五十五話 守られてもいい
「そんな顔をなさらないでください。ラシェルさまと皇太子殿下が手配してくださった護衛の方がいますから」
「アリステアのことはわたくしにお任せください」
そう言って、精霊術師二人はルミナラ聖国へと旅立った。
アリステアがルミナラ聖国へ行くと決めたのは、イズリアルと決別してからすぐのことだ。もとの世界へ帰れるかどうかは置いておき、アリステアにはたしかめたいことがある。
――あの鏡台。
ラシェル曰く、あの鏡台はいつからあそこにあるか記録は残されておらず、大部分が謎に包まれているそうだ。
わかっているのは、過去、世界を揺るがすような大局で儀式に使用されたということくらいである。
ちなみに、エルヴェルトの杖やアリステアの扇にも鏡の破片を粉にしたものが活用され、それこそが精霊術を補助する役割を果たしているのだという。
「近づくにつれて、迷いが強くなっていっているわ。いえ……家族と離れるにつれて、かしら?」
「やっぱりラシェルさまは心が読めるのですか?」
「ふふ、読めたらよかったのだけれど。そうしたらアリステアの恐れに寄り添ってあげられたかもしれないもの」
もとの世界へ帰れるかもしれない。その可能性は希望でもあり、不安でもあった。なにせ、この世界へ来てから十三年もの月日が経っているのだから。
「大丈夫よ。アリステアがどんな選択をしても……いいえ、もとの世界へ帰ることを選んだなら、わたくしがしっかりと見極めるから!」
「よ、よろしくお願いします……?」
さらに数日をかけ、二人を乗せた馬車はルミナラ聖国に到着した。
徘徊していたオルデン教の信徒の姿はなく、代わりにエレスト帝国の騎士が見受けられる。どうやらこちらも復旧作業が進められており、まずは瓦礫の撤去が始まっているようだ。
「もう邪魔も入らないだろうから、セオドアさまが騎士と職人を送ってくださったの。もう少し帝国内が落ち着けば、友好国へ支援の要請もって」
「それは喜ばしいことですね。ルミナラ聖国が再興されたら、ラシェルさまは王になるのですか?」
「……まだ、迷っているわ」
弾んでいた声のトーンが落ちる。
家族を亡くしながらも悲しみに暮れる暇はなく、生き延びた民のために戦い続けた彼女には休息が必要だろう。
「わたくしたちは特別な力を授かっているけれど、武力があるわけではない。アリステアもわかるでしょう?」
ゲーム的に言うならば、属性特効がなくなったようなものだ。身体能力も一般人と変わりなく、精霊術を攻撃に転用できたとしても、訓練された武人相手には勝ち目も薄い。
「わたくしたちはもう悪意を知ってしまったから。これまでのように生きていくことはできないわ。悪意に対抗できる力がなくては今度こそ淘汰されてしまう」
ラシェルは胸の前で指を組んだ。
「民たちはまだ、わたくしを信じてくれているわ。役目を果たせなかった、わたくしを」
「ラシェルさまは民たちの思いを背負い、重責を耐え忍び、仇を討ったではありませんか」
「オルデンはエルヴェルトが封印し、イズリアルは……セオドアさまが。わたくしは助けられてばかりで、なにも……なのに、なのにね」
ラシェルは困ったように笑った。
「セオドアさまが、わたくしを望んでくださったのよ。ルミナラの民も一緒に、エレスト帝国に居場所を作ってくださるって」
現状、ルミナラ聖国でまた暮らせるようになるには途方もない時間がかかるだろう。
「それは、その……皇太子殿下がラシェルさまに、プロポーズを?」
「そ、そうなるかしら?」
ラシェルの頬がほんのり赤らむ。
――ラシェルさまがエレストの皇太子妃となれば、ルミナラには後継者がいなくなる。
永く続いた王権を手放す覚悟はそう易々とは決まらない。最後の王女は国よりも欲を優先したと、エレスト帝国が精霊術師を囲いこんだと非難される可能性だってある。
