三十六話 気をつけて
『オルデンに気をつけて』
精霊の声に返事をするべきか、アリステアは迷う。
「エルヴェルトさまにもこの声が聞こえるのですよね?」
「『オルデンに気をつけて』と、その精霊は何度もおっしゃっていますね。公女さまがオルデン教の信徒に襲撃されたことに心を痛めているのかもしれません」
心があるかはわかりませんが、とエルヴェルトはぼそりと付け加えた。
「具体的に、どう気をつければいいのでしょうか……?」
「それは、私にも」
エルヴェルトはゆるりと首を振る。
エルヴェルトの話では、精霊のなかにも話し上手だったり苦手だったり、それぞれ個性があるそうだ。精霊術師とも話をせず、近づきすらしない精霊もいるという。
「お嬢さま。公爵さまがお呼びです」
「イズリアル!」
アリステアは重ねていた手をぱっと離し、エルヴェルトから距離を取る。
離れる直前、指先が絡められるように動いたのはきっと気のせいだ。
「なにかあったの?」
イズリアルはちらりとエルヴェルトを見る。
「エルヴェルトさまなら大丈夫よ。お父さまとも親交が深いから」
「緊急で家族会議を開くとのことです。部外者の方は同席いただけませんので、どうかご理解ください」
「そんな言い方はないでしょう。彼はお客さまなのよ」
「申し訳ありません」
悪びれる様子のないイズリアルは形だけ頭を下げる。
改めてアリステアから謝罪をすると、エルヴェルトは苦笑して許してくれた。
「実際、私は部外者ですから。忠誠心が高く、警戒を怠らない姿勢は素晴らしいことかと」
塩対応をされたのにイズリアルのフォローまでしてなんともスマートだ。
「ところで……どこかでお会いしたことがありますか?」
「――」
「その際、私が不快な思いをさせてしまったのでしょうか」
冷たく当たられる理由を、過去、エルヴェルトになにか不手際があったのではないかと考えたようだ。
「いえ、お会いしたことはないと記憶しています。先日の狩猟大会では主に給仕を務めていましたので、見覚えがあるのではないでしょうか?」
互いに表情が乏しく、けれど視線をそらさないがために妙な緊張感がある。
――この二人、もしかして会ったことがない……? 今が初邂逅!?
イズリアルは留守番をしていることが多い。双子はともかく、皇太子と侯爵家当主といったそうそうたる肩書きの攻略対象とは接点もないだろう。
狩猟大会ではイズリアルをエルヴェルトに精霊術で癒してもらおうともしたが、結局巡り合うことはなかった。
「もうよろしいでしょうか?」
「引き留めてしまい申し訳ありません。公女さまも私のことはどうかお気になさらず、公爵さまのもとへ」
何事もなく、エルヴェルトに見送られることとなった。
◇◇◇
「皇室から正式な書状が届いた」
執務室で双子とアリステアの顔をそれぞれゆっくりと見た公爵が、皇家の紋章入りの手紙を机の上に置いた。
「全員を集めたということは、よほど重要な内容のようですね」
アルフレッドもまだ詳細を知らないらしい。メイナードも同様に首を傾げている。
眉間にしわを寄せた公爵は大きなため息をついた。
「求婚状だ」
一拍置いて、アルフレッドとメイナードは同時にアリステアへ顔を向けた。
「アルフレッドに、だ」
「私ですか?」
アルフレッドが訝しげに公爵へと視線を戻す。メイナードも目を丸くし、アルフレッドよりも先に手紙に手を伸ばした。
「本当だ……」
手紙をなぞるように滑る目が大きく開かれる。
「皇女殿下が、アルフレッドとの婚姻を希望してるって、たしかに書いてある」
「貸せ」
珍しく、少々手荒に手紙を奪ったアルフレッドも目を走らせる。内容が信じられなかったのか、また最初に戻った。
「何度読んだって内容は変わらないだろ」
メイナードのからかいも耳に入らないようだ。
「なぜ、私に?」
「これは君命ではなく、あくまで皇女殿下の希望だ。希望だが、そう簡単に断ることもできない」
アルフレッドはベルジックの次期当主だが、それを理由にはできない。次男であり、継承権のあるメイナードがいるからだ。
「陛下はなんとおっしゃられているのですか?」
「これから謁見の申しこみをし、詳細を窺おうと思っている。前々からせっつかれてはいたが、陛下は理由なくこのようなことをなさる方ではない」
「私も同行させてください」
アリステアは二人の会話を、ぼんやりと聞いていた。耳には入るが、内容は右から左へ流れていってしまう。
――なんで、皇女に? ルートが決まった?
