五十二話 真夜中の密談
分厚い灰色の雲に覆われ、空に星は望めない。もっとも、帝都も寝静まるこのような真夜中に空を見上げるような夜更かしもそうそういないだろうが。
「洗いざらい説明してもらおうか、ロベルト・ベルジック公爵。貴殿には此度の反逆において首謀者の一人である疑いがかかっている」
部屋の明かりは消され、光源はテーブルの上に置かれたランタンのみ。壁に映し出される三人分の影は不規則に揺れている。
「私の言に嘘偽りはございません。皇太子殿下の問いに真実をお話いたします」
ロベルトは正面に座る男の目をまっすぐに見る。普段は青空を思わせる群青色の目は、眼光鋭く氷のように凍てついていた。
皇太子の後ろでこちらを見下ろす護衛騎士の視線もまた厳しい。当然だ。二人は反逆者かもしれない人間を目の前にしているのだから。
「貴殿はイズリアルがオルデリア王族だということを知っていたか? 匿っていたという認識はあったか?」
「知っていました。匿っていたという認識もないとは言えません」
「ほかに知っていたものは?」
「いません。家のものには諸事情で預かっていると説明し、出自など特定に繋がる情報は伏せていました」
「では、諸事情とやらを教えてもらおうか。貴殿の返答次第では何十人と路頭に迷い、牢へ入れられるかと心得よ」
ロベルトは、とうとうこの日が来たと静かに息を吐いた。
「十五年前、殿下がオルデリアを陥落させたと勝利宣言がこちらに届くよりも少し前、イズリアルはある女性に抱えられてきました。打ちつけるような雨の降る日でした」
ベルジックに駆けこんできたのはロベルトもよく知る人物だった。
亡き妻の旧友であり、親友とも呼べる令嬢。いや、駆け落ち同然でオルデリアへと渡った彼女のことは夫人と呼ぶべきだろう。
夫人の生家はすでに没落しており、嫁いだ家も戦火に飲まれている。だから、ロベルトはあえて彼女の名前を出すことなく話を進めた。
「オルデリアの貴族と婚姻を結んだ彼女は、王の側室の侍女となりました。妻との手紙のやりとりに書かれていたことです」
当時、オルデリアの王は何人もの側室を迎え、治世も最低限に自堕落な生活を送っていた。
何番目かに迎えられた側室は、夫人が仕えたころにはすでに王から見向きもされなくなっていた。
王が国庫を枯らし始めたことにより、金銭援助のために迎えられた側室だ。そこに愛はなく、政略というには綺麗すぎる搾取されるだけの日々だった。
「それがオルデンに支配された影響だったのか、もとからの性根だったのかはわかりません」
ロベルトが懐に手を伸ばすと、護衛騎士が腰元の剣に手をかける。あまりに流暢な動作にわずかな音が鳴るまで気づかなかった。
それを片手で制止した皇太子がロベルトに続けるよう視線だけで促す。
「こちらは手紙ではありませんが、夫人が残した手記です。イズリアルがうちへ来た経緯が、わかるかと思います」
「手紙はないのか?」
「そちらには、イズリアルに関する有益な情報はありません。手記も最後のほうに目を通していただければと」
皇太子は手記を受け取り、ざっと中身を読んでいく。
綴られているのは日記のようなものだ。はじめはすべてに目を滑らせていた皇太子だったが、当たり障りのない内容が続けばページをめくるスピードも上がっていった。
「側室からイズリアルを託された夫人は嫁ぎ先の家を頼ることはできず、旧知の仲であった妻に一縷の望みをかけてオルデリアを出たようです」
「兵士たちの目をかいくぐるとは」
「当時、イズリアルはまだ四歳でした。子ども連れには情けをかけてくれた方がいたのではないでしょうか」
「その甘えで反乱を起こされてはたまったものではないが。そのころよりオルデンの力が使えていた可能性はないか?」
「……否めません」
オルデリアの貴族へと嫁ぎ、側室の侍女となった旧知の女性。そんな彼女が命からがら連れてきた幼い子どもが、複雑な事情を抱えていることはすぐに察しがついた。
「気づけば受け入れていました。守らねばならないと、強く、感じました。妻に代わり、私がするべきなのだと」
本来ならば心を鬼にして断るべきである。妻と知り合うきっかけとなった大恩があろうと、病床に伏せてからも彼女の無事を祈っていた妻に恨まれようと、火種を抱えた彼女を追い返すべきだった。
妻の死後から四年、関係が希薄なことを理由に突っぱねるべきだったのだ。
「イズリアルは母親と二人、少人数の使用人と離宮で暮らしていたそうです。正当な王子でありながら王族として扱われることもなく、オルデリア王族がオルデン教に掌握されるころには存在すら忘れられていたのでしょう」
だから、イズリアルには己が王族であるという自覚がなく、何者であるかさえ知る由もなかった。
「なにも知らないまま、ただのイズリアルとして育てるつもりでした」
だが、今思えば、危険分子をアリステアにつけるなどありえないことだった。皇宮へ送り出したのもそうだ。表向きは身元不明の少年を、皇宮の騎士に指南を乞うなんて。
ひたむきなイズリアルに感化されたというには情に流されすぎていただろう。
「イズリアルを連れてきたものはどうした」
「夫人は……すでに亡くなっております」
「たしかか? 匿っていないだろうな」
「イズリアルを私に預けてすぐ、夫人は去りました。どこへ行くのか尋ねれば答えは返ってこず、追わないでほしいとだけ。それでも私は夫人が心配で、雨も降っていましたので、どこかへ辿りつくまでと騎士にあとを追わせました」
結果、夫人はベルジック領を出ることなく、道半ばで倒れているところを発見された。
賊か獣か、夫人の最期は明らかにしなかった。抵抗した痕跡がなかったとのことで、そうなることを望んでいたのかもしれないと結論付けたからだ。
「信じられないのなら、墓でもご覧になりますか?」
皇太子の目はわかりやすく細められた。
さすがに墓までは暴かれないだろうが、この際、久々に足を運んでもいいかもしれない。そう耽っていると皇太子は小さく息を吐いた。
「俺は歓迎されないだろう。安らかな眠りを妨げるわけにもいかない」
ランタンの小さな炎がぱちりと爆ぜ、影が大きく揺らめく。
「貴殿には先に伝えておこう」
「はい?」
「イズリアルの処刑が決まった。オルデンの子孫が存在する限り、精霊術師の安寧は不安の上に成り立つこととなる。悪縁を断ち切るためにもあれを生かすことはできない」
「そう、ですか」
一瞬、言葉に詰まった。
「一部の貴族を除き、民に不安を与えぬよう今回の件は徹底的に伏せられる。故に、処刑も秘密裏に行われる。貴殿の処遇はそのあとになるだろう」
「いかなる処罰も受け入れます。ですが――」
ロベルトは瞑目し、瞼の裏に家族の顔を思い浮かべた。
「子どもたちやベルジック家に勤めるものたちを長年、私は騙していました。彼らに罪はありません。私一人の、咎です」
ざあ、と激しい雨粒が窓を叩いていた。




