四話 許し
自分の知らない幼少期の『アリステア』について使用人たちからそれとなく情報を引き出して数日、アリステアは頭を抱えていた。
――聞けば聞くほど、ゲームのヒロイン像と幼少期の『アリステア』がかけ離れている。
兄たちと馴染むことができなかった『アリステア』だったが、公爵や使用人たちからは愛情を注がれていたようだ。
だが、『アリステア』は常になにかに怯えていたという。それは心無い言葉をかけてくる兄たちを恐れていたのかもしれないし、別に怖いものがあったのかもしれないと、昔からいる使用人は口を揃えた。
――ゲームであまりフォーカスを当てられないヒロインにまで裏設定をつけないでよ!
この違和感をはっきり言葉にすることはできない。ただ漠然とした気味の悪さを感じた。
「でもまあ、兄たちを避けていただけで『アリステア』は普通の令嬢だったみたいね」
よくいるヒロインのように底抜けに優しいわけでもなく、悪役のように苛烈だったわけでもない。
だからおそらく、大丈夫だ。アリステアが『アリステア』だったのも六歳まで。子どもの性格が変わろうと支離滅裂なことを言おうと、疑問に思うものはいないだろう。
そう安心させるように結論付けたとき、外から激しい足音が近づいてきた。
「アリステア!」
ばん、と扉が勢いよく開けられ、アリステアは目を丸くする。
「帰ってきたのなら、連絡くらいしたらどうだ!?」
年頃の女性の部屋に断りもなく乱暴に入ってきた男は、まさかのメイナード・ベルジックだった。アルフレッドと肩を並べる攻略対象の一人、双子の片割れである。
よほど急いでいたのか、肩で息をするメイナードはこちらを鋭く睨んだ。
「そう言われましても、お兄さまがどこにいるのか知りませんでしたので」
やや硬そうな短髪は金色に輝き、明るい翡翠色の目は繕うことなく不満を訴えていた。
次期当主として成熟しているアルフレッドとは違い、まだあどけなさの残る面立ちをしている。
「そっ……んなの、誰かに聞けばよかったじゃないか」
「どうして私が?」
「は?」
今度はメイナードが目を丸くし、言葉を詰まらせた。まさか反抗的な態度を取られるなど夢にも思っていなかったようで、動揺を隠しきれていない。
「久しぶりですね、お兄さま。お元気でしたか?」
「は、はあ!? おま、お前……っ」
メイナードは頭がおかしくなったのかとでも言いたげに顔をしかめた。
「挨拶は済んだので出ていってもらえますか」
扉のほうを指さし、拒絶を態度に出す。
『アリステア』はメイナードにいじめられ、泣かされていた。そんな相手に優しくする必要はない。
そもそも、関係値を修復してしまえば皇女に目をつけられるのだ。彼らとは適度な距離感を保たなければならない。むしろ嫌われていたほうがいいのではなかろうか。
「……なんで、まだあいつと一緒にいるんだ?」
「はい?」
メイナードはアリステアの手首を掴み、ぐいっと引き寄せた。
「っ」
「あの執事もどきだよ!」
「も、もどき? 誰のことを言っているのか理解できません。それよりこの手を離して――」
「あの、イズリアルとかいう……お前は、あいつに」
ぎり、と手首を掴む手に力がこめられた。
――なに? どういうこと?
