二十九話 マナ切れ
「エルヴェルトさま? どなたかお探しですか?」
天幕から出ると、杖を片手にそわそわするエルヴェルトがそこにいた。彼の落ち着かなさを表すように紺色のローブが揺れている。
「公女さまを探しておりました」
「なにかありましたか?」
「もしよろしければ、散策に行きませんか?」
エルヴェルトに連れられたのは、初心者向けの小動物が区分けされたエリアだ。狩場に入ってからしばらく、大人に付き添われた子どもや令嬢が弓をつがえる姿がちらほらとあった。
風の流れるままに歩みを進めると、やがて小さく開けた場所に出る。
柔らかな陽光が、中央にある泉を朗らかに照らしていた。
「美しい場所ですね」
「精霊術を巡らせているときに、偶然見つけたのです。公女さまにもぜひご覧になっていただきたく、お誘いいたしました」
ばさばさと二羽の水鳥が湖にやってきた。差しこむ光を浴びながら泉を悠々と泳ぐ二匹はぴったりとくっついている。
その微笑ましい光景に思わず頬が緩んだ。
「夫婦でしょうか?」
「普段ならここには人などは近づきませんから、休むにはぴったりの場なのでしょう」
「私たちのことも怖くないのですね」
わざわざ脅かすような真似もしないが、人慣れしていないわりには警戒心がない。
「精霊術の練習をしてみませんか? ここならばマナも豊富ですので、力も制御しやすいと思います」
ひと気のない場所まで来たのはそれが目的だったのだろう。
「せっかくですので、習ってみます」
エルヴェルトはほっとしたようにうなずいた。
泉のほとりに、二人は肩を並べて座った。すかさず薄手の布を引いてくれたのは、さすが貴族男子である。
「エルヴェルトさまはこの扇が精霊術を使うための補助的な役割をするとおっしゃっていましたよね? 精霊術を使うと箱庭に入ってしまうのですが……なにか間違っているのでしょうか?」
飾り紐に精霊術をかけたとき、毎回箱庭へと入ってしまった。一回目はラシェルの姿を探したが見つからず、二回目以降は何度も出入りすることが恥ずかしくなり、すぐに目を覚ますことだけを考えていた。
「なるほど……?」
エルヴェルトにも原因がわからないようで、少し不安になる。
「どのように精霊術を使いましたか?」
「えっと、飾り紐に、こう……自分の内側から、マナ? を、巡らす感じに……」
しどろもどろになりながらもなんとか伝える。
「……自分の内側から?」
エルヴェルトは怪訝そうに首を傾げた。
――え、なに? 怖い!
確実に自分はなにかを間違えていそうである。
「精霊術はマナを……えっと、なんと言えばいいのでしょうか」
意外にも説明に苦戦している。
――むしろ、感覚派なのかな?
アリステアが固唾を飲んでいると、その緊張を感じ取ったのかエルヴェルトは苦笑した。
「マナは、自分の内側からではなく、外側から取りこみます」
エルヴェルトは泉に手をかざす。
すると、水面から魚が跳ねた。本物の魚ではなく、水でできた魚だ。
水の魚は宙を泳ぎ、エルヴェルトとアリステアの周りをゆったりと回遊する。陽光を受けて水の魚はきらめき、幻想的な光景に息も忘れてしまう。
「体内に内包されているマナには限度があります。おそらくですが、公女さまはマナが尽きてしまい、半ば強制的に意識が箱庭へ誘われたのかと……」
いわゆる魔力切れ、この世界ではマナ切れというものだろうか。
――じゃあ、私はマナ切れを起こして毎回眠っていたってこと!?
何度もマナ切れを起こし、それでも精霊術を使い続け、かなり無茶をしていたらしい。
「申し訳ありません。私はマナが尽きるという経験がありませんので、想像の域を出ない仮定となってしまいますが」
ぽちゃん、と水の魚が泉に飛びこみ溶けていった。
ナチュラルに才能の違いを突きつけられ、心臓がきゅっとなる。
「公女さま、見てください」
「はい……」
エルヴェルトは細い水流のようにした泉の水を、指先から腕、胴体へと巻き、今度は反対の順番で泉へと戻した。
「このように……わかりますか? この水は、マナの流れを表してみました。実際には少し違いますが」
「想像は、しやすいです」
飾り紐に精霊術を使ったとき、かすかに光ってはいた。スズメの涙ほどの効力しかなくとも、成功はしているはずだ。
「一度、たしかめてみましょう。泉の水を浮かせて、落とす。まずはこれだけです」
「やってみます」
アリステアは腰に下げていたカバーから扇を出す。常に手に持つのは大変なため、こうして専用の入れ物に入れて持ち歩いている。
「扇は閉じたままでも大丈夫です。あくまで媒体にすぎず、そのほうが意識しやすいでしょうから」
面積が広いより、魔法の杖のようで的が絞りやすい。みたいなことだろうか。
「眠ってしまっても私が支え、起こしますのでご安心を」
あまり安心はできないが、アリステアは意識を集中する。
――泉から、力を吸い上げる……わけてもらう感じ?
自分なりの解釈で精霊術を使ってみる。
エルヴェルトも少しだけ前のめりになり、水面を注視していた。
ぽ、と小さい水球が浮いた。アリステアが扇を傾けると、それは上昇する。右へ動かせば右へ、左へ動かせば左へ。アリステアの意思が通じているようだった。
「で、できました!」
叫んだところで、もともとは精霊術を使えていたことを思い出す。問題は、眠ってしまっていたことだ。
「箱庭にも、行きません」
「公女さまは筋がいいですね。本当に、力が弱いことが悔やまれ――あ、申し訳ありません」
「え?」
なにを謝られたのかわからず、それに気を取られたことで水球はぴちゃっと落ちた。
「失礼しました。こういうところが、きっと驕っていると言われる所以なのでしょう。王女さまにも何度注意されたことか……気分を害するようなことを申しました。ご無礼をお許しください」
「えっと、私はなにも……エルヴェルトさまがすごいことは、当然ではないでしょうか?」
「え?」
「驕るもなにも、特別な存在なのですよね? 精霊術師の王女さまでもあるラシェルさまから一目置かれているのですから」
エルヴェルトは面食らったように目を見開いた。
「そう、でしょうか?」
「私はこうして悩みが解決しました。エルヴェルトさまのおかげです」
エルヴェルトは一瞬、ぐ、と唇を噛んだ。
「精霊術師は数も少なく、能力の差も大きくあります。故に、僻まれることもありました」
精霊術師の世界も、なかなか世知辛いようだ。
「公女さまにそう言っていただけて、救われたような気がします」
エルヴェルトは眉を下げ、寂しげに笑った。
――イズリアルといいエルヴェルトさまといい、ちょっと大げさすぎない……?
もしかしたらエルヴェルトの闇に繋がる部分なのかもしれない。その可能性がある以上、むやみに踏みこむべきではないだろう。
「なんだか、コツを掴めた気がします。まだ特訓に付き合ってくれますか?」
「もちろんです。次はもう少し、難しい形を作ってみましょう。公女さまのためなら、いくらでもお手伝いいたします」
先ほどの暗い雰囲気が晴れていく。
「こんな時間が、永遠に続けばいいのですが」
すでに泉へ扇を向け直したアリステアの耳には、精霊術師のつぶやきは届かなかった。




