二十五話 強く願う日
「ご歓談中、失礼いたします。紅茶をご用意しましたので取り換えさせていただきます」
カラカラとワゴンを押すメイドが一礼する。
カップを順に下げていく手が小さく震えていて、顔色もあまりいいとは言えない。きゅっと唇を噛みしめ、なにかに耐えているようだった。
――こういう給仕は慣れていないのかも。
きっと緊張しているのだろう。公爵家の人間が一堂に会しているのだから無理もない。もしアリステアが彼女の立場だったらとっくに逃げ出しているはずだ。
ワゴンの上段に並ぶ四つのカップからはすでに上品な香りが漂い、ガゼボを満たしていた。
「ところで、メイナードはしばらく領地にいるのか?」
「ああ。狩猟大会が終わるまで皇室騎士団は休みだ。殿下もそれまで帰ってくるなと言っていたしな。アルフレッドもしばらく帝都で過ごしてみたらどうだ?」
「私は父上のもとで学ぶことがある」
年の瀬まで開催を遅らせたらメイナードはずっと休むことになるのだろうか。ふとそんな疑問が浮かぶが尋ねはしない。
――それにしても、お互いに名前呼びだなんて新鮮ね。
だいたいの作品では弟は『兄貴』だったり『兄さま』だったり、名前だけで呼ぶことは少ない気がする。
双子だから、その垣根はなくしたのかもしれない。
「お嬢さま。ミルクか砂糖はお入れしますか?」
「じゃあ、砂糖をお願いしようかしら」
メイドがカップをテーブルへ置こうとしたとき、その手元がぶれた。琥珀色の紅茶が大きく揺れ、メイドの指にかかる。
「あっ」
「やけどはしていない? 大丈夫?」
アリステアの心配をよそに、メイドはエプロンでごしごしと指を拭っている。
「とても熱かったのね。ここはいいから、すぐに冷やして――」
「待て」
メイドがはっと顔を上げたときには、席を立ったメイナードが彼女の手首をひねり上げていた。
「うっ」
「メイナードお兄さま!?」
すぐにやめさせようとしたアリステアだったが、見たこともないような剣幕に言葉が続かない。
「お前、なにを入れた」
メイナードの低い声に、しん、と静寂が広がる。
「わ、私は……なにも」
「アリステアのカップに入れたのは砂糖じゃなかった」
双方の手は震え、みしみしと音が聞こえそうなほどだった。
「どういうことだ、メイナード」
「すぐにわかる。こいつが教えてくれるからな、身をもって」
メイナードはメイドの顎を押さえ、口を開かせた。
「や、やめっ」
そして、メイドが一心不乱に拭っていた指を突っこんだ。
「ああー!」
「足りないか?」
くぐもった声で叫ぶメイドに、メイナードはさらに追い打ちをかける。
ノールックでカップを手に取ったかと思えば、それをメイドの顔にゆっくりと垂らした。かなり激しい抵抗をされているはずなのに、メイナードは怯みもびくともしない。
「が、ごぼっ」
溺れるようにもがいていたメイドの喉が、ごくりと動く。それを確認したメイナードに押されたメイドは倒れこんだ先で激しく咳きこんだ。
声にならない悲鳴を詰まらせ、ようやく吐き出せたものは真っ赤な血。その鮮烈な赤に、アリステアは目を奪われる。
「ううっ」
アリステアは口を押さえ、吐き気をこらえる。どくどくと心臓が大きく脈打ち、耳鳴りもした。
恐ろしいのに目をそらせないでいると、公爵に抱きしめられて視界を遮断される。それでも冷や汗が止まらない。
「すぐに医者を呼べ! そして騎士を招集し、屋敷のものを一時拘束しろ。ほかに紛れこんだものがいないか徹底的に洗い出せ!」
バタバタと周りが慌ただしくなる。
「やりすぎだ、メイナード」
「なっ……こんな強い毒だなんて思わないだろ! くそっ……なんでアリステアに」
「それを聞き出すことはもうできないだろう」
「わかってるよ! 俺だって、こんな」
兄たちの声がどこか遠く聞こえる。
だというのに、それははっきりと鼓膜にこびりついた。
