創造神と男神による閑話
人間が踏み入ることの出来ない神の領域。そこは人間の住む土地とは次元が違う場所に存在する。
白壁や白柱に囲まれた神殿はたった一人のために存在する建物だった。
シンプルな白い石の玉座に鎮座するのは女神イストワール。青と緑の中間色である長い髪をなびかせる彼女はとある世界の創造神として崇められている。
その女神は宙に浮かぶ水晶玉から映し出される映像を観賞しながら溜め息をひとつこぼした。
「あ~ぁ、相変わらず進展がないわねぇ……」
自身が生み出した世界を映す映像には最近お気に入りである人間二人の姿があった。
一人はイル。能力を数値化すると運の項目だけマイナスに表記される珍しいタイプの人間。そのため周りの人間よりも不運であり、事件などに巻き込まれやすい体質の持ち主。
これといった特徴はあまりない平々凡々な人間。しかし、女神は彼女の運の数値を見て哀れみ、彼女に手を差し伸べた。
そしてイルに一冊の魔法のスイーツレシピブックを授けた。レシピ通りにスイーツを作ってそれを口にすると能力値が上がり、スキルや魔法を取得することが出来るという力を。ただの気まぐれではあるがイルにとっては人生の転機であった。
しかし、どれだけイルの能力値が上がろうとも運の数値は変動しない。なぜイルが不運のままなのか、本人は今もわからない状態だった。
そして二人目は異世界から転移されたレイヤこと水篠 怜也。見た目がイストワールの好みだという理由でイルと宛てがうために自身の世界に召喚した。
顔の表情は乏しいが、つり目で後ろに小さく結んだ黒髪の青年である。
そんな彼を呼び出してすでに七ヶ月ほど経過した。しかし、イルとの恋愛模様を楽しむつもりでいたのに進展は全くなくて女神もつまらないと言いたげにぼやく。
「普通、男女が一つ屋根の下に住んだら恋愛のひとつやふたつ芽生えるものじゃないのぉ?」
恋愛イベントがあると言うのならせいぜいイルにブレスレットや服をプレゼントしたくらいだろう。
その様子を見たときのイストワールはそれなりに盛り上がったけど、それ以降は特に何もなくただただ日常が過ぎていっただけ。
「イルの魅力が足りない? それとも怜也さんが奥手とか? もーっ! 物足りないわー!」
椅子に座ったままジタバタと暴れる創造神。どれだけ叫ぼうともこの空間には彼女一人しかいないので誰にも迷惑はかからない。
しかし、この日は彼女の元に訪問者が訪れた。
「一人なのに随分と騒がしいのだな、イストワール」
女神の嘆きに小さく笑いながら姿を現したのは真っ直ぐに流れる長くて美しい漆黒髪の男性。
イストワールの世界では見ることのない和装姿で落ち着いた色合いを纏っていた。
「あら? リチュエルじゃないの。聞き耳立てるなんて失礼じゃないっ?」
「聞き耳を立てるも何も聞こえてきたのだから仕方ないだろう?」
そう答える男にイストワールは自身が大きな声を発していたことを気づき、恥ずかしげにコホンと咳払いをする。
「そ、それより、私の領域に何かご用かしら?」
「うちの駒の様子を見に来た」
「あぁ、怜也さんね。あれから特に変わりはないわよ。退屈なくらいに」
小さく息を吐いて映像を映す水晶をリチュエルという男に見せた。
そこにはイルとプニーと共に食事をするレイヤの姿が映し出される。その様子を見たリチュエルは「ふむ」と呟く。
「そちらの世界に馴染んではいるようだな。俺の世界から送った駒なのだから野垂れ死にしてないか気になっていたが、ひとまず大丈夫そうだ」
「当たり前じゃない。私の大事な主人公の一人なんだから死んでもらったら困るわ」
「だが、過度な手助けはしないだろう?」
「そりゃあね。恩恵を与えるだけでも十分な助力はしてるんだし、それ以上の干渉をしないのが私のルールなんだから」
恋愛脳ではあるが創造神イストワールにも神としての在り方はしっかりと考えている。
気に入った者や世界の発展のためにその姿を見せたり加護を与えることはあるが、干渉をしすぎると相手の成長にもならない上に与えた加護で身を滅ぼすこともある。
そのため、イストワールなりに人を選んだり顕現する頻度は予め決めていた。
「俺から見ればお前が人に与える力は多いように見えるがな」
「あら。あなたが少ないんでしょう?」
「俺の拠点とする星は他の神も混じって観察を楽しんでるからな。どいつもこいつも加護を与えるから調整しておかないとてんやわんやの大騒ぎになる」
