三十九話 主
本邸に戻って数日、アリステアはとうとう一人で留守番をすることになった。
メイナードは別邸から騎士団の招集に応じ、公爵とアルフレッドはアリステアとともに本邸へと戻ったが、皇帝から謁見の許可が出るとすぐに帝都へとたった。
公爵はアリステアを一人残していくことを気に病んでいたが、アリステアは自ら屋敷に残ることを選んだ。
「そういえば、過去には精霊術師の公爵夫人もいたのよね?」
アリステアは不義の子であるという噂を払拭するため、メイナードが記録を辿ってくれたことがある。
もしかしたら日記のようなものを残してくれてはいないだろうか。
「いつか生まれるかもしれない精霊術師の子のために、情報をまとめているかもしれない」
たいてい、秘密は知識の宝庫である図書室に隠されているものだ。
アリステアが部屋を出ようとしたとき、タイミングよく扉が開いた。
「どちらへ行かれるのですか?」
「え?」
不躾に開いた扉の隙間からメイドが無表情をのぞかせる。
「主さまにお嬢さまを部屋から出してはいけないと言われていますので。もう間もなくお食事をお運びしますので、室内でお待ちください。ご入用の際はお声がけを」
「あっ」
ばたん、と無情にも扉は閉められる。
――なに? なんなのあの態度!?
前世は生粋の日本人とはいえ、アリステアはもう貴族の生き方に慣れてしまった。公爵家に勤めるものたちはそれ相応の教養があり、大切に育てられた自覚もある。
だからこそ、あんな態度をとるメイドには戸惑いを隠せない。
――ちょっと待って。
アリステアはこの戸惑いのなかに、違和感を覚えた。
「……主さま?」
聞きなれない呼び方だった。
ベルジック家の使用人は、公爵のことは「公爵さま」だったり「旦那さま」だったり、アルフレッドとメイナードのことは「アルフレッドさま」と「メイナードさま」で、アリステアのことは「お嬢さま」と呼ぶ。
「主さま」などと呼ばれる家族はいない。
「まさか」
アリステアは勢いよく扉を開け、廊下に飛び出す。
「お嬢さま!?」
扉のすぐ横にはメイドだけでなく、ベルジックの騎士まで立っていた。その顔に見覚えはあるが、屋敷内だというのにきっちり武装している。
「お嬢さま、どちらへ行かれるのですか。外は危険ですからお戻りください」
「そうです! お部屋のなかにいれば安全ですから。さあ、さあ」
頬を固くした騎士が剣の柄に触れ、メイドはがしっと腕を絡ませた。
どこか様子がおかしい使用人や騎士に血の気が引いていく。
「あなたたち」
アリステアは恐怖を飲みこんで、メイドの腕を振り払う。
「――誰が主人か、わかっていないようね」
自分でも驚くほど芯の通った澄んだ声が出た。
「今、この私に剣を向けようとしているのかしら?」
「いえ……そのようなこと」
騎士は柄に乗せる手に、もう片方の手を重ねた。その顔つきはいたってまじめなのに、まるで無意識に抗っているかのように騎士の手が震える。
「誰の許可を得て、私の体に触れたのかしら?」
メイドの肩がびくりと跳ねた。
「私は、主さまの命令を……」
「その主というのは、ベルジックの公女である私よりも偉いようね? だったら、あなたの言う主さまとやらを連れてきなさい!」
しん、と静寂が広がる。
慣れない言動に心臓が早鐘を打っているが、隙を見せれば呑まれてしまうかもしれない。だから、強気に出るしかなかった。
「お嬢さま」
「――イズリアル」
騎士とメイドが頭を下げ、イズリアルに道を開ける。まるで彼がこの家の主とでもいうように。
「お嬢さまの声が廊下の向こうまで聞こえました。この二人がお嬢さまに粗相をしたようですね」
イズリアルの表情は柔らかいのに、その目に温もりはない。
「このメイドが私を閉じこめようとするのよ。おかしいと思わない?」
「一介のメイドにお嬢さまの行動を制限する権限などありません。すぐに処分いたします」
