十九話 市場の屋台
「今日という日にお目にかかれて光栄です。帽子がよくお似合いですね」
そう言いながら男性が差し出す帽子を受け取り、すぐにかぶる。
髪を隠す形はメイドに支度してもらったため、出てきたときと同じにできているか自信はない。けれど、薄茶色の目を細めてうなずいた男性のおかげで大丈夫だと思えた。
「拾っていただきありがとうございます」
チャコールグレーのベストに黒のトラウザーズといった落ち着いた着こなしの男性は以前、ネイビーの騎士服を着用していた。
皇太子セオドアの後ろで。
「本日は時折風が強く吹きますので、お気をつけください」
名乗りを上げずに去ろうとするということは、どうやら知らないふりをするらしい。
――左遷じゃないよね?
緩く波打つハニーブロンドの髪の持ち主は、皇太子のそばで華々しい護衛任務に就くような実力者だ。言うまでもなく武芸に優れ、そして間違いなく爵位持ちである。
そんな方が帝都を離れ、なぜここにいるのか。
「それでは失礼いたします」
定型の挨拶後のお辞儀も実に優雅で、道行く婦人の視線を一身に集めていた。感嘆の吐息が聞こえてきたのも気のせいではないだろう。
「イズリアル、帽子は変じゃないかしら?」
「はい――いえ、少し直させていただいても?」
「ええ、お願い」
道の端に移動し、帽子を触りやすいようにうつむく。
つばの角度を整えるために、イズリアルの顔が近づいた。目が合うと、ふ、と心なしか艶やかに笑まれる。
――なんでこうも顔がいいの? 攻略ゲームだからよね。
心のなかで自問自答し、気をそらす。
「できました」
イズリアルが帽子のリボンを指先に絡め、するりと抜いた。澄んだ灰色の目はどこか楽しげだ。
――絞殺されるエンディングもあったな。
イズリアルの攻略ルートで発生するイベント。離れていく指先に、そのワンシーンを思い出した。
皇女にとっては通過点だったが、アリステアはその先を歩めない。
――でも、イズリアルの目や声、手はこんなにも優しいもの。
兄たちとはまだぎくしゃくもするが、今のところ殺意の片鱗は見えない。彼らはゲームの登場人物とは違うのだ。
「ありがとう、イズリアル。相変わらず手際がいいのね」
「お嬢さまの執事ですから、当然のことです。毎日、僕に任せていただいてもかまいませんよ」
「あら、今は従者兼護衛じゃなかったかしら?」
「肩書きなど些細なことです。お嬢さまの唯一であることに変わりありませんので」
さらりと言われてむせかける。せっかく忘れていたのに、イズリアルはずいぶんと気に入っているようだ。
なんとか平然を取り繕い、家族へのお土産を探しに向かう。お土産といってもそう大層なものではなく、これまでのお詫びと感謝を伝えるささやかな気持ちだ。
決して、ある程度の好感度を稼いでおけばいざというときの殺意が揺らぐのではないかという打算的な思いではない。
イズリアルにも意見を聞きながら何店舗かを回ったが、納得する品は見つからない。
「やっぱり、ハンカチが無難かしら?」
狩猟大会といえば主人公がヒロインからハンカチをもらうイベントが定番である。ありきたりだと最初に除外したが、もう一周回ってそのほうがいい気がしてきた。
――皇女が誰かにハンカチを渡す可能性もあるけれど。
ゲームで描かれていない時間軸をいくら考えたところで答えは出ない。
「最初のお店に戻って――なんだか向こうが賑やかね?」
「あちらは市場があります」
「市場!」
いかにもファンタジーな場所に胸が躍った。
「最近はお嬢さまの噂を聞きつけた人たちの往来が増えて活気があるのだとか」
新聞が世間を騒がせてから、皇室もベルジックも声明を出していない。だからこそ好き勝手に囃し立てられるのだが、皇太子の思惑のためにもアリステアは口を噤むしかなかった。
――私が精霊術師であるということは家族にも知られちゃいけないもの。
白銀色の髪が精霊術師の証であるということは一般的に知られてはいない。ルミナラ聖国への入国は厳しく、限られたものしか彼の地を踏むことができなかったそうだ。
