チャームスプレーの効果と慣れない姿
イルが冒険者ギルドを出てしばらくしてからギルド長室の扉にノックの音が聞こえる。
本日はイル以外の客人が来る予定はないので部下の誰かだろう。何かあったのか、ノック音の様子からして緊急性は感じないので魔物関連ではなさそうだ。
「どぉぞ」
報告書に目を通しながら返事をすると「失礼します」と部下の声が扉を開く音と共に聞こえた。
「ギルド長、ラート様が……」
「はぁい、ドルックちゃ~ん。遊びに来たわよ~」
「ラ、ラート様っ! まだ入室の許可は……!」
「あぁ、構わないよ。君はもう下がっていいから」
「は、はい」
職員の声を被せるように手をひらひらと振りながら勝手知ったる我が家のごとくズカズカと部屋に入ってきたラートに職員が呼び止めるも彼は聞く耳を持たなかった。
そんなラートにドルックは苦笑いをしながら報告書を読む作業を止め、職員に下がるように命じる。
ラートは先程イルが座っていた来客用のソファーに腰を下ろすと、なぜかニマニマと笑みを浮かべていた。
ドルックは執務席に座ったまま肘をつけた状態で手を組む。
「いきなりどうしたんだい、ラートくん?」
「あらぁ、言わなくてもわかるんじゃないのぉ? イルちゃんがここに来たのは知ってるんだから」
「あぁ、そこまで知っていたんだね。彼女から聞いたよ、君と今日知り合ったって」
「そ。で、どうだった? アタシの見立てた彼女の姿は」
「うん、びっくりしちゃったよ。君の見立てとは思えない控えめなご令嬢って感じだったけど、彼女の良さを引き出していたね」
そう答えるドルックにラートはご満悦な表情でそうでしょそうでしょと口にしようとしたが、ドルックはそのまま言葉を続けた。
「それにあの服にはエンシェントトレントの葉が使われているみたいだから心安らぐし、まぁぶっちゃけると凄く可愛かったよ。本人は慣れてないだろうけどそこがまた良かったけど、あのままだとイルくんは沢山の人に声をかけれる心配があるんだよねぇ。僕がもうちょっと若かったら口説いてたけど━━」
「ドルックちゃん。あなた、珍しく魅了にかかってんじゃないの?」
いつもより人を褒め、好意的な言葉が多く夢中になって喋るドルックにラートは途中で口を挟んだ。
しばらく黙ったあとで「魅了?」と聞き返すドルックにラートはにっこり笑いながら話す。
「仕上げとしてイルちゃんにチャームスプレーをかけてるのよ」
「……」
それを聞いたドルックは自身の言葉を思い出し、組んでいた手を額に当てて自己嫌悪に浸った。
魅了状態中は自覚症状がないため、中には魅了していたことに気づかない人間もいる。
「ドルックちゃんがそこまでデレデレするのは珍しいからもしかしてって思ったけどホントに魅了にかかってたのねぇ。いいもの見ちゃったわ」
「……出来れば忘れてくれるとありがたいんだが」
「やぁね! そんなの出来るわけないじゃない!」
「だよねぇ。君はそういう人間だし、そのネタでずっとからかうのは目に見えてるよ……」
「けど、ドルックちゃんはちょっとやそっとじゃ魅了にかかるような子じゃないでしょう? チャームスプレーだって一吹きだけなんだから簡単にかかるとしたら元から好意があるってことだけどどうなのかしら?」
興味津々な様子で問い詰めるラートにドルックは参ったなぁとぼやく。
「だからそういうのじゃないんだけど……」
「若かったら口説いてたって言ってたじゃない」
「……それは酔った勢いみたいなもので」
「だったら本心と一緒じゃないのっ。ドルックちゃんがあの子を特別視してるのはなんとなくわかってたけど、ああいうのが好みなのね。ちょっと意外だわ」
「好みという問題ではなくて……。はぁ……もう、降参だよ」
言い訳すればするほど突っ込んでくるラートにお手上げ状態のドルックは溜め息混じりで本心を語ることにした。
