二十六話 狩猟大会開始
時間は流れ、あっという間に狩猟大会の開催日がやってきた。
「皇女も狩猟大会に来るなんて、いったいどういう風の吹き回し?」
アリステアは家門ごとに用意された待機場所となる天幕のなかで深いため息をつく。
数週間前、場所や日取りなど、細部まで決定したところですべての貴族に招待状が送られた。
招待状を受け取った全員が出席するわけではなく、財政状況や移動距離を鑑み、不参加の返事が半数以上となるらしい。
有力な王侯貴族との繋がりを求めて多少無理をするものもいるようだが、どのような収穫を得るかは自己責任だ。
今回、皇室からは皇太子だけでなく皇女までもが参加の意思を表明しているとの連絡があった。
「ゲームの主要キャラが全員集まるんだから、なにもないわけないよね? ああ、今からでも重い風邪を引けないか試してみようかな」
もう間もなく始まるというのに、乾いた笑みがこぼれる。
――逃げないって決めたでしょ。
むしろこれはチャンスなのではないか。
おそらく第一印象は悪いだろう。まずは現状の好感度をそれとなく確認し、これからどう行動するかを見極めればいいのだ。
攻略対象たちとは仲睦まじくとはいかず、かといって殺意を向けられるほど険悪でもない。
ヒロインはちやほやされず、皇女にとってルート分岐しやすい状況なのではないだろうか。
「本当なら、ゲームは一年後に始まるはずだけど……さっさと分岐してエンディングに突っ走ってくれるならそれが最善じゃない?」
アリステアが天幕から外を窺おうとしたとき、入り口の幕が上がった。
「なんだ、忘れたわけじゃなかったのか」
「はい?」
やってきたのはメイナードだった。
「開会式は……家族、全員だって父さんが言ってただろ」
「あ、待ってください」
「ん?」
早々に踵を返したメイナードを呼び止める。
「お兄さまに、先に渡しておきます」
「なにをだ?」
「飾り紐です」
メイナードはその翡翠の目を丸くした。
「は、なん……え?」
先日、ロッサ工房より無事に納品されたのだ。
臙脂色の細い糸を編みこんだ組紐の中程にはベルジック家の紋章を、さらに下にはメイナードの目の色とそっくりな翡翠をはめこんである。
公爵やアルフレッドにも同じものを、翡翠の色だけが違うものを用意した。
――試しに精霊術を使ってみたんだけど、効果は期待できないよね。
エルヴェルトやラシェルなら邪悪なものを退けられるかもしれないが、アリステアはおまじないのようなものだ。
それでも、気休め程度には効果を発揮してくれるといいのだが。
「これを、お前が?」
「――」
眉を寄せ、戸惑いを隠せないメイナードにアリステアは息を詰める。
喜んでくれるのではと思っていた。そこに態度を改めてくれるかもしれないという打算的な考えがなかったと言えば嘘になる。
――なにを、期待していたんだか。
途端に恥ずかしくなって、顔がほんのり熱くなった。
「本で読んだのです。お父さまとアルフレッドお兄さまにも渡したいですから、早く行きましょう」
「……父さんとアルフレッドに?」
「はい? 当たり前ではないですか。メイナードお兄さまだけになんて――」
「俺に、最初に」
メイナードの口角はわずかに上がっていた。
――な、なんなの?
微妙な反応をしたかと思えば嬉しそうにして、なんだか気味が悪くてアリステアはメイナードを置いて外へと出た。
開けた場所に点々と並ぶ白い天幕は、これぞ狩猟大会という感じだ。
「イズリアルは……」
先ほどまで護衛として入口に立っていたはずだ。周囲を探すと、ほかの使用人と一緒にせわしなく動いている姿が確認できた。
――今回も護衛ではあるけど、今はメイナードお兄さまもいるから大丈夫ね。
警備も厚くし、危機への対応は万全といえるだろう。
それから、開会式はつつがなく執り行われた。ルール説明や注意事項、皇室を代表して皇太子からの激励を最後に、本格的に狩猟大会がスタートした。
「お父さま、アルフレッドお兄さま」
がやがやと参加者が散開していくなか、アリステアは二人に飾り紐を渡すことにした。
「お父さまは狩りに出ないとおっしゃっていましたが、せっかくですのでお守りに用意してみました」
目を瞬かせる二人はそっくりだ。
「これは、ベルジックの紋章ではないか。もしかして、例の工房と頻繁にやりとりしていたのはこのためだったのか?」
「はい、そうです。お父さまが支援してくださったことで、ロッサ工房は活気を取り戻しました。引退を余儀なくされた職人たちも続々と復帰したそうですので、経済の回りもよりよくなるかもしれません」
アリステアの胸元でブローチがきらりと光る。
「喜んでいただけましたか?」
「ああ、もちろんだ。ありがとう。友人たちに自慢しよう」
「そ、そこまでしなくても……」
「これほど精巧な飾りを作れるんだ。注文が殺到するかもしれない。近いうちに、本格的に声をかけてみるとしよう」
慌てふためくカイゼルの顔がありありと思い浮かぶ。けれど、バニラに背中を押され、快諾してくれることだろう。
「不思議な感覚だ」
「――」
「ありがとう、アリステア」
飾り紐を大事そうに眺めるアルフレッドの眉が、ふ、と優しく下げられる。
その珍しい表情に、胸の奥がくすぐったくなった。
「それでは、守りは多いが、くれぐれも気をつけるんだぞ」
公爵とアルフレッドは貴族の接待、メイナードは狩りに出たため、アリステアは一人で天幕を巡回することにした。
そのうちイズリアルが探し出してくれるだろう。
――弓や剣を持っている人も、残っている人が多い。
家門ごとの天幕とは別に、交流のための天幕もいくつか用意されている。夫人や令嬢の待機場を想定していたが、貴族男子たちの政略の場ともなっているようだ。
もともと狩りには興味なく、形だけ参加するものも多いのだろう。仕事や生活習慣、最近の流行など、あちらこちらから聞こえてくる話はさまざまだ。
「今年の運営はどうなっているんですの!?」
「こ、声が大きいです! それほどお怒りになるなんて、なにか不備があったのですか?」
同年代くらいの令嬢が集まる天幕から高い声が響き、アリステアは声の主を探す。
「お兄さまが言っていましたわ! 今回は獲物を譲渡できるから、公平性に欠けるって! あんまりです……もしお兄さまの獲物が奪われてしまったらっ」
「略奪は禁止行為でしょう? そのようなことがあれば失格になるとおっしゃられていたではありませんか」
「あの森のなかでなにが起きるかなど、私たちにはわかりません。爵位が上の方から声がけされたら、断ることができるでしょうか?」
彼女たちのなかでもっとも幼い令嬢が両手で顔を覆った。
「殿下もそう思いますよね!?」
説明しようと向かっていた足がぴたりと止まる。
――殿下って皇太子じゃないよね。
まさかあの皇太子が令嬢たちと談笑などしないだろう。
「たしかに、『お願い』されたら、心優しき方は叶えてしまうかもしれないわね。あなたの不安はもっともだわ」
「そうでしょう、殿下ならわかってくれると思っていました!」
「だから――」
中央で令嬢たちに囲まれていた一人がこちらに顔を向けた。全員の視線が流れてきて、きりりと胃が痛くなる。
「運営の一人である、ベルジック公爵令嬢に説明してもらいましょう?」
薔薇色の目がゆるりと細められた。




