表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらメリヴェール王立探偵事務所 5 ~狩人は闇に潜む~  作者: 恵良陸引


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/15

狩人は闇に潜む 11

Chapter 11


47


 ひんやりとした空気がメルルの頬を撫でた。

 暗い階段を降りながら、どこへ連れて行かれるのだろうとメルルは思った。



 あれから、メルルを乗せた馬車はまっすぐにウルバッハの屋敷へ向かった。


 屋敷の正面で馬車が停まると、ケドルは部下に命じて、メルルを屋敷の中へ連れていった。

 この時点では、さるぐつわがそのままなのはもちろん、後ろ手に縛られたままだ。


 メルルが魔法を扱えるせいもあるが、まったく油断のかけらも見せていない。


 メルルには抵抗するすべもなく、されるがままだった。


 屋敷は広大なものだったが、それほど進む間もなく、ひとつの扉が開けられ、メルルはそこに引っ張り込まれた。


 明かり窓ひとつない暗い階段が足もとに伸びている。


 メルルを連れて来た男がランプを手にすると、「降りろ」と命じた。


 こうして、メルルは地下へ進む階段を歩かされているのである。



 メルルが連れられている間、ケドルはほとんど口を利かなかった。


 もっぱら、部下たちに指示を出すだけである。


 その声は、これまで聞いてきた、調子の良い明るい口調ではなく、威圧される思いを抱かされるほど低く、迫力のあるものだった。


 この階段はどこまで続くのだろうと、メルルが不安を感じ始めたとき、階段は唐突に終わって床に足が着いた。

 実際は、それほど深くなかったはずだが、メルルにはとんでもなく深いところまで連れてこられた心地だった。


 降りた先には木製の扉があった。


 部下のひとりが無造作に開ける。


 扉は「ぎいいいい」と嫌な軋み音をあげて、真っ暗な口を開いた。

 別の部下がランプを中へ差し入れる。


 明るくなった奥から鉄格子が浮かび上がった。

 どうやら、そこは地下牢へ通じる扉だったようだ。


 「早く入れ」


 鉄格子を目にして足がすくんだメルルを、男は容赦なく歩かせた。


 その部屋は、鉄格子で仕切られた狭い部屋だった。


 鉄格子にも扉があり、それは大きく開かれていた。


 メルルは思わず身をよじらせて逃れようとしたが、屈強な男につかまれてはどうにもできない。


 無理やり鉄格子の扉を潜り抜けさせられ、奥へと連れ込まれた。


 牢の中には小さな椅子が一脚置かれているだけだ。

 囚人が生活するためのベッドなどは一切見当たらなかった。


 メルルは、その小さな椅子に座らされた。

 鉄格子の扉が閉まる音がすると、続けて錠のかけられる「ガチャリ」という音が響いた。


 見ると、頭の禿げた大男がカギをじゃらじゃら鳴らしながら立ち去るところだった。


 メルルはケドルと、もうひとりの男とともに、鉄格子の中に閉じ込められたのだった。


 「外してやれ」

 ケドルは短く命じると、部下の男はメルルのさるぐつわを外した。

 メルルは大きく口を開け、息を吸った。


 「ずっと、さるぐつわのままじゃ、話ができないからな。

 お屋敷でもとっておきの地下にご案内したわけだ。

 ここでもし、炎系の魔法を使おうものなら、自分自身が黒コゲになってしまうぜ。

 鉄格子は頑丈で、カギがなければ出ることはできない。

 そうだな。爆破系の魔法を使ってもかまわんが、ここは巨大石で囲まれた地下牢だ。

 爆破で崩れたら、逃げる間もなくぺしゃんこになるぜ。

 つまり、お前がたとえどんな魔法を使ったとしても、この牢からは逃げられねぇってことだ。わかったか?」


 これまであまり口を利かなかったが、ケドルは思っていた以上に饒舌じょうぜつなようだった。


 メルルは顔をしかめながら、無言でうなずいた。


 ケドルはその反応に満足そうだった。彼もうなずくと、

 「わかってもらえて良かった。

 ここは人間的にやっていこうじゃないか。

 つまり、いろいろと話そうぜ。

 俺は、お前といろいろ話をしたいんだ」


 「どんな話ですか?」

 メルルはケドルに尋ねた。


 すると、ケドルは顔をしかめて上体をのけぞらせた。


 「んーーーーー。

 まずは、ちょっと、ここでのルールを教えておこうか。

 ここで質問するのは俺だけだ。

 そして、お前はそれに対して、すべて答える。

 何もかも包み隠さずだ。

 それがここのルール。わかったな?」


 ケドルの表情には、相手を威圧するものは何もない。

 むしろ、陽気で朗らかな笑みを浮かべてさえいる。

 もし、この状況でなかったら、メルルとケドルは友好的に会話しているように思えるだろう。

 もちろん、ケドルの笑顔がうわべだけであることは充分承知しているのだが。


 メルルは再び無言でうなずいた。


 「よろしい。

 まずは、お互いが理解し合ってからでないと、会話は成立しないからな。

 最初の段階は順調に達成できたわけだ」


 ケドルは上機嫌に話している。


 メルルは黙って聞いているしかなかった。自分がこれから何を質問されるのか、不安でたまらなかった。

 しかし、それを聞くことはできない。『ルール』を破れば、ケドルに何をされるかわかったものではないからだ。


 ケドルはメルルの正面に立つと、ずいっと自分の顔を近づけた。

 今度はメルルの上体がのけぞる。


 「さぁて、お嬢ちゃん。

 これから大事な質問だ。

 お嬢ちゃんはどうやってここまで来た?

 お嬢ちゃんの細い脚じゃ、ここには簡単に着けないはずだぜ。

 それに、この付近一帯は俺たち用心棒が何人も侵入者を見張っているんだ。

 見張りを全部かわして入り込めるわけがねぇんだ、本来は」


 「ば、ば、馬車に乗って、来たんです!」

 メルルはのけぞった姿勢のまま答えた。


 「馬車だぁ?

