三十四話 幕を閉じる
老婆と少し話をしたあと、イズリアルは皇女と二人で天幕への道を歩いていた。
男はともに行くことを最後までごねていたが、この状況でオルデン教の信徒と行動をともにする選択肢などあるわけがない。
周囲を警戒するように言い、その間に抜け出してきたのが今である。
「危険を承知で生かしたのですから、約束は守ってくださいね」
「なんの話?」
「あなたを玉座へ座らせることへの対価です」
名前を出さずとも伝わったのだろう。皇女は「ああ」とうなずいた。
「それはあなたもよ。裏切ることは許されない。私たちはもう一蓮托生なのだから、ね?」
あんなにも命乞いをしていたというのに、皇女は目を細めた。
「そんなことよりあなた、本当に覚えていないの?」
「なんの話でしょう」
「私が声をかけたことよ」
「覚えていませんね」
皇宮で剣を習っていたころ、騎士以外にも何度か声をかけられたことはある。そのなかに皇女もいたかもしれないが、本当に覚えていない。
誰の顔も、名前も、知る必要などなかったから。
――お嬢さまがいればそれでいい。
皇太子の毒牙にかかる前に、早く引きはがさなければならない。そうして、今よりも家族から孤立させ、唯一である自分を頼るしかない状況に。
そう考えながら、イズリアルは懐から飾り紐を出す。りん、と手のなかで鈴が鳴る。
「なによそれ?」
「殿下には関係ありません」
「ふん。ただのみすぼらしいロープじゃない」
「口を慎んでください」
懲りずに不満を喚く皇女の首を絞め上げてもいいが、イズリアルはその衝動をぐっとこらえる。なにより、皇女などでアリステアからの贈りものを汚したくはない。
「ちょっと、聞いているの!? 本当に、お兄さまの次に……いえ、同じくらい無礼な男だわ!」
皇女の声に交じり、どこからか馬の足音がすると気づいた直後だった。
「きゃっ!?」
土煙や落ち葉を巻き上げながら、茶色の巨体が視界を横切った。一頭の馬が飛ぶように駆けていく。
その馬上に、たしかに二つの影を見た。
「――お嬢さま?」
吹き荒れた風だけを置き去りにして、イズリアルは頬を打たれたような気分だった。
◇◇◇
セオドアは天幕群付近の目立たないところでアリステアを馬から降ろし、異変を察知してやってきたエルヴェルトに預けた。
「エルヴェルト、公女を頼む」
「殿下! まさかお一人でお戻りになられるのですか?」
「悟られぬよう騎士を数人連れていく。可能ならば、精霊術師たちに精霊術を強化するよう伝えてくれ」
狩場を強風で囲み、オルデン教の信徒たちを逃がさないための処置である。
「公女さま、すぐに狩猟大会を中止しましょう」
「あと数時間もすれば終わるんだ。このまま続行しろ」
「ですが……」
「なに、獲物が増えただけだろう? 残念ながら、ポイントの足しにもならんがな」
返事を待たずして、セオドアの姿はすぐに見えなくなった。
「なにが、あったのですか?」
ぽつりとエルヴェルトが当然の疑問を呈す。
セオドアが意思疎通もできない精霊に言葉を託し、一方通行の伝言を拾い上げた精霊の気まぐれが、エルヴェルトに事態を報告したのだ。
だが、セオドアが伝えたのは信徒からの奇襲だけで、アリステアを発見する前のことである。
「オルデン教の信徒が……信徒に、見つかってしまって。殿下を追っていて」
時系列も整理できず、ぽつぽつとした話をエルヴェルトは聞いてくれた。
「ひとまず、天幕へ戻りましょう」
「私が戻っても大丈夫でしょうか……? もし、ほかにも信徒が紛れこんでいたら、みなさまを危険な目に遭わせてしまうかもしれません」
「それでも、戻るべきです。誰が犠牲になろうと我々は生きなくてはなりません。世界のために」
力強い言葉のあと、エルヴェルトは固く口を結んだ。紫紺の目には隠し切れない悲壮の色が滲んでいて、それが彼の本心でないことはすぐにわかった。
それから数時間後、天幕群の上空に火球が打ち上げられた。狩猟大会の終了を告げる合図であり、まだ戻らぬ参加者への道しるべでもある。
着々と帰ってくる参加者のなかに、アリステアはセオドアを見つける。騎士引き連れた彼はこちらを一瞥し、険しい顔で首をゆるりと振った。
「殿下、お怪我はありませんか?」
「ああ。公女の祈りが届いたおかげでな」
ふ、と笑んだセオドアは少しだけ身をかがめた。
「あらかた始末したが、数人、取り逃した」
「まずは、殿下がご無事に戻られたことがなによりです。こちらも騒ぎが起きることはなく、襲撃があったことも報告に上がっていません」
手短に報告をしていると、周囲がちらちらとこちらの様子を窺っていることに気づく。
「ほら、やっぱり……ベルジック令嬢が駆け寄るくらいだもの」
「婚約発表はいつかしら?」
「殿下との縁談を夢見ていた家門は今ごろ大慌てでしょうね」
密やかに交わされる話は、アリステアとセオドアの交際は真実だというものだった。
アリステアとしてはオルデン教の信徒がどうなったのか、単純にセオドアの安否確認をしたかっただけなのだが。
乙女心を忘れない令嬢たちや社交界のネタを探す貴婦人たちの目には、色恋のフィルターが強くかかっているようだった。
「獲物の譲渡をしたい方はこちらへ。もう間もなく締め切ります」
壇上では公爵とアルフレッドが列になる参加者をさばいていた。
「約束は約束だ。果たすとしよう」
セオドアが列の最後尾につく。気づいた令息は驚き、譲り、それが連鎖してあれよあれよという間に先頭になっていた。
「昨日預けた狐を」
檻のなかですやすやと眠るキツネは特別に用意した一種だ。
毛皮として人気が高く、現在は王侯貴族でも入手が困難と言われている。それを用意したベルジックもだが、さらりと狩ってきてしまうセオドアにも感心せざるを得ない。
「これを愛する妹に――皇女はどこだ?」
天幕群を見回したセオドアはわずかに目を細めた。ぴりりと不穏な空気が張り詰める。
「こ、皇女殿下は体調がすぐれず、天幕でお休みになっておられます」
「そうか。よく休むよう伝えてくれ」
小さく息を吐いたセオドアに、声を上げた令嬢はおずおずと下がる。
一時は緊張感が漂いつつも、その後も譲渡は行われ、いよいよ優勝者の発表を兼ねた閉会式が行われた。
運営の一人としてアリステアも壇上へと上がる。
発表を心待ちしている貴族たちの後方、使用人たちと並ぶイズリアルの姿が目に入った。
――まだつらそうだけど、大丈夫そうね。明日からは休ませてあげないと。
ほっと息をつくと、イズリアルと目が合ったような気がした。
「これより、此度の狩猟大会優勝者を発表する」
優勝したのは、地方の伯爵家のご令嬢だ。令嬢に長年の片思いをしていた令息がほかの参加者から獲物を集め、さらにそれを令嬢に譲ることで数を稼いだらしい。
「幸せになります!」
裏で算盤がなかなかに弾かれていたそうだが、告白を実らせた令息の顔に後悔はない。
そうして、表向きは和やかな雰囲気で狩猟大会は幕を閉じた。