どこにオルデリアの残党が潜んでいるかわからないなか、たとえ家族だろうとむやみに素性を打ち明けるにはリスクが高すぎる。
「思っていたよりも人は少ないですね。ですが僕からあまり離れないよう気をつけてください」
「ええ。夢中になりすぎないようにするわ。まずは順番に見てみましょう」
大通りには色彩豊かな旗を張った屋台が肩を寄せ合っている。
大半が食べ歩きのできる飲食物がメインだが、手軽なアクセサリーや香油などの小物も種類があった。
屋台の並ぶ大通りには旅装の人も多く、どっと増えた人の流れが賑わいを見せている。
人々の往来を吹き抜ける風には香ばしい料理のにおいが乗り、前世のお祭り風景が記憶を掠めた。
「イズリアル、おなかはすいていない?」
「はい。お嬢さまも、ここではなにも口にされないほうがいいかと」
「なにか悪いものが混ざっているの?」
「そういうわけではありません。ですが、念には念を入れるべきです。お嬢さまの口に合うかも、体質に合うかもわかりませんので」
「たしかに、屋台の料理っておなかを壊しやすかったかも……?」
この世界でも衛生観念はしっかりしている。文明はそれほどかけ離れておらず、現代人にとっては不便に感じることもあるが、それでも生活水準は高めだ。
貴族だからというわけではなく、ざっと見ただけでも庶民もそれなりの生活を送っているように思えた。
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませー!」
しばらく大通りを進み、屋台も人もまばらになったとき、ひときわ元気な呼び声が響いてきた。
声の主は十歳くらい、黒髪の少女だ。
立派な屋台の群れからやや外れ、直に木のテーブルを置いていた。折れた脚は拳大の石で補い、テーブルはなんとか水平を保つ。
まるでままごとのそれに、人々は一瞥をくれるだけで足を止めない。
「こんにちは」
「っ……こんにちは!」
声をかけると、少女の表情がぱっと明るくなった。緊張と期待に満ちた顔に見上げられ、アリステアは柔らかい笑みで応じる。
「なにを売っているのですか?」
「え、あ、え……っと、飾り紐ですっ」
「飾り紐?」
少女はこくこくと何度か首を振る。
「お守りです。武器につけて、安全を祈るっておじいちゃんが言ってました」
「この飾り紐を作ったのはそのおじいさん?」
「はい! すごく綺麗でしょ! あっ、ですよね? でしょう……? え、ええと」
「楽に話して大丈夫よ。手に取って見てもいいかしら?」
両手で口を押さえてもごもごする少女が話しやすいよう、アリステアも口調を崩す。
「あ、ありがとうございます! どうぞ、好きなだけ見てくださいっ」
何本もの細い糸を編みこんだ赤色の組紐は軽く引っ張ってみても結び目がほつれず、かなりの強度があった。
そこから垂れる組紐の中程には精巧な飾り金具、さらに下にはガラスの装飾が続き、先端は細い輪の金具でまとめられて房となっている。
丁寧に仕上げられたこれらは素人目にも凝った代物だとわかった。
「売りものはここにあるものですべて?」
「おじいちゃんの工房にまだあります」
商機を見出したのか、少女の背筋が伸びる。
「案内してくれる?」
「もちろんです! あ、その前に片づけをしてもいいですか?」
「ええ。イズリアル、手伝ってあげて」
「承知しました。テーブルは僕がお持ちします」
「このテーブル、とっても重いからすごく助かります! ありがとうございます、お兄さん」
少女は飾り紐を無造作に巾着袋へ入れていく。惜しくも商品の扱いはまだまだのようだ。
撤収作業が行われたあと、イズリアルがテーブルを軽々と持ち上げて小脇に挟む。少女が用意できるものだ。剣の鍛錬もしているイズリアルにとっては造作もない。
「こちらの石はいかがなさいますか?」
「それはその辺にあった石だから、大丈夫です。似たような石はたくさんあるから」
少女はひょいっと石を拾い、路肩に転がす。たしかに同じ大きさの石がいくつも寄せられていて、なんだか後頭部がぴりりと痛む気がした。