 『厄獣』騒ぎのせいで、ここいらの乗合馬車は全部休業中だ。

 ウソをつくにも、もっとましなウソがあるだろが」


 「う、ウソな、もの、ですか!

 私は、あなたの馬車に、乗って、いたんです!」


 ケドルの表情が変わった。

 これまで浮かべていた口もとの笑みが消えたのだ。


 「俺が乗っていた馬車……。

 まさか、お前、床下に潜り込んでいたのか?」


 しまった、と思ったがもう遅い。

 笑顔の失せたケドルの顔つきは獰猛な獣を連想させた。

 ケドルはメルルの眼前に残忍な本性の顔を見せていた。


 「ほう、お前、『あれ』を見つけたのか。

 感心じゃねぇか。

 そこらの魔法使いにしちゃ上出来だ。

 それに、お前、俺とジドーさんの会話を聞いたってことだよなァ?」


 メルルはすぐに答えられない。

 やはり気づかれた。


 ケドルたちを乗せた馬車は3台あった。

 床下に潜っていたメルルには、誰がどの馬車に乗っていたか見えたはずがない。

 その馬車にケドルが乗っていたことを知っていたのは、声が聞こえていたからにほかならない。


 ケドルもまた、そのことがわかったので顔色を変えたのだ。


 「おい、お嬢ちゃん。

 答えてくれないかな?

 お嬢ちゃんは、あの隠し床に潜って、俺たちの会話を聞いた。

 そうだよな?」


 メルルはうつむいた。目は何かを求めて左右に揺れる。

 「あの、その、車輪の音が大きくて……。全部聞こえていたわけじゃ、ないです……」


 「でも、聞いたんだ」

 ケドルはメルルの髪をつかんで持ち上げた。

 メルルは痛みで顔をしかめる。


 「お嬢ちゃん。良くないことしたな。

 よそ者が見ちゃいけないことや聞いちゃいけないことは、ここではたっくさんあるんだよ。

 お嬢ちゃんは、それをやったんだ。

 これは許されることじゃないんだ。

 お嬢ちゃん。あんたはこの件で罰を受けることになる。

 これは、昔っから決まっていることだ。

 お嬢ちゃんのように、ここの近くにふらりと足を踏み入れた者も、みんな罰を受けた。

 プライネスだろうが、カーペンタル村だろうが、もちろん、そのほかだろうが関係ねぇ。

 例外なくすべて罰を受けてきたんだ」


 メルルの全身がガタガタ震え出した。

 ケドルは穏やかな口調で話し続けているが、その内容に『穏やかな内容』なんてなかった。


 ケドルは『罰』の内容をまだ話していない。

 だが、メルルは知る必要などなかった。

 領民であるチョプスでさえ、この領の『罰』を受けたのだと確信したからだ。


……このままでは殺されてしまう。何とかしなきゃ、何とかしなきゃ……。

 メルルはふたりに気づかれないよう、自分のポケットに手を伸ばした。しかし、後ろ手に縛られた状態では思うようにできない。


 メルルの不審な動きは、すぐ後ろについていた男の目についてしまった。


 「こいつ、何かポケットに隠しているみたいですぜ」


 男はメルルの身体を押さえつけると、自らポケットに手を突っ込んだ。


 「あっ! やめて、やめてください!」


 メルルは叫んだが、男はポケットから何かを手に引っ張り出した。


 「そいつは何だ?」ケドルはメルルの髪をつかんだまま尋ねた。


 男の手には小さく、細い棒が握られていた。


 「返してください! それは……!」


 「どうやら魔法の杖のようですぜ。一番小さい型の」


 「それは先生の形見です! 返して!」

 メルルは自由を奪われたまま、身をよじらせて叫んだ。


 「ほう……。つまり、それは、お嬢ちゃんにとって、大切なものだね?」

 ケドルはメルルから手を離して魔法の杖を受け取ると、興味深そうな表情でしげしげと見つめた。


 メルルはうつむいてしまった。

 さきほどまで心に占めていた恐怖心は消え去ったが、今度は屈辱感に苛まれていた。


……なんて弱いんだろう、私の腕は!


……なんて非力なんだろう、私は!


 魔法の杖なしで、魔法を制御する自信がない。だから、魔法の杖を手にしようとした。

 そのせいで、もっとも奪われたくないものをみすみす奪われてしまったのだ。



 だめだ。もう、だめだ。



 メルルはある意味、腹をくくった。


 魔法を使おう。ここ一帯を火の海にするんだ。それで自分が焼け死んでもかまわない。

 大切なものを奪われたまま死ぬなんて耐えられない。

 それならいっそ、形見の品とともに自らも灰塵かいじんにしてしまおう。

 魔法を放つ方向や威力などの調整をしないのであれば、杖の補助がなくてもできる。

 ケドルたちを道連れにすれば、今後苦しめられるひとが減るかもしれない……。


 メルルはすぅっと静かに息を吸うと、口の中で呪文を唱え始めた。


 やってみせる。私は必ずやってみせる。ここで終わるしかないのなら、一番『まし』な終わり方をしてやるんだ!


 突然、地下牢の部屋へ入る扉が開き、ひとりの男が入ってきた。

 男の姿を見るなり、ケドルの背筋が伸びた。


 「ご、ご領主様!」


48


 メルルはせっかく唱えかけていた呪文を止め、顔をあげた。

 鉄格子の向こう側に太った男がこちらをのぞいている。


 瀟洒なガウンに身を包み、口のはしに葉巻をくわえていた。

 メルルを舐めきったような表情で見下ろし、態度からも日ごろからのふてぶてしさを感じさせる。

 いかにも世の中すべてを下に見ているような、傲慢な人間の姿だった。


 メルルは男の顔を睨んだ。


――これが、『敵』の顔……!