なぜイズリアルが出てくるのかわからない。
「……手を離してください」
歯がゆそうな顔をするメイナードだが、はっきりと言えば素直に従ってくれた。強く掴まれたところをさすれば、ばつが悪そうに顔をそらされる。
少なからず罪の意識はあるようだ。
「誰をそばに置こうと、お兄さまには関係のないことでしょう」
「あいつだけはだめだ!」
アリステアは腕を組み、口をへの字に曲げる。
――話にならない。
公爵には双子によく言い聞かせたと説明されたが、十数年経とうとメイナードの見下すような態度は変わっていない。いないのだろう。
「お兄さまよりましです」
「なんだって?」
「なにか、勘違いされているようですね」
アリステアは口角を上げ、貴族的な笑みを作る。
「どれだけ時間が過ぎようと、私はお兄さまにされたことを忘れていません」
覚えているどころか本当は知らない。だが、事実としてあるのだから利用したって罰は当たらないだろう。
「不都合なことは時間という水で流され、綺麗さっぱり許されているとお思いでしたか?」
「お、まえ……」
メイナードは目を見開き、怯んだように顔を強張らせた。
――やりすぎ? いいえ、好意を持たれたらそれこそ終わりよ。
アリステアは乾いた喉を潤すために唾を飲んだ。
「――」
よほど衝撃的だったのか、メイナードはわなわなと体を震わせるだけでなにも言わない。伏せられた顔からは表情が見えず、じわじわと焦燥感がかきたてられた。
「……お兄さまが出ていかないのなら、私が出ていきますね。戻るころにはいなくなっていてくれると嬉しいのですが」
「ま、まて」
メイナードの横を通り抜けたときに弱々しい声が漏れたが、知らないふりをする。
兄を残して部屋を出て、行く当てもなく廊下を歩く。もう大丈夫だろうというところまできて、ふっと足の力が抜けたアリステアはその場にしゃがみこんだ。
「大丈夫、よね?」
恐怖がぶり返してきて手が震える。
――殺されなくてよかった……っ。
逆上されて手を上げられる可能性も充分にあった。
アリステアは片方を包むようにして両の手を握った。それに額を当て、深呼吸を繰り返す。
「お嬢さま」
声が頭上から降ってきた。綺麗に磨かれた革靴が視界に入っていた。
「……イズリアル」
「どうされたのですか、お嬢さま。こんなに震えて……お顔も真っ青です」
顔を上げれば、イズリアルはすっと膝をついた。
『なんで、まだあいつと一緒にいるんだ?』
イズリアルの顔を見た瞬間、ふいに、メイナードに言われた言葉が脳裏に浮かんだ。
――『なんで、まだ』。
「お嬢さま?」
――一緒にいることがおかしいとでもいうような物言いじゃない。私の知らない……『アリステア』となにかがあった?
発言や態度からしてメイナードはイズリアルを警戒している。メイナードとイズリアルがなにかしら揉めた可能性もあるが、あの言い草では『アリステア』とイズリアルの間になにかあったようにしか聞こえない。今一度考えてみれば、そうとしか思えなくなってしまった。
「大丈夫ですか?」
アリステアはイズリアルを無視していることにも気づかず、思案に暮れた。
――メイナードのこと、言えない。
どうして、許されたつもりでいたのだろうか。
『アリステア』だってイズリアルに幼稚な嫌がらせをしていた。謝罪をして、受け入れられたとしてもそれが本心とは限らない。
だって、アリステアが主人でイズリアルが執事でいる限り、下の人間は上の人間の言葉にうなずくしかないのだから。ご機嫌取りも同じことだ。
「――大丈夫よ」
イズリアルが差し出した手を無視して、アリステアは一人で立ち上がる。
――私は、こんなゲームの世界でなんて絶対に死にたくない。もとの世界に帰れないなら、ここで平穏無事なエンディングに導いてみせるの。
そのために、誰にも気を許してはならない。ここはいつ殺意を向けられるかわからない鬱ゲーの世界。現実から目を背けた時間は決して短くなく、誰の腹の底がどうなっているのかも未知数なのだから。
「お嬢さまになにもないのならなによりです」
行き場のなくなった手を見つめていたイズリアルはすっくと膝を伸ばし、計算し尽くされたような美しい微笑みを浮かべた。
「ええ。心配してくれてありがとう」
アリステアも笑み、くるりと踵を返した。
「どちらへ行かれるのですか?」
「お父さまのところよ」
「公爵さまなら仕事のために邸宅を出発される時間かと……」
「なら、まだ間に合うかもしれないわね」
実のところ、公爵に用事などない。まだメイナードがいるかもしれない部屋に戻りたくないし、イズリアルとも一緒にいたくない。つまり、ちょうどいい口実ができたということだ。
公爵がいようがいまいが、アリステアは歩みを止めることなく玄関へと向かった。
「――アリステア……お嬢さま」
だから、イズリアルが頼られなかった手を見下ろしていたことも、ぼそりと主人の名を呼んだことも、アリステアには知る由もなかった。




