二十八話 仲睦まじい
「お兄さまが、どうしてここに」
たじろぐ皇女を一瞥したセオドアは迷うことなくアリステアの前に立つ。
「なにがあった? 俺にも教えてくれ」
「お兄さまには関係ありませんわ!」
カッと声を荒げた皇女をセオドアが睨む。
「リーゼロッテ」
低く呼ばれた名に、皇女は体を強張らせた。
「狩猟大会の主催者として、問題が起きたら対処することは当然だ。たとえ当事者が、愛する妹だとしても贔屓はしない」
あまりの気迫に悲鳴を噛み殺せない令嬢もいた。
むしろセオドアのせいで騒ぎは悪化したように思う。
――助かったのは、助かったけど。
素直に喜べる状況ではない。皇女の心境が心配だ。
「私が、誤解していたようです」
「誤解?」
「はい。ですから、お兄さまの手を煩わせるようなことはありません」
「だそうだが、公女?」
群青色の目は不満たらたらだ。
「お聞きになられた通り、問題はありません」
アリステアは貴族的な笑みを作って答える。
皇女が引いたのだ。余計にことを荒立てる必要はない。だから、そちらも踏みこむなと笑顔にこめる。
「ふむ」
セオドアは顎をさすり、片眉を上げた。
「そう機嫌を悪くするな、リーゼロッテ」
「え……?」
「今回、精霊術師の協力もあり、エレスト帝国には存在しない動物も放つことができたからな。珍しい動物でも狩ってきてやる」
「お兄さまが、私に? 本当ですか?」
皇女が顔を綻ばせたとき、セオドアは興味を失ったかのように顔を背けた。
「礼節を守れないのならあの城で息を殺していればいいものを」
舌打ち交じりのつぶやきが静かに響く。
どの口が、と思わないこともないが、セオドアは皇太子としての振る舞いは完璧だ。開会式での激励も、騎士団の士気を高めるかのように見事なものだった。
――ああ、終わった。
アリステアは遠い目をする。
これでは皇女の面目が丸つぶれだ。イズリアルとのことも気がかりだが、なによりセオドアのあからさまなご機嫌取りが皇女のプライドを傷つけたことは明白である。
「ところで、公女」
「は、はい?」
「ハンカチくらいはもらえるものだと思っていたが……つれないな」
まったく残念がっていない顔で笑うセオドアは距離を詰めてくる。下がるよりも前に髪に触れられ、いよいよ退路を断たれる。
――なにする気!? ごまかすのだって限度があるのに!
よりによって皇女の前で、セオドアはなにを考えているのか。
「まあ、いい。これをもらう」
「え?」
後頭部が撫でられたような感触がしたあと、セオドアの指先には見覚えのあるものがつままれていた。
「これは珍しいな。細工もきめ細かやかで素晴らしい出来栄えじゃないか」
ロッサ工房から買い取った宝石片の髪紐だ。
せっかくならと狩猟大会で初めて身に着けるのを楽しみにしていたのに、それをまさか取り上げられるなど夢にも思わなかった。
――夫人や令嬢たちとの話のタネにするつもりだったのに!
