五話 六人
玄関までやってきたが、一足遅かったようだ。
馬車を見送ったあとの執事長がいるだけで、公爵の姿はなかった。
「お父さまはいつ帰ってくるの?」
「一週間後くらいかと……ご用があるなら至急、追いましょうか? 馬を走らせれば今ならまだ間に合うでしょう」
「いいえ、結構よ。大した用でもないから」
アリステアは門の向こうを見つめる。執事長は緊張しているのか表情が少し硬かった。
「馬車はまだある?」
「それはもちろん、ございます」
せっかくなら外へ出かけてもいいかもしれない。イズリアルや双子のいる家より、外のほうがよほど羽を伸ばせるだろう。
「手配いたしますか?」
「その必要はない」
明らかにアリステアではない返答が割りこんだ。
アリステアと執事長が同時に振り返れば、しかめ面をしたアルフレッドが腕を組んでいた。
「見送りは済んだだろう。お前は持ち場へ戻れ」
「承知いたしました。お嬢さま、申し訳ありません。失礼いたします」
兄妹に格差はつけてほしくないが、アルフレッドは次期当主だ。どちらの命令を優先するかは明白である。
「どういうおつもりですか」
アリステアは小さくため息をついて尋ねた。
「なにがだ?」
眉を寄せたアルフレッドが声を低くする。
「お兄さまは私に歩いて街へ行けとおっしゃるのですね」
「なにを……」
「だって、そうでしょう? 私は街へ出かけてみようと思っていたのに、お兄さまは『馬車は必要ない』と執事長を行かせてしまったではありませんか。このような仕打ち、あんまりです」
口からすらすらと出てくる言葉とは裏腹に、アリステアは無表情で、声にも感情を乗せていない。
アルフレッドは不愉快そうに目を細め、ずんずんとこちらへ歩みを進めてきた。ぎょっとするのも束の間、アリステアは手首を掴まれた。
――さっきとまったく同じ光景ね。
つい先ほど、双子の片割れであるメイナードがしたことと同じ構図。さすが双子と感心するには、手首の痛みが邪魔をする。
「いっ」
掴み上げた手首がほんのりと赤みを帯びていることにアルフレッドは目敏く気づいた。衝撃に目を見開いたかと思えば、すぐに翡翠の目は細くなる。
「これはなんだ?」
「さあ。お兄さまが強く握ったから、赤くなってしまったのではないですか?」
「私がこうするよりも前に――」
はたと反論が止まる。
「メイナードがやったのか?」
誰にやられていようと被害者はアリステアでしかないのに、どうして怒りを向けられなければならないのか。
「あいつはまた、性懲りもなく。ベルジックとしての自覚が本当にあるのか」
アリステアは腕に力を入れ、アルフレッドの手を振り払った。本当に、どの口が言っているのか。
「仮にメイナードお兄さまが私の手首をこうしたとして、アルフレッドお兄さまにはメイナードお兄さまを責める資格なんてありませんよ。なぜだかわかりますか?」
押し黙るアルフレッドに、アリステアの口から「はっ」と嘲笑に似た息が漏れる。
「メイナードお兄さまと同じことを、今、私にしたからです」
これ見よがしに手首をさする。
この場を立ち去ろうとするアリステアの腕を再び掴もうとするアルフレッドだったが、思いとどまっている様子が視界の端に映った。
「本当に歩いていくつもりか」
「馬車がないのなら仕方ありませんね。ずっと屋敷のなかにいましたから、いい運動になるかもしれません」
「なぜ街へ行くんだ」
いったい、なにがそんなに癪に障るのだろうか。
馬車を用意すれば御者がついてきて、執事に任せておけば護衛騎士もつけてくれたはずだ。その機会を奪ったのは紛れもなくアルフレッド自身だというのに。
「皇女殿下の誕生パーティーまでもう半月もありません。それなのに私にはドレスも用意されていないので、見にいこうと思っただけです」
「それならわざわざ街へ行く必要はない」
「私のことなのに、どうしてお兄さまが必要かどうか決めるのですか? お兄さまには必要のないことでしょうけど、私には必要なことです。それとも、ドレスを用意できそうにないからと欠席の連絡を入れましょうか?」
「アリステア」
たしなめるように、そしてわずかに怒りが孕んだ声が静かに響いた。
――ずっと、『アリステア』のことを無視していたんでしょう?