煩わしいものはセオドアが払いのけてくれるだろうが、否定され続ければラシェルの心はすり減っていくだろう。
「たとえ滅んでも、わたくしはルミナラ聖国の王女だから。みんながそうあってほしいと願ってくれるから」
諦める理由がほしい。アリステアにはそう聞こえた。
「ラシェルさまはどうしたいのですか?」
「わたくし……? わたくしは、王女として」
「そうじゃなくて。ルミナラ聖国の王女ではなく、精霊術師でもない、ラシェルさま自身が、どうしたいか、です」
「王女でも精霊術師でもない、わた、し」
窓の向こう、遮るものがなくなったのか眩いほどの日が差しこみ、ラシェルは目を伏せた。
「一目惚れだったの」
ふわりと撫でられる髪がきらきらと輝く。
「また会おうっておっしゃってくれて、約束もしてくれたの」
開かれた金色の目は潤んでいた。
「二度と会えないのではないかって、ずっと怖かったの」
ぽつぽつと、けれど堰を切ったように溢れ出す。
「やっと会えたのにまた離れ離れになるなんて、きっと耐えられないわ」
でも、とラシェルは続ける。
「わたくしがみんなのことを支え、守らなくては。立場が変わっても、まったく会えなくなるわけでもないもの。遠くから、一目見られるだけでも」
「ラシェルさま、また王女として考えていますよ」
「――」
「守られてもいいと、私は思います」
ラシェルが静かに息を呑み、目を見張った。
「皇太子殿下はラシェルさまだけでなく、ルミナラの民も丸ごと守ってくれます。今までたくさん傷つけられて、悲しんで、苦しんで、つらかったでしょう。けれど立場が弱音を許してくれなくて、泣き言も口にはできなかったのではないですか?」
話しながら、考えながら言葉を紡いでいく。
「守るだけでなく、あなたも、守られていいのです」
短い迷いを振り払い、アリステアはこの先を伝える。
「皇太子殿下もラシェルさまに焦がれておられましたよ。これまでたくさん頑張ったのです。甘えて寄りかかるくらい、許されると、私は思います」
いつだって、セオドアはラシェルの面影を探していた。
「セオドアさまが、わたくしを」
頬に両手を添えたラシェルの顔は、今度こそ真っ赤になった。
◇◇◇
「この鏡台……鏡に精霊術を使えば、儀式が行えるのですよね?」
ラシェルとともに神殿の地下までやってきたアリステアは、人間が使うには大きすぎる鏡台の前に立つ。
鏡にはしっかりと自分たちが映っている。
「そうよ。あなたの魂を引き寄せたのはわたくしだけれど、選んだのはエルヴェルトなの」
「――」
「と言っても、そこに意思があったわけではないけれど」
どきりとした心を落ち着かせながら、アリステアはずっと考えていたことを尋ねる。
「儀式をしたら、本当にもとの世界へ帰れるのですか?」
「呼び寄せた魂をもとの世界へ返したという話を聞いたことがあるわ」
「――もとの世界の私が、死んでいたとしても?」
鏡を見つめていたラシェルがこちらを向く。
「ほかの体があるでしょう?」
「は、い?」
あっけらかんと言うラシェルは腕を組む。
「赤子の体より、ある程度近しい年齢の体が」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
話が噛み合っていない気がして、思わず声を大きくしてしまった。
「は、初めてのことだけれど、心配しないで! アリステアの魂が入る体を、見つけてみせるから!」
「私の魂は、私の体に戻るのではないのですか!?」
「あなたの世界では、亡くなった人間の体を保存しているの?」
きょとんとするラシェルに、アリステアは妙な冷静さを保っていた。
「禁忌の精霊術」
目をそらしていた違和感に気づかないふりをすることはもうできなくて、アリステアは導かれるように鏡へと手を伸ばし、触れる。
長い瞬きをしているかのように、視界は真っ暗になっていた。




