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普段身につけているものを供えると、願いが叶う―――。
その神社には、そんな言い伝えがあった。最初から、本気で信じていたわけではない。ただ今年は、毎年無理矢理ひねり出していた小説のネタが一つも思い浮かばなかったから、神頼みでもしてみようかなと思っただけだ。海外の有名作家が、寝ている間に降りてきたインスピレーションを作品にしているという逸話を、聞きかじったせいかもしれない。
歩きなれた道は、ところどころ舗装されているのと、コースがはっきりしているおかげで、ほとんど意識せずに登ることができた。その分思考は当てもなく広がり、よしなしごとが次々と心に浮かんでは消えた。こんな時に現れる考え達は、決まってネガティブなものばかりだった。
千果は作家になりたかった。作家になるには東京に出ないといけないという根拠のない理由から、山口の実家を飛び出したのは十八の時だ。山口にある国立大学に合格していたにもかかわらず、東京の三流私立大学に進学した。まったく、親不孝者である。今にして思えば、芸能界を目指すわけでもあるまいし、東京に出る必要など全くなかった。小説などどこでも書けるのだから、山口でも夢は叶えられていたはずなのだ。しかし当時まだ十代で田舎者の千果にとっては、夢を追いかけるイコール上京するという図式が真実だった。結局東京に出たはいいが、出版社に小説を持ち込む勇気もなく、なんとなく大学を卒業し、たまたま面接を通った不動産会社に就職し、転勤で東京から新幹線で一時間半もかかる地方の営業所に落ち着いているというのが現状だった。まったく、馬鹿みたいである。
そもそも対人恐怖症の気がある千果にとっては、不動産会社の営業など、もっとも苦手とする仕事の一つだったのだ。競争も苦手なので、営業成績で目立ちたくないと願った。その願いだけは叶ったのか、同期にも後輩にも追い抜かれ、仕事では目立たない存在だった。
小さな看板が目に入ったので、思考を一時中断する。近所の人が作成したと思われる手書きの立て看板には、左に行くと険しいが山頂への近道、右に行くと緩やかだが山頂へは遠回りであることが、拙いイラストで示されていた。何事にも消極的な千果であったが、ここはいつも左に進む。左に行けば、ちょっとした鎖場や岩場があって変化が楽しめるし、登りで苦労すればするほど、下りが楽に感じられるからだ。
曲がってすぐに、岩場がある。それを越えると、道は細く険しくなった。足の置き場に気をつけながら、慎重に登る。傾斜がきつくなってきたので、スローペースでも息が上がってくる。目を上げると、少し先を行く女性の後ろ姿が見えた。千果のように一人で来ているらしきその女性は、五、六十代くらいに見えたが、少しもバテている様子はなかった。すいすいと、流れるように先を行く。今年四十一になる千果の方が、よっぽど体力がない。道の脇にある大きな石に体を預け、ペットボトルの水を飲んでいる隙に、その女性の姿はあっという間に視界から消えた。
ポケットの飴を舐めて一息つくと、足下にチョコレートの包み紙が落ちていた。わざと捨てたわけではないだろうが、こういった小さなゴミは、山に行くたび必ず落ちている。千果はついでなので、自分の舐めている飴の個包装と一緒に、チョコレートの包み紙をリュックに常備しているビニール袋に入れた。せっかく気持ちのいい山なのだから、少しでも綺麗な方が良い。