 「これが、侵入者か?」

 カイン・ウルバッハは誰ともなく尋ねた。


 「はい。こいつはプライネスのひとり娘の知り合いとかいうやつです」


 ケドルは背筋を伸ばしたまま答えた。


 「ふん。あのはねっかえりの知り合いか。

 どうりで、こんな無茶をする」


 カインは葉巻を口から離しながらつぶやいた。


 「おおかた、こっちの様子を探らせて、王国が介入できる口実でも見つけさせようとしたんだろ。あのカルロスの娘なら考えかねん」


 「違います! 私は、自分の意志でここへ来たんです! ルピーダさんに言われたからではありません!」

 メルルは身を乗り出して否定した。

 今のメルルの中にあるのは恐怖心でも屈辱でもない。

 怒りに背中を押された、「負けたくない」という想いだ。


 カインの目が細くなった。「自分の意志でここに来ただと?」


 「あなたの執事がカンタ村へ来たとき、執事は自分たちですべて片づけると言いました。

 でも、本当にそうするとは信じられません。

 このまま何もしないのではないか。私はそんな不安を持ったのです。

 『厄獣』の潜む森にはレトさんたちが取り残されています。

 このままでは、あのひとたちが危ないのです。

 あなたがたが、どうしてここまで人命を軽視した態度ができるのか。

 私は、どうしてもそれを確かめたかったんです。

 もし、それが、領内の事情を外に知られたくないためであれば……」


 「もし、その考え通りだったら?」

 カインは先をうながすように尋ねた。


 「このことを通報して、王国の方がたに助けに来てもらいます。

 『王国人権宣言』を発表した王国は現在、悪質な人権侵害に目を光らせています。

 あなたがたは、領民の皆さんがどんなに苦しめられようと、まるで気にもしない。

 それどころか、何人死のうが平気です。

 私は、馬車の中で、あなたの執事さんと、この用心棒さんがそのことを話しているのを聞きました。

 当然、森に取り残されたレトさんたちも見殺しにするつもりです。

 王国はそういう行為を認めません。

 王国があなたたちのことを知れば、必ず介入するでしょう。

 それが同時に、レトさんたちを助けることにもつながります。

 私は、そのためにここへ来たのです!」


 メルルの言葉は宣言に近いものだったが、カインの心はそれほど動いた様子はなかった。


 「そうか。そういう事情か」


 あっさりとした反応だ。


 「この娘を外へ出せ」


 ケドルは目を丸くした。「ええ? こいつを解放するんですか?」


 カインはじろりとケドルを睨んだ。

 ケドルは畏縮して頭をかく。「違いますよね、はい」


 「私は今、すこぶる機嫌が悪い。なぜだかわかるか?」


 「は? はい、いいえ……」


 「私はお前だけを『厄獣』討伐隊に入れた。

 それは、この小娘のようなはねっかえりをここに来させぬためだ。

 それなのに結果を見ればどうだ。

 最悪の結果が我が屋敷の地下にいるというわけだ。

 私の機嫌も悪くなるものじゃないか。なぁ?」


 カインの声は明らかに脅す口調だ。ケドルはますます縮こまる。「本当にすみません……」


 「私はお前がもっとうまくやるだろうと考えていた。

 やつらを『谷』に近づかせないだけでなく、ついでにプライネスの跡取り娘も始末してくれるとな。

 こちらの結果も私を失望させられたよ。


 気に食わないのは跡取り娘の件だけではない。

 あのカルロス・プライネスも仕留めそこなっているではないか。


 私の心はまったく晴れぬ。


 私は今、狩りに出たい気分だ。


 今すぐにでも、この心のもやもやを晴らしたい。わかるか?」


 「当然のことだと思います、はい」

 ケドルは頭を深々と下げて答えた。


 「ついさっき、別の者の報告から小娘は魔法使いだと知っている。

 入念に魔法を封じてから、第一区で解放しろ。

 私は部屋に戻って着替えてくる」


 カインは言うだけ言うと、くるりと背を向けて部屋から出て行った。

 メルルにはほとんど目を向けなかった。


 ケドルは直立姿勢で領主を見送っていたが、姿が見えなくなると大きく息を吐いた。


 「はぁあああ。こんなときに『狩り』かよぉ。

 ご領主様の気まぐれも、こんなときは困りもんだな……」


 ケドルはくるりとメルルに顔を向けた。

 メルルは睨み返す。ケドルの表情は挑発的とも取れる、哀れみを浮かべていた。


 「何ですか?」

 メルルは怒った口調で尋ねた。


 それに対し、ケドルは哀れみの笑みを浮かべながら首を振った。

 メルルに「ルールを破った」と責める様子も見せない。


 「お嬢ちゃん。運がなかったな。

 俺だったら、一瞬であの世へ送ってやれたのによ。

 お嬢ちゃんは、ご領主様の『狩り』の獲物に選ばれたんだぜ」


49


 「『狩り』の……獲物……?」


 メルルは小声でつぶやいた。

 何を言われたのか理解が追いついていない。

 狩りの獲物? 自分が?


 だんだん、言葉の意味がメルルの頭の中で形を成してきた。

 それにつれて、メルルの顔から血の気が引いていく。


 「おや、ようやく意味がわかったのか?

