第六話 災いになる力
「聞かせてくれ。全部」
俺がそう言うと、アイシャは遠い虚空の彼方から視線を戻し静かに語り始めた。
その声は砕けた水晶の残響みたいに星の海へ低く沁みていく。
「五百年前、この世界には真なる魔法があった。人は大地と語り星の巡りを読み、生命の理を織った。傷を癒し、水を湧かせ、痩せた土地に実りをもたらす。それが本来の魔法だ。今お前たちが炎だの氷だのと呼んでいる、あの手品とは、根の深さがまるで違う」
「手品……」
「まがいものだと言っている。真なる魔法の燃えかすのような残滓だ」
彼女は足元に散った水晶の破片を一つ拾い上げ指先で弄んだ。破片は彼女の魔力に応えるように淡く光を帯びる。
「だが、その力は扱う者を選んだ。器の深さが、そのまま魔法の格を決める。深い器には深い力が宿り、浅い器には浅い力しか宿らない。そして、真なる魔法を扱えぬ器の浅い者たちがいた。彼らは自分に扱えない力を恐れた。恐れはやがて憎しみに変わる」
「それで、どうなった」
「徒党を組み、真なる魔法の担い手を狩り始めた。災厄と呼び、迫害し、封じた。豊かな実りを奪う悪魔だと触れ回り、無知な民を扇動して。その先頭に立ったのが、お前たちが初代英雄と崇める、あの男だ」
アイシャが砕けた水晶の向こうへそっと手を向けた。
五百年、彼女を閉じ込めていた古い石壁。その視線の先を追うと壁一面に古い壁画が刻まれていた。
剣を高々と掲げた「英雄」。だが、その顔は勝利者のものではなく、何かに怯えたように歪んでいた。
「あの男は真なる魔法 の担い手を一人残らず狩り尽くした。最後に残った私を正面からは倒せず、世界から隔てられたこの牢へ封じた。そして、歴史を書き換えた。
自分こそが世界を救った英雄であり、私は世界を滅ぼしかけた災厄なのだと。都合のいい神話をでっち上げたわけだ」
「歴史を書き換えた……そんなことが、できるのか」
「勝者にはそれができる。敗者は語れない。生き残った者だけが物語を紡ぐ権利を持つ。私は五百年、この隔絶された牢でたった一人、真実を抱えたまま朽ちるはずだった」
俺はしばらく言葉を探しそれから思い切って尋ねた。
「あんたは何者だったんだ。魔王なんて呼ばれてるけど、本当はどういう存在だったんだよ」
「さて、な」
アイシャは少しだけ遠い目をした。金色の瞳が星明かりを映して揺れる。
「真なる魔法の担い手の中でも私はいちばん器が深かった。だからいちばん強く、いちばん恐れられ、いちばん憎まれた。魔王という名はあの男が私を貶めるためにつけた蔑称だ。だが、悪くない響きだろう? だからあえて名乗り続けている」
「変わってるな、あんた」
「五百年も一人でいれば、多少はな」
彼女は軽く笑ってみせた。だが、その笑みの奥に俺は途方もない孤独の澱のようなものを見た気がした。
世界中から憎まれ、名前まで奪われ、光の届かぬ果てにたった一人。それが五百年だ。俺の三年間の孤独なんて比べ物にもならない。
「言っておくが同情はいらんぞ」
俺の内心を読んだようにアイシャが釘を刺した。
「私は待つと決めて待った。誰かに強いられたわけではない。そして、その甲斐はあった。お前が来てくれたのだからな」
まっすぐにそう言われて俺は返す言葉に詰まった。
アイシャの横顔に、五百年ぶんの疲れが影のように差した。
「今この国で玉座に座る王家はその男の子孫だ。貴族制度も、この学院も、お前たちが習う魔法の教科書も、すべてはあの日書き換えられた嘘の上に築かれている。まがいものの魔法だけを正しいと定め、真実を知る者を消し続けてきた。五百年の嘘の上にな」
声が出なかった。俺が三年間血を吐く思いでしがみついてきた「魔法」。それがまがいものだった。
俺を落第と嗤い、詐欺師と疑い、空っぽと切り捨てたこの世界の物差しそのものが根本から狂っていた。だとしたら俺は本当に無能だったのか。それとも測る秤のほうが壊れていたのか。
「お前の器が今の魔法で測れなかったのは当然だ」
「バケツで海を測ろうとしても目盛りは振り切れて壊れるだけ。三年前お前が触れて水晶が割れたのも、二度目の測定で何も映らなかったのも、すべて器が深すぎたからだ。浅い秤に深い海は映らない」
