四十四話 やり直せない
「ごめん、なさい。ごめんなさい。あなたに、生きてほしいと、そう……っ」
謝罪を繰り返し、弱々しい力で握り返された手に、アリステアは我に返る。
セピア色だった視界は戻り、エルヴェルトは倒れたままだった。
「令嬢、行きましょう。今はルミナラの王女さまをお救いせねばなりません。二人を失う事態だけはなんとしてでも防がなくては」
アリステアはするりと手を離す。
――連れていかれたということは、生かしたままの利用価値があるということ。
その目的が果たされるまでラシェルの命は保証されるだろう。
ちら、とアリステアは鏡台に目をやる。エルヴェルトにかけたはずの精霊術は鏡台に持っていかれた気がした。
導くように、知るべきだというように、アリステアは過去を見せられている。『アリステア』も知らないことを。
――今は、考えても仕方がない。
エルヴェルトの傷はどうにもできない。そばについていたところでアリステアにできることはない。
アリステアはリュシアンとともに螺旋階段を駆け上がる。慣れない乗馬続きで体はとっくに悲鳴を上げている。けれど息が苦しくなって、足が上がらなくなっても、体に鞭を打った。
「――ッ」
膝が笑い、息も切れ切れに神殿を出たところで、リュシアンが前に飛び出した。
キン、と甲高い音が響き、リュシアンが何者かの剣を間一髪で受け止めたのだと遅れて理解する。
「――」
「殿下! リュシアンです!」
殺気立った群青色の目が細められる。
アリステアは自分たちがオルデン教の紋章を背負っていることを思い出し、慌ててリュシアンのフードを引っ張った。
ぱさりと外れたフードは、隠していたハニーブロンドの髪をあらわにする。
「オルデン教の信徒を欺くため、やむなく着用していたのです」
「その声は公女か」
「どうか剣をお納めください」
二人の説得により、セオドアはようやく剣を下ろした。
「腹心への最後の手向けをくれてやることに胸を痛めたのだがな」
「その割には躊躇がなかったようですが?」
どこか恨みがましいリュシアンは手をさすっていた。
その様子に鼻を鳴らしたセオドアは、ところで、と顔をそらす。
「王女はどこだ」
「ラシェルさまは、連れていかれたそうです」
「なに?」
殺気がぶり返し、アリステアは押しつぶされそうな圧迫感に襲われる。
「安全な場所にいるのではなったのか!」
「エルヴェルトさまも抗いました!」
つい言い返してしまった。けれど、エルヴェルトだって黙ってラシェルを奪われたわけではない。
彼だってラシェルを取り返したかっただろう。重傷を負い、みすみす逃すことになったとしても、それでもエルヴェルトは世界を守ることを選んだ。
「ラシェルさまを連れていった人たちのなかには皇室の騎士もいたそうです。おそらく、エレスト帝国のどこか……」
「皇室の騎士を動かせる人物、か。愚かな選択をしたものだ」
現在、貴族から皇太子に反発する声が高まっていることも報告を受けているだろう。そのうえで、セオドアが思い浮かべた顔は想像に容易い。
「お前たちはここに残り、エルヴェルトの命を繋げ」
「私も一緒に行きます」
「公女になにができる? 足手まといはいらない。俺は一刻も早く――」
「精霊術師は前線にいますか?」
アリステアはぐっと拳を握る。
――死亡スチルになりたくないから逃げ出したのに。
それが今、自ら死地へ飛びこもうとしている。
こんなことになるのなら十三年もの月日を無駄にするのではなかった。今さら悔やんでも遅いことはわかっている。
――この世界がゲームだとしても、私はやり直せない。
それでも、どうしてか突き動かされる。
「オルデン教は今も支配を広げ、エレスト帝国の中枢は掌握されていることでしょう。どうやって敵と味方を判断しますか?」
