五十三話 サボり
「ちょっと待て」
皇宮行きの馬車に乗りかけたとき、背後から低い声が投げられた。
「メイナードお兄さま? どうして……足はもう大丈夫なのですか?」
踵を返すとメイナードはばつの悪い顔をする。片手には杖をついていた。
「足は、もういい。そんなことより、本当に、行くのか?」
「ラシェルさまにお誘いいただきましたので」
本日、アリステアはラシェルからお茶をともにする予定である。表向きは。
真の目的はイズリアルと顔を合わせることだ。
先日、アルフレッドからイズリアルの処刑が決まったと伝えられた。決定は覆らないし、覆そうとも思わない。だが、イズリアルがああなってしまった一端は自分にもあるだろう。
いてもたってもいられず、ラシェルを通じてセオドアに取り次いでもらって予定をつけたのが今日である。
「嘘だろ」
「え?」
「あいつに会いにいくんだろ」
「……つけなくてはならないけじめがあるのです」
メイナードは唇を噛む。
「行くな」
「私が」
「だめだ」
説明しようとしても断固として譲らず、このままでは埒が明かない。
「どうしてそこまで止めるのですか? 皇太子殿下とラシェルさまは今日のために時間を作ってくださったのです」
メイナードが心配する理由は理解できる。だからこそアリステアは本当のことを伏せていたのだ。
だが、メイナードが譲らないように、アリステアも譲るつもりはない。
「あいつは、危険だ。危なすぎる……」
「牢に入れられていますし、ラシェルさまが精霊術を使って抑えてくださいますから。オルデンの力は――」
「また殺されたらどうするんだよ!?」
「え?」
メイナードがはっとしたように口を覆う。
「いや、俺は……なに、ばかなことを」
お前は生きてるのに、と手の向こうから聞こえた。
「どういうことですか?」
アリステアは努めて冷静に聞き返すが、心臓は大きく動いていた。
「忘れて、くれ」
「いいえ、教えてください。それが、お兄さまを苦しめる原因なのなら」
アリステアは兄の手を優しく包むように精霊術を使う。呼吸が落ち着いてくると、表情からも硬さが抜けた。
「お前は、あいつに……」
それでも口ごもるメイナードに、再会したときのことがふいに思い起こされた。
メイナードはイズリアルを警戒し、アリステアと一緒にいることを疑問視していた。まさかあのときからなにかを知っていたのではないか。
「殺されて……殺されそうに、なったじゃないか」
「――」
「お前はイズリアルに突き飛ばされて、でも、目を覚ましたお前もなにも言わなかったから……俺の、勘違いだよな? 見間違いだったんだよな?」
メイナードはアリステアの存在をたしかめるように手を頬へ寄せた。
「俺が父上やアルフレッドに相談しなかったから、こんなことになったんじゃないよな?」
切実な声にアリステアの胸が締めつけられる。
「アリステアはちゃんと、こうして生きてるもんな?」
あの日、メイナードはどこからか見ていた。得体の知れない不安や恐怖を抱え、誰にも相談できずにいたのだ。
「俺の、せいだったのか……?」
「生きています」
オルデンの支配を受けながら、メイナードはイズリアルの危険性を指摘した。違和感や戸惑いもあっただろう。けれど、兄でいようとしてくれていた。
「私は……アリステアはここに、生きています」
メイナードは静かに目を瞑り、ほっとしたように息を吐いた。
◇◇◇
「サボりはやめたのか? 優等生」
「うっ、優等生って……」
セオドアにからかわれるメイナードの目がわかりやすく泳ぎ、アリステアは思わず苦笑する。
あのあと、皇宮へ向かおうとするアリステアに付き添うと言ってきかず、メイナードも一緒についてくることとなった。
「怪我で休養していただけです」
サボっていたことは否定せず、けれどメイナードは迎えてくれたセオドアに太ももをさすってみせる。
「王女はオルデンに対抗できるが、あまりあれのそばにいさせたくはない。乗れ」
ここからは馬車で移動するようだ。三人を乗せた馬車はゆるりと出発し、やがて皇宮の裏手に広がる木々を進んでいく。
「この先には高貴な身分の罪人を収容しておく場所がある。皇女も入れられているが、階層が違うため顔を合わせることもない」
「皇女殿下の処遇はどうなったのですか?」
「聞きたいか? 公女になら教えてもかまわないが、俺はこの決断に公女が心を痛めないか心配だ」
まったく心配そうな顔をしていない。
――単なる処刑ではない?
皇女の血筋にはなんら問題なく、正当な皇族だ。だからそう簡単に処刑を行うことができないのかもしれない。
――こういうのって、修道院ってところへ入れられるんだっけ。あとは追放とか、だけど。
どこか楽しげなセオドアからして生ぬるい処罰ではないとわかる。
「聞かなかったことにしてください」
「賢明な判断だ」
セオドアはすっと笑みを引いてうなずいた。
それから間もなく馬車が止まる。華やかな城とは異なり、黒いレンガで造られた背の低い建物だ。
扉の前には騎士が四人立っており、厳重な警備が敷かれている。
「なかは普通のお屋敷のようですね」
簡単な身体検査を受けてからくぐった扉の先は、貴族の別荘だと言われても納得してしまう内装だった。
「我が子可愛さに改装させた愚か者が過去にいたらしい。だが、地下はれっきとした牢獄だ。公女には息苦しいかもしれないな」
地下へと続く階段には等間隔にランタンが設置されているが、すべてを照らすには充分とは言えない。
足音が異様に響き、一段下りるたびに緊張感が増していくような気がした。
「イズリアルは地下三階に収容されている。最下層だ」
最後の階段を下りると、石造りの廊下がまっすぐ伸びていた。左右に並ぶ牢は小さな部屋だ。鉄格子の向こうには粗末な寝台があり、床には固定された鎖が見える。
廊下の奥でこちらに気づいたラシェルが唇に人差し指を添え、手招きしていた。
「口を割ったか?」
「いいえ。誰とも話してくださりません」
「そうか。それは誰も支配される心配がなくていいな」
複数の足音を隠すためか、セオドアは少し声を張っていた。
「――」
最奥の牢のなか、床に膝をつくイズリアルの姿があった。
分厚い布で目隠しをされた状態だ。手は後ろに、足首には鎖が繋がれて拘束されている。この小さな部屋のなかでさえ満足に動くこともできないだろう。
「お前と話をしたいという酔狂なものを連れてきてやった」
セオドアは牢の鍵を開け、無反応のイズリアルの前に立つ。
「捕らえてからずっと口を開かないの」
ラシェルがアリステアの耳元に口を寄せた。
「それに、もう何日も食事を拒んでいて……」
呼吸もか細く、ずいぶんとやつれている。処刑を実行しなくともこのまま死んでしまいそうな風貌に、アリステアは無意識のうちに息を呑んでいた。
「――お嬢さま?」
掠れた声が落ちる。
その視界は覆われているはずなのに、顔を上げたイズリアルはこちらをしかと見据えていた。