それなら昔と変わらずいないものとして扱ってくれたらいい。そうしたらアリステアも目立たないように大人しく過ごすのだから。
「ドレスや宝石がほしいのなら明日、服飾師を手配する」
よほど街に行かせたくないらしい。それとも、家のなかに引き留めておきたい理由でもあるのか。
そう考えたとき、アルフレッドと妙に目が合わないことに気づいた。頭に視線を合わせているが、その目に映しているところは顔ではない。
――頬……いや、髪?
その瞬間、ようやく目と目が合った。
「お前はなるべく、外に出るべきではない」
喉に息が引っかかったような感覚がした。
――ああ、そういうこと。
詰まった息を、アリステアはゆっくりと吐き出した。
メイナードは母の髪色を、アルフレッドは父の髪色を遺伝した。しかし、アリステアはそのどちらでもない。誰から受け継いだのかもわからない青みがかった白銀色。美しいことに変わりはないが、余計な勘繰りをするものもいるだろう。
その疑念がアリステアだけに向けられるならまだましで、当然『アリステア』の母にも矛先が向くこととなる。
十八年も前に亡くなった母には弁明の機会も与えられず、失礼なものたちから好き放題に貶められてしまう。
「いっそ、皇女殿下のパーティーまでに染めてしまいましょうか」
アリステアは指先に髪をくるりと巻きつける。
「金色は難しいでしょうから、墨でも用意すればいいですか?」
「ふざけているのか?」
「さあ、どうでしょう。けれどお兄さまは、私が人前に出ることを咎めるくらい恥ずかしいのでしょう?」
アルフレッドが息を詰めた。
「――六人だ」
憎悪が滲むほど顔をしかめたアルフレッドは吐き捨てるようにそう言った。
「はい?」
アリステアはなんの人数か理解できず、目を瞬かせた。
「お前が公爵家に戻ってから解雇した使用人の数だ」
「そ、それが……なんだと言うのですか?」
脈絡のない話を続けられて混乱する。
「お前の髪を見て、公爵夫人の不貞を疑った使用人が二人」
「――」
「その事実を隠ぺいするために公爵家がお前を別邸に追いやるように捨てたと、噂を広めようとした使用人が四人」
解雇された使用人の内訳を述べるアルフレッドだが、それを聞いてもアリステアには理解が及ばなかった。
――だから、なに?
まるでアリステアのために解雇したような流れだが、よくよく聞けば庇っているのは公爵夫人と公爵家の名誉だけ。
「そうですか」
――アリステアのためだと、嘘でも言ってくれたらいいのに。
「話はそれだけですか?」
「なにか思うことはないのか?」
「そうですね……六人も使用人が減っては大変でしょう。公爵家に雇われるものともなれば適当な人物ではいけませんから」
アルフレッドは無表情のままで、彼が望んだ答えではないことはすぐにわかった。
――でも、私になんて言ってほしいの?
相応のことをしていても、人の不幸を喜ぶことなどできない。
きっと、アリステアが間違いを犯せば解雇された使用人たちのようにいとも容易く切り捨てられてしまうだろう。
「馬車がないのなら、街には行けませんね」
アリステアは遠くを見ながら呟き、踵を返す。
今度は引き留められなかった。明らかに不満は滲んでいたが、これ以上行く手を阻まれないのならどうでもいい。
――ゲームの『アリステア』はどうやってこんな兄たちと関係を再構築したの?
たとえ現実に戻れたとしても、未完のゲームからは答えなんて得られないだろう。知ったところで意味もない。
アリステアは背中に突き刺さる視線を感じながら、来た道を戻るはめになってしまった。




