四十五話 混沌化
「なんだか、驚くほど変わりがありませんね……?」
皇女の誕生パーティー以来の帝都は、オルデン教の支配が広がっているとは思えないほど賑やかで、平和そのものであった。
「やつらはすでに国の中枢を制圧している。わざわざ敵と混乱を生む必要もない。オルデリア王族にしたように王侯貴族を傀儡とするつもりなのだろう」
皇宮へ近づくにつれ、異様な静けさに包まれていく。馬車の往来どころか人の姿がどこにもなく、まるでゴーストタウンのようになっていた。
「殿下、これからどうするおつもりですか?」
「どうとは?」
貴族たちの壮麗な別邸が軒を連ねる向こう、白亜の城壁が見えた。
「警備は厳重でしょう。その、皇族だけが知る秘密の通路のようなものはないのですか?」
「あるにはあるが……そんなまどろっこしいことをしている時間は」
「止まってください!」
「っ……危ないだろう! なぜ手綱を……素人が触れるな」
渋々といった様子で馬を止めたセオドアは眉を吊り上げて振り返った。
「なぜ人知れず潜入できる通路があるのに使わないのですか!」
「皇宮にどれだけの人間が勤務していると思っている。どうせすぐに騒ぎになる」
「だからと言って最初から多くの敵に追われる必要はないでしょう。城のものたちを、ラシェルさまを盾にされたらどうするのですか? たとえすぐに潜入が露見するとしても、策を練らせる時間はなるべく短くさせるべきです」
短い問答の末、二人は人目を避けて皇宮内へと入った。オルデン教のローブは捨ててしまったため、擬態する方法は使えない。
複雑な地下通路を抜ければ、変哲もない客室へと出る。
途中、遭遇した皇宮勤めはセオドアが速やかに気絶させ、アリステアが精霊術を流していく。
オルデン教の信徒は躊躇わず喉を切った。セオドアは声を奪うだけだと言ったが、処置がなされなければそのまま息絶えるだろう。
「各地に散っているからか、オルデリアの残党は少ないな」
もう何人目かの従僕を気絶させたセオドアが首の骨を鳴らした。
「苦しくはないか?」
「少し胸が痛いですが、大丈夫です」
従僕を廊下の端に寝かせながら答える。
一週間もしないうちにいくつも国境を越えたのだ。特にここ二日ほどは十分な休息をとれておらず、とっくに限界を迎えていた。
――普通なら、倒れてもおかしくない。
アリステアは無茶をしている自覚がある。セオドアやリュシアンの体力についていけるはずがないのに、どうしてかアリステアはこうして精霊術も使えていた。
「皇女宮にいないとなれば……移動するぞ」
「どちらに行くのですかー?」
「んっ!?」
立ち上がったとき、背後から腕を掴まれた。声を上げるよりも早く強い力で体を引き寄せられ、口元を手でふさがれる。
「家出はおしまいですかー? あー、ここは皇宮でしたっけー」
ど、ど、と心臓が大きく脈打つ。
「動かないでくださいー。殺したらだめって言われているのですがー、ほかはなにも言われていないのでー。それー、置いてもらっていいですかー?」
険しい顔をしたセオドアは、オルデン教の信徒に向けていた剣を下ろす。
「聞こえませんでしたかー?」
「っ」
腕をひねられ、アリステアはくぐもった悲鳴をこぼす。
――殿下なら、すぐ制圧できるのに。
からん、と剣が落とされた。
不殺の言があろうと、セオドアはアリステアが少しでも傷つけられない道を選んだ。
「俺の首がほしいのか?」
「えー? 僕は別にー。でもー、教祖さまとー、皇女さまはほしいみたいですー。僕はー、この精霊術師の首のほうがー、ほしいですけどー」
口を覆っていた信徒の手がするりと下がっていき、今度は首を掴まれる。
「んー、どこだったら苦しくなるのですかねー」
信徒はアリステアが呼吸できているのを不思議そうにのぞきこみ、指先を動かした。
「でん、か……」
たしかめるように這う指先はときおり強く押しこまれ、空気の通り道を探しているようだった。
「私のことは」
「ああ、おいたわしや」
置いていってと続けようとしたが、しゃがれた声が割って入った。
「同胞たちよ。安らかに眠りたまえ」
「あー、教祖さまー」
教祖と呼ばれた老婆はすり合わせていた手をぴたりと止めた。
「どこで油を売っていると思ったら、お前もたまには仕事をするんだね」
「ひどい言い草ー」
けらけらと笑う信徒だが、拘束する手は緩まない。
「お前は……」
「では、まいりましょう。我々もむやみな殺生は望んでおりませんこと、どうかご留意を」
「ほらー、歩いてー」
ぐっと背中を押すように突き放されたアリステアはセオドアと一瞬だけ視線を交わし、ひとまずは大人しく従うことにした。
「不敬者が」
隣を歩くセオドアが忌々しそうに舌打ちをした。
アリステアにもこの通路には見覚えがある。
――玉座のある大広間。
皇女の誕生パーティーでも使用された広間の前には、鎧を着た騎士二人が待機していた。老婆に頭を下げてから、重々しい扉が開けられる。
「あら、お兄さま。もうお帰りになられたのですね」
あの日、皇帝が鎮座していた玉座に皇女がもたれていた。
「公爵令嬢も一緒だと聞いて、急いで用意しましたのよ」
皇女が頬に手を添え、口角を上げた。
「お兄さま」
「王女」
アリステアとセオドアの息のような声が重なった。
皇女の隣にはアルフレッドが座らされ、その足元にはラシェルが転がされていた。二人とも手足を縛られ、口にも布が巻かれている。どちらも意識がないのか、ぴくりとも動かない。
「その顔。喜んでくれたようでうれしいですわ。二人とも恥ずかしがってしまったのかなかなか素直にならず、運ぶのに苦労しましたの。ねえ、イズリアル?」
皇女の斜め後ろには瞑目したイズリアルが控えていた。
「イズリアル……」
「公爵令嬢はもういらないのでしょう? だから、私の従者にしましたの」
勝ち誇ったように笑む皇女は手を合わせた。
「でも、公爵令嬢がどうしてもと言うのなら返して差し上げても構いませんわ」
「話を合わせろ」
セオドアに耳打ちされ、アリステアは諸々を飲みこむ。
「どういうことでしょうか? 詳しくお聞かせください」
「イズリアルは王族の血を引いているのですって。能力も申し分なく……公爵令嬢の伴侶となる資質は充分でしょう」
「反対ー! 反対反対ー!」
後ろからわっと声が上がり、アリステアは体を強張らせる。思わず振り返ると、信徒が地団太を踏むように足をばたばたとさせていた。
「お黙りなさい。御前ですよ」
「オルデンさまー!? まさかー、まさかですよねー!? 皇女さまの戯言ですよねー!?」
老婆にたしなめられても、信徒は両腕をぶんぶんと振り回して不満をあらわにした。
「不本意ではあるが、こいつの言う通りではないか? オルデリア王族の生き残りよ。お前が公女を娶れるなどと本気で思っているのか?」
駄々をこねる信徒にセオドアが便乗し、重々しかった空気が僅かに混沌化する。
「なにをおっしゃっているのですか!? 今はそんなこと言っている場合じゃ……」
「教祖とやらも賛成していないようだが?」
セオドアがくいっと親指で老婆をさす。
「オルデン教の敬虔なる信徒は、望む世界に精霊術師が存在してはいけない理由を真に懸念しているようだが……当の神が無関心であるとは敵ながら先が思いやられるな」
沈黙を貫くイズリアルに、セオドアは生き生きとした好戦的な笑みを向けた。