「確かに彼女を傍に置きたいとは思ったことはあるけど、あくまでも僕の懺悔であり義務と思っただけ。でも、それだと彼女の人生を縛るだろうし、それに若すぎる。あの子を養子にもと考えたこともあるんだけどそこまで子どもじゃないからなぁ」
「あなたが懺悔するようなことがあるわけ? そこまであの子に気にかける必要はあるの?」
「僕が仕事を怠ったせいで友人とその娘の人生をめちゃくちゃにしてしまったからね」
「ふーん? その娘がイルちゃんなのね」
「そうだよ。僕は亡くなった友人の代わりにあの子を幸せにしてあげたいんだ。だから養うのが一番かなって思ってね。僕、お金ならあるし」
「さらっと金持ち自慢しないでちょうだい」
「ごめんね、本当のこと言っちゃって」
じろりと睨みつけるラートの視線をものともせず、ドルックは悪びれることなく笑いながら謝罪する。
もっと詳しい話を聞きたいところではあるラートだったが、ドルックがこれ以上話をする様子もなさそうなのでラートも深く話を聞くことはしなかった。
「ところでラートくん。聞きたいことがあるんだけど」
「あら、何かしら?」
「イルくんに絡んだ君の同僚の話について教えてほしいんだ。率直に言うと首を切りたいね」
解雇か打首か、どちらの意味にも聞こえるが穏やかに笑うドルックの背後は黒いものが渦巻いているように見えた。
それを見たラートはそこまで話を知っているならあの子ももう終わりかしらねぇ。と同僚の顔を思い浮かぶが同情はしなかった。
「こんにちはー」
ベーカリー・リーベの扉を開くとチリンチリンと音が鳴る。
カウンターには誰もいなかったので看板娘のリリーフは配達か休憩でいないのかもしれない。
すると店奥からクラフトさんが出てきて、私はパッと表情を明るくした。
「おう! いらっしゃ……ん? イルか?」
「は、はいっ」
「はー……こりゃたまげたぜ。随分とめかして込んできたじゃねぇか」
「あはは、ちょっと知り合いに見繕ってもらいまして……に、似合いますかね?」
少し恥ずかしいけど、クラフトさんからの感想が聞きたくて髪を耳に掻き上げながら恐る恐る尋ねてみる。
「そうだな、よく似合ってるぜ」
(好きっ!!)
ニカッと笑って肯定してくれるクラフトさんの顔が眩しくて思わず両手で顔を覆ってしまう。好きが溢れて爆発しそうだった。
「ただいまー。あら? お客さ、ん?」
そこへ、一人娘であり親友のリリーフが店に戻ってきた。
こちらは後ろ姿だったのでまだ私とは気づいていない様子。なので振り返るとようやく私だと認識したリリーフが瞬きを何度もしたのちに私に詰め寄る。物凄く険しい表情で。
「ちょっと、イルっ。何よその格好はっ!? まさかパパに交際の申し込みをするんじゃ……!」
クラフトさんに聞こえないよう小声ではあるが必死の形相で問い詰めるリリーフ。どうやら正装して告白しに来たと勘違いしているようだ。
さすがにそんな度胸はまだないので私も全力で首を振る。
「ち、ちち違うっ! まだそこまでいける仲じゃないっ」
「一生そんな仲にはなれないわよっ」
義理の母になるかもしれないことがそんなに嫌なのか強く否定されるとちょっと悲しい。
クラフトさんはというと私達がなんの話をしてるかわからないが仲良いなぁという表情で見守っている。
チリンチリン。
そこへまた店のドアが開いた。別のお客さんだと思ってリリーフは私から離れ、お客さんに渡す用のトングとトレーを持ち接客モードに入る。
「いらっしゃいませー」
「あ、こんにちは……」
「……」
お客さんはお客さんでも相手はレイヤだった。肩にはプニーも乗っている。
しかし、リリーフはレイヤだとわかると不愉快そうに顔を顰め、彼にトレーとトングを無言で押し付けた。
