四十八話 間違い
「ずっと、知って……?」
心臓の音がうるさすぎて、アリステアは自分の声が掠れていることに気づかなかった。
「お嬢さまが別邸へ行ってしまってから、ずっと不安でした。お嬢さまがもとの世界とやらへ帰ってしまい、彼女が、戻ってきているのではないかと」
ことアリステア関連では支配の力は通用しにくかった。
公爵に願っても、アリステアに会いに行く許可は下りず、一目だけでもと何度もこっそりと別邸へ足を運んだ。
アリステアは気づいていないようだったが、多くの護衛が配置されていた。だからイズリアルは容易に近づけず、白銀を目視しては踵を返した。
「お嬢さまは僕を恐れなかった。お嬢さまは後頭部をぶつけたのに、額の傷は癒えたと言っても疑問を持たなかった。それで確信が持てました。お嬢さまは、彼女ではないと」
後頭部を撫でていたイズリアルの手がゆっくりと引き抜かれ、顎に添えられた。
「――ほしい」
イズリアルの唇が震えた。
「僕は、彼女ではなく、ほかならないあなたがほしいです」
イズリアルの顔がゆっくりと近づいてくる。
「待って……っ」
「もう、待ちました」
唇が触れる、その寸前。
「なにしてんだ!」
横合いから伸びてきた足に、イズリアルが強く弾かれた。
「さっさと立て!」
伸ばされた手を、アリステアは咄嗟に掴む。引き上げられた体は勢いのままに浮き、その腕に収まった。
「メイナードお兄さま、どうしてここに!?」
「こっちの台詞だよ! くそ、なんなんだよ。なにが起きてるっていうんだ」
「そっちではなく、厩舎に向かってください!」
「は?」
アリステアはルミナラ聖国へ向かわなくてはならないことを簡潔に説明する。
話しながら精霊術を使うと、メイナードは一瞬だけ苦しげに呻いた。アリステアの胸にも痛みが走り、いよいよ限界だと感じる。
「あいつがオルデリアの残党の筆頭かよ……だから、俺は言ったんだ」
なぜかメイナードに苦言を呈される。
「なにか知っているのですか?」
「っ……あいつだけはだめだって、言っただろ」
その理由を聞いているのだが、メイナードは口を閉ざしてしまった。
――自分が一番、オルデンの影響を受けていたくせに。
実直な性格だからこそイズリアルも利用したのかもしれない。
精霊術を使ってからメイナードはずっとしんどそうで、それほど色濃く支配されていたのだろう。
「ルミナラへ行って、どうするんだ?」
「オルデンの封印にはエルヴェルトさまが必要なのです」
「またエルヴェルト……殿下がいながら」
いつものからかいに少しだけ気が抜ける。
「俺から離れすぎるな」
庭園に差しかかったとき、アリステアを下ろしたメイナードは剣を構えた。
前方では皇室騎士団の制服を身にまとった数人が行く手を阻んでいた。
「敵だよな?」
「オルデンの支配を受けています」
「だよな。俺にもわかる。くそ、味方同士で争うなんて……おい! 警告だ。道をあけなければ命の保証はしない」
メイナードが声を張り上げても騎士たちは敵意を増すばかりで、説得の類は無意味であった。
「目伏せとけ」
甲高い剣戟が鳴り響く。
我先にと踏みこんできた相手の剣を弾いたメイナードは間髪入れずにみぞおちに蹴りを入れ、続いてきた騎士諸共花壇へと倒した。
茎が折れ、花びらを散らし、土をえぐる。
それを皮切りに激しい乱戦が始まった。
メイナードは肩や足に刃を食らいながら、それでも加減しているようだ。致命傷とならないような一撃、執拗に足を狙って行動不能にさせていた。
「――ッ」
敵をなぎ倒したメイナードがこちらを見た瞬間に目を見開く。
「来やがったな」
「お嬢さまは返してもらいます」
「端からお前のものじゃねえだろ!」
間近で鍔迫り合いが始まり、アリステアはじりじりと距離を取る。けれど先には死屍累々となった騎士たちが転がり、その目にはまだ闘志を滾らせるものもいた。
「お嬢さまを理解できるのは僕だけです」
「ふざけんな!」
イズリアルが剣を振るうところを見るのは初めてだ。皇室の騎士から習っていたというだけあり、メイナードと互角に渡り合っている。
――いや、違う。
メイナードの全身はひどく強張っていた。まるで、自由の利かない体を無理やりに動かしているみたいに。
