五十話 はじめまして
「お嬢さま! お目覚めになられたのですか!? ああ、よかった。早くお嬢さまが目を覚まされたことを伝えないと!」
血相を変えたメイドが慌ただしく部屋を飛び出していった。
「……デジャヴ?」
起き上がろうとしたアリステアは体がまったく動かせないことに気づく。拘束されているわけではなく、ただだるく、体が重かった。
「ここは、帝都の別邸? どうなったの……?」
オルデンに飲みこまれたエルヴェルトが大規模な精霊術を発動させたことまでは覚えている。そのあと、どうなったのか。
「アリステア!」
バタバタと複数の足音が近づいてきて、勢いよく扉が開けられる。
「お父さま、アルフレッドお兄さま。ご無事で、なによりです……?」
「もう目覚めないのではないかとどれだけ不安だったか」
「縁起でもないこと言わないでください、父上」
もしかしたら死に戻りだとかデータリセットなるものが入ったのかと考えたが、二人の様子からして正常な時間軸のようだ。
「まずは水を……もう一週間もなにも食べていないから、消化しやすいものを用意させよう」
「え、一週間?」
目を丸くしたアリステアの腹は、空っぽであることを自覚したかのように音を立てた。
すぐに用意してもらった温かいスープやお粥を食べながら、一週間も目を覚まさなかったことを聞く。
アリステアが眠っている間に、今回の事件にかかわったものは事情聴取という名目で一時的に皇宮へと召喚され、ラシェルが密かにオルデンの支配を解いていったそうだ。
なお、オルデンの影響を受けたとはいえ反逆に加担したものには相応の懲罰が与えられる。帝国への忠誠を貫き、支配に揺らがなかったものたちもいるからだ。
「かなりの数の貴族が罰せられるのではありませんか?」
貴族名簿から名前が消える家門も少なからずあるだろう。
「陛下は『帝国の膿を洗い流すいい機会だ』と笑っておられたよ」
渦中で皇帝は私室に閉じこめられていたが、支配されなかった忠臣により生かされていたという。
今は笑っていようと、反逆を企てた皇女に慈悲はないだろうと公爵は首を振った。
「支配について知っているということは、オルデンのことも……?」
「すべて、皇太子殿下とルミナラ聖国の王女殿下から伺ったよ」
公爵は整った眉を下げた。目の下に隈があることにそのとき気づく。
「アリステアが精霊術師であり、あの日、オルデンと対峙していたことも。私は、そんなことも知らずに……」
公爵が片手で顔を覆う。
「隠しごとをしていてごめんなさい」
「身を守るためだと王女殿下がおっしゃっていた。お前が謝ることなどなにもない。むしろ、謝らなければならないのは私のほうだ」
「どうしてお父さまが謝るのですか?」
「私が呼び戻したばかりに、危険なことに巻きこんでしまった。あのまま別邸にいればオルデリアの残党に狙われることもなく、イズリアルも……あんなこと、しでかさなかったはずだ」
「……イズリアルは今、どこに?」
オルデンが封印されたのならイズリアルも神の意識から解放されたのだろう。
「皇宮の牢獄に幽閉されている。まだ生かされている理由は、イズリアルを取り返そうと無謀にもオルデリアの残党が挑んでくるからだ」
イズリアルの奪還に来るオルデン教の信徒はだんだんと数を減らしているそうで、その日も近いだろうとアルフレッドは言う。
あの日、オルデンに憑依される前のイズリアルが脳裏をよぎった。自らの意思で皇女と手を組んだイズリアルに同情の余地はない。ないはずなのに。
「メイナードお兄さまは大丈夫ですか? 足に、大怪我を負いましたよね」
アリステアはその感情に蓋をして、この場にいない兄の安否を尋ねる。剣で貫いたのだ。もしかしたらまだ歩けないのかもしれない。
「メイナードは……部屋で安静にしているよ」
「オルデンに支配されていたとはいえ、お前にひどいことをしたと毎日泣いている」
