十八話 カフェでの修羅場
「帰りの行き先をこっそり別邸に変更できないかしら?」
カフェのテラスでアイスティーを飲むアリステアは雲一つない晴天をどんよりと見上げる。
「疲れがたまっているようですね。追加で甘いものも注文しましょうか?」
後ろから手を伸ばし、イズリアルがメニュー表を手に取った。
ベルジック領へと帰ってきた日、本邸に勤務するメイドや侍従たちがどこかそわそわしていた。そのちらちらとした目線はすべてアリステアに向けられており、その場でアルフレッドが問いただしたところ、件の記事が載せられた新聞を差し出された。
即座に否定しつつもすぐに熱は引かず、数日引きこもったところで公爵に気分転換にと外出をすすめられ、せっかくのおでかけ日和にも乗り気になれないのが今である。
「皇太子殿下の心を射止めたのは、なんと領主さまの娘だそうよ!」
「まあ、そうなの? 領主さまに娘がいたなんて私は知らなかったわ」
「体が弱くて表に出られなかったそうなの。帝都で倒れた彼女を、殿下が助けたとか」
人の口に戸は立てられない。本人も知らない情報が追加された噂が拡散されていくさまを目の当たりにしては食欲もわかなかった。
ただ、喉が渇く一方である。
「イズリアルもなにか飲んだらいいのに。まさか遠慮しているの?」
「喉が渇いていないので必要ないだけですよ。ところで、ずっと気になっていたのですが……本日のお召しものはどちらで?」
「殿下からいただいたのよ。放置するわけにもいかないから、一度くらいは着ておかないと」
本日の装いは、フリルがたっぷりのシャツにローズピンクのフレアスカートだ。シャツの襟元には細いリボン、スカートの裾には刺繍とフリルがある。
つばの広い帽子は大きなリボンと薔薇で飾られ、シニヨンにまとめた白銀色の髪を隠してくれている。
上品さと可憐さを兼ね備えたコーディネートとなっているとメイドが力説してくれた。
「納得がいきました」
「腑に落ちないところでもあったの?」
アリステアは服装を見下ろす。特におかしなところはないはずだ。
「見慣れない服でしたので。そのお姿もよくお似合いです」
「そういうイズリアルこそ……」
いつもの燕尾服を脱ぎ、濃紺の従者服に身を包むイズリアル。首元でぴったり閉じた詰め襟が凛とした印象を与え、普段とは雰囲気をがらりと変えている。
「今日は剣を持っているのね」
「お嬢さまの従者兼護衛ですから。本来なら持つべきではありませんが、お嬢さまが外出の際は所持してもよいと公爵さまより許可を得ています」
イズリアルは護衛だが、騎士ではない。
だが、皇室の騎士団員へ便宜を図るほどの入れこみ具合だ。その腕前も相当なものになっているのではないだろうか。
――お父さまはずいぶんとイズリアルを目にかけているのね。
以前はイズリアルに剣術を習わせる必要があるのかと考えたこともあったが、それはアリステアが家から出ず、イズリアルの役割が執事でしかないことを前提としていた。
こうして外出する機会があるのなら、イズリアルには身を守る武器が必要だ。
「ずっと私のこと騙してたのね!?」
突然、女性の涙ぐむ声が響き、アリステアはびくりと肩を震わせる。
何事かと顔を上げ、振り返る客がほかにもいた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんの話をしているのか」
「全部知ってるんだから!」
アリステアたちから二席ほど離れた場所で男女が揉めごとを起こしていた。
若い女性と中年の男性で、穏やかなティータイムは一瞬にして修羅場と化した。
「本当に私のことを愛してるなら、嘘つかないでよ!」
男性がなにかを言いかけてはやめ、女性はただ続く言葉を待っていた。けれどそれが何度か繰り返されたとき、女性がバッグからあるものを取り出した。
「これがなにかわかる?」
「こ、こんな大金どこで」
どん、とテーブルに置かれたのはじゃらじゃらと鳴る革袋だ。それになにが大量に詰められているかなど容易に想像できる。
「大金……? あなたにとってははした金なんでしょう!?」
「ぐっ!」
女性が革袋から金貨を掴んで男性に投げつける。
ウッドデッキに金貨が落ち、アリステアの足元にまで転がってきた。
「行きましょう、イズリアル」
会計を済ませて店を出る間にも二人の会話は聞こえてきた。
店員たちもあまりの修羅場に声をかけられず、みな困ったような視線を送るだけだ。
「あなたの妻を名乗る女性が、このお金であなたと縁を切るように言ったのに。あなたは思うこともないの?」
「なんだって!?」
「あなたには妻だけでなく、子どももいるそうね!? なにが駆け出しの商人よ。爵位も持っているなんて!」
泥沼はカフェから距離を取るまでいやでも耳に入った。
「す、すごかったわね」
当事者ではないのにざらりとした後味の悪さが残った。涙をこぼしながら唇を噛みしめる女性の表情はしばらく忘れられそうにない。
――身分を騙ってまで彼女といたかったと言えば聞こえはいいけれど。
妻子がいるのならば筋が通らない。男性は周りの人間を欺き、裏切りながら複数の愛を享受していた。
――もし、私が『アリステア』じゃないと知られたら。
公爵や双子たち、イズリアルは、あの女性のように裏切られたと怒り、失望するだろうか。
「お嬢さま?」
心配そうな灰色の目にアリステアが映る。
――逃げたくせに。
『アリステア』が積み上げようとしていたことを放棄して、一目散に逃げ出した。家族も蔑ろにして、我が身可愛さにみんなを傷つけた。
目をそらし、突き放したのに、今さら嫌われることを恐れている自分が浅ましい。
「顔色が優れませんね」
「……少し、疲れたかもしれないわ」
「馬車へ戻って休憩いたしますか? また先ほどのようなことがあっては休まらないでしょうから」
「その前に、お父さまとお兄さまたちに贈りものを買いたいわ。メイナードお兄さまも数日中に帰ってくるそうだから」
これからは誠心誠意向き合おうと決めた。アリステアにとってはゲームの世界という感覚が抜けないが、彼らにとっては現実だ。
焼き立てのパンの香りも、まばゆい太陽と青空も、どれも紛れもない本物で。偽物だとは思えないし、思いたくない。
「あっ」
通りを強い風が吹き抜け、アリステアの帽子をさらった。
とっさにその場にうずくまり、両手で頭に傘を作る。そんなアリステアの盾となるか、帽子を追うか。イズリアルに迷いが生じた。
「――よっと」
ふわりふわりと風にあおられる帽子に追いすがる影があった。地面を蹴って軽やかに跳んだその人は空中でつばを掴み、体勢を崩すことなく着地する。
「お怪我はありませんか?」
帽子の汚れを払う仕草をしながら、男性がこちらへ歩み寄ってくる。
アリステアはさっと立ち上がり、イズリアルの陰に入った。背中越しにその様相を窺うと、糖度の高い笑みを向けられる。
「可憐な令嬢の気を引くために、風の精霊がいたずらをしたようですね」
ゆるりと細められた薄茶色の目は、どうにも見覚えがあった。




