四十三話 鏡台
「神殿内部にオルデリアの残党はいないみたいですね」
あっという間に敵を制圧したリュシアンは、刃についた血を拭うと剣を鞘に収めた。
複数人を同時に相手取るなど、かなり激しい動きをしていたにもかかわらず、呼吸は一切乱れていない。
「地下への入り口はどこにあるのでしょうか。闇雲に探していてはオルデリアの残党が集まってしまうかもしれません」
リュシアンが仕留めたのは神殿近くにいたオルデン教の信徒たちだ。道中に奇襲をしかけてきたものたちがあとを追ってこないとも限らない。
アリステアは両手の指を組み、マナを取りこむ。
――地下の入り口へ……!
びゅう、と強い風が吹き抜けた。
『こっちだよ』
精霊の声がはっきりと聞こえた。
ここは精霊と精霊術師の国。アリステアの弱い力も多少は増幅されているのかもしれない。
「リュシアンさん、ついてきてください」
「え? はい、お願いします」
風が導いたのは本殿の最奥だった。
柱とステンドグラスに囲まれたそこは、神殿に訪れたものが祈りを捧げる場所だったのだろう。
奥には祭壇があり、ところどころひび割れたステンドグラスからの光を受けて鮮やかにきらめいていた。
「ここに地下への入り口が?」
「風はまだ続いて……あっ」
「台座がずれていますね。……これは螺旋階段! どうやら地下への入り口のようです」
祭壇の台座の下には大きな四角い穴があり、深く階段が続いていた。
「どうされました?」
じっと深淵を見下ろすアリステアに、リュシアンは首を傾げた。
「外にはオルデン教の信徒がうろついていましたよね」
「数は多くありませんでしたが、それがどうされたのですか?」
「あまりにも不用心ではありませんか?」
地下にはラシェルがいるのだ。いかにもな場所を大っぴらにしておくなど危機感がなさすぎる。
ここを最後に通ったのが精霊術師であるならば。
「急がなくちゃ」
アリステアは手のひらを上に向け、光のうさぎを作り出す。エルヴェルトとの特訓の成果は二人の行く先を照らすには充分な光となった。
「できた……っ」
正直、光を生み出せるかは五分五分だった。
――精霊が助けてくれている気がする。
体中にマナが巡り、力があふれてくる。
光のうさぎはアリステアの手から離れ、深淵へと跳びこんだ。
「行きましょう、リュシアンさん」
「お手を」
「あ、りがとう、ございます」
差し出されたリュシアンの腕に、アリステアはぎこちなく腕を回した。
ざ、ざ、と二人の足音が何度も壁にぶつかり、響く。下から吹き上がる風の音も混ざり、なんとも不気味な雰囲気が漂っていた。
「最下層でしょうか」
最後まで下りると、アーチ形の出口から青白い明かりが差しこんだ。
「私が先に行きます」
リュシアンが剣を抜き、構えながら進む。
アーチのすぐ横の壁に背を預けたリュシアンは、身を乗り出さないように首を伸ばして向こう側の様子を窺った。
「中央に、人が倒れています」
「え!?」
「精霊術師、おそらく男性です。ほかに人は……見えません」
短い共有にアリステアの心臓が大きく跳ねる。
リュシアンは一度こちらを向き、うなずいた。それを合図に、二人は最下層に足を踏み入れる。
最下層は地上よりもめちゃくちゃだった。争った形跡があり、意図的に破壊されたであろう像がいくつも転がっていた。
「エルヴェルトさま!」
中央には傷だらけで倒れ伏すエルヴェルトの姿があった。異様なのは、その下に巨大な魔法陣が描かれていることだ。
「息はあります」
リュシアンが首元に手を当て、エルヴェルトの容態を確認する。
「でも、ひどい怪我です。まずは安全な場所に移動させて――」
周囲を見回したアリステアの視線がぴたりと止まる。
「……なんで」
吐息のような声は、リュシアンには届かなかった。
「ここにあるの?」
最下層の奥に鎮座するそれは、高さが三メートルはありそうな巨大な鏡台だった。
黒ずんだ木枠に支えられた三枚の鏡はひび割れ、惨状を映していた。
「う、あ……ううっ」
ずきりと頭に鈍い痛みが走り、ふたをしていた記憶が引きずり出される。
――あの鏡台は、倒れてきた展示物!