「地球、だったかしら? あそこはなんだか色んな力を持つ神達がいるわよね。私は自分の世界で十分だわ」
「多くの神はお前のように一から世界を生み出すのが面倒だからな。既存する星で見守るのが楽でいい」
神は人を観察し、気に入れば力を授けたり手助けをすることがある。
星をつくることも出来るけど長い年月をかけるため面倒くさがる神の方が多い。
地球は遥か昔に別の神が生み出した星なので多くの神達はそちらで人間を見守っている。リチュエルもその一柱であり、神の中でもその力は強い男神だ。
対してイストワールは星をつくるだけでなく、地球とは別の次元の異なる世界を生み出す天地創造を行った女神。
何千年、何万年とかけて築き上げた彼女は自身の世界を気に入っていた。
「自分で一から創り上げる方が愛着も湧くわよ。まぁ、苛立ってつい隕石を落としちゃうこともあったけど」
てへ、と笑うイストワールだったが、その内容はとんでもないものだった。
当時、生命の進化の過程に納得がいかなくてつい隕石を落としてしまったため、ほとんどの生物が全滅状態となり、一からやり直した過去がある。
今でこそ上手く創り上げた星となったのでイストワールはちょっとした刺激を求め、よその星の人間と自分の星の人間を交換しようという提案を友人でもあるリチュエルに持ちかけた。
今回は実験的なものでもあるため、生身での転移は行わない代わりにすでに亡くなって次の転生を待つ魂を使っての交換転移を決行。
お互いの星のデータである魂の情報を確認し、欲しい人間を選ぶのだが、そこでイストワールが目につけたのは水篠 怜也だった。
彼を一目見て気に入った女神はすぐに不運な娘イルに宛てがうことを考える。素敵な恋愛を繰り広げてくれることを願って。
同じくリチュエルもイストワールの星から一人の人間を選び、亡くなった当時の姿で地球へと転移させた。
「あ、それよりも怜也さんと交換してそっちに転移した子はどうなの?」
「あの者も上手く馴染んでいるようだ。魔物も魔法も存在しない世界に戸惑っていて面白い。まぁ、そっちで活躍していた過去とは違いあまりにも平凡な生を送っているようだが」
「あの子、こっちでは伝説のSランクの暴れん坊冒険者だったのに随分と落ち着いているのね」
「昔はやんちゃしていた分、反動がきたのだろう」
「ふーん? ……そういえばリチュエルは最近本業はしてないの? ほら、時間遡行っていうやつ」
リチュエルが得意とする力は過去や未来に対象となる人物を飛ばすこと。当時の精神のままなので人生のやり直しや別の時間軸による新たな人生を始めることが可能である。
「あぁ、あれはあまり儀式を行う奴がいないから最近はやってないな」
「儀式形式にするのやめなさいよ」
「言っただろう。他の神も自由に気に入った駒に力を与えるから調整しなきゃなんないんだよ。まぁ、俺としては最後に関わった駒で十分に楽しんだから当分はいいがな」
「役者追っかけの子、だったかしら?」
「あぁ、そうだ。いやぁ、あれはなかなか面白かった。あの駒になんの恨みがあるのか、三十年経つとすぐに事故が起きるんだが、その度に魂呼びからの時間遡行の儀式を起こす奴がいてな」
「あらあら~恋愛が芽生えそうな感じじゃないっ」
「安心しろ。お前の好きそうな展開ではない」
「えぇー?」
恋愛物が好みのイストワールが新たなレーダーを感じたがリチュエルによってすぐに否定され、残念そうに頬を膨らませた。
「しかし何度も同じ人間が時間遡行を繰り返すと精神が破綻するから二度目以降は前回の逆行した記憶を消させてもらった。それなのに何度繰り返しても同じ道を選ばないから見ていて楽しかったなあれは」
「でも結局三十年くらいで死んじゃうでしょ?」
「いや、最後は天寿を全うしたな。事故が起こらない正解のルートとやらにでも入ったのだろう」
「あらぁ、めでたしめでたしってやつね。私のお気に入りの二人もラブラブハッピーエンドで終わってくれないかしら?」
進展のない二人にまた溜め息をこぼすイストワールにリチュエルは再び水晶が映し出す映像を見て口を開いた。
「お前の望む展開になるかはわからないが、こう見ていると最初は不満そうだったと聞いていたのに思っていたよりも楽しげじゃないか」
映像には食事を終えた二人が仲良く食器を洗う姿を映す。
イストワールから見ると普通でなんてことのない風景だったが、リチュエルから見ると悪くない雰囲気に思えた。
