四十一話 望まない
「まったく隙がない……」
アリステアはテーブルに突っ伏し、イズリアルの用意周到さを恨む。
朝はイズリアルが起こしにきて、夜は眠るまで見守られる。一度、寝たふりをしてイズリアルが部屋を出たあとに脱出を考えたが、それも想定内らしい。庭には多くの騎士が配置されていた。
――むしろ、イズリアルがそばにいるときのほうが監視は薄い。
イズリアルは基本的に自分でアリステアを監視し、やむを得ない場合のみメイドや騎士に代わりを任せていた。
――こんなとき、助けてくれる侍女とかがいたら。
あいにく、そのポジションにいたのはイズリアルだ。彼が反旗を翻した今、アリステアは孤立無援になってしまった。
「オルデンさまー」
どんどんと扉が叩かれ、アリステアは思わず顔を向けた。特徴的な口調に心のなかがさざ波立つ。
「いますよねー? わかっているんですよー? 教祖さまからー、伝言ー? 報告ー? が来ていますー」
狩猟大会に潜りこんでいたあの信徒だ。
壁際のイズリアルは煩わしそうな顔で無視を決めこんでいた。アリステアの視線に気づくと、イズリアルは小さく息を吐いて扉を開けた。
「要件は」
「だからー、言ったじゃないですかー」
「だからあなたが伝えにきたのではないのですか?」
「えー? そんなことしませんよー。オルデンさまをー、呼びにきただけですー」
フードの下の口が弧を描く。
「ではその方を連れてきてください」
「ここにですかー? それはー、やめたほうがいいと思いますー」
「あなたが面倒なだけでしょう」
「まさかー」
信徒は指先でフードを少し上げ、隙間からこちらをのぞく。
「だってー、精霊術師に聞かれるじゃないですかー」
「なにか問題が?」
イズリアルは苛立たしげに腕を組んだ。
「精霊に伝えられてー、情報が筒抜けになりますよー」
信徒の警戒にアリステアは愕然とした。
――その手があった!
精霊の姿も見えず、声も聞こえないアリステアにとって、精霊術ではなく精霊に頼るということ自体が盲点であった。
――エルヴェルトさまも万一があれば精霊を通して伝えるって言っていたのに。
あろうことかオルデン教の信徒に気づかされるとは。
「情報を抜かれたところでどうにもできませんよ。厄介な方々には退場していただいていますから」
「でもー、伝令はー、深刻そうでしたけどねー。オルデンさまの力がー、必要なんですー」
信徒に懇願されたイズリアルは少しの逡巡のあと、短く息を吐いた。
「メイドを呼んでください」
「僕が見ていますよー。そんな時間もー、かけませんよねー?」
「……この位置から絶対に動かないでください」
「精霊術師のことなんてー、嫌いですからー、近づきませんよー」
イズリアルと入れ替わる形で信徒が壁際に立つ。
「さっさとー、殺せばいいのにー」
まるで、親に怒られた子どもが不満をこぼしたような声音だった。内容はまったく可愛げがないが。
「お前さえいなければー。精霊術師はー、根絶やしにしないといけないのにー」
恨み言は増していくが、信徒はイズリアルの指示を律儀に守っている。
次第に発言が過激になっていき、雲行きが怪しくなり始めたときだ。ごき、と鈍い音と同時に信徒の短い悲鳴が聞こえた。
「え?」
一拍遅れて顔を向けると、信徒は床に伏していた。
「なっ」
仲間割れだろうか。
信徒の傍らにはローブ姿の人物が立っていて、足先で信徒の意識を確認していた。
「お静かに。私です」
「あなたは……リュシアンさん!?」
「また会えてうれしいです」
緩く波打つハニーブロンドの髪の男性はリュシアン・クローベル。皇室騎士団所属であり、皇太子の護衛騎士だ。
「どうしてここに? どうやって!?」
アリステアは声を抑えながら、けれど疑問を叫ぶ。
「説明はあとにして、まずは脱出を。大変ご不快かと思いますが、こちらをご着用ください」
リュシアンが差し出したのはオルデン教の紋章が入ったローブだ。
「こちらの持ち主にはお休みいただき、せっかくですので拝借させていただきました」
リュシアンは茶色の目を細めて笑う。
その余裕に、少しだけ平常心を取り戻せた。
「フードもお忘れなく」
アリステアがローブを羽織っているうちに、リュシアンは窓から外を窺っていた。
「では、抱えさせていただいても?」
アリステアは急いでクローゼットの奥に隠していた鞄を引っ張り出し、そばへ寄る。
「失礼いたします」
リュシアンはアリステアの背中と膝裏に腕を添え、そっと抱き上げる。
ふわりとした浮遊感に、「しっかりと掴まっていてください」という言葉の途中で、首に手を回してしまった。
「あの騎士の姿が見えなくなったら、走ります」
「ここから飛び降りるのですか……?」
「絶対に落としません。私を信じてください」
リュシアンが顔をこちらへ向け、安心させるようににこりと笑う。思っていたよりも近い距離に、心臓が高鳴った。
「ベルジック令嬢も、そちらを落とさないようにお気をつけください。激しく揺れる可能性がありますので」
「これは逃走資金として念のため用意していたものです。なるべく死守しますが、落としたとしても足を止めないでください」
「なるほど。承知いたしました」
アリステアはぎゅっとリュシアンにしがみつく。間に鞄がある分、密着は抑えられる。
「そろそろ、行きます。三、二……」
「一」とリュシアンが窓を蹴破った瞬間、部屋の扉が勢いよく開いた。
「お嬢さま……っ」
血相を変えて飛びこんできたイズリアルは足元の信徒に気づかず、足をもつれさせて膝をついた。
「待って、待ってください、お嬢さま!」
「彼も連れていきますか? ついてこられるのならですが……」
「だめ! イズリアルはオルデリア王族の生き残りです!」
アリステアの返事を聞くなり、リュシアンは走り出した。
「お嬢さまを返せ!」
「イズリアル、ここでお別れよ」
「だめだ! なんのために、僕がここまでしたと……っ! 行かないで――止まってください」
バルコニーの柵に足をかけたリュシアンの動きが鈍る。
「きゃっ」
ぐらり、リュシアンの体が傾き、アリステアは咄嗟に精霊術を使う。
「っく」
落下中にリュシアンは正気を取り戻したようだ。アリステアをかばうように身をよじった。
精霊術はリュシアンだけでなく、すぐそこまで追い縋っていたイズリアルにも届かせる。
――イズリアルを止めて。私たちを助けて!
ふわりと風が起こった。
それはリュシアンが空中で体勢を整えるのを助け、二人からイズリアルを隔てた。
「いやだ、いやだ! 僕の……お嬢さまっ」
「私は、私一人が静かに暮らす未来は望まない。この家には家族がいなくちゃ。私を目の敵にする人たちとなんて、一緒にいられないわ」
「だったら、全員殺しますから。僕と二人で……お嬢さまが望むなら、もとからいた使用人は残しますから!」
「そういうところよ、イズリアル」
周囲のマナを集め、強く押し出してイズリアルにぶつける。
「――」
三者三様の呻き声が響く。
イズリアルは頭を押さえ、アリステアは胸を押さえ、リュシアンは地面を転がった。
「強い衝撃を与えてしまいました。つらくはないですか? 令嬢? ベルジック令嬢!」
「るみな、せ……こく、に」
リュシアンに届くことを祈りながら、アリステアは意識を手放した。