 お嬢ちゃんは、これから、ご領主様のお庭で『かけっこ』をしてもらう。

 さるぐつわをかけて、両手も封じさせてもらうが、両足は自由だ。

 思う存分、お庭を駆けまわって、無事逃げきれたらお嬢ちゃんの勝ちだ。

 ま、そういう『お遊び』だ」


 「まるで珍しくないように言いますね……」

 メルルは唇を震わせながら言った。

 さきほど消えたはずの恐怖が、胸の奥から蘇ってきたのだ。


 ケドルは両手をあげて首を少し傾けた。


 「そりゃ、まぁ、ご領主様に30年も仕えているからなぁ。

 いろいろとご領主様の『お遊び』に付き合わされて、尻ぬぐいみたいなこともやってきたぜ。

 そうそう。馬車の荷台に隠し床があった理由を教えてやってなかったな。

 あれは、お遊びの終わった獲物を遠くへ運ぶ際、人目にさらさないようにするためさ。

 おおっぴらに見せちゃ、周りの精神状態に悪影響を及ぼしかねないからなぁ。

 ま、お嬢ちゃんも、お遊びがすんだら、もう一度荷台の下に入ってもらうぜ。

 今度は俺たちが入れてやるんだがな」


 メルルは戦慄した。

 なぜ、馬車の荷台に『隠し床』があるのかと思ったが、せいぜい密輸に利用していた程度にしか考えていなかったのだ。

 「なんて趣味の悪い……」


 唇を震わせているメルルを見て、ケドルは満足そうな笑みを浮かべた。


 「趣味が悪いって、言ってくれるねぇ。

 あの方の趣味に、使用人の俺たちがどうこう言えるわけねぇだろ?

 まぁ、長年仕えているから、ご領主様の趣味についちゃあ、よく知っているわけだがな。

 そうだな。獲物の好みだってよく知っている。


 ご領主様が獲物として好むのは、まずは美男子。

 本当は美男子なんてものが大嫌いなんだが、そういうやつらの顔を苦痛に歪ませて仕留めるのは大好きなんだそうだ。


 次は、声の大きな女。

 女の悲鳴は、鹿の悲鳴よりも聞き心地がいいんだと。


 子どもは、いつもの『狩り』に飽きたころ、たまに遊ぶ獲物だ。

 子どものほうがすばやく逃げ回るから、追いかけ甲斐があるんだって。

 ただ、耐久力が大人より低いから、すぐに死んでしまうのが興醒めな部分だとさ」


 ケドルはなんでもない話のように語って聞かせる。

 しかし、その内容は戦慄すべきものだ。


 「いったい、どうしてそんなことをするんですか!

 そのひとたちは、何か悪いことでもしたんですか!」


 メルルは我慢できなくなって大声をあげた。

 ケドルは一瞬、声の大きさに驚いたようだが、すぐ普通の表情に戻った。


 「別に、そいつらは何かしたわけじゃねぇよ。


 まぁ、男の場合、男前に生まれて、美形に育ったからだし、女は元気そうであれば誰でもいいんだ。


 だが、そうだな……。あえて言えば、この世に生まれてきたことが悪いってことか。


 まぁ、領外へ逃げ出そうなんて本当に『悪いこと』をするやつらは、『狩り』の獲物として大歓迎なんだがね……」


 メルルは気づいたように目を見開いた。


 「チョプスさんも『狩り』の獲物として殺したんですか?」


 口に出してから、さらに気づく。


 「チョプスさんは、何本も矢を受けていました。

 どうにかプライネス領まで逃れたのですが、そこで命を落としてしまいました。

 でも、そのことで、ある点が引っかかっていました。

 チョプスさんを追いかけ、矢を放った者は、なぜ、ドクヤガエルの毒を使わなかったのだろうって。

 毒矢であれば、かすり傷だけでも倒せたはずです。

 でも、チョプスさんに矢を射かけた者は、毒矢を使わなかった。

 それは、チョプスさんに苦痛を与えるためだったのですか?」


 メルルの言葉に、ケドルは「ほう」と感心した表情を浮かべた。


 「おやおや、お嬢ちゃん。

 けっこういいところ突くじゃねぇか。

 そうさ。『狩り』の楽しみ方は二種類あるのさ。

 ひとつは、一撃で仕留める楽しみ方。

 もうひとつは、じっくりと追い詰め、獲物を苦しめる楽しみ方。

 チョプスの場合は後者だったんだが、思ったよりチョプスが頑張ったのさ。

 ご領主様の庭から逃げ出したチョプスは、緩衝地帯の森で姿を消した。

 俺たちは、ご領主様からのご命令で取り逃がした獲物の始末に向かったってわけだ」


……なんてひどいことを……!


 メルルはケドルを睨むことしかできなくなった。

 生まれて初めて、怒りのせいで言葉が出なくなってしまったのだ。


 「そう怖い顔で睨むんじゃねぇって。

 ここまで親切に説明してやったんだぜ。逆に感謝しろよ。

 よそ者のお嬢ちゃんに、これからの『お遊び』の内容をしっかり理解してもらわなきゃ、獲物の役目を果たしてくれないかもしれないからなぁ!」


 「……望み通りの獲物になんて、なってやるもんか!」

 メルルはどうにか、それだけを言い切った。


 しかし、メルルの強気な態度も、ケドルには何も影響を与えなかった。

 相変わらず、にやにやした笑みを浮かべている。

 「そんなことを言っていいのかい?

 望み通りの獲物にならないってことは、すぐに死んじまうってことだぜ?