「レイヤ、プニー」
『! イルだー! だー!』
「……!?」
二人に声をかけるとプニーはすぐに私の肩へと飛び移った。レイヤは目を丸くさせながら固まっている様子だ。
『イル、なんか朝と違う! う! かっこいい! い!』
「ありがとう、プニー」
「一体どうしたんだ、イル……?」
肩の上でぴょんぴょん跳ねながら褒めてくれるプニーと、家を出たときとは違う格好の私に困惑状態のレイヤに「実は……」と、ラートさんのことを話した。
絡まれた話から貴族向けのブランド店に連れられたことまで全部。
「そうか、ラートさんが……それなら今度俺からもお礼を伝えておく」
『ラート! 僕も会いたかったなー。なー』
「ちょっと、イル。ほんとにその人信用出来る人なの!? 変な壺買わされてないっ!?」
心配性のリリーフは私が騙されていないか確かめたいのだろうけど、さすがに壺を買うほど騙される人間ではないと自負しているので何度も頷いてラートさんの身の潔白を証明する。
「おいおい、リリーフ。そんな疑ってかかるんじゃねぇって。レイヤ達の教官なんだろ? なら十分信用出来るじゃねぇか」
クラフトさんに宥められるリリーフは何か言いたげな怖い顔でレイヤを睨み、すぐに深い溜め息を吐き出した。
「まぁ、何も買わされてないならいいんだけど」
(なんでリリーフっていつも私が騙されるって思うんだろ……)
「それより、その手紙はなんなの?」
「手紙……? あ」
そうだ、私ずっと慰労会の招待状を持ったままだった。
別に隠すものじゃないし、みんなに手紙のことを伝えることにした。
「私ね、各地の冒険者ギルドの職員達が集うパーティーに招待されたの。なんでも色々と貢献したかららしくて……」
「へー。そりゃあすげぇじゃねぇか。今年のMVPってやつだな!」
「い、いや、そこまでのことは! 私、そんな言うほどのことしてませんのでっ」
「確かにそこらの冒険者より数は少なそうよね。ただ、危険度の高いことばっかしてるからでしょ。貢献っていうか、いいようにギルドに身を捧げたかってことなんじゃないの?」
腕を組みながら不機嫌さをあらわにするリリーフに私は慌てて否定の声を上げる。
「そ、そんなことないよ。ギルド長のドルックさんは私が無茶をしたら怒るくらいに人のことを心配してくれるし、町の人の命も第一に考えるような人だから、身を捧げたかどうかなんて関係ないんだよ」
「あら、そうなの? まぁ、あんたがいいように使われてなきゃそれでいいわよ」
「そんなつもりはないんだけどなぁ……」
「いいからいつまでも人の店で話し込んでないで早く買う物買って帰りなさいよね、こっちも忙しいんだから。ほらパパも仕事に戻って」
話を切り上げるかのように手をパンパンと叩くリリーフについお店に居座ってしまったことに気づき、急いでレイヤと一緒にパンを購入させてもらうことにした。
クラフトさんも娘に急かされ「じゃあなっ」と告げて店の奥へと引っ込んでしまう。今日もクラフトさんは格好良かった……。
元々、夕飯用のパンを買いにベーカリー・リーベへとやって来たレイヤとプニーだった。
まさかそこで用事を終えたイルと偶然出会うとは思わなかった上にラートによって変身をした彼女に驚きながらも、レイヤ達はイルと共に好きなパンを選んで購入し店を出た。
見送ろうと店の前まで出て来たリリーフにイルとプニーが「じゃあね」と言い合って帰るその後ろ姿を追うため、レイヤもベーカリー屋の娘にぺこりと頭を下げてイル達の後に続こうとしたそのとき、ぐいっと後ろ襟を引っ張られた。
「っ!?」
疑問符を沢山浮かべ首元を押さえながら後ろを振り返ると、眉を寄せたリリーフが腰に手を当てて小さく囁いた。
「あんた、本当にイルがギルドに利用されてないかちゃんと見てなさいよ」
