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七話 握手

「あまりの人だかりに気後れしてしまい……挨拶が遅れ、申し訳ありません」

「そんなこと気にするな。調子はどうだ?」

「殿下や公爵さまが便宜を図ってくださったおかげで、滞りなく爵位を継承することができました。今は領地運営に注力しているところです」

「先代の侯爵夫妻に降りかかった不幸は実に残念だった。だが、息子が優秀なおかげで二人も安心して任せられるだろう」


 久々の再会に花を咲かせる二人をよそに、アリステアは心臓の音が速くなるのを感じた。


 さらりと整えられた白銀色の髪、どこか物憂げな紫紺の目が儚い印象を与える男性。長身痩躯に恵まれる彼は、やや長い上着の、白いタキシードが似合いすぎている。


 手にしている木製の杖には葉や花の模様が彫られ、その佇まいは優雅さの化身と思えるほどだ。


 ――いつか出会うとは思っていたけれど……まさか、知り合いだったなんて。


「アリステア、彼がお前に紹介したかった人だ」


 公爵が体の向きを変え、アリステアと男性が向き合う形となった。


「エルヴェルト・ドゥーカス侯爵と申します」


 侯爵家の若き当主、エルヴェルト・ドゥーカスである。


 ――攻略対象のうちの一人。ファンタジーらしく、魔法? を、扱える人物だったはず。


 十数年という年月は、誰かがプレイしているところを視聴しただけのゲーム内容が薄れるには充分な時間である。


 今ではもう登場人物やコンセプトくらいしか覚えておらず、肝心の闇の部分は見当もつかない。


 ――一見穏やかそうな彼も、近いうちに私を殺すかもしれない。


 アリステアは表情を引き締め、軽く会釈をして応じた。


「アリステア・ベルジックです」

「公爵さまからはたびたび、公女さまのお話を聞いておりました。こうしてお会いできて嬉しいです」

「まあ、お父さまが? なにをお話しされたのですか?」

「私の髪が公女さまの髪色と似ていることもあり、羨ましいと。幼くして家を出ていってしまったことも、非常に寂しがられていて……」

「ご、ごほん!」


 わざとらしい咳払いが響いた。公爵は気恥しそうにアリステアとエルヴェルトを交互に見る。


「そんな昔のことはいいじゃないか」

「お父さまと侯爵さまは親しいのですね」

「私のことはどうかエルヴェルトとお呼びください。公爵さまもぜひ、昔のように」


 二人は年齢が二回り以上は離れているように見えるが、それなりに親しい間柄のようだ。


「私が先代の侯爵と馴染みだったんだ。だから、あいつがエルヴェルトを拾ってきたときから……気にかけていた」


 ――拾ってきた?


 訝しげな感情が顔に出てしまったようで、エルヴェルトは少しだけ眉を下げた。


「なにを思ったのか行きずりの母が、私を侯爵夫妻に託したのです。侯爵夫妻は……快く私を受け入れてくださり、本当の子どものように愛情を注いでくださいました」


 穏やかだった面差しに、どこか陰りがさす。


「なに、二人には子どもができなかったからちょうどよかったんだ。後継者も傍系からという話をしていたときに、エルヴェルトが現れた」


 公爵はエルヴェルトを見つめながら話しているが、その奥には別の誰かを映しているようだった。


「結果として、恩を仇で返すことになってしまいましたが」

「不慮の事故だ。それ以上でも以下でもなく、エルヴェルトのせいではない」


 生みの親と育ての親、エルヴェルトは両方を失ったのだ。


 もとの世界の家族と離れ離れになり、母親のいないアリステアは妙な親近感を覚えてしまった。その親近感の正体が同情だとわかり、アリステアは静かに目を伏せる。


「ご心配なく。私には領民たちの生活がかかっていますから、下を向いてばかりいられません」


 力なく首を振ったエルヴェルトは薄く笑んだ。


「ところで、本題はよろしいのですか?」

「あ、ああ……タイミングを逃してしまったな」


 本題があったのかとアリステアはきょとんとする。


「私がエルヴェルトを紹介したかったのには理由があるんだ」

「なんでしょうか?」


 ――やっぱり、婚約?


