四十六話 だって
「己の神を封殺できるものを生かし続けると? どれだけ耳心地のいいことをのたまおうが、いずれは暗殺を謀るに決まっているだろう」
さらりと怖い宣言をされ、アリステアは身の毛がよだつ。だが、セオドアの予想を一蹴するには信徒たちの敵意が邪魔をする。
「公女との未来を本気で考えるのなら、俺に協力するべきだ。オルデリアの残党を一人残らず差し出せば、公女との婚姻を許可してやってもいい」
「私を売るつもりですか!?」
「俺が許可してやるというだけで、受け入れるかは公女次第だ」
セオドアはわざとらしく肩をすくめる。
「勝手に話を進めないでくださるかしら、お兄さま? そんなことをおっしゃって……どうせ皆殺しにするのでしょう?」
「俺は約束を守る男だ。愛する妹ならそれをわかってくれていると思っていたが……理解を得られなくて残念だ」
ぎり、と皇女が唇を噛んだ。
『アリステア、反応しないで。わたくしの声を、精霊を通して届けているわ。あなたに、お願いがあるの』
それは、精霊から伝えられるラシェルの言葉だった。
『落ち着いて聞いてちょうだい。オルデンの封印はすでに解かれているわ』
こぼしそうになる衝撃を、アリステアはすんでのところで飲みこんだ。
『わたくしの代わりにエルヴェルトが封印を担っていたのだけれど……あの子の生死は、わからない。精霊が応えてくれないの。だからあなたには、今すぐルミナラ聖国へ向かってほしいのよ』
「公女……?」
アリステアは無意識のうちにセオドアの袖を掴んでいた。ぎゅう、と強く握らなければ、倒れてしまいそうだった。
『あの子が生きているのなら、オルデンの再封印には不可欠よ。もしもの場合は……わたくしだけで封印を、なんとしてでもしてみせるわ』
ふと、頑なに目を伏せていたイズリアルがじっとラシェルを見下ろしていることに気づく。その目に温度はなく、横たわるラシェルに留まっていた。
「……殿下、イズリアルの気を引いてください」
アリステアはイズリアルから目をそらさず、唇を震わせた。
――なにか、勘づいて……。
イズリアルは明らかにラシェルの動向を窺っているようだった。
『わたくしは精霊に守られているから、大丈夫よ。兄君やオルデン教の支配下に置かれたものもわたくしが守り抜くわ』
ラシェルの言葉を必死に拾うアリステアは、隣から回された腕に気づかなかった。
「その目になにを映すかと思えば、ずいぶんと自惚れているじゃないか。ベルジックの別邸で、公女の気を引くためにメイドを階段から突き落とそうとした男と同一人物とは思えないな」
肩に置かれた腕にそっと抱き寄せられ、腰までぴたりとセオドアと密着した。
――気を引いてとは言ったけど!
群青色の目にぱくぱくと口を動かす自分の姿が映る。
「なにか策があるのか?」
「ラシェルさまは、エルヴェルトさまが必要だと……っ。この場から脱出しなくては――」
極限まで声を潜めるせいで自ずと距離をなくさざるを得ず、アリステアは必死に言葉を紡いだ。
「今、アリステア・ベルジックの隣にいるのは――この俺だ」
セオドアの声が朗々と響くなか、アリステアはそれを聞く。
『ルミナラは、あなたを守ってくれるわ』
瞬間、セオドアは振り向きざまに信徒の顎を肘で打ち抜いた。膝から崩れ落ちるより早く、セオドアはアリステアを軽々と抱き上げて走り出した。
「ちょっと、イズリアル!? 勝手なことを……追うなら命令を出してから行きなさい!」
後ろから皇女の声が上がるが、すでに広間を飛び出したあとである。重装備の騎士たちにはすぐさま追うことが不可能だ。
「エルヴェルトはなぜ必要だ」
これまでの疲労を感じさせない走りで、廊下を進む。
「オルデンの封印がすでに解かれているそうです。再封印にはエルヴェルトさまの力が必要と」
「まだ、精霊術は使えるか? 事態は急を要する。またあの方法で行くしかないが」
「つか、います」
アリステアは心を奮い立たせるように答える。
あの場でセオドアはラシェルを助けたかったはずだ。焦がれたはずだ。手の届く距離にいたのだから。
だが、手を伸ばさなかった。
だから、一度でも別れの言葉を交わせたアリステアが、引き裂かれた二人の前で泣いていいわけがないのだ。