 ご領主様が狙う矢の前で、じっとしてるって言うのかい?」


 メルルは唇を嚙み締めた。

 悔しいがそうだ。

 こいつらをがっかりさせる最善の方法は、つまらない獲物になることだ。

 それは、ろくに逃げもせず、ただ殺されるのを待つだけの獲物だ。

 しかし、そんな死に方をメルルは選びたくない。


 「まぁ、今回は、ちゃんと戦利品もいただけたわけだし、お嬢ちゃんがどんな態度でのぞもうが俺はかまわないがね」

 ケドルは魔法の杖を手のひらでくるくる回しながらつぶやいた。


 「あ、その杖!」


 メルルが声をあげると、ケドルは、それをさっと揚げてしまった。


 「おおっと、もうダメだぜ、これは。

 俺にも趣味があってな。

 戦利品の蒐集しゅうしゅうってのがあるんだ。

 これまで獲物になった者が身につけていたものや持ち物を、記念品としていただくのさ。

 それらは俺の部屋の壁に飾ってある。

 ベッドに寝っ転がって、それらを眺めながら思い出に浸るのさ。

 ああ、あそこのハンカチはあのときの女のものだ。

 あのベルトは、最後まで命乞いしていた男のものだってな。

 お嬢ちゃんの杖も、同じように飾ってやるぜ。

 思いのほか楽しませてくれたお嬢ちゃんのものだってね」


 「言葉でいたぶるのが好きですね。ケドルの兄貴は」

 メルルの身体を押さえつけていた男が思わず口を開いた。


 ケドルは上機嫌で部下の顔を見やる。

 「そう言うなよ。

 チョプスからは戦利品を手に入れられなかったんだ。

 ご領主様もそうだが、俺も欲求不満が残っていたのさ。

 まぁ、これのおかげで少しスッキリできたとこかな……」


 ケドルは手のひらに載せた小さな杖を満足そうに眺めた。

 しかし、その満足そうな笑みはすぐに消えた。


 ケドルは真顔に戻ると、部下に目を向けた。

 先ほどとは違う、冷たい目だった。


 「おふざけの時間はここまでだ。

 こいつにさるぐつわを噛ませて、第一区に連れて行け」


50


 「どのぐらいの距離を稼げたと思う?」


 ペイピールは後ろを振り返りながら尋ねた。


 日はだいぶ高くなっている。


 樹々の葉っぱが天井のように頭上を覆っているが、ところどころ柔らかい木漏れ日が差し込んでいた。


 そのおかげで、暗いはずの森はどこか穏やかで優しい雰囲気だ。


 ただ、その森を抜けようと歩く3人の男たちに、森の優しさに浸る余裕は見られない。


 特に、ペイピールは不安な表情を隠そうともしなかった。


 「少なくとも1里は歩いたはずです」


 レトは言葉少なに答えた。

 レトの額には小さな汗のしずくがいくつも浮かんでいる。


 「まだ、そんなところかぁ……」

 ペイピールは疲れた声をあげた。


 「仕方ないだろ。森の中は歩きにくいもんだ」

 ペイピールのぼやきに、カップが応じた。


 「追いつかれたりはしないか?」

 ペイピールは再び後ろを気にしながら尋ねる。


 「わかりません。

 ただ、ギガントベアは森に適した動物です。

 僕たちより移動は慣れたものでしょう」

 レトの声は冷静なものだった。


 「おいおい。危ないじゃないか、それ……」


 「おい、若いの」

 カップはペイピールをさえぎるように口をはさんだ。


 「だったら走るか? この森の中を」


 ペイピールは絶句した。


 「それはよしておきましょう。

 いくら先を急いでいても、そちらのほうが体力の消耗が激しい。

 動けなくなるほうが致命的です」

 レトは淡々と話す。

 レトは決して声を荒げたりはしない。

 しかし、ペイピールにとってレトの言葉は怒鳴りつけられたに等しかったようだ。

 それからはペイピールはおとなしくレトの後ろを黙々と歩いた。


 3人は、脚を休めるのに適した岩で休憩を取りながら先を急いだ。

 食料は、レトが携行していた干し肉を分け合い、途中で見つけた野生の果物を口にして飢えをしのいだ。

 レトは日ごろから小さなカバンを肩からぶら下げており、そこに干し肉を入れてあるとのことだった。


 どのぐらい進んだだろうか。


 あれほど深かった森が急に切れ、目の前に草原が広がった。その先にはなだらかながらも高い丘が続いている。

 なだらかと言っても、丘の頂上付近の勾配は少し急なようで、登り切るのは少し骨が折れそうだ。


 「だいぶ、街道へ近づいてきましたね」

 地図を広げて位置を確かめたレトが言った。「あともう少しです」


 「しかし、街道から先は長いんだろ?」

 ペイピールは疲労で顔がたるんでしまっていた。

 疲れた声で尋ねる。


 「そうですね。

 この丘はウルバッハ領の近くですね。西へ進めば枯れた川の谷。

 街道はこのまま北へまっすぐです。

 プライネス領へ行くには、街道に出てからひたすら東へ進まなければなりません。

 ですが、あの街道はひとの往来が多少はあるはずです。

 さすがの『厄獣』も人間を警戒してむやみに襲ってはこなくなるでしょう」


 「そうかぁ?」ペイピールは疑問の声をあげた。

 「どうかしましたか?」


 「思い出してみろよ。

 ウザを探しに森へ入ったとき、俺たちは11人態勢だったんだ。

 それなりの数だぜ。

 さっきの話が正しければ、それだけの人数相手に『厄獣』がいきなり襲ってはこないはずだっただろ?」


 レトはペイピールの顔を見つめた。


 「な、なんだよ。

 たしかに俺は『魔獣狩り』じゃないから、魔獣に関しちゃ素人さ。

 でもよ、やつは人間が何人いようが、おかまいなしに襲ってくるんじゃないのか?」


 「ペイピールさんの考えはもっともです。

 ですが、ルピーダさんはこう言っていました。

 『厄獣』はギガントベアの中では警戒心の強い魔獣で、人数の多いところを避けると」

 レトはペイピールを安心させるように答えた。

 だが、ペイピールは納得しない。


 「だったら、あのときはなぜ……」


 「あのとき、『厄獣』にはある程度の勝算があったから襲ってきたんだと思います。

 あのときの状況を思い出してください。

 『厄獣』はウザさんをおとりにした罠が用意できていた。

 さらに、動揺していた僕たちは連携が乱れ、烏合の衆と化していました。

 そんな状況では、11人という人数は大して脅威じゃなかったと思います。

 それに、僕たちが撤退したとき、『厄獣』はすぐに追っては来ませんでした。

 臭い袋で足を止めたのもあるでしょうが、あの場合、撤退した僕たちが態勢を整え直す可能性だってあったわけです。

