三十八話 もしもの話
「大丈夫か? 起きろ、アリステア!」
「こんなに大きくなって……次はなにを見せられるの……?」
「はあ? 寝ぼけてんのか?」
「っ!?」
ぼんやりとしていた意識が急激に覚醒し、アリステアはばっと起き上がる。
「メイナードお兄さまが、どうしてここに?」
アリステアは首を回し、念のため自室であることを確認する。
「うなされてたから、起こしてやったんだよ。悪い夢でも見てたのか?」
わざわざ部屋まで入ってくるとは、よほどうなされていたらしい。
「悪い夢であってくれたなら、いいのですが」
「は? お前、まじでどうしたんだよ? 熱でもあるのか? ……なさそうだけど」
メイナードはアリステアの額に手を当て、体温を比較する。
「大丈夫ですから。なにか用があって部屋まで来たのですか?」
「ああ、用があるのは俺じゃなくて……いや、あるか」
メイナードはぽりぽりと頬を指でかく。
「また出征に行くことになったんだ」
「狩猟大会も終わりましたから、命令が出たのですね」
「しばらく帰れないと思う。でも心配するなよ。殿下と一緒にオルデン教の信徒を殲滅して、安心して暮らせるようにしてやるから」
そう笑うメイナードの向こうから、視線を感じた。
扉のほうを見ると、中途半端に開いた扉を片手で支え、こちらの様子を控えめに窺うエルヴェルトの姿があった。
「ああ、あいつが部屋に入ろうとしてたから、俺が代わりに来たんだよ」
「誤解がないように申し上げますが、勝手に入ろうとしたわけではありません。ちゃんと、ノックもしてお伺いを立てるつもりでした」
「でも、アリステアの部屋には一人で来ようとしてただろ?」
「使用人に聞いたら、公女さまの部屋の場所を教えられたので、仕方なく足を運んだのです」
不本意であることを主張するエルヴェルトはメイナードからの疑い深い視線にたじたじだ。
「エルヴェルトさまもなにか用があったのですか?」
「大事な話があるのです」
「ということですので、お兄さまは出ていってもらえますか?」
「は? なんで俺が出ていかなくちゃならないんだ」
「話を聞いていたのですか? 大事な話とおっしゃられたではありませんか」
「二人きりにできるわけがないだろ!」
その目は「殿下というものがありながら」と物語っている。
「仕方ありません。私は、このまま帰ろうと思います」
「え?」
「メイナードさまの心配はごもっともです。狩猟大会での誤解もありますし……すべては軽率な私の身から出た錆ですので致し方ありません」
エルヴェルトは首を振りながら顔を伏せる。
「ですが、大事な話があるのでは……」
「またの機会にいたします。ベルジック家のみなさまには大変よくしていただき、快適に過ごさせていただきました。メイナードさまにも、公女さまにも、感謝申し上げます」
「用が済んだなら早く帰れよ」
メイナードはすっかり謝絶モードだ。
「最後に美しい庭を堪能してから帰ろうかと思います。公女さまも体に気をつけて、よくお休みください」
エルヴェルトはにこりと笑い、部屋をあとにした。
「お兄さまはいつまでいるおつもりですか?」
「え?」
「出征の準備もあるでしょう? ほら、行ってください」
「あ、おい!」
アリステアはメイナードの背中を押し、部屋から追い出した。
――なかなかしゃれたお誘いじゃない?
アリステアは再び扇を手にする。先ほどのようなことになるのではと恐怖もあるが、エルヴェルトはきっと待っている。
長く息を吐き、振り切って、精霊術を使った。
今度はちゃんと箱庭へと来ることができたようだ。見覚えのある草原にほっと胸を撫でおろす。
――さっきのはバグみたいなもの?
仮にそうだとしても恐怖が薄れることはないが。
まだエルヴェルトはいないようで、アリステアは散策で時間をつぶすことにした。
「公女さま。汲み取ってくださってありがとうございます」
しばらくして、エルヴェルトがやってくる。その面持ちは切羽詰まっているようだった。
「移動中ですので手短に話をさせてください。椅子の準備もできず、申し訳ありません」
「気にしないでください。話とはいったいなんでしょうか?」
「現在、オルデン教の信徒が各地で暴動を起こしています。私は今も一人で封印を続けている王女さまのもとへ向かいます。公女さまもお気をつけください。しばらくは屋敷から出ないほうがよろしいかと」
少しだけ早口のエルヴェルトは、アリステアの身まで案じてくれる。
「王女さまは、ルミナラの神殿――その地下におられます」
「私にそのような大事なことを教えてもいいのですか?」
「私たちにもしものことがあれば、精霊を通してあなたに伝えます。そのときは、殿下を呼んでください」
たしかに、それはアリステアにしかできないことだろう。アリステアはその役目を引き受ける。
「では、私は――」
「待ってください。いくつか、聞きたいことが」
「はい」
「故意ではないのですが、ある人物に精霊術を使ってしまいました。その際、傷ついているように見えたのです。これは、大丈夫なのでしょうか?」
エルヴェルトは頬を固くする。
「非常にまずいかもしれません。その方は……オルデンの影響をかなり受けている可能性があります」
「まさか……」
「公女さまがおられながらそのような影響を受けるということは……心当たりはありませんか?」
「……彼は、長く帝都へ滞在していたことがあります。あとは……狩猟大会の場にもいたので、そのときになにかがあってもおかしくないです」
考えこむエルヴェルトは、紫紺の目をさまよわせて眉間にしわを寄せた。
「もしかして、庭で会った彼でしょうか? 公女さまを迎えにきた、あの。彼からは少し……いやな気配がしました」
エルヴェルトは顔を曇らせる。
「殿下から、オルデリアの王族の話は聞きましたか?」
「生き残ったものがいるかもしれないという話ですか?」
「そうです。王女さまがおっしゃっていた仮定の話になりますが……生き残り、つまりオルデリア王族はオルデンの能力――欲望で他者を支配する力を使えるのではないかと」
「じゃあ、イズリアルはその生き残りに……洗脳のようなことを、されている可能性がある……?」
言いながら、荒唐無稽に思えた。
『他国からすれば神話だが、彼らからすれば史実として息づいている』
アルフレッドに習ったことが脳裏によぎる。
ラシェルの仮定がすべて事実だとすれば、イズリアルが生き残りに力を使われていてもおかしくないだろう。
以前、メイドを利用してアリステアが狙われたこともある。今度はイズリアルを使おうとしているのかもしれない。
「エルヴェルトさまはオルデリア王族の姿を知っていますか?」
「残念ながら。かつて、オルデリア王国では王族を現人神とし、神格化していたといいます。他国と交流する際は代理人を立て、決して姿を現さなかったとか」
そのため、オルデリア王族の姿を知るものはごく少数だという。
「ですが、そう不安に思われなくても大丈夫かと思います。公女さまが精霊術を使われたのなら、浄化の力が作用して邪悪な能力の影響下から抜けられるでしょう」
「それなら、よかったです」
そうして、エルヴェルトは一足先に箱庭を出ていった。
――本当に、大丈夫なの?
一人になり、アリステアの心のなかは不安で埋め尽くされた。
「大丈夫、よね。だってイズリアルは公爵が拾って――諸事情で、預かることになった?」
あの暗闇で見たゲーム画面。一度は浮かび、沈めたはずのもしもの話が、アリステアには否定しきれなかった。