――イズリアルがオルデンの力を使っているんだ。
精霊術を使った効果なのか、メイナードは支配に抗っている。だから、イズリアルの剣筋に紙一重で合わせて攻撃を防ぐので精一杯だ。
「お前みたいな危ないやつに、アリステアは渡さない」
「口ではどうとでも言えます」
ギギ、と二人の剣が拮抗する。
「あなた方はお嬢さまを蔑ろにしたではありませんか」
「それは……っ、お前がそう仕向けたんだろ!? お前が俺たちのなかを引き裂いて」
「もとからあった感情です。あなたの心の底に眠っていた欲望を、目覚めさせてあげただけにすぎません」
「っ……余計な世話だって言ってんだよ!」
「――ッ」
己を鼓舞するように叫んだメイナードがさらに踏みこみ、腕を振り抜いた。
――私に、できること。
アリステアは両手をきつく組む。
メイナードが勝ち、イズリアルが止まること。それを願うばかりである。
マナを取りこんで、メイナードとイズリアルに流す。胸が痛み、口のなかに鉄の味が広がった。
それは内側からあふれたものか、噛みしめる唇から流れたものかはわからない。それでもアリステアは祈ることをやめない。
それだけが、今、できることだから。
「どう、して……」
「軽いんだよ!」
イズリアルの剣はメイナードの力に押し負けて大きく跳ね上がる。剣が落ちるより早く、メイナードは手のなかで剣の向きを変え、イズリアルに振り下ろした。
「ぁ」
刃は肩口をなぞり、膝をつかせるのに充分な一撃だった。
くるりと弧を描いた剣が花壇に刺さったとき、どさりとイズリアルが地面に伏す。
「もう諦めろ」
「いや、だ……」
メイナードが剣の切っ先を首筋に突きつけても、イズリアルは負けを拒絶する。
「お嬢さま」
「もう、終わり。お願いだから、終わって、イズリアル」
「終われ、ません……」
ぜえぜえと息をするイズリアルは片腕を動かして、這いずるようにして進もうとする。
「ほしい」
「そればっかり。私は、あなたのものじゃない」
「誰にも、取られたくなかったのです」
「まるでおもちゃを取り上げられた子どもみたい」
イズリアルは苦しげに血を吐き、激しく咳きこんだ。
「謝り、ます。だから、だから……」
「謝ったところで、あなたが壊したものは戻らないわ。どれだけの人間が、犠牲になったと」
「だから! 謝ります! 皇太子にあなたを取られると思ったから!」
「私たちはきっと、一緒にいちゃだめだったのよ。離れているべきだった」
アリステアのことが好きだから。皇太子に取られないように。どこまでも自分本位なイズリアルは、すべてが自分のためであることに気づけない。
「もういいだろ。聞くに堪えない」
黙って話を聞いていたメイナードが目配せをする。
「こいつさえいなければ、オルデン教も瓦解するだろ」
「止めてください、お嬢さま。僕は、あなたの執事です。あなたのための、僕なのに。いやです、あなたのいない世界になど、行きたくありません。お願いです、お嬢さま……」
イズリアルの懇願は心を容赦なくざらりと撫ぜる。
「あなたが、ただのイズリアルであったなら……」
「お嬢さまを失わないために、そうするしかなかったのです」
「あなたがこんなことをしでかさなかったら、これからも一緒にいられたかもしれない」
「仕方、ないでしょう……」
淡々と紡がれていた言葉が、ふいに揺れた。
「だったら、僕はどうすればよかったのですか? 好きでオルデリア王家に生まれたわけじゃない。ほんの、出来心だったのです。一介の執事が、帝国の皇太子に勝つには……利用できるものを利用して、なにが悪いのですか!?」
堰を切ったように灰色の目から涙がこぼれ落ちる。
「好きになってしまったのだから、仕方ないでしょう!?」
アリステアは詰めていた息を吐く。体からも力が抜けていくようだった。
「なって、しまった――そうね、間違いだったのよ」
「――」
イズリアルは凍りついたように目を見張った。
「……ちがう。まちがいなんかじゃ……ぼくは」
「――ああ、ここにあったのね」
イズリアルの弱々しい声は、心躍るような遠慮のない声に飲みこまれていた。