 『厄獣』はその可能性を警戒して深追いしなかった。

 僕はそう思います」


 「なんなんだよ、あいつは……」

 ペイピールのぼやきは止まらない。

 「獣の考えることじゃないだろ、それ……」


 「あくまで僕の想像です。

 ですが、『厄獣』は思っている以上に人間に近い知能を持っているように思います。

 部分的ですが、その性質も人間と重なるように感じます」


 「あれが人間と同じってか?」


 「ある意味、人間を超えている部分もあるんじゃないですか?」


 「お前はつくづく変わっているなぁ」

 そう言ったのはカップだ。

 「お前の言い方は、やつを称賛しているように聞こえる」


 レトは首を振った。

 「称賛なんてしていません。

 ただ、舐めた考えもしていないだけです」

 レトは地図をたたみながら答えた。


 「さぁ、先へ進みましょうか。

 街道はこの丘を越えた先です」


 レトは先頭に立って歩き始めた。

 ペイピールは疲れた顔でカップと顔を見合わせると、仕方がなさそうに後に続いた。


 「やつが追いつく様子はないな……」


 丘の半分を歩いたところで、ペイピールは振り返ってつぶやいた。


 「もし、『厄獣』が森から姿を現したら、すぐ迎撃態勢を取ります」


 レトは振り返らずに言った。ペイピールは顔色を変える。


 「迎撃? 逃げるんじゃないのか?」


 「熊類は人間の倍以上のスピードで走ることができるんです。

 ただ逃げるだけじゃ、あっという間に追いつかれてしまいます」


 「それだったら、お前の例のギューンって飛ぶやつで……」


 「3人一緒に飛ばすのは、それなりに魔力を食うんです。

 今日は一度、離脱魔法イクストリケーションを使っています。

 できるだけ乱発を避けて、戦闘用に使う魔法のために魔力は残しておきたいのです」


 「そんな……」

 ペイピールが弱音を吐くと、

 「お前、全然わかってなかったのか?」

 カップが呆れたような声をあげた。


 「レトの魔力に余裕があるなら、俺たちはここまで歩く必要はなかっただろうが。あの、ギューンってやつを繰り返して飛んでいけば済んだはずだろ?

 レトがそうしなかった、というのは、そういう理由があったからだってことだ」


 ペイピールは、じとっとした目をカップに向けた。

 「おっさん、物分かりがいいな……」


 「ダテに、お前の倍は生きとらんわい」

 カップは当然のような態度で応じた。


 「ありがとうございます、カップさん。

 実際、そのとおりなので」

 レトはカップに顔を向けて礼を言うと、再び丘の頂上へ視線を向けた。


 「え?」レトの足が止まった。


 「どうした?」カップもまた足を止め、レトが見上げている先を見つめた。


 「おいおいおいおい……」ペイピールはへっぴり腰になって唇をわななかせた。


 丘の頂上から、丸みを帯びた何かがうごめいていた。

 それは大きな岩らしいものだった。


 「やつは、とっくに森を抜けて、先回りしていたんだ……」

 レトは信じられないという表情でつぶやいた。

 「そして、罠を用意して待ち構えていた……」


 丘の上では、『厄獣』が大きな岩を転がしていた。

 そして、3人が立っている方角へ、その岩を転がり落した。


 岩はあたりの草を薙ぎ払いながら3人へ迫ってくる。


 「よけてください!」


 レトは叫びながら空中を飛んだ。

 残るふたりも慌てて飛びのく。


 「ぐぅっ!」

 カップの口から苦痛の声が漏れた。


 カップは飛びのいたものの、脚に大岩がぶつかったのだ。

 カップは自分の脚を押さえながら地面を転げまわった。


 「おっさん!」

 ペイピールが急いで駆け寄る。


 レトは丘の上をちらりと見てからカップのもとへ走った。


 『厄獣』はまだ姿を見せず、次の大岩を落そうと押しているところだ。


 「見せてください」

 レトはカップのそばへ駆け寄ると、早口で言った。


 カップは自分の脚を押さえたまま呻くばかりだ。


 「折っちまったか?」

 ペイピールが不安そうに尋ねる。

 カップは首を振ったが、顔は苦痛で歪んだままだ。


 「岩でやられたから岩で仕返しですか」

 レトは丘を睨みながらつぶやいた。「本当にやってくれる」


 レトはペイピールの肩をつかむと、続けてカップの身体にも自分の腕を回した。

 ペイピールは目を丸くする。「おい……」


 「『離脱魔法イクストリケーション』!」


 レトは魔名を唱えると、3人は光に包まれて宙を舞った。

 そして、そのまま西の空へと飛び去って行った。


51


 レトの離脱魔法イクストリケーションでその場を逃れた3人は、ごろごろと岩の転がる道なき道を歩いていた。


 そこはもともと川だったらしいところだった。


 しかし、何らかの事情で川の水が枯れてしまい、大小さまざまな岩だけが道のように転がっているのだ。


 3人は比較的歩きやすい、もともとは川原だったと思われるところを歩いていた。


 歩きやすい、と言っても、片足を引きずるカップをレトとペイピールが肩を貸して歩いているので、3人とも汗まみれになっていた。


 「謝らなければなりません」


 レトは思い出したように口を開いた。


 「僕は『厄獣』を舐めていないと言いました。

 でも、あれは誤りです。

 油断していないつもりでも、『厄獣』があそこまでのことをするとは予想していませんでした。

 『厄獣』の知能を僕はまだ低く見積もっていたのです」


 「いいよ、そんなこと、もう……」

 ペイピールは静かな口調で言った。

 「どこの誰が、熊が岩を転がして攻撃するなんて予想できる?」


 「まったくだ……」


 カップも疲労と苦痛で顔を歪ませたままで応じた。


 「それより……、お前は大丈夫か?」


 カップはレトに声をかけた。レトはカップに目を向ける。「大丈夫って?」


 「お前自身が言ったことじゃないか。

 あのギューンって飛ぶやつ。乱発は避けたいと言っておきながら、また使ったじゃないか」


 レトは首を振る。

 「あれは致し方がないことです。

 あの場面で、あれ以外に逃れる方法は思いつきませんでした」


 「お前の魔力、もう残っていないのか?」

 ペイピールが心配そうに尋ねる。


 「まだ大丈夫です」

 レトはペイピールを安心させるように、朗らかな口調で答えた。


 「ところで、ここはどこだ?

