二十三話 空白の小切手
「父上に騎士の素性を探らなくていいと言ったようだな」
午後、図書室でベルジック領の地図を広げたアルフレッドはちらりとこちらを見た。
「職務を離れていて、大事にしたくなかったそうです」
昨日、オルデン教の信徒に襲撃されたと報告を受けた公爵は、ベルジックの騎士を総動員してでも残党を一人残らず捕縛するよう命令を出す一歩手前までいった。
街中をひっくり返す勢いで騎士を派遣されては住民たちも気が休まらないだろう。それを口実に、アリステアは騎士の名前を伏せることにも成功した。かなり粘られもしたが。
「本当に騎士だったのだな?」
「はい」
「ならいい」
息をつき、地図へと視線を戻したアルフレッドは、今度は図鑑を開いた。
「お兄さまはなにを調べているのですか?」
「この地の生態を崩さない動物を調べている。皇室から要請があっただろう。今年の狩猟大会はベルジックで行われると。そのうち会議があるからお前もそのつもりでいるように」
アリステアは目を丸くする。
「なにを驚いている。ベルジックの名に恥じぬよう努めていくというのは、その場しのぎだったか?」
顔合わせの日、アルフレッドにたしかにそう言った。
――その場しのぎだったなんて言えない。
知識をフル活用し、それっぽいことを口にしただけだ。けれどあけすけにそれを伝えられるわけもない。
「では、過去にはどのような狩猟大会があったのですか? 知りたいことはお兄さまが教えてくださるのですよね?」
アルフレッドは二度、ゆっくりと瞬いた。
「……昨年は北の領地で開催され、多くのものが雪山で遭難しかけた。実際にしたものもいる」
「え、遭難? 狩猟大会ってそんなに過酷なものなのですか?」
「運営の用意したものが特殊だっただけだ。ベルジックは堅実に、ベーシックな狩り場を用意することが多い」
「以前も開催されたのですか? お兄さまたちも参加を?」
狩猟大会の運営に選ばれる貴族は、領地を保有する伯爵以上の高位貴族である。
珍しい獲物を用意することでパイプの多さを見せたり、貴重な優勝賞品を用意することで財力を誇示したり、各一族の見栄の張り方は多岐にわたるという。
「私も運営に加わったのは一度だけだ。お前も参加するよう父上が手紙を出したはずだが」
手紙はすべて目を通していた。けれどまったく記憶がない。
「そ、そうでしたか? その際、皇族の方はいらっしゃったのですか?」
「狩猟大会は皇太子殿下が顔を出すことがほとんど……」
言葉が続かなくなったかと思えば、アルフレッドが微妙な顔をこちらに向けていた。
「なんですか?」
「やはり殿下と交際しているのか?」
「はい!?」
皇族について尋ねたことを、アルフレッドはセオドアが狩猟大会に参加するか気にしていると捉えたらしい。
「あの日、陛下もあのようなことをおっしゃっていたが、殿下との関係はよく考えるように。皇族の一員になる重圧は、ベルジックの比ではない」
「待ってください。私は殿下と交際していませんし、今後もする予定はありません。皇太子妃について陛下が言及したのも、私のみならずお兄さまたちにも婚約者がいないことを気にかけてくださっただけでしょう」
その真意がどうであれ、皇帝から一目置かれているというだけで、婚活市場での価値は跳ね上がるだろう。公爵家と縁を結べることを差し引いたとしても。
現に、子どもたちに縁談が増えただけでなく、父である公爵にも再婚の打診が来たという。それらはすべて、できるだけ穏便に、丁寧にお断りがなされたそうだが。
「気に入らないな」
「え?」
「エルヴェルトの温室でのこともそうだ。今さら、政争に巻きこむつもりか……? やはりなにか企んで……?」
アルフレッドは眉間にしわを寄せ、指先でコツコツと机を叩く。
またセオドアにあらぬ疑いがかかる前に止めようとしたとき、図書室の扉が開けられた。