前世の最期の記憶。訪れていたアンティーク展で鑑賞中、発生した地震で倒れてきた鏡台に押しつぶされた。
――鏡に映った自分を、今でも覚えている。
めまいがした。心なしか地面も揺れている気がしてへたりこむ。
「は、はあっ……はッ」
「令嬢!?」
「こ、じょ、さま……?」
今にも消え入りそうな声にアリステアは引き寄せられるようにゆっくりと振り返る。
リュシアンによって仰向けにされたエルヴェルトは必死に呼吸をしていた。
「王女、さまが……つれて、いかれ……げほっ」
アリステアは思わずエルヴェルトに近づき、手を握った。
「皇室の、騎士も、いました。公女さま、お願いが……」
「わ、私にできることなら……いえ、なんだってしてみせます! 私はなにをすればいいですか!?」
アリステアは鏡台への動揺を振り切った。
「王女さまを、助けてください……」
エルヴェルトの口端に血が滲む。
「王女さまが連れ去られた以上……私はここを、離れられません。私が、封印を……うっ」
絶えずエルヴェルトから魔法陣へマナが流れているのを感じる。重傷を負ってもなお責務を果たそうとする姿にアリステアはいてもたってもいられない思いだった。
「大丈夫です、エルヴェルトさま。だからもう喋らないでください」
少しでも回復してくれたらとアリステアは精霊術を使う。
その瞬間、アリステアの世界は一瞬にして色褪せ、セピア色となった。
「……え?」
横たわるエルヴェルトも、見守っていたリュシアンの姿も、どこにもなかった。
それどころか、争った形跡もなければ破壊のあともない。厳かな雰囲気の聖堂がそこにはあり、あの鏡台も汚れ一つなく綺麗に佇んでいた。
「オルデンが封印されている場所に、僕が入ってもよろしいのですか?」
「この世界を救うため、儀式を行うわ」
「儀式、ですか」
――ラシェルさまとエルヴェルトさま? 今よりも幼い。 ……え、声が出てない!
咄嗟に喉を押さえたアリステアは魔法陣の上に立っていた。慌てて離れるが、こちらへ歩いてくる二人にはアリステアのことは見えていないようだ。
「ルミナラ王家にはとある伝説があるのよ。詳細は明かせないけれど、成功すれば……きっと、私たちを救ってくれる」
「僕は、なにをすればよろしいのですか?」
頬を固くするエルヴェルトから、ラシェルは視線を鏡台へと移した。
「あの鏡にマナを流し続けてほしいの」
「鏡に、マナを? マナを流したら、どうなるのですか?」
「言ったはずよ。詳細は明かせないと」
「申し訳ありません……もう、流してもよろしいですか?」
「ええ。全力で流し続けて!」
ぶわりと膨大なマナが流れた。
ラシェルがなにかを口にするが、アリステアには聞き取れない。
やがて、カタカタと聖堂全体が揺れ始めた。
「王女さま! 本当によろしいのですか!?」
「足りないわ! 出し惜しみしているの!?」
「くっ」
歯を食いしばるエルヴェルト、呪文を唱えるラシェル。二人は強い光に包まれていく。
――あ。
ふいに、三面鏡の右側の一枚に、ピシ、と鏡にひびが入った。
――思い出した。
アリステアは二人の儀式を眺めながら、ぼんやりと気づく。
――カーソル音と選択音だ。
『愛されたい皇女さまの野望』で使用されていた、選択肢を動かしたときに鳴るカーソル音と、選択肢を決定するときに鳴る選択音。
それが、あのときにも聞こえた『ピシ』と『パリン』だった。
ひびは左側の一枚にも入り、最終的に真ん中の一枚にまで伝播した。
パリン、と音が響いたとき、ラシェルとエルヴェルトは文字通り弾かれるように吹き飛んだ。光が霧散しながら二人はごろごろと転がり、ラシェルが先に起き上がった。
「――」
割れた鏡から、淡い炎のようなものが出てきて、どこかへ飛んでいく。
「あっ、だめ。行かないで!」
「ごめん、なさい。王女さま。急に、うぐっ……失敗、して」
「っ……失敗じゃないわ、エルヴェルト! あなたは、私たちは成功したの。したのよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい! 僕では、力不足だったのです。僕なんかが、王女さまの力になど……」
「だから――えっ?」
エルヴェルトを励ますラシェルの金の目には、ふわふわと鏡に吸いこまれる淡い炎のようなものが映っていた。




