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十一話 目覚めたよ

「メイナードお兄さまをそこまで評価してくださっていたなんて……嬉しいです」


 妹として、家族として。その枕詞を、どうしてもつけることができなかった。


「ほう」


 セオドアな意味深な相槌に肝が冷える。


 そして次の瞬間、セオドアの手からカップが滑り落ち、がしゃんと地面に落ちた。


「――おっと」

「すぐに手配いたします」


 エルヴェルトの言葉にわずかな違和感を覚えていると、掃除をしに来たメイドに交じり、最初に出迎えてくれた男性が足早にアルフレッドに近寄る。


 ――まずい、気がする。


 耳元でなにかを囁かれたアルフレッドは眉をひそめ、何度か言葉を交わしたあとに席を立った。


 アリステアの懸念は的中し、アルフレッドは男性についていってしまった。


 割れたカップとともにメイドも撤収しており、気づいたときにはセオドアとエルヴェルト、アリステアの三人だけが温室に残った。


「さて」


 セオドアがふんぞり返り、尊大に腕と足を組んだ。


「邪魔者は消えたな」


 少しだけ低くなった声に身の毛がよだつ。


 ――さっきの……新しい紅茶を用意させるって意味だと思ったけど、アルフレッドに席を外させる合図だったのね!?


 怪訝が顔に出てしまっていたのか、エルヴェルトが苦笑した。


「申し訳ありません。ですが公女さまには、どうしても確認したいことがあったのです」

「なにを……」

「公女さまも気になっていたのではありませんか? あの日たしかに、お聞きになったことでしょう」


 皇女の誕生パーティーのことを言っているのだと悟り、思わず口を閉ざしてしまった。


「もう一度、私の手を握っていただけませんか?」

「……いやです」

「エルヴェルトの言う通りにしろ」


 横から威圧的な声が飛んでくる。


「私に、いったいなにをさせたいのですか?」

「聞こえなかったか? 早くエルヴェルトの手に触れろ。次はない」


 アリステアは小さく息をつく。


 皇族の命令を無視できるわけもなく、ゆっくりと手を差し出す。


 ――どうして、放っておいてくれないの。


 恥を忍び、公爵に願って逃げ出したのに。連れ戻されてからはあっという間である。まだシナリオは始まってもいないはずなのに、攻略対象は次々と現れた。


 そして、物語の根幹へ深く関わらせようとしてくる。


「失礼いたします」


 互いに手袋をしているものの、二人の手が重なる。


「ぅ、っ」


 また、なにか流れこんできた。ぞわぞわして、くすぐったくて、けれどとても温かい。


「もう少しの辛抱です」

「あ、ぁ」


 片方の目を瞑れば、開いているほうにぼんやりとセオドアの顔が映った。真剣な面持ちでこのやりとりを見つめている。


 感覚が研ぎ澄まされ、ぞわぞして、くすぐったくて、とても温かいものが自分のなかに溢れていくのが感じられる。それが最高潮に達した瞬間、なにかが耳元で嬉しそうな声を発した。