 俺たちは今、どこを歩いている?」

 カップが弱々しい声で尋ねた。苦痛だけではない。カップは自分の体力が限界に近いことを悟っているようだった。


 「丘の手前で説明した『枯れた川』です。

 拠点にした丘の小屋で、ケドルさんが話していた川ですよ」


 「ああ、あそこか……」

 カップは思い出したようだった。


 「だが、どうして、ここを歩くんだ? だんだん両岸が崖みたいになってきたぞ。

 下手すりゃ、俺たちに逃げ場がなくなるじゃねぇか」


 ペイピールはあたりを見ながら尋ねた。


 ペイピールの言うとおり、川の両岸はすでに崖と化していて、3人は狭い壁にはさまれるようにして歩いていた。


 もし、背後から『厄獣』に襲われたとき、3人が左右に逃れる場所はない。ひたすら奥へ逃げるしかなくなるのだ。


 「実は……、僕に考えがあります。

 『厄獣』を迎撃する作戦が」


 「それは何だ?」

 ペイピールが聞き返すと、レトは首を振った。

 「あとで説明します」


 日は少し傾いていた。時刻は昼を過ぎたようだ。


 3人は足を止めた。

 無言であたりを見つめている。

 川原の道はここで終わっていた。目の前にはおそらく滝だったと思われる岸壁が立ちふさがっていた。

 おそらく、この川は滝から噴き出す水によって川となったところなのだろう。

 それが、滝から水が噴き出さなくなったことによって枯れてしまったのだ。

 両岸はすでに高い崖となっていて、そこからよじ登るのは非常に困難だ。

 それは、目の前の崖も同様だった。

 3人は三方を高い壁に囲まれた谷底で、無言のまましばらく立ち尽くした。


 「そういうことか……」

 最初に口を開いたのはレトだった。


 「何がそういうことか、だよ」

 ペイピールは声を震わせながら言った。


 「拠点での話し合いのとき、少し違和感がありました。

 ケドルさんは、どうして、緩衝地帯の南側の話ばかりするのだろうと。

 北側へは、特に、この枯れた川で魔獣を追い詰めることを薦めようとしなかったのか。

 答えは……、僕たちにこの谷へ踏み入らせないためです」


 レトは落ち着いた声だ。


 「『厄獣』討伐に参加した理由も、おそらくこれのためでしょう。

 討伐隊の進行方向に意見して、こことは違う方角へ誘導するつもりだった。

 ここは、彼らにとって、知られてはならない『秘密』の場所だからです。

 はからずも、ここへ来ることになってしまいましたが、おかげで少しすっきりしました。

 小さいながらも謎のひとつはわかりましたから」


 「わかったところで、どうにもならないだろ」

 カップは呆れた口調だ。

 「まったく、お前は本当に知りたがりだな」


 「そのとおりですね」レトは微笑んで応じた。


 レトはひとつの岩にカップを座らせた。

 カップはレトにうながされるまま腰を下ろすと、レトの顔を見上げた。


 「やっと、俺を置いていく気になったか?」


 レトは顔をしかめた。「何を言い出すんです」


 カップは自分の首と手を同時に振った。

 「いいんだ。わかっている。今の俺はただの足てまどいだ。

 こんな崖をよじ登るなんて、今の俺には無理だ。

 踏ん張りの利かない身体じゃ、弓も引けないからな。

 本当に戦力外なんだよ、今の俺は。

 プライネスの若いの。お前さんだって同じ考えだろ?」


 「いや、俺は……」

 ペイピールは否定しようとしたが、その調子は弱いものだった。


 「あなたを置いて僕が逃げるとでも?

 あまり見くびらないでください。

 僕が何を目指して剣を学んだと思うんです?

 何のために王都へ上り、『勇者の団』に入ったと思うんです?」

 レトの口調には少し怒りの感情が含まれていた。


 カップはレトの顔を静かな表情で見つめていたが、小さくため息をついてうつむいた。「そうか……。お前はまだ気づいていないんだな……」


 レトは眉をひそめた。「僕が何を気づいていないと?」


 カップは顔をあげた。


 「お前は覚えているか?

 『厄獣』に襲われたとき、俺は矢をやつの腕に命中させた。

 お前のすぐ脇をかすめるようにしてな」


 レトは無言でカップの顔を見つめた。


 「……あれはな……、少し的を外したんだ。

 あのとき俺が狙っていたのは、お前さ。レト。

 俺はあの瞬間、とっさにお前へ毒矢を撃ち込もうとしていたんだ」


51


 カップが告白したあと、あたりはしばらく沈黙していた。


 谷を通り抜ける風ですら、息をひそめたようだった。


 やがて口を開いたのはペイピールだった。


 「……冗談だろ、おっさん。

 あんな状況で、仲間を背後から狙い撃ちにしたって言うのか?」


 「そうだ」カップは短く答えてうなずいた。


 「頭がおかしくなったと思っているか?

 だろうな。

 あのときのことを思い出すと、本当に自分は気が触れたとしか思えん。

 しかしな、事実だ。

 俺は、レトを殺そうと思ったよ。

 あのどさくさなら、誤射のふりしてレトを殺せるってな」

 カップは顔を上げるとレトの顔を正面から見つめた。

 レトの表情に変化はない。静かな表情で見つめ返しているだけだ。


 「おいおい。

 どうして、おっさんがこいつを殺そうと考える?

