九話 皇太子と精霊術師
こつこつと足音を響かせ、会場の真ん中を悠然と突っ切る影が一つ。
誰もがその人物に道を開ける。ある人は悲鳴を上げ、ある人は吐き気を我慢し、ある人は失神さえした。
「皇太子! このような晴れの日に無体を働くとは!」
皇妃が席を立ち、声高に叫んだ。
――あの人は……!
アリステアは目を丸くする。
――攻略対象の最後の一人、皇太子だったの!?
金髪に群青色の目はバルコニーで邂逅したあの男に間違いない。
「おい、おい! 突っ立ってないで足動かせ!」
呆然と皇太子の姿に釘付けとなっていたアリステアは、声を潜めるメイナードに腕を引かれて我に返った。
公爵とアルフレッドはすでに動き出していて、皇太子に道を開けていた。
「無体? まさか。愛する妹のために贈りものを届けにきただけですよ、皇妃」
嘲笑めいた声音に、アリステアは振り返る。
「このような晴れの日を愚かにも台無しにしようとしていたオルデリアの残党を、遅ればせながらセオドア・イシュトヴァーンから皇女に贈ろう。拷問するなり獣の餌にするなり、好きにするといい」
よく見れば彼が歩いてきたあとには生々しい血の跡が尾を引いていた。
セオドアは狂暴な笑みをたたえながら、ずるずると引きずっていたものを皇女に投げつける。
「ひっ」
足元にぶつかったそれはごろごろと階段を転がり落ちて、中段で止まる。だらりと四肢が伸びていた。
黒いローブを着た人だった。すでにこと切れたそれは、庭でセオドアが斬り伏せていた一人だろう。
「あ、あの紋章は!」
誰かがおぞましそうに叫ぶ。
「お兄さま、メイナードお兄さま」
「なんだ?」
「あの紋章は、なにか特別なものなのですか?」
「は?」
ローブの背中部分に大きく刺繍された紋章の存在が周知されたとき、明らかに空気が変わった。
「お前っ、そんなことも知らないのかよ!?」
「外の情報には興味ありませんでしたので」
別邸にこもっていたアリステアは知らなくて当然だ。メイナードの目はわかりやすくそう語り、納得していた。
「葉のない樹、その周りを、円を描くように囲む煙の紋章は、オルデリアっていう亡国の紋章なんだよ」
「亡国? 滅びたのですか?」
「十数年前に、皇太子が滅ぼしたんだ」
「はい? その当時、皇太子殿下はまだ子どもですよね?」
「本当になにも知らないんだな……別邸のやつらはなにを学ばせてたんだ。十……十三歳くらいじゃないか? 軍を率いて、その功績で立太子していたはずだ」
アリステアは開いた口が塞がらなかった。あまりの無知さにメイナードは呆れ、大きなため息をついていた。
――知らない情報ばかりじゃない! 失踪するならシナリオ全部開示してから消えなさいよ!
収拾がつかなくなったのか、スランプに入ったのか、設定を盛るだけ盛って消えた作者にアリステアは腹を立てる。
しかし、行き場のない怒りを覚えたところで事態が好転することはない。
「でも今あの紋章は、どっちかって言うとオルデン教のシンボルとして広まってるな」
「宗教ですか?」
「オルデリア王国の民は邪神を信仰してたんだ。あいつらにとっては真の神なんだろうが……残党は今も教徒を名乗り、邪神を崇めてるよ。ほかにも、きな臭い話を聞くけど、今はいい」
いくら信仰の自由があろうと、『邪』と名のつく神は許されないということくらいアリステアにもわかる。
だが、それだけの理由で全員が嫌悪を示すほどになるのだろうか。
「唯一、邪悪なものに対抗しうる力を持つ精霊術師たちの国を侵略して、虐殺の限りを尽くしていたんだ。……反吐が出る」
メイナードは眉間にしわを寄せ、転がる死体を睨みつけていた。
「詳しいですね」
「そりゃあ……俺もオルデリアの残党を始末してるからな。いやでも詳しくなるよ」
「え?」
「皇太子の指揮下で、各地に逃げた残党を殲滅するために駆けずり回ってるんだ。と言っても、俺は帝国内に潜伏するやつらを叩くだけだけどな。なんだよ、そんなことすら知らなかったのか?」
エレスト帝国は大国だ。ひとえに帝国内とくくっても場所によっては移動に数週間かかるようなところもある。
――少し、情報をまとめよう。
邪神を信仰していたオルデリア王国が皇太子率いるエレスト帝国によって滅ぼされたのが十五年ほど前。そして、それ以前に存在していた精霊術師たちの国。十五年以上前に、それがオルデリア王国に滅ぼされている。
「精霊術師の国はどうして狙われたのですか?」
「言っただろ? 邪悪なものに対抗できる力があるって。邪神に干渉できるのは、精霊と術師だけなんだ」
それで、とメイナードはアリステアを引き寄せ、耳元で囁いた。
「オルデリアの残党は今も、邪神の復活を狙ってるって話だ。そのために、俺たちはオルデリアの残党を、オルデリアの残党は生き残った精霊術師を――どちらかが滅ぶまで、戦い続けることになるだろうな」
思いもよらない背景に、アリステアは固唾を飲んだ。
――じゃあ、エルヴェルトさまは?
