二十二話 捨てないで
「震えが治まったようでなによりです」
「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
リュシアンと名乗りを上げた騎士に連れられた先、ベルジック家の馬車が目に入った瞬間、体から力が抜けてしまった。
支えてもらいながら馬車へ乗りこむと、今度は手の震えが止まらないことに気づいた。
見かねたリュシアンがほかの騎士にイズリアルを迎えに行くよう頼み、付き添ってもらっているのが今である。
「改めまして、私はリュシアン・クローベルと申します。お気づきかと思いますが、皇太子殿下の護衛騎士を務めていました」
リュシアンは胸に手を添えて優雅に笑む。
「どうぞ『リュシアン』とお呼びください。籍は伯爵家にあり、私は男爵ですので敬称もいりません」
「では、私のことはリュシアンさんの呼びやすい名でお呼びください。ところで、一つ確認したいことがあるのですが」
「答えられることであれば」
アリステアは呼吸を整える。
「その……左遷、されたわけではありませんよね?」
潜められた問いかけにリュシアンは目を丸くし、ゆっくりと瞬きをする。それから喉の奥から小さな笑い声をこぼした。
「くっ……ふふ。失礼いたしました。もちろんそのようなことはございません。私はしばらくの暇をいただきまして、せっかくなら殿下のお心を射止めた令嬢が過ごすベルジック領で休暇を、と思った次第です」
乾いた咳が出かけ、すんでのところで堪える。
「先ほどは緊急事態だった故に名乗りを上げてしまいましたが、聞かなかったことにしていただけると助かります」
「わかりました。お父さまには通りすがりの騎士に助けていただいたとだけ報告します。イズリアル……護衛にもリュシアンさんのことは口止めしておきます」
会話が途切れたところで、馬車の扉が叩かれた。ノックにしてはやや強く、間隔が早い。
「失礼いたします。リュシアン殿、急ぎ指示を仰ぎたく!」
「公爵令嬢の前ですよ。騒がしくて申し訳ありません、行ってまいります」
お気になさらず、と送り出そうとしたアリステアは、開かれた扉の向こうに目を奪われた。
「イズリアル!?」
従者服を赤く染め、警戒を深めた騎士二人に挟まれるようにして立つイズリアルの姿がそこにあった。
「ベルジック令嬢!」
馬車を下りたリュシアンを追うように飛び出し、イズリアルに駆け寄る。
「まさか怪我をしたの? さっきの人に!? は、早くお医者さまに診てもらわなくちゃ……っ」
「大丈夫です。怪我はしていません」
「じゃあ、この血は……」
「説明していただけますか? てっきりお話をされるだけかと思いましたが、かなり熱が入ったようですね?」
アリステアの前に手を出し、イズリアルと距離を取らせるのはリュシアンだ。イズリアルに向けられる視線は厳しく、どっと不安が押し寄せる。
「僕の役目はお嬢さまをお守りすることですので」
「だから殺したと?」
「なにか問題がありますか? あの信徒は僕のことを殺そうとしました。正当防衛を主張します」
あっけらかんと返すイズリアルに、空気がぴりっと張り詰める。
イズリアルは今しがた人を殺めてきたというのに、動揺も後悔もしていない。
ゲームのなか、皇女の誘導によりヒロインを始末してきた『イズリアル』と重なって見え、ふるりと背筋が凍った。
「我々も、本件を荒立てることは望みません」
身分を伏せる以上、彼らはイズリアルを追求することはできないだろう。
「あなたのしたことは黙認いたしましょう。その代わり――今日、我々は出会わなかった。それでよろしいですね?」
イズリアルの視線がこちらを向く。アリステアは無意識のうちに呼吸を止めてしまっていたことに気づき、ゆっくり息をした。
「彼の言うことに従って」
「承知しました」