泣いてない、とメイナードの叫びが聞こえた気がした。
「メイナードお兄さまはそのことについて謝ってくださいました。私も、許しました」
「そうか」
公爵とアルフレッドの安堵の息が重なった。
「エルヴェルトさまもご無事ですか?」
これまで二人がエルヴェルトの話を避けているように感じ、アリステアはこちらから切りこむことにした。
どちらともなく息を詰め、言葉を選ぶように口を閉ざす。
『この命をもって』
夢のなかで、エーヴェンタと呼ばれた精霊術師はそう覚悟を決めていた。
まさかエルヴェルトも命と引き換えにオルデンを封印したのではないかと心臓が大きく跳ねる。
「エルヴェルトもまた、目を覚ましていない。今は皇宮で保護されているが、詳しいことはわからない」
生きている。今はその事実があるだけでも胸がいっぱいになった。
「皇太子殿下とラシェルさまに会いに行きたいです」
アリステアの願いは案外すんなりと受け入れられ、とんとん拍子で謁見の日取りが組まれた。
とはいえ、明日明後日といった近日ではない。セオドアは事件の後始末に追われ、ラシェルは散らばった精霊霊術師に連絡を取り、アリステアは体調の回復に専念するため、それなりの日にちが空いてしまった。
「一緒に来てくれてありがとうございます、アルフレッドお兄さま。メイナードお兄さまも来られたらよかったのですが。部屋から出られないほど、歩くこともままならないのですよね?」
メイナードの足は怪我がひどく、回復にも時間がかかる。いっそラシェルに治してもらえばいいのではないかと考え、今回の登城にも誘ったのだが返ってきたのは生返事だけだった。
そうこうしているうちに出発の時間が来てしまい、あえなく置いてきたのだ。
「まったく、情けないやつだ」
「そんなこと言わないでください。メイナードお兄さまは私のために身を挺してくれたのですから」
皇宮に到着すると、二人は皇太子宮にある応接室へと通された。警備がかなり厳重になっており、セオドアが来るまで監視の目も置かれていた。
「待たせたな」
「本日はお時間を作っていただきありがとうございます」
「アリステア! ああ、よかった。あなたが生きてくれていて。わたくし、ずっとあなたに会いたかったのよ。あのときはこの目で姿を見られなかったから」
定型の挨拶を済ませたところで、金色の目を潤ませたラシェルがセオドアの背後からぬっと顔を出した。
「箱庭ではなく、こうして顔を合わせることができて私もうれしいです」
「はじめましてなのにはじめましてじゃないものね、わたくしたち。なんだか素敵だわ」
ラシェルがころころと笑い、アリステアの手を包みこむようにそっと握る。
「座りましょう。話したいことがたくさんあるの」
アリステアの隣にラシェルが座り、アルフレッドは動揺していた。やむを得ずセオドアの隣に腰を下ろすことになり、少しだけ居心地が悪そうだ。
「改めてありがとう、アリステア」
「いえ、私は……」
「セオドアさまから聞いたの。あの日、ルミナラ聖国から駆けつけてくれたって……精霊術を使い続けたのよね?」
「ルミナラ聖国から、駆けつけた……?」
アルフレッドが眉をひそめる。じとっとした視線にアリステアの額にたらりと汗が伝う。
「そういえば、ベルジックの人間には伝えていなかったか」
「まあ、そうでしたの? だったらご家族は、兄君はアリステアの活躍を知らないのね!? いいでしょう。ではまずわたくしが、アリステアがとても頑張ってくれたことを――」
「ラシェルさま! か、簡潔にお願いします」
「ええ!? で、でも……アリステアは本当に、頑張ってくれて……」
「妹は少々恥ずかしがり屋のようで――ぜひとも聞かせていただきますか? 王女殿下」
「そうこなくっちゃ!」
にこやかなアルフレッドとはにかむラシェルの温度差で、アリステアは風邪を引きそうだった。




