第四章- 白の調停者メルコール・ヴォータン-12 現れるヴァルハラの影の支配者
※シリアス回です。
炎界ムスペルヘイム迎賓楼「緋王館」。
シグルド問題を巡る会議は
ついに最悪の来訪者を迎える。
西ヴァルハラの影の支配者
メルコール・ヴォータン。
彼の登場により
会議の空気は一変する。
炎界の会談は、こうして一時的な休戦を得た。
だが――
黒曜の床が、震えた。
誰も踏み込んでいないはずの扉が、音もなく開く。
熱を帯びていたはずの空気が、すうっと冷えた。まるで火山の心臓に氷柱を刺したみたいに。
フレアは一瞬、それが「恐怖」だとわからなかった。
肺が固まったみたいに動かなくなり、喉が閉じる。
熱いはずの頬が、冷たかった。
“生き物としての体が、勝手に危険信号を鳴らして逃げろって言ってる。”
──それが彼の入場だった。
白。
それが第一印象だった。
純白の法衣。余計な飾りはない。ただ、織りに金属光沢が混じっていて、炎界の赤い照明を弾き返す。
髪は銀。なめらかに肩へと流れ、一本も乱れていない。
皮膚は滑らかすぎて、生身というよりは鍛えられた金属に近いのに、それでいて“老い”のニュアンスだけは明確に示されている。作り物の「威厳」。
そして目。
琥珀色。だが、光ってはいない。
逆だ。あの瞳は光を吸っていた。
視線を向けられるだけで、そこだけ世界から色が抜けていく。
彼が一歩、床に足を置く。
その瞬間――
黒曜石に走っていた赤熱の脈動が、
完全に止まった。
炎界の守護者セント・シュルト公が、ほんのわずかだけ顔をしかめる。
“この館の術式に触れずに、炉心から熱を奪ったな”という顔。
「……無断入室とは、ずいぶん礼儀を知らぬ神だな、西ヴァルハラ」
炎の公が低く言った。
男は、それに微笑む。柔らかく、完璧に整った角度で。
「礼儀は、力の序列の上に初めて成立するものだ。
力が不明瞭な場において“礼節”を名乗るのは、ただの虚飾だよ、炎の守護者」
その声は、囁きよりも静かだった。
なのに、部屋の全員が同時に聞き取れてしまう。耳で聞いたというより、脳に直接滑り込んできたような感覚。
アング・アルテマレーザーが、鼻で笑った。
「メルコール・ヴォータン。相変わらず気に入らん話し方だ、九つ世界の神王」
「今のワシは“王”ではないよ、巨竜王。王座は息子オーディンに明け渡した。私は“調整者”だ。
混沌が自壊しないよう、破片を正しい棚に並べ直す者だ」
「それを世間では“事実上の支配者”と呼ぶんだがな」
「呼びたければ好きに呼ぶといい。呼称で現実は変わらない」
会場の温度はさらに落ちた。
炎を飲み込む存在──それがメルコール・ヴォータン。
彼は、まっすぐに卓の中央へ歩み寄る。
まるでそこは、彼のために用意された主座であるかのような自然さで。
そして、当然のように座った。
誰も“そこは議長席だ”と言わない。言えない。言葉が喉から先に進まない。
ロキが、横目でリーンに囁く。
「来ちゃったね、“白い化け物”が。我が祖父様は今回予定より早く腰を上げた」
「うむ」
リーン・アシュレイは片頬で笑う。笑顔の下、眼は冴えきっていた。
「どうやらメルコールはシグルドの秘密に気づいたようだ。シグルドがヨグソトースのカケラを持つ六人の内の一人だということに……」
「ウムル・アト=タウィル、ディオニトロの二人をのぞけば、今このキャノンボールにはカケラ持ちが四人そろってるよな?」
「ああ、今宵鵺、乂聖羅、クレオラ・フェレス、そしてシグルド・スカーレットの四人だ」
「強欲なウチの爺ちゃんの事だ。多分レースに出てる四人のヨグソトースのカケラを強奪しようと企んでるはずだ……」
二人が低くやり取りしている間に、ヴォータンは指を軽く上げた。
まるで“始めよう”と教師が促すみたいに。
「議題は一つ。“シグルド・スカーレット”だな」
最初に反応したのは、メフィスト・フェレスだった。
彼は椅子からほんの少し身を起こしただけで、空気が刃になった。
先ほどまでの悔恨をにじませた父の顔ではない。
戦略の悪魔、メフィストギルド総帥の顔。
「勝手に名を呼ぶな、ヴォータン。
あれは今、“ダークフレイム”と名乗っている。
個の尊厳を否定する呼び方は──」
ヴォータンは、ほんの軽い視線を投げただけだった。
それだけで、メフィストの言葉が止まった。
メフィストを黙らせた者など、これまで一人もいなかった。
「……」
フレアは、凍り付いた。
いま、何が起きたのか、頭では理解できない。けれど、わかってしまった。
“おじいちゃんが、黙らされた。”
誰も彼を黙らせられなかったのに。
誰よりも強くて、怖くて、怒鳴るだけで戦艦が黙るようなあの人が。
ただ、目を向けられただけで声を奪われた。
フレアの中に、はじめて“怒り”ではなく“恐怖”が芽生えた。
──この人は、私たち家族を数字として見るつもりだ。
ヴォータンは、卓上に触れる。
焼き付けられた各勢力の紋章に、彼の指がなぞるたび、ひとつずつ淡い光が走り……そして沈黙する。
まるで「確認、支配、封印」されたみたいに。
「まず現状の認識を揃えよう。
“シグルド・スカーレット”は、巨人族の生体兵器計画にとって最大級の成功例であり、同時に最大級の不良品だ」
「不良品だと!?」
フレアが立ち上がりかける。その肩を、背後に控えるレッドが押さえた。
いつもは寡黙な護衛の手に、はっきりと力がこもっていた。
「最後まで聞け、フレア。噛みつくのは順番待ちだ」
「…………」
ヴォータンは、微笑んだ。慈父めいた微笑み。
しかしそこには温度がなかった。
次回――
ヴォータンの宣告。
巨人族の英雄シグルドは
“兵器”なのか
それとも“希望”なのか。
世界の支配者たちの会議は
ついに決裂の気配を見せ始める。