「向かってくるのなら斬るまでだ」
「そうして全員を斬り伏せたあと、なにが残りますか? どれだけ残っているでしょうか?」
僅かな沈黙が落ちる。
「オルデンの力に対抗できる精霊術師が必要なはずです。私なら支配を解くことができます」
目を細めたセオドアは長く息を吐いた。
「頼りにされては困るのではなかったか」
「困るはずでした」
だが、生きるためには逃げてはならない。
「役に立ってみせます。だから、連れていってください」
眉間にしわを寄せたセオドアは長考し、踵を返した。
「最短で戻る。弱音を吐いたら置いていくぞ」
「はい!」
「リュシアンはエルヴェルトについていろ」
「ご武運を」
アリステアはセオドアに後ろからしがみつく形で馬に乗ることとなった。
「加減はしない。振り落とされるなよ」
「殿下。追い風というものは、馬は速く走れるようになるのでしょうか?」
「いや、そう変わらないだろう。だが馬の負担は減り、より長距離を走れるようになるかもしれない」
なるべく馬の負担を減らすため、アリステアが精霊術で追い風を吹かす。馬が疲れたら近くの町村に立ち寄り、馬の交換をすることで休息を最低限にエレスト帝国へとんぼ返りで戻ることとなった。
「腕を緩めるな!」
いくつかの町村で馬を乗り換えたころ、セオドアの怒声にアリステアは歯を食いしばり、扇を強く握る。
二人は想像以上に長い距離を進んでいた。とはいえ、ルミナラ聖国を抜けるとすぐに補正はなくなり、精霊術を使い続ける負担がアリステアに重くのしかかる。
――体中が痛い!
馬を変える僅かな時間だけでも休みたいと思ってしまうが、少し前に小さな村を素通りしたばかり。このまま夜通し走り続けるのだろうと気が遠くなった矢先、馬の速度が緩んだ。
精霊術がとけたかと顔を上げれば、そこは小さな村だった。人の気配はなく、家屋の様子からして廃村のようだ。
「もう日が沈む。ここで一夜を明かすが、日が昇り次第出発する」
「休むのですか?」
「夜の森を抜けるのは危険だ。俺一人ならまだしも、公女がいては不可能に近い」
完全にお荷物である。肩を落とすアリステアには目もくれず、セオドアは家屋をのぞいていた。
「賊にやられたか」
いくつかの家を確認したセオドアは戸を開いては閉じ、最終的に村はずれの小さな家を選んだ。
こぢんまりとしながらも暖炉があり、残された薪も使えそうだった。
「怒鳴って悪かった」
「はい?」
ぱちぱちと燃える暖炉の前、干し肉をかじったセオドアが謝罪を口にした。
「いえ、私が気を抜いていたので……殿下が喝を入れてくださらなければ落馬していたかもしれません」
「それもそうだが、馬上のことではない。ルミナラでのことだ。公女に言うべきことではなかった」
「大切な人が連れていかれたのですから、余裕もなくなりましょう。殿下のお気持ちは痛いほどわかります」
皇宮へと向かった公爵とアルフレッドのことが心配だ。彼らは連れ去られたわけではないが、状況的におびき寄せられたと言っても差し支えないだろう。
こんなにも心が揺れ動くようになるとは思ってもみなかった。
「――」
ふと、セオドアが難しい顔をしていることに気づいた。
「なにか気にかかることがあるのですか?」
「気にするな」
「まさか、照れているのですか?」
「そんなわけがないだろう」
セオドアの耳がほんのり赤くなっている気がした。それを指摘すれば、「暖炉のせいだ」とはぐらかされる。
「余計なことに体力を消費するな。さっさと休め」
アリステアはセオドアの言葉に甘えて一足先に眠ることにした。
目を瞑れば、家族やエルヴェルト、イズリアルが脳裏に浮かぶ。
――私が、イズリアルを止めなくちゃ。
暖炉のなかを舞う火の粉が、ぱちりと爆ぜた。




