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――こんなところに枝なんてあったかしら? って思ったじゃろう。お前があんまり無視するんで、ちょっと出現させてみた。
富田林のものによく似た男の声は、とぼけた調子でそう言った。前半は声色を使って、女性風味を出している。
千果は耳を疑った。次いで精神を疑った。自分はどうかしてしまったのだろうか?
――なんじゃ、自分で願い事をしておいて、忘れてしまったのか? ほんの一時間前に、髪飾りを差し出して、わしに願い事をしたじゃろ。
「ああ」
登山口の神社の神様か。なるほど……とは、もちろんならない。ならないが少し納得した。きっとこれはあれだ、昨日徹夜で小説のネタをひねり出そうとして失敗し、寝不足の神経が疲れ果てて現れた、幻聴だ。
ありそうもないことではあったが、睡眠不足による一時的な症状だと考えれば気は楽になった。むしろ、こんな状態で良いアイデアでも浮かんだら、棚からぼた餅だ。
――あの髪飾りは、いかしておる。わしはずっとあんなのが欲しかったのじゃ。
千果は、富田林がシュシュを手にして目をキラキラさせている様子を想像し、笑いそうになった。髪の薄い富田林に使い道はなさそうだが、神様とやらは長髪のキリストみたいな風貌をしているのかもしれない。だとしても、相当に笑える。
「じゃあ、早速お授けください。小説のネタを」
周りに誰もいないので、千果は声に出して神様と対話することにした。
――なんでじゃ。
「何でって、そうお願いしたじゃないですか」
――そうではなく、なんで小説のネタが欲しいのじゃ。
「締め切りが近いのに、小説のネタが浮かばないからですよ。良いネタがもらえたら、あとは自分で書きますから」
足もとの小石で、少し滑る。山は下りの方が注意を要するので、神様に気をとられて転ばないように気をつけねば。
神様は、馬鹿にしたように口元をゆがめた(気がした)。イメージの中の神様は、富田林から、白髪で長髪の髭を生やした老人に変わっている。
――何で小説のネタが浮かばんのじゃ。
「わかりません。何も浮かんでこないんです」
そういえば、なぜネタが浮かばないのか、原因分析をしたことはなかった。何でだろう。才能のある人は、もっとこう、内から溢れ出すアイデアを形にしているはずだ。つまり。
「私という人間が、薄っぺらい人間だからじゃないですか。特別な能力がない。特別なこともないし、頑張ったこともない。二十年作品を書き続けて、もう何も残っていません。空っぽです」
――良いところはないとな。じゃあ、悪いところはあるのか。
「悪いところだらけです」
――具体的に言ってみるが良い。
神様は、厳かな調子で言い。答えを促すように黙った。癇にさわる。
「……言いたくありません」
――なぜじゃ。
「口に出したくありません。最低だからです」
――隠すこともなかろう。子供の頃、新聞を取り込むのが面倒で寝たふりをして弟に取りに行かせたこととか、小学生の頃、おぬしの好きな男子が友達のことを好きなことを知っておったのに、その男子に片恋している友達にその事実を教えなかったこととか、高校の頃意図せずカンニングしてしまったことを黙っていたこととか、後輩が残業しているのに仮病を使って仕事を休んで小説を書いたこととか、結婚していないことが惨めだから五年も実家に帰っていないこととか、痩身エステにこっそり二十万円使ったことくらい。
「わー! わー! やめて!」
神様の声は完全に頭の中の声なので誰に聞かれるわけでもないのだが、千果は必死で打ち消した。神様のあげつらった千果の黒歴史は、くだらないだけに絶妙に恥ずかしいやつばかりだった。人に聞かれたら、最寄りの踏切に衝動的に飛び込んでいたかもしれない。
「そうなんです。最低でしょう? 私、最低なんです」
――最低? 最高の間違いじゃろう? いや、むしろ天才じゃ! よくもまあ、こんな小さなことで人生のどん底みたいに落ち込めるものじゃ。いい歳をして。




