五十四話 彼女なら
冷たい金属音を響かせながら、イズリアルは体を前に傾けた。けれど鎖に阻まれて進むことはできず、何度も後ろへと引っ張られる。
「ああ、お嬢さま。助けにきてくださったのですね」
じりりと後ずさるアリステアの肩にメイナードが手を置く。階段のほうを指さし、「出るか?」と口を動かした。
アリステアはふるりと首を振り、イズリアルに向き合う。
「イズリアル」
名前を呼ぶとイズリアルは掠れた声で返事をした。
「ごめんなさい」
「――ぇ?」
「私が逃げ出さないでちゃんと向き合っていれば、こんな結末を迎えることはなかったのかもしれない」
目隠しの向こう、イズリアルが目を見張ったのがわかる。
「でも、最後に壊したのはあなたよ。あなた自身が選択して、この結末へ進んだの」
踏みとどまらなかったことはイズリアルの意思だ。そこにアリステアの選択が介入する余地はない。
「私はあなたを救えない。救わない」
アリステアは静かにそう突きつける。
「……どうして」
「あなたが一番、わかっているでしょう」
「わからない、わからないです、お嬢さま」
「もういいだろう。話にならん」
ずいっとセオドアが間に入り、イズリアルを冷たく見下ろす。
謝罪はした。それがアリステアの自己満足で、己の心を軽くするためだけのものになろうとも。
「罪状を言い渡す。皇位を簒奪せんとした皇女に与し、邪神の力で帝国を二分し、内乱を招いた罪――その命をもって償ってもらう」
セオドアは色のない声で粛々と述べた。
計上したい罪は山とあるだろう。オルデン教の信徒がしてきたことはイズリアルの命一つでもとうてい贖えない。
「嘘ですよね?」
アリステアが本当に救いの手を差し伸べないことを悟ったイズリアルは唇を震わせる。
「僕が、死んでもいいのですか?」
「いい悪いという話ではなくて」
「お嬢さまが口添えしてくだされば、減刑されるかもしれません」
「言っておくが公女にそんな発言力はない」
「見殺しにしないでください。お嬢さまはそんなことなさらないですよね?」
「おい」
「お嬢さま、助けてください。僕はあなたの執事です。あなただけのものです。あなたが助けてくれなければ僕は、殺されてしまいます。あなたが僕を殺し――」
会話の応酬はセオドアによって止められた。もっと正確に言うならば、セオドアがイズリアルに上げさせた悲鳴によって。
「見ろ。お前を殺すのは俺だ」
セオドアは目隠しを乱暴に外し、イズリアルの太ももに剣を突き刺したのだ。
視界の端、メイナードが自身の足をさすって顔を歪めている。
「王女」
「はい」
短いやりとりのあと、マナの動きが変わった。
こういうことを感じ取れるようになったと考える間もなく、イズリアルが呻く。
「治るのですか?」
「彼は苦しくて、不快で仕方ないでしょうけれどね」
イズリアルはひどく苦しんでいる。けれど噴き出していた血は止まり、しばらくして深い傷もふさがった。
「オルデンの子孫と言えどその血は薄まっているもの。身体は限りなく人間に近いから治癒の力が通るのよ」
ダメージを受けながらも傷は治るようだ。
「いや、だ……死ぬなら、お嬢さまに、殺され……ッ」
再び剣を突き立てられ、イズリアルは悲鳴を噛み殺す。
セオドアに尋問され、イズリアルは的外れなことを口にし、セオドアに刺され、ラシェルに治される。地獄のようなループが繰り返され、イズリアルの衰弱が目に見えた。
「たす、け……お嬢さま……お嬢さま……」
うわごとのように縋るイズリアルの目にはアリステアしか映らず、その執着はもはや狂気というほかならない。
「好き、好きです。置いて、行かないで……」
アリステアはメイナードに耳をふさがれる。振り向くと、口を閉ざしたまま首を横に振っていた。
「これ以上、アリステアはあれのそばにいさせたくありません。あの忌々しい声も、聞かせたくありません」
