十四話 神秘的
アリステアは、ぼふ、と勢いよくベッドに寝転がる。窓の外はすっかり暗く、夜の帳が下りていた。
柔らかなベッドに沈んだ体は、今日の疲れを思い出したかのようにどっと重くなる。
「はっ、このまま寝そうになっちゃった」
だめだめ、とアリステアは目を開き、もぞもぞと枕の下に手を伸ばす。
「ラシェルさまが待っているわ」
エルヴェルトからもらった扇を抱くようにぎゅっと握り、仰向けになって再び目を閉じる。
「力を、流す」
ふっと体から力が抜け、意識が引っ張られるようだった。
「――箱庭だわ」
暗闇から一転、目の前にはあの草原が広がっていた。
「聞いているの!?」
「っ!?」
爽やかな風に目を細めているとどこからともなく怒号が響きわたり、アリステアは肩を震わせた。
「聞いています……」
ガーデンパラソルの下、テーブルには銀で統一されたティーセットが準備されていた。とても美しく、背景も相まって優雅なガーデンパーティーを彷彿とさせる。そこまではいい。
問題はそのすぐそばの人たちで。
「あなたって子は、どうせ面倒だとか思っているのでしょう!? ことの重大さがわかっていないようね!」
「王女さま、どうか怒りをお沈めください……」
草原に正座してうつむくエルヴェルトと、腕を組んで彼を見下ろすラシェルの姿があった。
「ことの重大さは理解しているつもりです。先ほども申し上げましたが、時間がなかったのです。午後に公女さまがこちらへいらしたことは――」
弁明を口にするエルヴェルトが顔を上げたとき、はたと彼の動きが止まる。アリステアと目が合ったことで、ぽかんと口を開けたまま固まってしまったのだ。
「あの、ラシェルさま」
「なによ!? ……あっ」
アリステアが声をかけると、ラシェルはすごい剣幕でこちらを向いた。それから、口を塞ぐように両手を添える。
「わ、わたくしったら」
「お取込み中のようですので、私は散歩でも……」
「お待ちください、公女さま!」
エルヴェルトの縋るような声と眼差しに、不覚にもときめいてしまう。
――うう、顔がいい。
弱った表情をするエルヴェルトはいつもより幼く見え、心の底をくすぐった。
「アリステアさま、どうぞこちらにお座りになって。ちょっと、エルヴェルト。いつまでそこにいるつもり? アリステアさまの邪魔でしょう?」
「申し訳ありません、王女さま……」
エルヴェルトは弱々しく立ち上がる。ラシェルがアリステアの椅子を引くのを見て、エルヴェルトもラシェルの椅子を引いて待った。
二人が席についたことを確認してから、エルヴェルトもやっと腰を下ろす。
「王女さま……王女?」
アリステアはラシェルの顔をまじまじと見てしまった。
――なんというか、とても神秘的な人ね。
まるで絵画から出てきたような雰囲気があり、彼女こそが精霊だと言われても信じてしまうだろう。それほど、自然と惹きつけられた。
「公女さま。彼女はルミナラ聖国の王女、ラシェル・ルミナラさまです」
「今はもう王女ではありません。ルミナラの地と民を守れなかった私にその肩書きを名乗る資格はないのですから」
かなり重い話のはずなのに、つらさを噛みしめるエルヴェルトとは違ってラシェルは淡々としていた。
「だめね」
ぽつりとつぶやいたラシェルはにこりと笑った。
「感傷に浸ってしまう前にこの話は終わりにしましょう。わたくしたちもいつ目覚めるかわかりませんから、話を進めましょうか」
そう言って、ラシェルはポットを手に取った。
「お茶なら私が淹れます」
「まあ、『私』だなんて気取っちゃって!」
「からかわないでください……」
エルヴェルトはラシェルからポットをもらうと、慣れた手つきで人数分の紅茶を注いだ。
「お二人は仲がいいのですね」
「そう見えるかしら?」
「まるで姉弟のようです」
つきりと胸の奥が痛む。
――『アリステア』も、こんな未来を願っていたのかな。
その機会はもう返せないかもしれない。
「ふふ。わたくしにとって、ルミナラの民ひいては精霊術師という存在は、家族のようなものです。ほとんどの精霊術師は、ルミナラの女性王族が覚醒させますから」
エルヴェルトがアリステアにしたことは、本来ならラシェルの役目だったのだろう。
「では、エルヴェルトさまのことはラシェルさまが?」
「いいえ。エルヴェルトは生まれたときから覚醒しておりました。この子は……とても特別な存在なのです」
「恐れ多いことです」
アリステアが視線を向けると、エルヴェルトは気恥しそうにしていた。
「アリステアさまのことはエルヴェルトが覚醒させたと聞きました。わたくしにも確認させていただいても?」
「わかりました」
差し出した右手を両手で包みこまれるようにして持たれる。
「――」
手から体のなかへと温かいものが流れてくる。ほんの少しだけくすぐったく、けれどぞわぞわした感覚はない。
――エルヴェルトさまとは大違い。
なにかが丁寧に全身を巡っていく感覚が、どこか心地よかった。
「ふむ。ありがとうございました。楽にしてください」
体のなかを巡っていたなにかが消える。エルヴェルトのときよりその感覚がより明瞭で、けれど不思議と怖さはなかった。
「アリステアさまの力は――とても不思議で……とても弱いですね」
「えっ」
期待していたわけではない。けれどヒロイン補正なるものがよぎらなかったと言えば嘘になる。本音をこぼすならば、ラシェルの宣告は拍子抜けであった。
「普段、精霊の声も聞こえないのでしょう?」
「はい、そうですね。ところでラシェルさまは今、なにをされたのでしょうか?」
アリステアが首を傾げると、ラシェルの眉がぴくりと動いた。
「……エルヴェルト」
ラシェルが静かにその名を呼ぶと、エルヴェルトは息を詰めた。
「あなたまさか、なにも説明せずにマナを流したのではないでしょうね?」
「そ、の……それは」
口ごもるエルヴェルトだったが、ラシェルに冷ややかな目を向けられると、テーブルに額をつける勢いで頭を下げた。
「申し訳ございません!」
「わたくし、謝ってほしいなどとは言ってないのだけれど。謝るとしたら相手はわたくしではないし、なぜそのように無礼を働いたのかを問うているのよ」
「うっ」
空気が冷え、風は止まっていた。
「ラシェルさま、マナとはいったいなんでしょうか?」
顔を青くするエルヴェルトをよそ目に、アリステアは尋ねる。
「マナとは自然に満ちる力であり、精霊術を使う際の力の源でもあります。精霊術師は精霊を通してマナに触れ、流し、形にすることができるのです」
ラシェルはそっと指先を伸ばした。手のひらは閉じ切らず、柔らかく開いたまま。伸ばした指先は少しだけ弧を描き、まるで止まり木のようだった。
「――」
差し出した指に、光が集まり始めた。
やがて光は羽を広げ、尾を伸ばす。淡い光に輝く鳥がラシェルの指に止まっていた。
「これは張りぼてですが、現実の精霊術には浄化作用があります」
ふわりと鳥が飛び立つ。羽ばたきの最中に霧散した光景から、目が離せなかった。