瞑目するイズリアルに背を向ける。アリステアはリュシアンにイズリアルの着替えを頼み、先に馬車へと戻った。
そうして一人になり、頭を抱える。
「やっぱり、キャラクター性は変えられないの?」
鈍い頭痛がした。
イズリアルは正当防衛だと主張するが、あのとき信徒はすでに抵抗力を失っていた。皇室で剣術を習ったイズリアルなら、殺めずとも無力化する方法はいくらでもあったはずだ。
「その剣先が私に向かない保証は……?」
ため息をついたところで、着替えたイズリアルが馬車に同乗する。リュシアンたちに挨拶をしてから、馬車は出発した。
「お嬢さま、申し訳ありませんでした」
「それは……なにに対しての謝罪?」
動き出してからすぐ、イズリアルが口を開いた。
「お嬢さまに迷惑をかけてしまったことへの謝罪です」
殺したことへの罪悪ではなく、その事実が重くのしかかる。
「迷惑じゃないわ。仕方がなかったのよね?」
ここは王族や貴族、庶民がいるように身分制度のある世界だ。前世と今世とでは命の重みは違い、優先度もはっきりしている。
「イズリアルに怪我がなくてよかったわ。戻ってきたと思ったら血だらけで驚いたのよ」
「軽率だったと反省しています」
「私や自分の身を守るためにしたことでしょう? 誰もあなたを責めることはできないわ」
「お嬢さまもですか?」
「うん?」
イズリアルは眉を下げ、まるで主人の機嫌を窺う子犬のような顔をしていた。
「お嬢さまも僕を責めませんか? 許してくださいますか?」
馬車のなかで両膝をつき、胸の前で両手の指を組むイズリアル。
座席へ戻るように促すが、イズリアルはふるりと首を振った。
「お嬢さまが許してくださるまで、何度でも謝ります。罰も受けます。だから、捨てないでください」
「捨てるって……」
身元不明の彼が公爵家で働けているのは奇跡に等しい。アリステアの専属執事として立場を得たのに、当の主人が己を連れずに住まいを移したのだから不安も大きかっただろう。
「今回のことであなたが咎められることはない。リュシアンさんもそうおっしゃっていたでしょ?」
「あの方ではなく、僕はお嬢さまからの言葉がほしいです」
灰色の目にじっと見据えられ、アリステアは少しの居心地の悪さを覚える。答えに迷っていると、馬車が石を踏んだのか、がたんと大きく揺れた。
「あっ」
不安定なイズリアルを支えようと前のめりになったところ、揺れの余韻で体が弾んだ。
咄嗟についた手は向かいの座席。イズリアルは両膝をついたまま、座席にもたれるような体勢になっていた。
アリステアは自分が置かれた状況に気づき、口をぱくぱくとさせた。
――近い!
イズリアルを押し倒すような体勢なだけに、距離があまりにも近かった。身じろげば額が触れそうで、呼吸をすれば息もかかりそうで、さすがに意識せずにはいられない。
「どこかぶつけてはいませんか」
先に口を開いたのはイズリアルだ。わずかに見開かれたまま固定される灰色の目に、顔を真っ赤にさせる自分を見る。
思わず身を引こうとしたとき、それを拒むように背中へ腕が回された。反射的なものだったのかもしれない。イズリアルは表情を変えず、いや、どこか熱を帯びた気がした。
「わ、私は大丈夫よ。イズリアルは……その、体勢では、きついでしょう?」
「大丈夫です。鍛えていますから」
「鍛えていてもきついものはきついでしょ。ちょっと待って、今どくから……」
そう言っても、イズリアルは背中に回した腕を緩めようとしない。
「イズリアル?」
「安心しました」
「え? な、なにが?」
イズリアルはアリステアの体を支えながら、再び座席に座らせた。自身は膝をついたまま、アリステアの手を恭しく取る。
「僕を怖がらず、まだ意識してもらえることが」
手の甲に柔らかな感触が落とされる。
上げられた顔は、いたずらに微笑んでいて。
「イズリアル!?」
アリステアは今日、一番の悲鳴を上げた。




