二十話 商談といきましょう
「ついてきてください」
先導する少女はずんずんと路地裏へと入っていく。
喧騒から遠ざかり、柔らかな日が差しこむ一角で足が止まった。
「ここがおじいちゃんの工房で、あたしたちの家です!」
少女が指さした先には、年季の入ったレンガ造りの二階建てがあった。入口の上には金属プレートがかけられているが、ひどい錆のせいで読むことはできない。
「おじいちゃーん、ただいま! お客さん連れてきたよー!」
少女は元気な声とともに扉を開ける。ベルがついていたが、音は鳴らなかった。
外観から覚悟していたが、工房内は意外にも綺麗にされていた。けれど本格的なショーケースは空っぽで、壁一面の棚にも残念ながら品物は少ない。
布包みが申し訳程度にぽつぽつと置かれているだけで、物寂しい隙間のほうが多かった。
――でも、放置されているわけではない。
棚に埃はなく、しっかりと掃除が行き届いていた。
「あれ? ちょっとおじいちゃんを呼んで――」
少女が顔を上に向けたとき、ぎし、ぎし、と木の軋む音がした。階段を下りてきているようだ。
「あ、来たかも! おじいちゃん、お客さんだよ」
「はいはい、聞こえてるよ」
姿を現したのは黒髪に白髪が交ざった老人だ。最後の段差を下りたところで膝をさすり、こちらを見た。
「おや、本当にいる」
「嘘ついてないよ! おじいちゃんが作った飾り紐に興味を持ってくれたの」
「まだ大通りで並べてたのか? 毎日どこへ遊びに行ってるかと思えば……売れやしないよ」
ため息をついた老人は、少々遠慮が足りない目でこちらを見た。
「高貴なお嬢さんが、こんなちんけなところに何用ですか?」
「えっ、お姉さんってもしかして貴族……じゃあお兄さんも!? どうしよう、あたしすごく失礼なこと……っ」
さあ、と少女の顔が青くなる。
「私はただの客ですから。彼女が見せてくれた飾り紐は、あなたが作ったものだとお聞きしました」
「手慰みに作っただけのものだ。……ですから、ほしいなら代金はいりません。持っていってください」
「だめだよ、おじいちゃん。ちゃんとお金をもらわないと!」
「もう工房は畳んだんだ。それは売りものじゃない」
「棚に並んでいる布包みの中身も飾り紐ですか?」
その問いかけに老人は工房内に目を向け、ゆるりと首を横に振った。
「ブローチにペンダント、簪……あとはなにが残ってたか」
「確認させていただいても?」
「買い手もいません。お好きにどうぞ」
そういって老人は丸椅子に座り、一息ついていた。体のあちこちにガタがきていそうで、少しハラハラする。
「イズリアル」
棚に残されていた布包みの数は十つに満たない。そのすべてを一つずつ、イズリアルは丁寧にショーケースの上に移動させる。
「まるで夜空を閉じこめたようだわ」
ほかよりも細長い布包みに入っていたのは、細い銀の軸に、雫型の深藍の宝石を一粒だけ飾った簪だった。
飾り紐に使われていたようなガラスではなく、本物の宝石に戦慄してしまう。
「えっ、まさか……!?」
続いて手に取ったのはペンダントだ。大粒のダイヤモンドを銀の枠で包んだシンプルな首飾り。その透明感と大きさに驚きを隠せない。
「――」
だんだんと口数は減り、一段と慎重になった手が次に見初めたのは髪紐だ。驚くは、極小の宝石の欠片を銀糸で編みこんでいること。青や紫、白銀などが連なるそれらは、竜の鱗を彷彿とさせた。
これらのほかにも指輪や腕輪、ブローチなど、どれも宝石があしらわれた装飾品が輝きを放っていた。
「布に包まれていたこれらは、本物の宝石ですよね」
「ええ、そうです。かなり昔に作ったものもありますから、価値は劣りましょう」
「これほどの品に、買い手がつかない……?」
貴族夫人に売りこめば即座にさばけるだろう。それどころか注文が殺到してもおかしくはない。