 こいつは同郷の親しいなじみなんだろ?」

 ペイピールは混乱した様子でレトを指さした。


 「たしかにな。

 はっきり言えるのは、俺の逆恨みだってことだ。

 昔、俺の息子とこいつは、たきぎ拾いに行った先でギガントベアに襲われた。

 俺の息子は食い殺され、こいつは生き残った。

 あのときも思ったさ。

 『どうして、こいつが生き残り、息子は死んでしまったんだ?』と。


 もちろん、そのときはこいつを殺したいとも思わなかったさ。


 胸の奥に、何ともいえないものはあったけどな。


 こいつが魔族と戦うと言い出して村を飛び出したときも同じだ。

 こいつを殺したいとは思わなかったが、何か苦しいものを感じた。


 この間、こいつが立派な姿になって戻ってきたのを見たとき、俺はようやく気がついた。


 俺はこいつを憎いと思い続けていたことに」


 「僕が……憎いのですか……」


 「わかってるんだ。

 そんなのただの逆恨みだってことは。

 キップはお前のせいで死んだわけじゃない。

 むしろ、たきぎを拾いに行かせた俺の責任だ。

 だがな、思ってしまうんだよ。

 生き方に悩み、親に逆らってでも自分の道を決めて進む眩しい姿を、お前ではなくキップで見たかったってな。

 お前の姿を見るたび、思い知らされるんだ。

 俺が失ったもの。

 無造作に扱ったせいで、二度と戻らなくなったもののことを」


 「僕は、あなたの罪悪感を呼び起こす存在だったのですね」

 レトは静かに言った。

 怒りや不快な感情も見られない落ち着いた声だ。


 「お前が、俺のことを気遣う必要はない。

 俺はこういうやつなんだ。

 お前が俺を置いて逃げたって、俺に文句はねぇ。

 むしろ、今まで思っていたことの報いだと思って受け入れるさ」


 カップはせいせいとした口調で言った。

 心の奥に秘めていたことを吐き出せて、カップの表情は晴れやかだった。


 しかし、レトは首を振った。

 「この場合、お互いさまと言うべきでしょう。

 僕は、あなたと顔を合わせるのが辛かった。

 あなたに優しくされるのが辛かった。

 僕だけ生き残ったことが申し訳なくて苦しかった。

 僕が村を出たのは、いろんな理由がありましたが、あなたと顔を合わせることから逃げ出したかったからでもあるのです」


 「おいおいおいおい」

 ペイピールが突っ込んだ。


 「だから、あなたを見捨てる真似はしません。いえ、できません。

 それに、とっておきの作戦を残したままです」


 「ここを歩いている途中でお前が言っていた『厄獣』を迎撃する話だったな」


 ペイピールの言葉に、レトはゆっくりとうなずいた。


 「僕たちには、まだ手が残っています」


 「それは何だ?」

 ペイピールの質問に、レトは首を振った。


 「実は、それを教えることはできないんです。

 王国には魔法についていろんな決まりごとがあるわけですが、当然、使ってはいけない魔法だってあるわけです。

 理由は周囲を巻き込み、敵味方関係なく被害を出すからです」


 「お前のとっておきって……」

 ペイピールは蒼ざめた顔で尋ねた。


 「察してください」レトは穏やかな口調で言った。


 ペイピールはごくりとつばを飲み込んでからうなずいた。「任せる……」


 「では、ペイピールさん。

 カップさんのそばに立ってください」


 ペイピールはレトに指示されるがままにカップの隣に立った。


 「これから、おふたりを離脱魔法イクストリケーションで街道あたりまで飛ばします。

 ここに誘い込まれた『厄獣』は、さすがに急な崖をよじ登って追いかけることはできないでしょう。

 それができたとして時間はかかるはずです。

 その間に、おふたりはプライネス領まで撤退し、王国軍をここまで連れてきてください。

 いえ、そのまま王国軍を連れてウルバッハの屋敷まで向かってもらったほうがいいかもしれません。

 理由は、この谷の存在。

 さすがに、この谷のことを知られれば、彼らも王国軍の介入は当然だと思うでしょう」


 ペイピールはちらりと足もとに目をやった。「……たしかに」


 「しかし、お前はひとりで残るのか?」

 カップはレトの腰に手を当てて尋ねた。

 レトはその手に自分の手を優しく重ねた。


 「さっき、話したとおりです。

 僕は、おふたりを巻き込みかねない危険な魔法を使うのです。

 むしろ、僕ひとりだけ残るしかないんです」


 レトはそっとカップの手を離した。

 「カップさん、ひとつお願いがあります」


 「何だ?」


 「あんな父ですが、今後も気にかけてもらえませんか?

 僕に万が一のことがあれば、父は本当にひとりきりになってしまいます」


 カップは鼻で「ふん」と言った。

 「俺があいつと仲が悪いって知らないのか?

 『今後も』気にかけてやるだと?」


 「この間、父の作業場に行ったとき、父と向かい合わせで座る作業椅子がありました。

 僕が使っていたものとは違う椅子です。

 あれは、あなたが使っていた物でしょう?」


 カップは不機嫌そうに顔をそむけた。

 「お前は、相変わらず癪にさわる。

 妙なところでカンの鋭いときがある」


 再びレトに顔を向けると、自分の腰に手をやった。


 「レト。

 これを持っていろ。今の俺が持っていても仕方がない」


 カップが差し出したのは毒が塗られた矢の入った矢筒だった。

 「ありがとうございます」レトは素直に受け取った。


 「さっきの……、レオのことだがな。

 お前に言われるまでもない。

 俺はこの先もずっと同じように接するつもりだ」

 カップは少し言いにくそうだった。少し恥ずかしそうにも見える。


 レトは微笑んだ。「お願いします」


 レトは一二歩下がると、左手をふたりに差し向けた。


 「『離脱魔法イクストリケーション』……」


 ペイピールが何かを言いかけたが、光に包まれて姿が見えなくなった。

 ふたりは光の筋となって、今度は北東の空へと消えていった。


 「さて……」


 レトは手ごろな岩を探すと、そこに腰を下ろした。

 呼吸を整えながら、来た道に視線を向ける。


 「会敵まであとどれぐらいかな……」


 レトはひとりつぶやいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