俺は思わずアイシャを見た。
「……なんであんたがそれを知ってる」
三年前のこともつい先日の二度目の測定も俺はだれにも話していない。
「二度目の測定なんてつい先日のことだ。あんたはずっとこの牢にいたはずだろう」
「契約を交わしたからだ」
アイシャはこともなげに言った。
「私がお前の器へ流れ込んだいま、お前の歩んできた道も、私の中へ流れ込んでくる。お前の三年間も、あの水晶の前で味わった屈辱も、我がことのように、な」
海を測るという言葉が、胸の奥へ静かに落ちてきた。三年越しの謎がようやく一つ解けた気がした。
だが、アイシャの表情は晴れなかった。むしろここからが本題だとでもいうように、彼女は俺の目をまっすぐに見つめた。
「レイ。ここからが大事な話だ。お前はこの力を決して人前で使ってはならない」
「え?」
「真なる魔法の担い手が現れたと知れればこの国は総力を挙げてお前を潰しに来る。五百年前、彼らが私にしたのとまったく同じことをな。お前は災厄と呼ばれ、狩られ、殺される。お前だけではない。お前の家族も、お前に関わった者も根こそぎだ」
背筋が冷えた。
せっかく手に入れた力。三年間焦がれ続けた力。それを使うなと彼女は言う。人に見せるな。鞘に納めたまま、朽ちさせろと。
「じゃあ俺はどうすればいい」
「今まで通りにしろ。落第のまま無能を演じ続けろ。誰にも気取られず静かに力を蓄えろ。制御を磨き 真実を集め 時が満ちるのを待て。世界を塗り替えるのはそれからだ」
俺は乾いた笑いをこぼした。
なるほど。ようやく手にした切り札を俺は鞘の中に隠し続けなきゃならない。明日からもまた、あいつらに嗤われながら空っぽの落第として。
皮肉なものだ。だが、不思議と絶望はしなかった。
三年間、俺はずっと一人だった。誰にも必要とされず、誰にも見向きもされず、灰色の世界の隅で息をしていた。
でも今は目の前に、俺と同じ孤独を五百年抱えてきた奴が立っている。
それだけで鞘の中の刃くらいいくらでも隠していられる気がした。
「一つ聞いていいか」
俺は尋ねた。
「あんたは、これからどうなる。契約したってことは、俺の中に……いるのか?」
「私の本体は、お前の器の中だ。だが、こうして姿を保つこともできる」
アイシャは自分の手を開いてみせた。ほっそりとした白い指。
「ただし、私の姿はお前以外の人間には見えないし声も聞こえない。よほど深く力を通さぬ限りはな」
「つまり、他人から見れば俺は誰もいない場所に話しかける変な奴、ってことか」
「そうなるな」
アイシャはしてやったりという顔で笑った。
「落第の上に、独り言の多い奇人。ますます愛されるぞ、レイ」
「愛されてたまるか」
こんな軽口を叩ける相手が三年ぶりだった。それがどれだけありがたいことかたぶんこいつは分かっていない。
「そろそろ、ここを発とう」
アイシャは砕けた水晶の名残を名残惜しそうに見渡した。
「この牢ももう役目を終えた。続きはあちらで話してやる。戻るぞ、レイ」
彼女がそっと手をかざすと俺を運んできたあの光の紋様が再び足元に浮かび上がった。
青白い光が渦を巻く。視界が歪み体が引き上げられる感覚。
次に瞬きをしたとき俺は元の場所に立っていた。
学院の地下深くあの黒い石の広間。星の海は消え頭上には削り出された古代の天井が戻っている。
「まずこの場所に人払いの結界を張っておく」
アイシャが軽く指を鳴らした。その瞬間空気がぴんと張り詰める。
「これでここで何が起きようと地上には一切漏れん。お前が多少しくじってもな。訓練にはちょうどいい」
「訓練?」
「試してみるか?お前の力を。ほんの少し指先に灯すだけでいい。豆粒ほどの小さな火を」
俺は黒い石の壁に手をかざした。ほんの少し。火花程度でいい。そう念じて体の奥の熱をそっと指先へ導いた。
次の瞬間俺の手のひらから閃光が噴き出した。
轟音とともに広間の壁が抉れ天井から石の破片が降ってくる。
熱風が渦を巻き松明の火など比べ物にならない、太陽じみた白光が一瞬あたりを昼のように照らした。
「うわ……っ!?」
俺は慌てて手を引っ込めた。光が消える。抉れた壁がじゅうと赤熱し焦げた匂いが鼻を突いた。