「お客さんがいないんです。おじいちゃん、宣伝もしないから」
「宣伝したところで来るのは客じゃない」
宝石も上等なものだ。それが布包みだけで棚に置かれていると知られれば、強盗が押しかけてくるかもしれない。
「お姉さんたちはお客さんでしょ?」
少女の言葉に、老人は口をへの字に曲げた。一瞬だけ祖父の顔になった老人はすぐに頑固な職人の顔へと戻る。
「どうだかな」
「工房は畳んだとおっしゃっていましたが、今後も製作や販売は考えておられませんか?」
「……恥ずかしながら、もう資金はありませんので」
わずかに遅れた返事に、アリステアは未練を感じ取る。
「では、客足が遠のいた理由を伺っても?」
かつてはかなり算盤を弾いていたのではないか。立地の問題はあれど客足が絶える理由にはならないだろう。
しばらくの沈黙のあと、老人は重々しく口を開いた。
「あえて理由をつけるなら、十五年前の戦争でしょう」
「え、戦争?」
アリステアよりも早く、少女が目を丸くする。セオドアの軍とオルデリア王国が対峙したのは十五年前だから、十歳前後の少女が知らなくても無理はない。
「それまでここらは、職人が多く工房を構えていました。だが多くの後継者が徴兵され……命が無事でも体の一部が使いものにならなきゃ、工具は満足に扱えない」
戦には勝利したが、犠牲も多かったのだろう。
「人の出入りや物流も減少してあちこちで工房は廃れ、帝都へ出稼ぎに行って帰らない人らもいるくらいです」
「お父さんとお母さんは帝都にいるんです。たまにお手紙と仕送りがあって……会いたいなぁ」
しみじみと呟いた少女の頭をそっと撫でた老人は続ける。
「大通りの市場だけでなく、ちゃんとした店舗を構えた店も多いですから。わざわざ路地裏に足を運ばなくても、ベルジック家の屋敷が近いこの街ではそこらに目を引くものがありましょう」
「これほどの腕があるのに、残念です」
老人は現状を、諦観をもって受け入れている。
――もったいない。
アリステアは彼らの苦労を知らない。廃業に追いこまれた工房は、どれほど悔しく、つらい決断を迫られただろう。
「仕方ありませんね。こちらにあるものをすべて私に売ってください。正規の値段で」
「は?」
老人がすっとんきょうな声をこぼす。
「ちょっと、待ってください。まさか買う気ですか?」
「はい。私は客として来ましたから、私が買い手となりましょう」
「……同情なら、やめてくれ」
立ち上がった老人の顔は険しい。慌てて支えようとした少女を、老人がそっと抱き寄せる。
「この子がなんと言ってお嬢さん方を連れてきたかはわかりませんが、わざわざ買っていただかなくて結構です。店は諦めましたが、職人の矜持まで手放したつもりはありません」
「おじいちゃん、失礼だよ! 買ってくれるって言ってるんだよ!? お金があれば、お父さんとお母さんだって帰ってきて、一緒に……っ」
老人の骨ばった腕のなかで、顔を上げた少女の目が潤む。
――なんで急に怒ったの? なにか、気に障ること……。
アリステアは自身と老人の会話を振り返る。
――同情……哀れに思うゆえの施しだと思った?
それが職人としてのプライドに傷をつけたのかもしれない。
――気難しいというには、環境が酷かもしれない。
棚から商品を片付けなかったり、表の看板を下げていなかったり。工房は畳んだ、店は閉めたと言うわりに老人は未練たらたらだ。
「同情ではありません。あなたの作るものが素晴らしいから、ここで埃をかぶらせておくよりも太陽の下で輝かせたいと思ったのです。それだけではだめですか?」
「おじいちゃん……」
少女が赤くなった目をこすり、祖父を見上げる。
「商談といきましょう。まだ、掲げたい名前があるのなら」
ぐっと奥歯を噛んだ老人はやがて、認めるように深く息を吐いた。
「――ロッサ。ロッサ工房です」




