二十七話 不敬者
「皇女殿下に拝謁いたします」
「堅苦しい挨拶は抜きにして、こちらにかけて」
皇女の言葉に令嬢たちが一斉に席を空け、アリステアは目じりに涙をためる令嬢の隣に腰を下ろす。
「彼女の不安を取り除くには……あなたが聞きたいことを答えてもらいましょう」
「わ、私が? その、いいんですか……?」
皇女に水を向けられた令嬢はおずおずとこちらを見た。その目には戸惑いが揺らいでいる。
まだ十五歳前後の少女だ。言葉遣いも拙く、こういった場にはあまり慣れていない印象を受ける。
「ええ。だって、知りたいのでしょ? だから人目もはばからず、喚いていたのではなくて?」
ぴりりと空気が鋭くなる。
「あ、あ……私、そんな、つもりじゃ」
「まあ、泣かないで。泣いたって、誰も助けてくれないわ」
令嬢がぽろぽろと大粒の涙をこぼす。
――誰も助け船を出すことはできなくなった。
皇女は明るい金の髪をさらりと耳にかけ、じとっと令嬢を見下ろす。
「獲物の譲渡が、公平性に欠けるというお話でしたか?」
「え、あ……」
「先ほど、少し聞こえてしまいまして。ご説明させていただいても?」
「お、お願いします!」
令嬢はこくこくと何度もうなずいた。
「譲渡は立会人の前で行わなくてはなりません。事前にご説明した通り、立会人はベルジック公爵が務めます」
「それなら、安心ですね」
公爵は今回、この天幕群から離れることはない。獲物の譲渡が発生する場合、だいたいは観衆の面前で行われることになるだろう。
「けれど、令嬢が心配しているのは森のなかでの出来事ではなかったかしら。あの森のなかでは公爵の目も届かないのでは?」
「もし獲物を奪われたのなら、運営に申告していただければ徹底的に調査いたします。ここには名立たる騎士の方々がいらっしゃいますから、獲物の傷や仕留め方などを検証し、真実を明らかにできるでしょう」
やがて、皇女の目が弧を描いた。
「素晴らしいわ」
「実は、獲物の譲渡というルールには別の思惑もあるのです。気づいた方の特権としたかったのですが……弁明する機会をくださった皇女殿下にお話しさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。ぜひ知りたいわ。もったいぶらずに教えてちょうだい」
「譲渡は、狩猟大会に参加したものならば誰にでも可能です。つまり、大事な方にささげてもかまわないのです」
「それが、なに? なんの意味があると言うの?」
皇女はつまらないとでも言いたげに笑顔を下げた。
真ん中にいる落ち着きを取り戻した令嬢の肩がびくりと跳ねる。わざわざ彼女をどかすこともできず、申し訳ないがまだ辛抱してもらうしかない。
「婚約者や妻、娘など……それこそ、想いを告げられずにいるお慕いする方などを、狩猟大会の優勝者に押し上げる……とてもロマンチックなことだと思いませんか?」
もちろん女性で狩りに出ているものはいる。だが、過去の大会で女性が優勝者になった記録はない。
視界の端で、天幕からそそくさと出ていく男性が数人見えた。その手には剣や弓がしっかりと握られていた。
こちらの様子を窺っていた令嬢たちも、森のほうへと視線を投げている。
「想いを、告げる」
「彼もそのことに気づいてくれていたら……」
「お兄さまが私を、優勝者にしてくれるかも」
和気あいあいとした雰囲気に包まれ、アリステアはほっとする。
「今年の優勝者はあなたかしらね」
「え?」
目が合うと、皇女はにこりと目を細めた。
「お兄さまがあなたに求婚したと聞いて、とても驚いたの。だってお兄さまは冷徹で、お父さま以外には心を開かないのだもの」
ふるりと体が震えた。
お兄さま、お父さまと簡単にいうが、彼女の話に出ているのは一国の皇太子と皇帝だ。発言一つで首が飛んでもおかしくはない。
「どうやってお兄さまと仲よくなったの? 私、知りたいわ。私もお兄さまと仲よくなりたいと思っているのに」