「ほんの少しって言ったよな」
「言った」
アイシャは平然と灰を払った。
「だがお前にとっての『ほんの少し』は、世界にとっては大災害だ。器が深すぎるゆえに、加減がまるでできていない。蛇口をひと捻りしたつもりが、決壊した堤防になる。これが、お前の今の状態だ」
「じゃあ、もっと弱く……」
俺は恐る恐る、今度はほとんど力を込めずに指先へ意識を向けた。今度こそそっと羽根に触れるくらい優しく。
だが、今度は何も起きなかった。指先は冷たいままうんともすんとも言わない。
「全然出ない」
「一度堤防を決壊させた後で今度は栓を閉めきったか」
アイシャは呆れたように肩をすくめた。
「大災害か無か。お前にはその二択しかない。中間がない」
「言われなくても分かってるよ」
三年間、ゼロしか出せなかった俺が今度は出しすぎて世界を壊しかける。あまりに極端で笑うしかなかった。
あり余る力を持ちながら蝋燭一本まともに灯せない。これが真なる魔法の担い手の実態だった。
俺は赤熱した壁を見つめた。
力はある。あり余るほど。だがそれを扱う術がまるでない。
火花を灯そうとして山を吹き飛ばす。これでは、使うどころか隠すことすら難しい。
「制御には時間がかかる」
アイシャが真顔に戻った。
「焦るな。今は隠すことだけを考えろ。目立たず、静かに時を稼げ」
その時、頭の奥でアイシャがふいに呟いた。
「レイ。そろそろ地上が動き出す刻限だ。戻らねばお前が抜け出したことが露見するぞ」
「っ、まずい……!」
点呼までに寮へ戻らなければ抜け出したのがばれる。俺は慌てて立ち上がった。
黒い石の広間を出て、崩れた縦穴をよじ登る。行きは糸に導かれるままだった道を今度は自力で引き返した。
旧棟の崩れた回廊を抜け、砂のように崩れた鉄格子の跡をくぐって外へ出る。アイシャの姿がふっと空気に溶けるように消えた。だが、頭の奥に彼女の気配は確かに残っている。もう一人じゃない。その感覚がなぜか足を軽くした。
東の空がうっすらと白み始めていた。夜明けだ。
人気のない渡り廊下を早足で抜ける。角を曲がったところで、ひやりとした。
巡回の使用人が朝の掃除を始めていたのだ。俺は柱の陰に身を潜め息を殺した。心臓が痛いほど鳴る。
もし今こんな時間に、立ち入り禁止のはずの北の一角から出てきたところを見られたら。何をしていたのかと問い詰められる。落第生が封鎖区画に出入りしていたと知れれば、それだけで面倒なことになる。
使用人が桶を手に、ゆっくりと廊下の奥へ消えていく。
その背中が完全に見えなくなるのを待って、俺は音を立てないよう寮への渡り廊下へ滑り込んだ。
途中、早起きの上級生と危うく鉢合わせしそうになった。とっさに壁際へ身を寄せ、寝ぼけ眼のふりであくびをしてみせる。
上級生は俺を一瞥しただけで、興味なさそうに通り過ぎていった。落第生など記憶に留める価値もない。皮肉にもその「価値のなさ」が今の俺には最高の隠れ蓑だった。
自室に戻り扉を後ろ手に閉め、俺はようやく息をついた。
窓ガラスに自分の顔が映っている。何気なくそれを見て俺はぞっとした。
鏡の中の俺の瞳が金色に光っていた。アイシャとまったく同じ色に。
慌てて目を擦る。もう一度見ると瞳は元の平凡な色に戻っていた。
だが確かに見た。あれは気のせいじゃない。
力は本当に隠しきれるものなのか。この体はもう俺の知っている俺じゃないのかもしれない。
たった一晩で世界がひっくり返った。三年間焦がれた力を手に入れ、同時にそれを一生隠し続けろと命じられた。
俺を嗤ったこの世界のすべてが偽りの上に築かれていると知り、そして五百年の孤独を抱えた魔王が、俺の相棒になった。
情報が多すぎて頭が追いつかない。だが一つだけ確かなことがある。
昨日までの俺は空っぽの落第だった。今日からの俺は空っぽの落第を演じる者だ。同じ「落第」でもその意味は天と地ほど違う。
寝台に倒れ込みながら俺は思った。明日からまた落第を演じる日々が始まる。ただし今度は、いつ暴発するとも知れない爆弾を抱えたまま。
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