強い刺激を求める傾向があるイストワールだから気づかないのか、並んで後片付けをする二人の距離は近くに感じる。
固い表情が普通のレイヤも柔らかい表情を見せているのが何よりの証拠だろう。
「でもそれだけよ。ドキドキするようなことも全然ないし」
「ならそうなるように仕向けたらいいだろう。お前の世界なんだから天災のひとつやふたつ起こせばいい。命の危機に直面すればそれなりに大胆な行動を取りやすくなるだろう」
「嫌よぉ。そんな悪神みたいなことしたくないわ。私は善神なのよ」
「神なんて自分の欲求を満たすために駒を使って遊んでるのだからみんな悪神だろう」
悪神だの善神だの決めるのは神じゃないし、と付け加えるとイストワールはまた不貞腐れた。
その会話の流れでリチュエルは何か思い出したのか「そういえば」と話を続ける。
「お前が昔地球を見に来たときに『七月七日しか会えなくて可哀想な夫婦』と嘆き、毎日会えるように神の力を勝手に与えた織姫と彦星のことを覚えているか?」
「えぇ、もちろんよ。あんなに愛し合ってる夫婦を天の川に邪魔されるなんて酷いじゃない」
その昔、リチュエルに地球の様子を見せてもらったことがある。その日はいわゆる七夕と呼ばれる七月七日だったこともあり、織姫と彦星の話を彼から聞かされたことが始まりだった。
お互いに想い合ってるのに天の川によって離され、さらに一年に一度しか会えないことがイストワールにとっては悲劇の物語と受け止めた。
哀れに思った女神は二人に強力な神の力を与え、いつでもどこでも一緒に過ごせるように織姫の父である天の神よりも位の高い神格化に成功させたのだ。
「怠惰ゆえの自業自得ではあるが……そいつら悪神になって悪事を働いているぞ」
「ええっ?」
リチュエルの話によると、織姫と彦星は神となった力で七夕に願う人間の望みを叶えているのだが、全て悪意ある叶え方をしているとのこと。
その話を聞いてイストワールは頬に手を当てて困り顔を見せる。
「それは困ったわね。ラブラブに過ごしてほしいから天の川をものともしない力を授けたのに……」
「今のところは年に一度の割合で悪行を重ねているようだから好きにさせているが、あまりにも続くなら被害も大きくなるだろうし、こちらも手を打つからな」
「わかったわ。そのときは仕方ないわね」
せっかく力を与えたのに良くないことに利用されるのはイストワールも本意ではないので、もしものときのことも考えながらしばらくは保留することに決める。
というよりも今の彼女の中ではイルとレイヤとの仲を取り持つことでいっぱいいっぱいだったので後回しにしたいだけであった。
「そんなことよりもイルと怜也さんの恋路をどうにかしなきゃ!」
(そんなことよりも……)
「そういうわけだからリチュエルも何か案を出してくれない?」
「駒の恋愛ごとにいちいち首を突っ込みたくはないんだがな。なるようになるだけだ」
「それじゃあ困るのよ~! カップルにしたいの~!」
駄々を捏ねる女神にリチュエルが面倒臭そうな表情で溜め息をこぼす。
「……なら、水篠 怜也の一番初めの望みを叶えてやるって言うのはどうだ?」
「怜也さんの初めの望み?」
「あの駒がお前と対面し、お前の箱庭を拒んだときのことだ」
「えーと……?」
顎に人差し指を当て、首を傾げながら悩むイストワールはしばらくして彼の言いたいことに気づいたのか「あ」と呟く。
「思い出したわ。あれね! ……って、それを叶えたら私の望みが叶わないじゃないの。却下よ却下っ」
「大丈夫だろ。きっともうあいつはそれを望まないだろうし。どう見ても今の生活に馴染んでいるしな」
「例えそうだとしてもなんの意味があるわけ? そんなのでお付き合いするようになるの?」
「そこまではいかないだろうが、現状の気持ちを引き出すことは出来るんじゃないのか? 相性は悪くなさそうだし」
恋慕があれば、だが。と思うもそれを口にすることはしなかった。人間の恋愛模様を見るのが好きな女神の面倒臭い相談から逃れるために適当なことを口にしただけだから。
「なるほどね。確かに怜也さんの本心はちゃんと聞きたいわ。ただでさえ口数が少ないから監視しててもわからないのよ」
(相変わらず単純な奴だ)
「そうとなれば早速押しても駄目なら引いてみろ作戦よ!」
勢いよく立ち上がって何やら燃える様子のイストワールにリチュエルはそろそろ帰るかと考えて、彼女の視界に入らない内に退却した。