わざとらしく首を傾げる皇女に、周囲はまた静かになる。
「都合がよかったのかと」
なんとか絞り出した声は震えずに済んだ。
「皇太子殿下に婚約者はいないですから、公爵家の娘で、同じく婚約者のいない私に目をつけたのではないでしょうか」
皇太子妃の座に収まるべく、成人しても婚約を結ばない令嬢もいるという。
それが問題視され、皇太子の結婚を望む声が高まっているが、高位貴族の娘たちは堅実に婚姻を結んでいる。
同格のものともなると国内にはアリステアしかおらず、あとは他国から探すことになるだろう。
――本当はラシェルさまがいるけど。
二人が無事に結ばれるまで、アリステアは隠れ蓑になるつもりである。
「腑に落ちないの」
「――」
「あなた、ずっと領地にいたのよね? 私はずっと皇宮でお兄さまと過ごしていたのに。きっかけは私の誕生パーティーのときかしら。それって、あんまりではなくて?」
何度肝が冷える思いをすればいいのか。
皇女の出生は不遇と耳にした。先代皇后が身罷られてから、皇位継承者を増やすために政略結婚したのが現皇妃であり、生まれたのが皇女である。
皇帝陛下は先代皇后を深く愛しており、その忘れ形見ともいえる皇太子にしか愛を向けていない。
そのため皇妃の立場は芳しくなく、皇帝から関心を受けられない皇妃は皇女を疎ましがっているという始末。
と、皇室内部はかなりドロドロした状態らしい。
――なんて言えばいいの!
どう説明すればいいのか、言葉が出てこない。
「皇太子殿下は――」
意を決し、勢いのまま口を開いたときだった。皇女の視線がどこかに固定されていることに気づく。
「公爵令嬢、あの方は?」
「申し訳ありません、どちらの方のことをおっしゃられていますか?」
アリステアはこれ幸いと話に乗る。
だが、さすがに視線だけでは立ち話に花を咲かせる夫人や政略を巡らせる男性から目的の人物を見抜くことはできない。
「誰かを探しているみたいね」
改めて皇女の目線を追う。
いくつかの天幕を回り、それとなく確認している人を見つける。
「あれは……当家の執事です」
黒髪に灰色の目をした彼は、今日はいつもの燕尾服に、公爵家の人間だとわかるよう翡翠色のネッカチーフをつけ、ベルジックの紋章入りのリングで留めている。
皇女が視線を釘づけにしているのはイズリアルのようだった。
「イズリアル」
自然に席から立ち上がると、イズリアルがぱっと振り返る。
「こちらにいたのですね、お嬢さま」
「やっぱり!」
皇女が嬉しそうに目を輝かせ、こちらに歩み寄ってくる。
「いきなり姿が見えなくなったから、どこへ行ったのかと思っていたのよ」
「人違いではありませんか?」
「そんなわけないわ。だって――」
途中で咳払いをした皇女はイズリアルの顔をまじまじと見つめる。
「覚えていないの?」
「申し訳ありません。私はベルジック家の一使用人です」
イズリアルが皇女を知っていても知らなくても、どちらにせよ名乗られていない以上、「知らない」を突き通せる。
けれど、イズリアルは本当に皇女のことは覚えがない様子だ。
「何度も声をかけたじゃない」
「失礼ですが、殿下はどちらでイズリアルをお知りになられたのですか?」
「皇宮の、騎士団の訓練場よ。筋のいい騎士がいると聞いて、目をかけてやったの」
さりげなくイズリアルを窺う。目を伏せるだけだが、その顔色はいつもより青白い。
「使用人風情が……この私をこけにするなんて、不敬者!」
恥ずかしさや怒り、屈辱さえもないまぜになった、不穏な表情。顔を赤くする皇女は強く奥歯を噛んだ。
「殿下、どうかお心をお鎮めください!」
「――なにを騒いでいる」
人の波を割りながらその姿を現したのは、まばゆい金髪に群青色の目を持つ男だった。
「愛する妹の機嫌を損ねる不敬者の顔を拝もうじゃないか。なあ? 公女」




