二十一話 信徒
「それにしても商談とは大きく出ましたな、お嬢さん」
改めて、老人はカイゼル、少女はバニラと名乗った。
バニラの両親は工房が傾き始めるとすぐに帝都へ出稼ぎに向かい、運よく仕事を見つけることができたそうだ。
月に一度の手紙と仕送りでなんとか生活できているという。
「先ほどは失礼しました。この機会を逃したくないあまり、つい出過ぎた物言いを」
勢いのままに格好つけてしまい、恥ずかしさがこみ上げる。
「おかげで目が覚めました。俺は、いえ、私は……やはりこの工房を諦めきれません。代々続いてきたこの場所を守りたいです。この子が守ろうとしてくれたように」
バニラの顔に笑顔が戻り、ほっとする。
「では、売ってもらえますか?」
「もちろんです。ですが正規の値段とはいきません。手入れはしていましたが、劣化はしていますのでせめて値引きをさせてください」
「わかりました。カイゼルさんが納得できる金額を提示してください。明日、使いをよこします」
あれほど大きな口をたたいたが、あいにくすべてを買い取るほどの現金を今は持ち合わせていない。
そもそも、この工房へ足を運んだのは別の目的だ。今しがた購入したものは想定外の棚からぼたもちにすぎない。棚にあったのはまばゆい装飾品だが。
「まずは工房を再開なさるということで、おめでとうございます。このような記念すべき瞬間に立ち会えたことをうれしく思います」
アリステアは挨拶をそこそこに、慣れない商談へと踏み切る。
「バニラさんから飾り紐を拝見し、家族へ贈りたいと考えたのです。材料はこちらで用意しますのでお願いできませんか?」
バニラは大事に握っていた巾着袋を見下ろし、複雑そうな顔をした。
――傷だらけのガラスはちょっとね。
公爵家の人間に贈るものだ。バニラには申し訳ないが、新規で作ってもらいたい。
「飾り紐を一つ出してくれ」
「はい、おじいちゃん」
バニラから飾り紐を渡されると、カイゼルはアリステアの前に出す。
「こちらの飾り金具を家紋の紋章に、ガラスの装飾は翡翠への変更は可能ですか?」
「紋章は実物か画があれば参考に細工いたします。石が翡翠となると、組紐は臙脂色のものがまとまりよくなるかと」
「組紐の色はお任せします。紋章など細かな仕様書は使いに持たせます。材料はこちらで用意しますが、素材に指定がありましたら必要なものは使いに伝えてください」
「承知いたしました。翡翠に模様は施しますか?」
「いいえ。美しく磨いていただくだけで充分です」
アリステアを含め、家族の目は翡翠にそっくりだ。できるだけそれぞれの色に近しい翡翠を用意したい。
「全部で三つほしいです。翡翠の加工は難しいと聞きますから、素材は余裕をもって揃えます。臆することなく、存分に腕を振るってください」
焚きつけるような笑みになってしまったかもしれない。けれどカイゼルも職人然とした誇りある顔を返してきた。
◇◇◇
「早く戻らなければ」
イズリアルは小走りになりながら工房へと戻る。
先ほど、アリステアの思いつきもうまく着地した。まさか道端の小石に興味を持つとは思わなかったが、笑顔が増えるのならそれ以上のことはない。
今は馬場から馬車を呼んだ戻りである。本来ならば工房までアリステアを迎えに行きたかったが、道幅が狭く途中で待機してもらっている。
「あ、ああ……」
「っ!?」
ずしゃりと飛び出してきたなにかが行く手を阻み、イズリアルは足を止める。
それが人で、無視すればいいと頭ではすぐにわかっていた。けれどこの人物がローブに背負う模様に目が留まった。
――オルデン教の信徒。
葉のない樹を円状に囲む煙の紋章。世界中の生き物から慕われ、敬われるという精霊術師の国へ攻め入った愚かものが掲げる象徴だ。
「ううっ」
警備隊かどこぞの騎士に追われ、命からがら逃げてきたのだろうか。
目の前でうずくまる信徒は呻きのような声を漏らし、その身を震わせる。忌々しいそれを恥ずかしげもなく見せびらかして、助けてくれる人がいると思っているのなら本当に面の皮が厚い。
――万が一にもお嬢さまの目に触れさせてはならない。
あとで罰を受けようと、今ここで始末したほうがいい。
そう判断したイズリアルが剣に手をかけたとき、がばりと身を起こした信徒が縋るように腰元へと抱き着いた。
「は……放してください」
首根っこを掴んで引き離そうとするが、びくともしない。
「ああ、神よ! このような大役を私めに任せてくださるとは、恐悦至極に存じます。これ以上の誉れはありませんっ」
「わけのわからないことを……っ」