「……がふっ、ぉる、え……ま」
喧騒にかき消されながら、『オルデンさま』と。死の間際、メイドはたしかにその名を口にした。
公爵の胸のなか、温かいはずなのに体の芯から冷えていく。
――また、オルデン教。
セオドアからの警告を受け、最近雇用した使用人だけでなく、昔からいる使用人も改めて身辺調査を行ってもらった。
そこに、不審な経歴を持つものはいなかったのに。
――メイナードが気づいてくれなかったら。
もがき苦しんだ末、あの場で冷たくなっていたのはアリステアだった。
その事実にようやく理解が追いついたとき、気づけば公爵の背中に手を回していた。
「大丈夫、もう大丈夫だ」
ひどく優しい声が落ち、抱きしめられる力が強くなる。
目の奥が熱くなって、じわりと視界が滲んだ。泣くまいと目を強く瞑れば、涙はこぼれなかった。
◇◇◇
「あのメイドはオルデン教の信徒ではない。だが、あの凶行に至った事情は推察ができた」
夕方、部屋で休んでいたアリステアのもとにアルフレッドが訪れた。
「オルデン教の信徒に家族を人質に取られていたようだ」
メイドは自宅をオルデン教の信徒に占拠され、家族は監禁状態にあった。
信徒の目的は、ベルジック家に勤めるメイドを意のままに操ること。家族を拷問にかけることで精神的に追いつめ、洗脳を成した。
そして、メイドは家族を救うため、オルデンに縋ることになったのだろう。
「騎士がメイドの自宅に向かったが、信徒はすでに行方をくらましていた。幸い、人質も命まではとられなかったようだ」
「一人でも生きていた方がいたのなら、よかったです」
「信徒の狙いはアリステアだそうだ。そう話していたと家族が証言している」
「私を……」
街での一件からアリステアに狙いを定めたのかもしれない。
『どちらかが滅ぶまで、戦い続けることになるだろうな』
メイナードの言葉が頭のなかで響き、背筋がぞくりとする。
オルデン教の信徒が根絶やしにされるまで、彼らに何度も命を脅かされることになる。なりふり構わず、あの手この手で。
――攻略対象じゃなくて、ゲームに出てこなかった勢力に殺されるなんて。
未知数の危険に頭痛がした。
「このあと、ベルジックから皇室へ……正しくは皇太子殿下へ正式に抗議の手紙を出す」
「殿下にですか?」
「お前がオルデリアの残党に狙われる理由は、皇太子殿下の婚約者だと思われているからだろう。婚約関係にはないときっぱり声明を出せばやつらも手を引くかもしれない」
オルデン教の怨敵でもあるセオドア。その婚約者候補とはやし立てられているせいで、弱点だと思われた。
精霊術師という前提がない以上、そう考えるのは自然だ。
「その必要はありません」
「なぜだ」
「殿下があのようなことをしたのには理由があります。利害が一致していますので――」
「利などない」
低い声が遮り、アリステアは思わず口を閉じる。
「あやふやな情報のせいで命が狙われているんだぞ。それを上回るほどの、利など、ない」
言い聞かせるように重ねられた言葉には切実さが滲んでいた。
「でも、祈られたのです」
「は?」
アルフレッドは眉根を寄せる。そのあからさまな反応に思わず笑みがこぼれた。
「この先もきっと今回のようなことが起こるでしょう。それはとても怖く、恐ろしいです。きっと、眠れない日もあるかもしれません」
アリステアは胸の前で両手を組む。
それでも、いつまでも逃げてばかりではいられない。どれだけ力が弱かろうと、力になれないかと思ってしまう。
立ち向かわなければならないと、ラシェルの祈りに奮い立たされる。
「私も祈り、願いたいのです。彼女たちが怯えなくていい、安寧の地が戻ることを」
この世界が現実なのだ。
この世界で生きていくために、死亡スチルにならないために、そして、『アリステア・ベルジック』のために、逃げるのはもうやめる。
アリステアは強く、強く願った。