『目覚める、目覚めたよ』

「はっ!?」

「深呼吸してください。安定するまで、僕の手を離さないで」


 エルヴェルトの一人称が変わっていることにも気づかず、アリステアはただ言われた通りに呼吸を繰り返す。そうしているとだんだん、心音も落ち着いてきた。


「い、いったい……なにが、起きて……今のは」


 震える声にセオドアは嘆息し、エルヴェルトは安堵したように目尻を下げた。


「説明、してください。でないと、私は……っ」


 安定してきた呼吸が荒くなる。侯爵家当主の前だろうと皇太子の前だろうと関係ない。恐怖や不安を怒りで隠さなければ、今にも泣いてしまいそうだった。


「チッ。せっかちなやつめ」


 セオドアの舌打ちにきゅっと唇を噛む。


「話はまた後日にしなくてはならないようだ」

「なっ、ど、どうして……!」

「アリステア。なにをしている?」


 ふいに背後から響いた声が、セオドアが口を閉ざした原因と物語っている。


「――なにも、ありません」


 アリステアは椅子を引き、目を細めるアルフレッドの横を通りすぎた。


「どこへ行く」

「帰るのです。紅茶はすっかり冷めてしまいましたから。それにお兄さまも用事ができたのではないですか?」


 アルフレッドは言い当てられたことが不服とでも言うように口を閉ざした。


「お待ちください。公女さまに渡さなくては……渡したいものがあります。公爵家の馬車に預けるように伝えていますから。どうか、どうかお受け取りください」


 帰りの馬車に揺られながら、アルフレッドは書類に目を通していた。行きは見ていなかったから、席を外したときに渡されたのだろう。


 ――渡したいものって、なんだったんだろう?


 アリステアはちらりと視線を流す。綺麗に包装された箱が一つ、座席に置かれていた。


 ――なにが入っているのか、まったく想像できない。


 箱は細長く、軽い。装飾品だとしても、なにが入っているのか想像できなかった。


「開けるのか?」


 書類の向こうから覗く深い翡翠の目は、「家まで待てないのか」と言っているようだった。


「お兄さまだってそれを読んでいますよね?」

「これは……わざわざ茶会の途中に渡されたんだ。早く目を通すに越したことはない」

「でしたら私も、エルヴェルトさまに受け取ってほしいと言われましたので」


 早く開けるに越したことはない、と包装をはがす。


「……扇か?」


 アリステアではなく、アルフレッドが先にこぼす。


 なかには柔らかな布に包まれた扇が入っていた。手触りは滑らかで、昔から愛用しているかのようによく手に馴染む感覚がある。


 ゆっくり開くと、かすかな風が生まれた。


「綺麗」


 生成色の地に、銀のきらめきが細かく散っている。銀の粒は均一ではなく、ところどころに集まりや抜けがあり、まるで星空のようだった。


 そこに重ねるように描かれているのは金色の花と蔓だ。しなやかに伸びる蔓は流れるように連なり、枝分かれした先に小ぶりの花がいくつも咲いている。


 花はエルヴェルトが持っていた杖と似ている気がした。


 ――カード?


 箱には手のひらサイズの手紙が同封されていた。


『今夜、扇に精霊術をお使いください。公女さまにご紹介したい方がおります』


 そう書かれていたのだが、アリステアには理解ができなかった。


「なにが書かれている? 見せてみろ」

「え、どうしてですか?」


 アリステアは扇とカードを守るように抱えこんだ。


「……表情が曇った」

「――」

「まさか、求婚されたわけではないだろうな?」

「違います!」


 即座に否定しても、アルフレッドの目は疑り深い。


 ――精霊術を、使う。


 なぜ、精霊術を使える前提なのだろうか。それはまるで、アリステアが精霊術師だと断定しているようなもので。


『目覚めたよ』


 あのとき聞こえた声が脳裏に浮かぶ。


 ――まさか、私が精霊術師として目覚めたとでも?


 そんなことはありえない。なにかの間違いだ。きっと、エルヴェルトもセオドアもなにか勘違いしているに違いない。だって、なぜなら。


 ――そんな設定、一度も出てこなかった。


 『アリステア』は皇女の野望のために死を約束されたキャラクターだ。名ばかりのヒロインにそんな設定を付与しても無意味ではないか。


 ――でも、設定を盛りに盛る作者だし……実はヒロインにも!? っていうこと?


 それにしては理不尽に、容赦なく悲惨なエンディングを迎えさせられていたが。


 少し考えてから、アリステアは小さく息を吐く。


 エルヴェルトは風を起こし、光をはばたかせた。あとは、とアリステアは扇と向き合う。


 ――こんな感じ……?


 二度もエルヴェルトにされたように、体の奥から力を流すイメージをしてみる。


「――」


 意識が、遠のいた。眠気ではない。けれど抗いようもなく、意識は暗闇へと吸い寄せられていく。


 いまさら手紙に『今夜』と書かれていたと思い出したところで、もうなすすべはなかった。

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