恍惚な表情を浮かべてこちらを見上げた信徒の腹に、容赦なく膝蹴りを入れる。さすがに気分が悪い。
「ぐふっ……ご乱心ですか!?」
「こちらの台詞です」
目に涙を浮かべる信徒に、イズリアルは自分でも驚くほど蔑みのこもった声が出た。
一周回って冷静になったほどで、それがさらに腹立たしい。
「ああ……どうか、どうか我々を導いてください!」
「引導ならお渡ししますが」
今度こそ剣を引き抜き、信徒のうなじに刃を当てる。
「人違いだと認めて去るのなら、この場は見逃しましょう。我が主は喧騒を好みませんので」
「人違いなど! なぜそのようなことを」
大げさに嘆く信徒の顔に恐れといった感情はない。死すら眼中にないのなら埒が明かないだろう。
せめて一思いにと腕を引こうとしたとき、視界の隅に白銀を捉えた。
「――イズリアル? なにが、あったの?」
一番聞きたくて、けれどこの場ではもっとも聞きたくなかった声。
目を見張り、たじろぐアリステアを見た瞬間、全身の毛が逆立つような感覚があった。
「あれは」
ゆらりと信徒の雰囲気が冷える。
「敬虔なるあなたの信徒。この試練を越えてみせましょう。オルデンさまの導きのままに!」
信徒は首元が血だらけになることも厭わず刃を抜け、アリステアのもとへ駆けていく。
「逃げてください!」
「わ、わかっ!?」
暗器を投げようにもアリステアに当たる可能性があっては安易に使用できない。イズリアルはその身で追うことを選ぶ。
実戦経験の乏しさから数多の判断が遅れ、大切な主を危険にさらすとはなんたる醜態だ。
「オルデンさまに仇なす存在め!」
今にも飛びかからんとする信徒のローブを踏みつけて転ばせたのと同時、アリステアが誰かの背に庇われた。
ローブから背中へ進んで押さえつつ、イズリアルは新手かとすぐさまそのものにも剣を向ける。
「ベルジック令嬢、目を閉じて、耳を塞いでください」
「あ、あなたは」
「皇室騎士団所属、リュシアン・クローベル。ベルジック令嬢を一時的に保護いたします」
介入してきたのは、アリステアの帽子を拾った男だった。
「周囲の捜索を。まだ潜んでいる残党がいるかもしれません」
一般人に溶けこんでいたであろう騎士二人に指示を出したリュシアン。こちらを向いた茶色の目は、どこか非難しているように思えた。
「オルデリアの残党の身柄を引き渡し、あなたはベルジック令嬢の警護へ戻ってください」
「……剣を向けてしまい、申し訳ありませんでした。ベルジック家の馬車があの通りを進んだ先に待機しているので、クローベルさまがお送りいただけますか」
返した言葉にリュシアンは首を傾げる。
「あなたはベルジック令嬢の護衛騎士なのでは?」
リュシアンの向こうで震えていたアリステアが少しだけ目を開け、心配そうにこちらをのぞいた。
まだ耳はその両手で塞いでいるため、声は聞こえていないか、言葉としては拾わないだろう。
「騎士ではありません。皇室の騎士が付き添ってくれるならお嬢さまは安全ですし、なにより、このものに言いたいことがあります」
「聞きたいことではなく、言いたいことですか」
リュシアンは整った眉を片方上げる。
信徒は受け身が間に合わず、顔面から転んだ。そのせいで今は意識がなく、よだれを垂らして無様に伸びている。
「わかりました。主を侮辱されたなら、ひとこと言ってやらないと気が済まないこともありましょう。ベルジック令嬢を馬車までお送りしたらすぐに戻りますので、それまで時間を差し上げます」
「配慮に感謝申し上げます」
イズリアルが礼をしているうちに、リュシアンはアリステアを連れていく。姿が見えなくなる最後まで振り返るアリステアの姿に、いつまでも感傷に浸ってはいられない。
周りに人影がないことを確認し、イズリアルは信徒の横に立つ。
「起きてください」
イズリアルは信徒が背負う紋章の真ん中、樹に剣を突き刺した。
「ぎゃっ!?」
信徒の体が一度、大きく跳ねる。
「目的を教えてください」
「も、目的……? 私、は……オルデンさま、にっ!」
剣を引き抜くと、血が勢いよく吹き出した。
「ここへ来たのはあなた一人ですか?」
「ああ、お許し、ください! オルデンさまの目に留まりたぐっ、私は一人で……その目に映るは、私、一人で」
ずりずりと這いずる信徒の背を何度も、その紋章がずたずたに裂けるまで何度も刺す。
信徒はこと切れる最期まで、世界を敵にした神の名前を呼んでいた。
「ぉる、で……さ、ぁ」
イズリアルは剣を振り、刃についた血を払う。
光を失った信徒の目には、執念深くもまだイズリアルを映していた。
「僕はただの執事です。お嬢さまの――唯一の」