「か、返してください」
「あの飾り紐と似たようなものだろう」
「全然違いますから! それは泥棒ですよ」
「人聞きが悪いな」
セオドアはうっとうしそうに眉をひそめた。暴君のようなことをしておいてよくそんな顔ができるとむしろ感心する。
「あの殿下とあんなに仲睦まじくお話を……」
「やはり、ベルジック令嬢が皇太子殿下の婚約者になるという噂は真実だったのですね?」
「きっと運命的な出会いをしたんだわ」
背後から令嬢たちのひそひそ話が聞こえ、アリステアは息を呑む。
セオドアの耳にもしっかりと届いているだろうが、本人は知らぬ存ぜぬだ。
「よろしいのですか?」
「なにがだ」
アリステアは声をひそめ、セオドアに訴えかける。
「ラシェルさまのお耳にあのような話が入りでもしたら、きっと悲しまれます」
「痛いところを突く」
「ラシェルさまとはよき友だちになれそうなのです。私、ラシェルさまに嫌われたくありません」
「同意見だ」
セオドアは苦い顔をし、うなずいた。
ラシェル絡みの警告はなかなかに効くらしい。距離を取ろうとするセオドアの髪紐を掴む。
「公女? わかった、わかった。よほど大事なものらしい。これは――」
「精霊術師や騎士たちが守ってくれますが、危険がないとは言い切れません。くれぐれも怪我をなさらないようにしてください」
ラシェルさまのためにも、と心のなかで付け加え、手を離す。
セオドアはわずかに目を見開いた。きっと、精霊術を使ったのがわかったのだろう。
「はははっ。公女は本当に――これほど愉快なこともそうそうないだろう」
顔を上げると、セオドアは大胆不敵に笑った。
それから目を閉じて、髪紐に口づけをする。
「俺が主催で、公女が運営の一人でなければ、此度の狩猟大会優勝者の座はあなただっただろう」
一瞬、周囲が静寂に包まれる。少しの間を置いて、感嘆の吐息や黄色い悲鳴があちこちから聞こえた。
肩の飾り布を翻し、狩場へ向かうセオドアには、やはり道が空けられていた。
「ううっ」
「イズリアル、どうしたの?」
ずっと顔を伏せていたイズリアルがふらついた。アリステアは慌てて体を支える。
「すごい汗、休んだほうがいいわ」
「そう、させて、ください」
いつからこの状態だったのか、呼吸も苦しそうだ。
「みなさま、失礼いたします。皇女殿下には後ほどお詫びを」
「必要ないわ」
声にとげは残るが、皇女は踵を返して天幕へと戻っていく。
アリステアはイズリアルを連れ、急いでこの場を離れた。
「言ってくれたらって、そんな雰囲気じゃなかったものね」
「申し訳ありません」
「謝ることじゃないから」
救護用の天幕もあるが、アリステアは自分に割り振られた天幕へと向かった。
「ここに座って」
「ですが、お嬢さまのベッドを使うわけには……」
「病人だからいいのよ。気になるなら、イズリアルがあとでシーツを取り換えてくれたらいいじゃない」
「承知、しました」
イズリアルはおずおずとベッドに腰かける。
「いつから具合が悪かったの? 今も苦しい? どんな症状があるの?」
「今日はずっと、なんだか気分が悪く……今も苦しさは拭えません。頭痛が、します」
矢継ぎ早の質問にもイズリアルは順番に答える。
「ですが、業務に支障はありません」
「でも苦しいなら無理してはだめ。数日も慣れない場所で過ごすことになるのだから、悪化したら大変よ。別邸の使用人も駆り出されているから、業務量を減らしても問題ないはずだわ」
「休むので、そばにいてくださいますか?」
上目遣いのイズリアルは、『捨てないで』と馬車でされた懇願と重なる。
「人がいたら休まらないでしょ? だからここに連れてきたの」
「行ってしまわれるのですか」
「そうだわ」
アリステアは荷物からあるものを取り出す。
「これをあげるから、今日はゆっくり休むのよ」
りん、と鈴の音が小さく響く。
「僕に、ですか……?」
「ええ。あなたの飾り紐よ」
紋章の部分は鈴に、翡翠は灰色の色石に、組紐は藍鼠といくつかイズリアル用にと変更している。
「僕は、夢でも、見ているのでしょうか」
恭しく両手に乗せたまま固まる姿に笑みがこぼれる。
「お嬢さまが僕のために……絶対、誰にも渡しません。生涯をともにします。ありがとうございます、お嬢さま」
「大げさよ。喜んでもらえて私もうれしいわ」
それほど感激したのか、イズリアルの肩は小さく震えていた。




