十七話 尾ひれのついた噂
「本題に入るとしよう」
「え?」
てっきり先ほどの話をしに来たのだとばかり思っていたが、振り返れば先触れは公爵に向けたものだった。そこから順にアリステアへ巡ってきたのだから、むしろ先ほどの話がついでなのだろう。
「今年の狩猟大会はベルジック領での開催が決まった。詳細は――」
セオドアが振り返ることなく後ろの護衛騎士に手を出すと、どこにしまわれていたのかずっしりとした書類の束が渡された。
「主催は皇室となっているが、運営は選ばれた領地を治める一族に一任される。領地に引きこもっていたのなら公女は狩猟大会も初めてか?」
「はい。催しは皇女殿下の誕生パーティーしか出席したことがありません」
「白銀色の髪は少なく、目立つ。うっかり狩場に迷いこみ、上質な毛皮と間違われて弓をつがえられないよう用心しろ」
「……冗談がすぎます」
睨むまではいかなくとも、つい眉を寄せてしまった。
「ああ……殿下にきっとお喜びいただけるお話がありましたのに、ショックで忘れてしまいそうですわ」
「なに?」
アリステアはその白銀を優しく撫でる。
ちら、と視線を流せば、セオドアは少しの逡巡ののち、なにかを思いついたようににやりと笑った。
「私が至らぬばかりにあなたの心を曇らせてしまうとは。どうかお許しをいただきたく――再びあなたの顔が晴れるまで、どれだけ時間がかかろうとすぐそばで償いましょう。ですが、その翳りにさえ心を奪われるのはきっと私だけではなく――」
「も、もう大丈夫です! 思い出しましたっ」
「……まったく。そのような反応をするのは公女くらいだぞ」
人が変わったかのようにすらすら述べられた台詞にむずがゆさを覚える。優しい声がまだ耳に残っており、彼もまた攻略対象なのだと思い知らされた。
「ラシェルさまが殿下の身を案じられていましたよ」
「会ったのか」
群青色の目の奥が揺れる。
「夢のなかでお会いしました。とても気高く、美しい方ですね。私のことも気にかけてくださいましたし、お元気そうでしたよ」
「そうか」
顔色一つ変わらないと思ったが、セオドアの目が緩く細められる。
――そんな顔もできるのね。
帝国一の婿候補とうたわれるのも納得だ。結婚適齢期を過ぎようと、いまだその隣を狙う令嬢も多いのだろう。
――望みはないだろうけど。
ラシェルとセオドア。互いを想う二人を見れば、付け入る隙などないように思えた。
◇◇◇
「先ほどの忠告を忘れるな」
玄関前、数台の馬車と護衛騎士を引き連れる皇太子に、メイドたちが緊張に震えていた。
「確認は怠りません。ところで殿下、一つ聞き忘れたことがあったのですが」
「なんだ?」
「庇護下に置くというのは、具体的にどのようなことでしょうか?」
「すぐにわかる」
だったら今教えてくれてもいいのではないか。そう思っていると、ふいにセオドアの目が一点に留まっていることに気づく。
――イズリアル? を、見ている?
視線を追うと、玄関ホールの階段上に頭を下げるイズリアルの姿があった。
彼の身を包む燕尾服はほかの執事と変わらない。目を止める理由はないはずだ。
「殿下? どうかなさいましたか?」
「……いや」
否定しつつも、セオドアはどこか後ろ髪を引かれているようだった。
――攻略対象同士だから?
なにかイベントのようなものが動き出すのか、はたまたフラグが立とうとしているのか。その答えが出る前にセオドアは踵を返した。
「公女。しばし離れることになるが、いつでもお前の身を案じていることを忘れるな」
「っ」
セオドアはアリステアの手を取り、口づけをするように引き寄せた。実際には触れていない。けれど周囲にはしかとキスされたように見えただろう。
メイドたちから静かに黄色い悲鳴が上がり、何人かはとっさに顔をそらしていた。顔を赤くしたいのはこちらのほうである。
――どういうつもりなの!?
皇太子ともあろう人がなにを考えているのか。
心のなかで文句は止まらないが、アリステアは微笑みを崩さない。照れたら負けだとこの地獄のような時間を耐え忍ぶ。
「――きゃあっ!?」
黄色くない悲鳴が背後のホールから響き、アリステアは振り返る。
階段の上でイズリアルに支えられるメイドの姿があった。おそらく、緊張から足を滑らせたのだろう。
転がり落ちなくてよかったと思うのと同時、セオドアから離れる機会を与えてくれたことに感謝する。
「当家のメイドがお騒がせいたしました」
「チッ。せっかくの雰囲気が台無しだ」
そんなもの作らないでいただきたい。鼻を鳴らしたセオドアは最後に階段のほうを一瞥し、皇室の紋章が入った馬車へと乗った。
「殿下、最後に一つだけよろしいですか?」
「存外、公女は積極的なようだな」
馬車の窓から顔をのぞかせるセオドアに、アリステアはにこりと微笑む。
「――殿下こそ女性を間違えるなんて、存外、見る目がありませんのね?」
ささやくように言えば、セオドアの顔が苦く歪む。
向かいに座る護衛騎士が耐え切れずに吹き出し、慌てて咳払いをしていた。
「公女――」
「お気をつけて」
セオドアは最後までなにか言いたげだったが、無情にも出発していく馬車を見送る。
――ふん。あの日の恐怖は忘れないんだから。
エルヴェルトと結託して中途半端に振り回されたのだ。鼻を明かしてやることができたのではないだろうか。
「ベルジック公爵令嬢」
「はい?」
セオドアを乗せた馬車はすでに門を出て行こうとしている。しかし、アリステアを呼び止めたのはベルジック家の使用人ではなく、セオドアの従者であった。
「どうかなさいましたか?」
従者の向こうには、いまだ出発していない馬車三台が見えた。
「こちらは皇太子殿下より公爵令嬢への贈りものです。どうぞお受け取りください」
「は……?」
理解が追いつかず、疑問がそのまま口からこぼれ出た。
「僭越ながら運び出してよろしいでしょうか?」
「――」
話を進めようとする従者から門のほうへとゆっくり視線をずらす。馬車はとっくに門を出て、小さくなっていた。
セオドアの不敵な笑みが鮮明に脳裏に浮かび、アリステアはぎりりと奥歯を噛んだ。
――やられた!
まもなく、社交界では皇太子が一人の令嬢を見定めたと囁かれるようになる。
相手は高位貴族の娘であり、箱入り娘。皇太子が一目惚れしたとか、令嬢が運命を作り出したとか、人々の好奇心を刺激する話は尾ひれをつけて広大な社交の海を泳いでいく。
噂の的である二人は、どちらも沈黙を貫いた。
もっとも、件のアリステア・ベルジックが脚色された恋物語がはやっているとは露知らず。知ったのは領地へ帰ってからであった。
王都から離れた場所から情報の修正を速やかに行うなどできるはずもなく、まるで恋愛小説のようにはやし立てられた連日の新聞を、ぷるぷると震えながら読むしかなすすべはなかった。
「やっぱり、関わるんじゃなかった――!」
びりびりと新聞を二つに裂いても、噂が止まることはない。
アリステアの切実な後悔は、セオドアからの贈りものに埋もれて誰の耳に届くことはなかった。




