役職”だ。今の主権は、オーディン陛下にある」


隊長の喉から、絞り出すような声が漏れる。

雷に焼かれたはずの瞳に、わずかな理性が残っていた。


「命令は、絶対だ。……撤退する」


トールが笑う。


「いい子だ」


静謐局の隊員たちは、悔しそうに、しかし確実な足取りで後退する。

冥界の霧に紛れ、一人、また一人と姿を消していく。


最後に消える直前、隊長は一瞬だけシグルドたちを振り返った。


「――この件、メルコール様に報告は上がります」


それだけ言うと、彼もまた霧の中に消えた。



「…………」


しばしの沈黙。


最初に、それを破ったのは――ロキだった。


「……ったく」


肩をすくめ、紫のマントを翻す。


「やり方、相変わらず雑だね、兄上」


トールは振り向き、にやりと笑った。


「おう、クソ弟」


「ロキお兄ちゃん、兄上ってトールさんの弟だったの?」


ミリルが目を丸くする。


「まぁ認めたくないが、この雑な男の弟ですよ。ボカァ」


ロキが額を押さえる。


トールはそんな二人を見て、大笑いした。


「あっはっは! いいじゃねぇか、世界樹の根っこは雑な方が楽しいんだよ!」


彼は、ようやくシグルドのほうを向いた。


青い瞳が、真正面からシグルドを射抜く。


「――よう。シグルド・スカーレット」


シグルドは、まだニカとシルフィス、それにイサカを庇う姿勢のままだった。

黒い炎は引き、ただ静かな警戒だけが残っている。


「……あんたは」


「雷神トール・ドンナー。覚えとけ。俺はお前の“親父”メフィスト・フェレスが若い頃、何度かバチバチにやり合いした一人だ」


シグルドの眉が、かすかに動く。


「……俺の、親父?」


胸の奥の霧が、また少しだけざわめいた。


トールは、それ以上は踏み込まなかった。

踏み込めば、さっきの封印がまた発動するのを知っているように。


代わりに、シグルドの足元の二人に視線を落とした。


「ニカ。シルフィス」


ニカがびくっと顔を上げる。


「ニャ?」


シルフィスも、ぎゅっとシグルドの服を掴んだまま見上げる。


「……雷のおじさん?」


トールは、ふっと口角を上げた。


「“おじさん”はやめろ。せめて“超絶美形スーパーワンダーフォーお兄さん”にしとけ。ショックで泣いちまうだろうが」


「じゃあ、雷のお兄さん?」


「よし、その呼び方採用だ」


雷神は、真剣な顔で大きく頷いた。


「いいか、ガキども。さっきの“灰色の連中”がまた来ても、今日はもうちょっかい出せねぇ。主神オーディンの名のもとに、だ。約束してやる」


ニカとシルフィスが、少しだけ顔を緩める。


「……ほんと?」


「ニャ?」


「ああ。嘘ついたら、俺の鬚が全部チリチリになっちまうからな」


「それはちょっと見たいかも」


ロキがボソッと呟いたところで、雷がズドンと落ちた。


「聞こえてんぞクソ弟」



トールは一通り場を収めると、ふっと視線を空に向けた。


「……親父」


誰にも聞こえないような声で、呟く。


「これで少しは、あんたの“意見”が、あんたのお父様に通るか?」


――遠く、アースガルド。

黄金の宮殿の片隅で、片眼の男が静かに笑ったような気がした。


オーディン。

鋼の眼差しを持つ、戦争の王。

一見好々爺のように、笑みを絶やさない隻眼の怪物。


「さて」


トールは、くるりと踵を返した。


「俺はちょっと、ヘルのとこに顔出してくるわ。じい様の“首輪”、どんだけ緩んでるか見てこねぇとな。お前らは――」


シグルド、レッド、フレア、ロキ、ミスティルたちを順に見回す。


「好きに暴れろ。ただし、“ガキどもの泣き声”だけは守れ。それが、俺の……いや、“年上の”条件だ。じゃあ俺もレース途中で抜けてきた身でな。コースに戻ってレース再開だ。」


それだけ残して。


雷神トール・ドンナーは、再び雷光と共に消えた。


◆◆◆


雷神トールの一撃で

冥界の騒動はひとまず収まった。


だが――


メルコールの思惑は

まだ終わっていない。


そしてシグルドの記憶も、

まだ霧の中だ。


九つの世界を巡る

レースと陰謀は

さらに加速していく。




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