五十一話 魂の在り処
「よく命があったものだな」
リュシアンからセオドアに、セオドアからラシェルに伝えられたであろう話は臨場感が足され、なかなかに誇張されていた。
大業を成し遂げたかのように力説したラシェルだが、世界を救ったのはラシェルとエルヴェルトだ。言ってしまえば、アリステアはただルミナラ聖国とエレスト帝国を往復しただけである。
「最高峰の精霊術師に守られていましたからね。それがなければ死んでいてもおかしくありませんでした」
「え?」
目を丸くするアリステアに、ラシェルは眉を下げる。
「エルヴェルトがあなたに精霊術をかけていたの。だからあれほどの無茶ができたのよ」
「私に、精霊術を?」
瀕死の状態で、オルデンの封印をしながら、アリステアにも精霊術をかけ続けていた。それが常人離れしているということも今ならわかる。
「精霊に働きかけて、あなたを助けるようにお願いもしていたみたい。ルミナラを出てから、あなたの力で精霊術を使い続けられたのもそのおかげだと思うわ。だから今はもう無理をしてはだめよ」
ラシェルは王女然とした面持ちで、けれど諭すような声音は温かかった。
「エルヴェルトさまは、まだ目を覚まさないと聞きました」
「エルヴェルトはオルデンの力を一身に引き受けて、魂をひどく損傷してしまったの。わたくしが精霊術をかけて、精霊たちも癒してくれて……今は、時間をかけるしかないわ」
「魂の損傷というのは、その……大丈夫なことなのですか……?」
ラシェルはゆるりと首を横に振る。
「本来なら死んでいたはずだけど、精霊が……あの子を生かそうとしてくれているのよ」
小さく息を吐いたラシェルは向かいに視線を送る。
「アリステアと二人きりで話したいことがあります。お二人は席を外していただけますか? 全員、下がらせてください」
なかなか渋ったセオドアだったが、精霊術師に関することで部外者には聞かせられないとラシェルが言ったことで、最終的にセオドアとアルフレッドは部屋を出ていった。
部外者という言葉にそれなりにダメージも受けていたように見えたのは気のせいではないだろう。
「うん、聞き耳も立てていない。ちゃんと別室へ移動してくれたみたいね」
扉から視線を戻したラシェルはアリステアのほうへ体を向ける。
「単刀直入に聞くわ。アリステアって、この世界ではないどこか、別の世界で暮らしていた記憶はないかしら?」
「――え?」
息が詰まり、反応が遅れた。
「やっぱりあるのね!?」
「どうして、そう思われたのですか?」
「もしその記憶があるのなら、十三年前、あなたの魂を呼び寄せたのはわたくしだから。ずっと、探していたのよ。オルデン教の信徒に追われたりオルデンの封印だったりでなかなか時間は取れなかったけれど――あなたなの?」
ラシェルはたしかめるようにアリステアの目をまっすぐ見つめる。そうであってほしいという思いもこめられているように感じた。
――本当のことを言ってもいいのかな。
仮に肯定したとして、ラシェルはその事実をどうするつもりなのだろうか。
秘密を共有できる。それはきっと心が軽くなるだろう。けれど同時に、打ち明けることに不安が押し寄せた。
だが、丸ごと表情に出ていたらしい。ラシェルは静かに話を続けた。
「もしそうであるなら、あなたが望むなら、わたくしはその魂をもとの世界に返すことができるかもしないわ」
ラシェルはルミナラ王家に伝わる禁忌の精霊術だと語った。
もう一度儀式を行えば、もとの世界に帰れる可能性がある。アリステアの心臓は、たしかに脈打った。
――決めたのに。
この世界で生きていくと、『アリステア』に誓った。
アルフレッドとメイナードとも許しあい、これからを大事にしたいと思った。
だというのに、こうも簡単に決意が揺らいでしまうとは。
「ラシェルさまは、どうしてその儀式を行ったのですか?」
「過去に、儀式を行ったことで世界の危機を覆したとルミナラ王家に伝えられているの。だから、わたくしは……わたくしだけでは、無理だと、思ったから」
ぐっと唇を噛んだラシェルは深く息を吐いた。
「ラシェルさま……?」
「ずっと、平行線だったの。どちらも失うものは多くて、けれどオルデン教の信徒は増えるから。――あなたが、覆してくれたのよ」
立ち上がったラシェルは膝をつき、胸の前で指を組んだ。
「あなたの勇気と献身に、ルミナラの王女として感謝申し上げます。ルミナラの民はようやく、安寧を取り戻すことができます」
破壊されゆく故郷を、蹂躙される精霊術師を、救いたくても救えず打ちひしがれ、罪悪感や責任感に押しつぶされそうになったこともあるだろう。諦めたくなることも逃げ出したくなったこともあるかもしれない。
それでも、ラシェルは決して折れず、守り、戦い続けた。
「ラシェルさまが頑張った結果です。私のほうこそ、ラシェルさまが導いてくれなければ右も左もわからないままでした」
感謝を述べると、ラシェルはふわりと笑んだ。
「あなたの願いをわたくしは尊重します」
「少し……考える時間を、ください」
「ええ。意思が固まったらいつでも教えてちょうだい。わたくしはしばらくここにいるから」
すぐに答えは出せず、保留とさせてもらった。
帰りしな、職人に交ざって改修工事にいそしむ騎士の姿が目に入る。職人の補助をする騎士のなかにはあからさまに機嫌や態度の悪いものもいた。
「オルデンの支配を受けて王侯貴族に剣を向けたものはその剣を没収され、ああして板やトンカチを持たされている。何人かは罷免されない温情を賜っているということを理解していないようだな」
「自業自得というにはどうしようもなく、あまりにも状況が悪かったでしょう」
「本来ならメイナードもあの場にいるべきだが」
メイナードは皇太子からの招集も理由をつけて断り、部屋にこもっている。アリステアによって支配は解かれているが、念には念をかけてラシェルにも精霊術を使ってほしいところだ。
「お兄さまは大丈夫ですか? 皇女……殿下に、なにもされていないですか?」
「……問題ない」
あまり大丈夫ではなさそうな間である。
「私よりも父上が心配だ」
「お父さまですか?」
「まだ解決していない問題があるからな」
そうして家族の話をしながら、アリステアはアルフレッドとともに別邸へと帰ってきた。
部屋に戻ったアリステアは、ラシェルから言われたことを改めて考える。
「もとの世界に、帰れるかもしれない」
アリステアは鏡の前に立つ。もう、前世の顔も名前も思い出せない。
皇女がゲームをクリアすればあわよくば帰れるのではないかと考えたこともあった。
――私はもとの世界に帰りたいの?
はじめは生き残るために関わりを避けたはずなのに、今ではすっかり情がわいてしまった。心の底では離れたくないとさえ思っているのではないか。
――そもそも私は生きているの?
もしかして死んでいないのだろうか。それならばこの魂はもとに戻れるのかもしれない。
「でも、じゃあ、『アリステア』は……?」
あの日、『アリステア』は死んでしまった。すでに『アリステア』の魂はこの世になく、自分が帰ることを選べばこの体は動かなくなってしまうのではないか。
「どうしたらいいの? 私は、どうしたいんだろう?」
今回もまた、アリステアは答えを出せなかった。




