第三話 封じられた扉
二度目の測定から、数日が過ぎた。
詐欺師。
クラリス・オルセンが貼ったその札は、翌日には学院中に広まっていた。
落第というだけでも十分な見世物だったのに、今度は「同情を引くために国宝を壊した卑劣漢」だ。
すれ違う生徒が声をひそめて笑う。
俺は相変わらず、ただ黙って耐えた。慣れたものだ。
変わったのは、俺の内側だった。
測定を受けてから、妙な感覚がまとわりつくようになった。
授業中も、食事中も、寝台に横になっているときも。ふとした瞬間、部屋の隅から何かに見られているような気がする。
もちろん、そこには誰もいない。
婚約を破棄され、詐欺師呼ばわりまでされて、とうとう気まで参ったんだろう。
奇妙な感覚を抱えながら、俺は数日を過ごした。
そして、ある夜。
それは何の前触れもなく起こった。
夜の廊下を歩いていたとき、背後から不意に肩を掴まれた。
ふり返る
その瞬間にはマスクで顔を隠した男の拳が、俺のみぞおちへ深く食い込んでいた。
「ーーっ」
息が消えた。
肺から空気が一気に押し出される。
何が起きたのか理解するより先に、膝から力が抜けた。
抵抗しようとしたが体が重く動かない。
声も出ない。
後頭部に鈍い衝撃が走った。
そこで、意識が途切れた。
次に気づいたとき、俺は暗い地面を引きずられていた。
背中には石が刺さり、引っ張られている腕の感覚はすでになかった。
どこへ連れていかれているのか考える余裕はなかった。
口には布が押し込まれて、呻き声さえ出せない。
ぼやけた視界の端に見覚えのある建物が写った。
ーー旧棟だ。
ーーー
腹に衝撃が走った。
次の瞬間視界が揺れる。
顔を殴られ腹をけられ、体を丸めても衝撃は続いた。
「.....っ......!」
なんで。
俺が何をしたっていうんだ。
ただ測定を受けただけなのに、何もしていないのに、なのに
「国宝を壊しておいて、まだ学院にいられると思ってんのかよ」
男が笑った。
「調子に乗ってんじゃねえぞ、詐欺師」
強くけられた衝撃で視界が白く弾けた
「もういいだろ、死んでねえか?」
「死んでたら面倒だ。適当に転がしとけ」
俺は動けなかった。
だが、男たちの気配が離れた瞬間。
殺される。
その考えだけが、頭の中を埋め尽くし体が勝手に逃げ出していた。
男たちが動き出したことに気づき血相を変え追いかけてくる。
「――おい!、待て!」
背後で声が上がる。
振り返らなかった。
ただ、足を動かした。
暗い回廊をただひたすらに走った。
何処へ向かっているものかもわからない。
背後から足音が迫る。
速い、このままじゃ追い付かれる。
曲がり角を抜けた瞬間俺は何かにぶつかった。
「っ.....!」
石の壁だと思った。だが違う。
目を凝らすとそこには巨大な石の扉があった。
表面には見たことない文字と複雑な文様が刻まれている。
「逃げ場はないぞ!」
足音とともに後ろから声が聞こえた
俺は扉に手をかけ全体重をのせ押し込んだ。
重い音を立てて、石の扉が開く。
「……っ」
考えている暇はなかった。俺はそのまま中へ飛び込んだ。
「おい、あいつ……」
背後で、男の驚いた声が聞こえた。
何に驚いているのか考える余裕はなかった。
俺は目の前を見た。
「……嘘だろ」
俺は絶望した。
なぜなら、その部屋はただ広いだけの行き止まりだったのだ。
それでも少しでも死を遠ざけたかった俺は部屋の一番奥まで走っていき振り返る。
「手間取らせやがって」
男たちが入り口まで追いついていた。
逃げ場はない。
今度こそ、本当に殺される。
そのとき。
石の床に刻まれていた文様が、紫色の光を放ち始めた。
「……な」
光が一気に広がった。
「なんだ、これ――」
「おい、何をした!」
男たちの声が聞こえる。
だが、その声はもう遠かった。
上も下もわからなくなる。
体が、この世のどこでもない場所へと引きずり込まれていく。
やがて、光が収まった。
俺はまるで違う場所に立っていた。
学院の地下ではない。
どこか、途方もなく遠い場所。
見上げた先に天井はなかった。
ただ深く昏い虚空に、無数の星がまたたいている。
地の底にいたはずなのに、頭上には夜空よりも遠い、見知らぬ星々の海が広がっていた。
ここがどこなのか。学院から、どれほど離れているのか。
見当もつかない。
ただ、途方もなく遠いことだけが、肌でわかった。
そして、その広大な虚空の中央に。
巨大な水晶の柱がそびえていた。
俺は息を呑んだ。その水晶の中に、閉じ込められていたのだ。
人影が。いや、少女が。
銀とも白金ともつかない長い髪。
閉じられた瞼。
膝を抱えるようにして、水晶の中で眠っている、小柄な少女。
その姿はあまりに儚くて、あまりに美しくて、そしてあまりに孤独だった。
俺はふらふらと水晶の柱に歩み寄った。
近づくほどに、あの匂いが強くなる。
懐かしくて、切ない匂い。
なぜだろう。
初めて見るはずの顔なのに、まるでずっと昔から知っていたような。
喉の奥が締めつけられ、目の奥がじわりと熱くなる。
この孤独を、俺は知っている気がした。
誰にも見向きもされず、ただ一人、世界の隅で忘れられていく――その感覚を。
「あんたが、俺を呼んでたのか」
俺は水晶越しに問いかけた。
答えはない。
当たり前だ。
石像みたいに眠っているんだから。
俺は震える手を水晶の柱に当てた。
冷たい感触だけが、手のひらに残る。
「そうだよな」
俺は力なく手を離した。
こんなの、ただの古い遺跡だ。
眠っているように見えるのは、精巧な彫像か、五百年前の遺物か。
あの妙な感覚だって、気のせいだったんだ。
やっぱり何も起きない。いつもそうだ。
俺は踵を返した。
この場所に、これ以上いても意味はない。帰ろう。
どうやって帰るのかもわからないが。
その時。
背後で、ぴしりと水晶のひび割れる音がした。
俺ははっと振り返った。
巨大な水晶の柱に、蜘蛛の巣状のひびが走っていた。
そしてその中で、五百年閉じられていた少女の瞼が、ゆっくりと、ほんの少しだけ、開こうとしていた。
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