イズリアルはふわりと微笑んだ。
「イズリアルにだって、そんな権限ないでしょう」
「いえ、執事長より権限をいただきました。ですので、今は僕が使用人を統括しています」
執事長は高齢だが、その仕事ぶりはまだまだ現役だ。ベルジック家の執事長としての誇りを持つ彼が、身元不明の男にその座を明け渡すわけがない。
「お嬢さま、行かないでください」
執事長を探しに行こうとするアリステアの腕をイズリアルが掴む。
「外は本当に危ないのです。ですから、お嬢さまは部屋のなかで安全に過ごしてください。身の回りの世話は僕がしますので、不自由はさせません」
「わかっているの?」
「はい?」
アリステアは小さく息を吐く。
「私の自由を奪っているのは、あなたよ。イズリアル」
イズリアルはわずかに目を見開く。
「今は、そうかもしれません。ですが、すぐに……そうです。すぐにお嬢さまの望みを叶えられます。皇太子にはできない……僕だけができるのです。だって僕はお嬢さまの唯一で、お嬢さまも僕の唯一なのですから」
ぞわりといやな感じがした。
『オルデンに気をつけて!』
「っ……やめて!」
アリステアは躊躇せず、精霊術を使う。
案の定、イズリアルは苦しげに顔を歪めた。
「げほっ……ぅ、おかしい……」
ぼそりとイズリアルがつぶやく。
「やはり、そうなのですね? 僕を言いくるめるための、嘘ではなかった」
「っ!」
イズリアルの腕を振り払い、走り出す。
「お嬢さま!」
「自分の家でなにをしようと、私の勝手よ!」
アリステアはまず図書室へと向かった。イズリアルに抵抗した以上、今は厳戒態勢が敷かれるはずだ。少しでもほとぼりが冷めるのを待つことにする。
「かつてこの家にいた精霊術師が残したものがあるのなら、私を導いて。先人の知恵が必要なの」
アリステアは両手の指を組み、精霊に願う。
かすかに風の流れを感じた。それはあまりにも弱く、アリステアは何度も迷う。それでも、精霊が根気強く導いてくれているようだった。
「これ?」
アリステアが直感で棚から引き抜いたものは、オルデリア王国に関する古い文献だった。
「オルデリアの王族はオルデンの子孫……世界で唯一、神の血を引く一族とされ、もっとも高貴な存在である……この落書きをしたのは精霊術師? けっこう、幼稚な人もいるのね……」
オルデリア王族を崇める一文の端には大きくバツ印が書かれていた。
「やっぱり、イズリアルがオルデリア王族の生き残りなの……?」
そうでなければ、こんなにも早く屋敷内を掌握できるはずがない。
「でも、なんのために……?」
箱庭へ助けを求めても、そこにエルヴェルトとラシェルはいない。公爵もアルフレッドも皇宮へ、セオドアとメイナードも戦地へ向かった。
一人で、この窮地を脱しなくてはいけない。
「イズリアルが生き残りなら、復讐するつもりなんだ。皇太子の婚約者になると思っているから、まずは私を懐柔しようって魂胆ね」
アリステアは白銀の髪を撫でる。
「イズリアルは、私が精霊術師だということを知っている……? 私には力が通じないから、警戒してるのかも」
だから理由をつけて閉じこめようとしているのだ。
すぐに殺さないのは、公爵令嬢という立場を利用したいのかもしれない。
「――これは、オルデン? いや、オルデリア王族?」
最後のページ、余白には精巧な似顔絵が並んでいた。この精霊術師が生きていた時代の王族だろうか。似顔絵の下には人名も記されている。
――この精霊術師は王族の顔と名前を知っていたのね。
その顔触れにはどれも、イズリアルの面影が重なった。アリステアはイズリアルがオルデリア王族の生き残りだと確信する。
すべてを知られているのならここに留まってはいけない。急いで本を戻したときだった。
「――ここにいらっしゃったのですね、お嬢さま」
アリステアの喉がひゅっと鳴った。




