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十五話 どうかあの方を

「浄化作用……怪我を治せるとかでしょうか?」


 ぱっと思いつくのは治癒魔法のようなものだ。もっとも、前世でも想像上の代物でしかないが。


「そのような精霊術を使えるのはごく一部のものだけです。気持ちを落ち着かせるなど気休め程度なら可能ですが。それにしても、つい最近まで精霊に関することを知らなかったのに……浄化からその発想を得るなんて、アリステアさまのお考えは柔軟なのですね。素晴らしいですわ」


 ぱちんと両手を合わせたラシェルに、思わず肩の力が入った。


 精霊の存在は知っていても、普通の人間には馴染みがない。生涯、その不思議な力と交わることがないものもいるだろう。


 アリステアもそのうちの一人であり、そんな世間知らずがラシェルの話からすくいあげて口にした想像は、解像度が高すぎたのかもしれない。


「邪悪な存在を退けたり、植物を成長させたりが主だった力でしょうか。精霊術はあくまで自然の範疇を出ませんから」


 まだ気を落としている様子のエルヴェルトが控えめに口を挟む。


 それでも充分に自然の範疇を越えているとアリステアは思うが、認識を改めなくてはならないのだろう。


「邪悪な存在というのは?」

「近しいもので言えば、やはりオルデンが最たる例でしょう」


 穏やかだったラシェルの表情が真剣なものへと変わる。


 エルヴェルトも体を強張らせ、背筋を伸ばした。


「オルデン教の真の目的は、オルデンを復活させること。その先の結末を、わたくしたちは精霊術師として防がなければなりません」

「オルデンを、復活させる……?」


 オルデンは人間と子をなし、その子どもがオルデリア王国の初代国王となった。アルフレッドから教えられた歴史は、大まかにまとめればそうだ。


 ではなぜ、地上に降りてまで人間と歩むことを決めたオルデンが、王にならなかったのか。


「はるか昔、オルデンは世界の均衡を崩すものと認定され、精霊術師によって封印されたのです」

「そしてその封印を担うのが、ルミナラ王族の精霊術師です」

「ということは、オルデンは今も封印されているのですか?」

「はい。わたくしが封印を続けているため、この地を離れることができません。ですから、エルヴェルトやアリステアさまとは、こうして箱庭を通じてお話しさせていただいております」


 そこで言葉を区切ったラシェルは、すっかり湯気の立たなくなった紅茶を飲んだ。つられて、アリステアも同じようにする。


 口のなかを潤わす紅茶の甘さは控えめで、むしろ苦みを感じた。


「……オルデンを消すことはできないのでしょうか?」

「不可能でしょう。命あるものから感情を切り離せないように、欲望そのものであるオルデンを完全に消滅させることはできません」


 かちゃ、とカップの置く音が鳴る。ラシェルは顎を引き、力強く続けた。


「精霊とともにわたくしたちが力を弱め、封印し続けなければならないのです。世界の秩序を守り、均衡を保つために」


 ラシェルの金色の目に、強い光が灯る。


「精霊術師が理不尽に蹂躙される今、オルデン教に対抗できるものたちは両手で数えられるほど」


 ラシェルが一呼吸を置いた。


「アリステア・ベルジック公爵令嬢。無礼と危険を承知で願います。どうかわたくしに力を貸してください」

「――」

「ここのところ、オルデン教はエレスト帝国に頻繁に出没しています。狙いは精霊術師だけでなく、皇太子であるセオドア・イシュトヴァーン殿下です」

「皇女殿下の誕生パーティーでのこと、公女さまも覚えていらっしゃいますよね」


 あの夜、皇太子は皇女への贈りものと称して、始末したオルデリアの残党を面前にさらしていた。


 あれは、セオドアを狙った刺客だったのだろう。


「どうか、どうかあの方を――セオドアさまを助けてくださいませんか?」


 胸の前で組まれた指は小さく震えていた。


 祖国を奪われ、今もなお命を脅かされている彼女の胸中は想像を絶する。できることなら力になってあげたい。けれど。


「心苦しいですが、私にはそのような力はありません。私が精霊術師であるということは受け入れます。ですが、ラシェルさまもおっしゃったではありませんか。私の力は弱いと」


 彼女たちには聞こえているであろう精霊の声もアリステアには届かない。


「大業を成し遂げる必要はありません。ただ、祈ってくださればそれで充分です」

「祈る……」

「精霊術は祈り、願いによって精霊へ届きますから」

「私も、精霊術を使うことができるのでしょうか?」

「ええ。あなたも精霊術師ですから。もし勇気を出してくださるのなら、エルヴェルトに習うといいですわ」


 ラシェルは慈しみの深い笑みをした。


 エルヴェルトへ視線を向けると、こくりとうなずかれる。


「公女さまに贈った扇は精霊術を使うための補助の役割を担います。可能ならば肌身離さず持ち歩き、他者に渡すことがないようにお願いします」


 扇ならば普段使いしても不自然ではないだろう。貴族令嬢が使うには少し落ち着きすぎており、渋いデザインにも思えるが。


「それとアリステアさまに一つ、お聞きしたいことがありまして」

「なんでしょうか?」

「その……」


 ラシェルが両手に頬を添え、視線を流した。


「セオドアさまはご健勝ですか?」


 赤みが差した頬に、なんだか甘酸っぱい空気を察知する。


「殿下は、お元気かと」


 言葉を選びながらなんとか答えると、ラシェルは愛しそうにはにかんだ。


「安心しましたわ」


 どう見ても恋する乙女である。


 ――セオドアルートは敵が多かったみたいね。


 セオドアを攻略する場合、ヒロインだけではなく亡国の王女も参戦してくるではないか。


 血の繋がりを考慮し、難易度を高めに設定しているのかもしれない。だとしても、倫理観が欠如していることは否めないが。


「エルヴェルトに聞いても、いつも変わりはないって言いますの。わたくしは普段を知らないのに」


 ラシェルは口を尖らせる。


 じとっとした金色の目を向けられたエルヴェルトは少し落ち着かなさそうで、組んだ指を時折動かした。


「殿下は日々、我々のために戦っておられます」

「それはわかっているわ。でも……」


 肩肘を張っていたラシェルからは剣呑な雰囲気がすっかり抜け落ちている。緊張感も薄まり、アリステアも肩の力を抜いた。


 ――情報量が多くてすべてを受け止められてはいないけど、もうわけのわからない力に翻弄されることもない。


 ラシェルは祈るだけでいいと言った。それなら領地に帰ってみんなの無事を願えばいいだろう。


「アリステアさまも、こう……じれったいと思うことがあるでしょう? エルヴェルトは頭が固く……いえ、まじめすぎるところが玉に瑕ですの。って、不満ばかり話してごめんなさい。つまらないですね」

「ラシェルさま、どうか楽に話してください。こうして誰かと歓談することも私には縁のないものでしたので、どんな話でもつまらないなんてことはありません。むしろもっと聞かせてほしいです」

「まあ、いいの? わたくし、お友だちも少なかったから……アリステアとこうして話せて嬉しいわ!」


 ラシェルの可愛らしい声に耳を傾けながら、アリステアは紅茶を飲む。


 先ほどのような苦みは感じない。むしろ甘いとさえ思えた。


「――」


 不思議そうにカップのなかを揺らすアリステア。どれだけ喉を通そうと、紅茶が減ることはなかった。

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