皇女の誕生パーティーでされた皇帝の戯れとは違い、これは正式なものである。
アリステアにとって喜ばしいことのはずなのに、どこか腑に落ちない。じわりと言葉にしがたい感情が心のなかで渦巻いた。
――狩猟大会で、私の知らないところでなにかがあった?
アルフレッドは他国の令嬢とひと悶着があったはずだ。それはまだ継続中で、皇女の話は一度も出てこなかった。
「おい、アリステア。おーい?」
「あ、なんですか?」
メイナードが手紙を目の前でひらひらと振り、アリステアに差し出す。
「お前も読むだろ?」
「いえ……私は、大丈夫です。お父さまもお兄さまも確認したのなら、改めて見る必要はありません」
皇女が攻略対象であるアルフレッドに求婚した。その事実は揺らがない。
――えっと、アルフレッドルートでは……どうやって殺されるんだっけ?
正義感や忠誠心を利用し、そそのかされたアルフレッドが直接手を下すことは少なく、人を使ってヒロインを処分していたはずだ。
皇女のため、事務的に、淡々と。妹が相手だろうと、そこに家族への情けはない。
――今は、そうじゃないと思いたいけど。
ゲームの『アリステア』は今のアリステア以上に双子と仲のいい兄妹であった。だというのにあっけなく殺されてしまうのだから油断はできない。
「ったく、無視するなよ……」
それから、アリステアはどのように家族会議が終わったかよく覚えておらず、一人廊下を歩いていた。
――アルフレッドとは距離を置くべき? せっかく許しあえたのに?
ぐるぐると思考の濁流に流されるアリステアに、声をかけるものがいた。
「お嬢さま、しっかりと前を見てください」
「あっ」
進行方向上に花瓶の乗る台があった。イズリアルに声をかけられなければぶつかっていただろう。
「ありがとう、イズリアル」
「いえ。どうかなさったのですか? あまり周りが見えていないようですが」
「うっ」
イズリアルの言葉がぐさりと刺さる。
「それが……」
アリステアはアルフレッドの話をかいつまんで話した。
「それはおめでたい話ですね。皇室の一員になれるなど名誉なことではありませんか」
「でも、お兄さまはベルジック家の当主になるために励んでいるのに。それに皇室はしがらみだらけできっと危険よ」
「お嬢さまも同じでは?」
「私?」
目を瞬かせると、イズリアルはこくりとうなずいた。
「皇太子妃、いずれは皇后ともなればその危険は比にならないでしょう。お嬢さまの望む静かな暮らしも手放さなくてはならなくなるのではないですか? 僕は心配で……不安です」
最後にささやいたイズリアルは、アリステアの手をするりとすくう。手の甲を親指でゆっくりと撫でる仕草は、大事なものを慈しむようで。
「イズリアル、待って」
「お嬢さま……僕の、お嬢さま」
イズリアルがふわりと微笑み、手を持ち上げた。キスされる、そう思ったが、イズリアルは手の甲を額に寄せた。
どきどきしつつ、ほっと瞬間。
『オルデンに気をつけて!』
「――っ!?」
本来、聞こえるはずのない声が響いた。




