十六話 これまでとこれから
「ベルジックの茶は実にうまいな。急ぐ心を忘れさせ、かような安らぎを与えてくれるとは」
応接室のソファに深く腰かけたセオドアが、開口一番にそう言った。
本日早朝、皇太子の従者から先触れがあり、訪問の知らせを受けていた。
本来ならば公爵が出迎えるところだが、急な招集により、到着した従者と入れ替わるように登城したそうだ。
次いではアルフレッドだが、彼もまた午後から外せない予定が入っており、急遽アリステアが対応することとなったのが今である。
「お待たせしてしまいましたこと、お詫び申し上げます。殿下をお迎えするからには万全を期したく、支度に少々時間を要してしまいました」
「公女も来たことだし、三杯目をいただこうじゃないか」
重ねられた皮肉に、アリステアは表情を崩さずに貴族らしい笑みを保つ。
鏡の前で練習した成果を出せたのではないか。そう考えていると、セオドアの後ろに控える二人の護衛騎士のうち一人と目が合った。
朝、訪問の旨を知らせにやってきた従者だ。彼は申し訳なさそうに目礼した。
「本日はどのようなご用でしょうか?」
紅茶を入れに来たメイドを下がらせ、アリステアは訪問の意図を尋ねる。
「まあそう急ぐな。今日は邪魔も入らないだろう」
ゆるりと口角を上げたセオドアに、公爵とアルフレッドが屋敷を空けた背景を感じた。
「二人は下がれ」
「なりません」
セオドアの命令に、護衛騎士たちは声を合わせた。
当然である。セオドアとアリステアは未婚であり、ともに婚約者もいない。そうなるとは考えたくないが、目まぐるしい速度であらぬ噂が立てられる可能性もある。
それだけでなく、暗殺の可能性がある以上、王族が他者と部屋で二人きりなどという状況を作ることはできない。
「チッ。融通の利かない真面目どもが」
彼らの任務はエレスト帝国の皇太子を守ること。護衛対象に煙たがられては彼らも立つ瀬がないだろう。
それに、皇太子の護衛がたった二人とはかなり融通を利かせているのではないか。
「公女。人払いを」
盗み聞きされぬよう、応接室のある階は一時的に立ち入り禁止となった。片方の護衛騎士を部屋の前に立たせるくらいだ。
それほど重要な話があるらしい。
「先日の侯爵邸でのことだが――精霊術師であるという自覚は持ったか?」
あの日以前に、セオドアはアリステアが精霊術師だと気づいていたのだろう。
ルミナラ聖国の一件から、彼は精霊術師の保護をしている。この髪色がなにを意味するか、知らないわけがない。
「――」
ふいに、点と点が線で繋がったかもしれず、けれどアリステアはそのことに関して口を閉ざす選択をした。
「はい。私にそのような力があったとは、にわかには信じられませんでしたが」
「ところで、公女は今までどこにいたんだ」
「部屋におりましたが……」
「そうではない。兄たちの成年式にもいなかっただろう。まさか、病を患っているのか?」
「いえ、私は健康です。兄たちの成年式に関しても、私が浅慮だったにすぎません。今は反省しております」
目を細めたセオドアにアリステアは即座に否定し、下手ないいわけもしない。
節目となる晴れやかな日に祝いに行かなかったほどだ。ベルジック領で療養していたと思われたのだろう。
「人目に触れることもありませんでしたので、私はこれまで無事だったのでしょう」
だが、これからは違う。
オルデリアの残党も隠れていた精霊術師に気づいたはずだ。
「ああ、これまではな」
心の内を読んだかのようにセオドアは整った笑みを浮かべる。
「今後はよくよく警戒しろ。直近で雇い入れたものがいるならば身元調査は怠るな。やつらはそうそう紋章を外さない。だが、己の神のためならなりふり構わないものもいる」
「一度、確認します」
それから、セオドアは一通りの注意を驚くほど丁寧にしてくれた。
初対面とのギャップに少々戸惑ったが、終始表情を保てたのではないか。そう思っていると、ふいにセオドアが背もたれに体を預けた。といっても、触れるか触れないかくらいの姿勢ではあるが。
「さて」
すらりと長い脚が組まれ、膝の上で手が重ねられた。
背後、護衛騎士がわずかに眉を寄せているのを見てしまう。肝が冷え、アリステアは口のなかに渇きを感じた。
「今から話すことは一切の口外を禁じる。十五年前、世界転覆を謀ったオルデリア王族の血をこの手で絶った。だが、のちの調査で判明したことだが――俺が手ずから地獄へ送った王族の数と出生記録が合わない。何度確認してもな」
「それは、つまり」
言い淀むアリステアに代わり、セオドアははっきりと口にする。
「一人、逃げおおせたものがいるかもしれない」
それがどれほどのことか、アリステアは完全には理解できない。
「公女――いや、アリステア・ベルジック公爵令嬢」
「はいっ」
改まっての呼びかけに声が上ずる。
セオドアは依然としてゆるりと腰かけているが、逆にアリステアは体を固くした。
「これ以降、精霊術師であるあなたを俺の庇護下に置く。こちらでも守りを厚くしよう」
ぴりり、と応接室に緊張が走る。
「その、私には身にあまることと思えますが、よろしいのですか……?」
「精霊術師を失うことは、世界の損失だ」
そして、とセオドアは口角を吊り上げる。
「精霊術師は存在だけで国益を生む。世界ひいてはエレスト帝国のためにもなる」
紳士的というにはいささか野心めいた笑みに背筋がぞくりと震えた。
「だが、そうだな」
セオドアはわざとらしく顎をさする。
「公女が感謝の意を示したく、協力したいと申し出るなら快く受け入れよう」
護衛騎士が息を吐いたのがわかった。薄茶色の目に同情の色を滲ませてでこちらを見ないでいただきたい。
「帝国一の婿候補である俺を前に、ほかの男に目移りするとは公女は見る目がないな」
「っ」
出かかった声を必死に飲みこむ。
「殿下のお力となれますこと、この上ない名誉にございます。微力ではございますが、殿下にお尽くしできればと存じます」
「そうかしこまるな。精霊術師の言動に一切の不敬は問わない。信じられないのなら一筆したためてやろうか?」
「……そこまでしていただかなくて結構です」
つくづく、厄介なことに巻きこまれてしまったと素直に思う。
けれど、本来ならば剣を向けてくるかもしれない相手が盾を用意してくれるというのだ。ありがたく受け取りたい。
「殿下に申し上げたいことがあります」
「言ってみろ」
「過分な期待をいただき光栄ではありますが、私の力はとても弱いそうです。エルヴェルトさまに……精霊術師の方々に聞こえる精霊の声もこの耳は拾いません」
「ほう。なぜそれを明かした」
「いざというとき、頼りにされては困るからです」
セオドアはきょとんと丸くした目を瞬かせた。
「く……ははっ」
少しの沈黙のあと、破願したセオドアが楽しげに喉を鳴らした。
「公女に求めることは多くない。民を守ることは俺の責務でもある。だから、恐れるな」
静かに、けれど力強くそう告げたセオドアはたしかに皇族の顔をしていた。