 どれだけ考えてもそう至ってしまい、まるで自分がそれを望んでいるみたいで恥ずかしくなった。


「エルヴェルト、いいか?」

「はい」


 瞑目したエルヴェルトは、とん、と床を杖で軽く突いた。


「――」


 ふわりと風が起こる。そして、目の前には光る蝶が羽ばたいていた。


 蝶はアリステアの周りをひらひらと飛び、最終的には鼻にとまり、霧散した。消えゆく光に言葉が詰まる。


「い、今のは……?」

「精霊術です」

「精霊術、ですか?」


 アリステアは呆然と聞き返す。


 ――魔法使いキャラだと思っていたけど、記憶違いだったのね。


「私は、精霊術師なのです」

「皇太子の殿下の庇護下にあるのもエルヴェルトに精霊術師の血が流れ、力を開花させたからにほかならない」

「どうして私に、このようなものを見せてくださったのですか?」

「それは……公爵さまからお話しください」


 エルヴェルトの優しげな表情に、少しだけ視線を彷徨わせた公爵はゆっくりと口を開いた。


「お前に、少しでも笑ってほしかったんだ」

「え?」

「公爵家に戻ってきてくれたというのに、お前には悲しい思いをさせてしまったではないか。アルフレッドやメイナードに聞いても知らぬ存ぜぬで……楽しんでくれるのではないかとエルヴェルトに頼んだんだ」


 アリステアはわずかに目を見張る。


「結局、お前は笑ってはくれなかったが……」

「公爵さま。そう言われては私も立つ瀬がありません」

「そ、そうだな。悪かった」


 二人のやりとりにくすりと笑ってしまった。


「私のためにありがとうございます。お父さま、エルヴェルトさま」


 そんなアリステアを見て、公爵とエルヴェルトは同時に頬を綻ばせた。


「ですが、先ほどのようなことはもうやめていただきたいです」


 微笑ましい空気から一転、はっきりとした拒絶に二人は息を合わせたかのように口を引き結んだ。


「き、気に入らなかったか?」

「いえ、光の蝶はとても美しかったです。けれど、私は虫が得意ではありません。見るだけなら構いませんが……触れられるのは抵抗感があります。もちろん、本物ではないとわかっていますが」


 先ほど、鼻にとまって消えた蝶が脳裏をよぎった。幸い、細部まで作りこまれていなかったおかげで間近に虫を感じることはなかったが、足が本物同様だったらと想像するだけでぞっとする。


「そうか……」


 しゅんとする公爵に、アリステアは慌てて言葉を続ける。


「ですが、お父さまのお気持ちは嬉しかったです」

「本当か?」

「はい。ですからどうか、そのような悲しい顔をなさらないでください。エルヴェルトさまも、私のためにありがとうございます」

「私の配慮が足りませんでした。女性は虫が苦手な方が多いですから、考慮するべきでした」


 頭を下げるエルヴェルトの姿に少しだけ罪悪感を覚える。


 ここが皇女の誕生日パーティーの会場でなければ、もっと楽しめていたはずだ。しかし、警戒しすぎて淡々とした対応になってしまうことも密かに反省する。


「特別なものを披露してくれてありがとう、エルヴェルト」

「公爵さまが私を頼ってくださり、光栄でした」


 アリステアも礼をし、公爵のあとを追おうとしたときだった。


「公女さま」


 ふいに、エルヴェルトに呼び止められた。


「はい?」

「最後に、握手をさせていただけませんか?」


 公爵に確認をとろうとしたが、すでに人の波に消えていた。慌ててアルフレッドやメイナードを探すが、視界に映る範囲にはいなかった。


「これから、公女さまともお顔を合わせることが増えるでしょう」


 ここで拒否したら公爵との関係にもひびが入るかもしれない。握手をするだけだ。そう自分に言い聞かせて、アリステアは深く考えることなくエルヴェルトの手を握った。


「――ぅ」


 ぞわりとした感覚が全身を駆け巡った。アリステアは奥歯を噛み、片目をぎゅっと瞑る。


『――目覚める、目覚めそう』

「っ」


 ふっと力が抜けたエルヴェルトの手を振り払う。


 ど、ど、と耳元で響いているかのように心臓の音が大きい。なにが起きたのか、エルヴェルトがなにをしたのか理解できなかった。


 ただ、漠然と気持ちが悪いことだけはたしかだった。


「し、失礼します」


 アリステアは足早にその場を去る。エルヴェルトは追ってこなかった。


「……っ」


 家族とはぐれて一人で会場を彷徨うアリステア。機会を窺う貴族たちの視線に耐えられずにバルコニーへと逃げるのは必然ともいえた。


「はっ、はあ、はあ……ふぅ」


 冷たい夜風で頭を冷やし、呼吸を整える。


「なに……」


 握手を介し、なにかが自分のなかに流れてきたのを感じた。そしてはっきりと、耳元でなにかに囁かれたことも覚えている。


「なんだったの」


 あの感覚は錯覚などではない。ないはずだ。


 めくるめくように発生した不可思議な事象に、アリステアは我を忘れて泣いてしまいそうだった。

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