「ああ。公女にならなにか話すかと思ったが、時間の無駄だったな」
メイナードとセオドアの会話はうっすらと聞き取れた。
ぐい、と少し乱暴に体の向きを変えられるが、アリステアは足を止める。
「おい?」
「最後に一つだけ」
メイナードはしぶしぶといった様子で手を離し、アリステアはまっすぐとイズリアルを見る。
「イズリアル」
「はい、お嬢さま」
期待に目を輝かせたイズリアルの姿に目を伏せ、アリステアは小さく息を吸った。
「――あなたが殺した彼女なら、きっと救ってくれてかもしれないわね」
イズリアルの息遣いが、牢獄に響いた。
◇◇◇
なにが間違いだったかと問われたら、生まれてきてしまったことだ。
どこが間違いだったかと問われたら、いらぬ正義感に突き動かされたものによって命を繋がれたことだ。
湿っぽく、冷たい牢獄に一人となったイズリアルは天井を眺めながら人生を振り返る。どれほど記憶を辿ろうと、間違いを探そうと、行きつく先は同じ。
自分はなにも間違えてなどいない。周りが勝手に間違えただけにすぎないのだと。自分はただ巻きこまれ、そうせざるを得なかっただけだった。
アリステアが理解し、受け入れてくれていたなら。今回だって間違いなどにはならなかったはずだ。
「ずいぶんと不満そうね」
巡るめく思考に気をとられ、足音が近づいていることにも気づかなかった。格子の向こうにはアリステアと同じ白銀が立っていた。
「まだなにか? どんな拷問も無駄ですよ。僕はオルデン教のことなど知りません。どうでもいいですから」
白銀は一切表情を変えず、否、哀れむように目を細めた。
「アリステアが不憫でならないわ」
なぜ今、アリステアの名前を出すのか判然としない。それと同時に、強い怒りがわいた。
「あなたに、なにがわかるのですか。所詮、僕もあなたも同じ敗者だというのに!」
イズリアルとラシェルには多くの共通点がある。
たぐいまれなる能力を持っていること。正統な王族であること。そして、祖国を奪われたことだ。
「あなたにも愛してくれる人がいたのに」
世界でもっとも愛される王族と、世界でもっとも疎まれる王族。それが二人の決定的な違いである。
恵まれた人間になにを言われようと、それは白銀が優位に立っている以上なにも響かない。むしろこのささくれだった心を逆撫でするだけだった。
「わたくしがどうしてここへ戻ってきたかわかるかしら?」
「僕を笑うためでしょう」
「アリステアのためよ。態度にも口にも出さないように頑張っていたけれど、最後まであなたのことを気にしていたわ。主人を裏切り、あまつさえ世界を敵に回したあなたをね」
ありえない。イズリアルは心のなかで反射的に否定する。
慈悲深いアリステアでも救いの手は差し伸べてはくれなかった。
『――あなたが殺した彼女なら、きっと救ってくれてかもしれないわね』
ふいに脳裏で響いたその言葉が重くのしかかる。果たして、そうだろうか。
それこそ、ありえない。もしあの場にいたのが彼女であるならば、いや、そもそも彼女はこんな場所には来ないだろう。
いつまでも兄の背中を追いかけて、イズリアルのことなど眼中になかったはずだ。
「一つだけ、願いを叶えてあげる」
「……はい?」
「ここから出すことも、処刑を取りやめることもない。アリステアが気を病みすぎないように、あなたの最期が絶望だけだったわけではないと思えるように――」
長いようで短い沈黙のあと、イズリアルの口から零れ落ちる。
「――飾り紐。僕が持っていた飾り紐を、返してください」
◇◇◇
格子にだらりと首をもたげたイズリアルは、静かに目を瞑る。
――お嬢さま。
ぎりり、首に沈む紐は苦しいはずなのに苦しさを忘れさせてくれ、どこか心地いい。
――生涯をともにすると、決めましたから。
りん、と鈴の音が小さく響いた。