精霊術師である彼はオルデリアの残党とやらに狙われているはずだ。だというのに、堂々と表に姿を現している。
「エルヴェルト・ドゥーカス侯爵はご存じですよね?」
「もちろん。お前は別邸で暮らしてたから知らないだろうが、エルヴェルトと俺たちはそれなりに交流があるぞ。父さんが仲よくしろってうるさかったしな」
侯爵になった彼を今も呼び捨てにするということは、本当に親交が深いのだろう。
――きっと、『アリステア』は兄たちの友人である『エルヴェルト』とも仲よくなったのね。
ゲームの裏側を推察するアリステアをよそに、メイナードは話を続ける。
「どうして狙われてる精霊術師のエルヴェルトが人前に出ているのか、お前は気になってるんだろ?」
腹のうちを言い当てられ、なんだか納得いかない。
「戦場では俺が指揮を執ることもあるんだからな」
それすらも読まれ、アリステアは小さく息をついた。
「お兄さまがそれほど優秀とは知りませんでした」
「お前な……」
「それで? もったいぶらず教えてください」
メイナードはむっと顔をしかめたが、すんなりと口を割った。
「皇太子の庇護下にあるからだ。祖国を滅ぼした皇太子に守られてるやつに、手出しはそう易々とできないだろ?」
精霊と同様、精霊を操ることができる精霊術師を神格化している国もあるという。精霊と心を通わし、その土地に恵みを運び、存在だけで生活を豊かにする精霊術師からの恩恵をあやかりたい国は多く、だからこそオルデリア王国を滅ぼした皇太子の支持は国内外に厚い。
いわばオルデリアの残党は、世界共通の敵なのだ。
「エルヴェルトさま以外に、精霊術師はいないのですか?」
「いるが、そもそもの母数が少ないから本当にごく少数だ。精霊術師から確実に精霊術師が生まれるわけでもないし」
「精霊術師から力を持たないただの人が生まれることもあるということですか?」
「ああ。精霊術師の血が流れているなら能力が覚醒することもあるらしいが、むしろ大半は俺たちと同じただの人だ。詳しいことはそれこそエルヴェルトに聞けばいいんじゃないか?」
「……いえ、そこまでして知りたいわけではありませんので。教えてくださりありがとうございます、お兄さま」
先ほどのこともあり、あまりエルヴェルトと関わる気になれない。皇女の前ではなおさらだ。あれ以上、皇女の気を害さないようにパーティーが終わるまで大人しくしていることが最善である。
「これで、チャラだろ」
「はい? なにがですか?」
メイナードはどこかそわそわとしていた。
「いろいろ教えてやったんだから、昔のことはもういいだろ」
アリステアはわずかに息を呑む。
――やたら気にかけてくると思ったら、罪滅ぼしでもしていたってこと?
行きの馬車で寄りそってくれたのも、髪を整えてくれたのも、メイナードなりの贖罪だったのかもしれない。
――一言、許してほしいって言えばいいじゃない。
回りくどいことをせず、素直に謝って、そう言ってくれたなら。『アリステア』も浮かばれるかもしれない。
「考えておきますね」
「っ」
メイナードの顔が歪む。
――私が奪ってしまったんだから、せめてアリステアにその機会を。
それが、兄たちと仲直りする機会を奪われた『アリステア』に、アリステアがしてあげられる唯一の償いだと思うから。