「失礼します。お嬢さま、ロッサ工房より――」
「その話ね! すぐに行くわ」
アリステアは席を立ち、メイドの声をかき消した。
ロッサ工房のことはまだ秘密にしている。飾り紐もそうだが、正直に話すのが少し怖いからだ。
――散財するなって怒られませんように。
アルフレッドの視線を背中に痛いほど感じながら、アリステアはメイドとともに応接室へと向かう。
「お待たせしました」
扉を開けるなり、カイゼルは跳ねるような勢いで立った。
「お嬢、いえ、ベルジック令嬢。本日はお時間をいただきありがとうございます」
深々と頭を下げたカイゼルは黒髪を整え、糊のきいたスーツを着ていた。
湯気のない紅茶は手つかずのようだった。
「足を運んでいただきありがとうございます。どうぞ楽になさってください」
アリステアが向かいに座ったのを確認してから、カイゼルはぎこちなく腰を下ろした。
「バニラさんはお変わりありませんか?」
「え、あ、ええ、はい」
言葉に詰まりまくるカイゼルに思わず笑ってしまう。
「かなり驚かせてしまったようですね」
「はい、正直、そうですね。今朝、ベルジックと名乗られたときは聞き返してしまいました」
ベルジックの名を聞き、カイゼルは急いで準備をしたようだ。彼の隣には大きなトランクが一つ、ぴったりと寄り添っている。
「まずはこちらを。簪、ペンダント、髪紐、指輪、腕輪、ブローチ。すべて持参いたしました。昨日から修理や部品の交換をし、令嬢が身に着けるによりふさわしいものになったでしょう」
トランクのなか、一つ一つが丁寧に梱包されていた。
「それで、どうやら手違いがあったようで……」
「手違い?」
「はい、こちらをご覧ください」
カイゼルが差し出したのは長方形の紙だ。
「小切手ですか?」
「使いの方からいただきました」
「私は現金を持たせたはずですが……それにしてもおかしいですね。空白の小切手だなんて」
金額が記入される欄に数字の記載はない。
「その、一度確認していただけませんか?」
「もちろんです。少しお待ちください」
今朝、ロッサ工房へ出した使いを呼び寄せている間、カイゼルに紅茶をすすめる。少しためらいつつも口をつけていたが、一瞬目を見開いたあと、ごくごくと飲み干していた。
よほど喉が渇いていたらしい。
「お呼びでしょうか、お嬢さま」
「ええ。あなたに聞きたいことがあって。これはどういうこと?」
「公爵さまのご指示です」
アリステアが使いに出した侍従に事情を聞くと、ロッサ工房へ向かおうとしたところ、公爵に声をかけられたという。
公爵は襲撃によって心身ともに疲弊したであろうアリステアを案じ、装飾品で気が紛れるのならと小切手を用意したそうだ。
ちなみに、アリステアが用意した現金は回収され、お小遣いに上乗せして返されるらしい。
「お嬢さまがお好きなものを買えるよう、あえて金額を書かれなかったのです」
「つ、つまり……こちらで数字を書いていいと?」
「はい。ご理解いただけると思ったのですが」
「できるか! あ、す、すみません。つい……」
説明を終えた侍従は改めて詫び、自分の仕事へと戻っていった。
机の上に置かれた小切手を、アリステアとカイゼルは呆然と見つめる。
「ひとまず、仕様書の確認はしていただけましたか?」
「それは、はい」
まだ現実を飲みこめていないようで、カイゼルはどこか上の空だ。
「では、本日お持ちいただいた商品と飾り紐の代金を合わせた金額をご記入ください。これからのやり取りは先ほどの侍従を通して行いたいと思います」
「承知いたしました。本当に……本当に、ありがとうございます。ベルジック令嬢のおかげで、私たちはまた歩み出すことができます」
立ち上がったカイゼルは深々と礼をした。
「引退した職人仲間を呼び戻し、作業を進めます」
「楽しみにしています」
カイゼルは晴れやかに笑う。元気で明るいバニラの笑顔が重なって見えた。