――死んだと決まったわけじゃない。
どうしようもなく目の奥が熱くて、息がうまく吸えなくても、信じることだけはやめない。だって、この体を巡るマナがとても優しく感じるから。
「二手に分かれましょう。リュシアンさんに馬の乗り方は教えていただきましたので、拙くとも走れます」
「――」
「イズリアルはきっと、私を追ってきます。その間に、殿下はラシェルさまの救出を」
「待て、なにを」
「エルヴェルトさまに万が一のことがあれば……どちらにせよ、ラシェルさまの奪還はなさなくてはならないことです。イズリアルや騎士たちが離れた今が、好機なのではありませんか?」
正直、精霊の助けがあろうとアリステアがルミナラ聖国まで辿りつくのは非現実的だ。
エルヴェルトが生きている保証もないならば、確実に生きているラシェルの救出を優先したほうが合理的である。
短くない逡巡の末、セオドアはぐっと奥歯を噛んだ。
「西側に厩舎がある」
そうして、命がけの鬼ごっこが始まった。
セオドアは騎士たちを、アリステアはイズリアルを引き受けるつもりでそれぞれが走る。アリステアのほうには幸い人がおらず、急突貫でセオドアから教わった経路通りに進むことができた。
「あとはこの棟を迂回すれば……」
無事に外へ出たアリステアの頬を冷たい風がなぞっていく。
「うっ」
冷えた空気に満たされた肺に鋭い痛みが走り、アリステアはふらりとよろめいた。
「ああ、こんなに汚れてしまって。早くお部屋で休みましょう」
ぬっと伸びる手に気づいたときには、アリステアの腰には腕が回され、手首は腕を重ねるように掴まれていた。
「ベルジック邸では満足できなかったのですよね? お嬢さまに相応しい場所へお部屋をご用意しましたから」
だから帰りましょう、とイズリアルが空虚な声で囁いた。
「これほどの苦しみ、甘んじて、受け入れます」
精霊術が使われることをわかっているだろうに、それでもイズリアルは離れなかった。
「お嬢さまを失わないでいられるなら」
「っ……放して!」
精霊術だけでなく腕を振り払おうと対抗するが、先に限界が来たのはアリステアだった。もみくちゃになりながら、二人はもつれるようにして倒れこむ。
どん、とアリステアは背中に地面がぶつかる衝撃があり、イズリアルが覆いかぶさる形で、けれどアリステアの顔の横に片手をついた。
「危ないです、お嬢さま」
それでも、頭を打たないよう、後頭部に回されたイズリアルの手の感触に、感情がぐちゃぐちゃになる。
「なんで、裏切ったの……?」
口の端からこぼれた声は案の定、震えていた。だが、意地でも涙はこぼさない。
「裏切ったつもりはありません。僕はお嬢さまの執事です」
皇女の従者となった男が、なにを言うのか。
「皇女と手を組んで他国の王女を誘拐して、オルデン教の信徒ともに皇宮を占拠して、皇太子と敵対して……これが裏切りでないというのなら」
「――お嬢さまさえいてくださればいいです」
アリステアは息を詰まらせる。
「皇女も、皇太子も、オルデン教も、どうでもいいです。ただ、お嬢さまを失わないためにはこうするしかなかったのです」
「どうして、そこまで」
「好きだからです」
当然とでもいうように、イズリアルは淡々と口にした。
「好き、だから……?」
「ようやくまた一緒にいられると思ったのに、次から次へと邪魔が入って。僕はずっと、お嬢さまを待ち続けていたのに」
がり、と土を削る音がした。
――私は、あなたが待っていた『アリステア』じゃないのに。
むしろ、奪ってしまった。
「もう、やめて」
「お嬢さまが僕のそばにいてくださるなら」
「やめて……」
ぷつん、となにかが切れる。
「私は、あなたが待っていた『アリステア』じゃない……っ。意味がわからないと思うけど、嘘じゃない。この体は『アリステア』だけど、本物の『アリステア』じゃなくて、私は、偽物なの……」
口からついて出たそれに、イズリアルはきょとんとし、目を瞬かせた。
「まさか、ずっとそれを気にしておられたのですか? なんだ……お嬢さまが別人であるということくらい、知っていますよ」
それから、いつものように微笑んだ。
「――お嬢さまを殺したのは、僕ですから」