「あ、あぁ……やっぱり心配なんだな」
「当たり前でしょ。まるでギルドに縛られてるみたいだし、あの子が物のように扱われたらたまったもんじゃないわよ。だから同じ冒険者になったあんたがしっかり目を光らせてなさい」
「わかった、気をつける」
レイヤがこくりと頷くと二人の会話はそこで終え、別れた。
いまだレイヤに反抗的な態度を見せるリリーフだが、少なくとも親友についての頼みごとを彼に任せるくらいの信用はあった。
そのことにレイヤがふと気づくと、少しだけリリーフとの距離が縮まったんだなと考えながら先に歩くイルの後を追いかける。
イルはプニーと会話をしていたのでレイヤがリリーフと話をしていたことには気づいていないようだった。それどころか「カップケーキは食べた?」『食べたー! たー!』と何気ない話をしているくらい。
そしてレイヤはちらりと横目でイルを見た。
(それにしても……慣れない)
いつもと違う雰囲気の彼女にいまだどう接したらいいのかレイヤは悩んだ。それもそのはず、過去にもこのような経験があった。
異世界にやって来る前のことなので水篠 怜也として死ぬ前のこと。事故に遭う数年前、彼には同じ職場で付き合っていた女性がいた。
好きなので付き合ってほしいという相手の告白に彼は返事に悩むものの、嫌いではないのでという理由で付き合ってみたが初デートのときに目一杯お洒落をして来た彼女を見て怜也は戸惑った。
まるで別人のようだったので、どうしたらいいのかわからないままデートをするが、彼女から「せっかく気合い入れてお洒落したのに気の利いた台詞も言えないなんてっ」と怒って帰られたことがある。
結局、それが原因ですぐに別れたが、そこでようやく「嫌いではないが好きでもなかった」という事実に気づき、それ以来誰とも付き合うことはなかった。
というより、元カノが同じ職場だったので怜也が気の利かないつまらない男という噂が社内に広まる。だからなのか、誰からも告白されることもなければ誰かを告白することもなかった。
(……まぁ、仕事に追われていた日々だったから恋愛ごとに費やす時間もなかったし、余計な話をしなくてすんだから良かったかもしれないが)
入社当初、怜也はそこそこ女性に人気があった。表情豊かとは言えないが、真面目でクールな様子がいいとよく騒がれていた。
特に用もないのに話しかけられ、何が好きなのか嫌いなのか質問され、自分である必要もないのに手伝ってと請われ、とにかく女性から声をかけられることが多かった。
しかし、一人と付き合って破局したあと、配慮が足りない怜也の話が社内で広まりで女性人気は下がる。
彼にとってはそのおかげでいちいち呼び止められなくなったので悪いことではなかった。最後まで不満があったのは有り得ないほどの仕事量だったが。
いや、もうそれは全部過去のことだ。今は不本意な第二の人生を歩んでいるが、これはこれで充実しているし、前より自由だとレイヤはそれなりに満足はしている。
そんなことよりも、イル。そう、イルだ。せっかく彼女はラートの手を借りておめかしした状態だというのに何も感想を述べていないことに気づいた。
あの姿でベーカリー・リーベに現れたのだから少なくとも想い人であるクラフトに見てほしかったのだろう。つまり感想が欲しいはずだ。
だが、レイヤは途中で入店したのでクラフトがイルの姿を褒めたかどうかはわからなかったし、それを尋ねていいのかも迷った。
もし、何も反応がなかったなんて言われたらさすがに無神経な質問だろう。
「イル」
「ん?」
とにかく、言わなければ。感想を。彼女も女性なのだからきっと褒めてほしいだろう。俺は友人なのだからそれくらいは言ってあげるべきだ。
「その、よく似合ってると思う」
言葉にしてからハッとして頭が真っ白になった。
どこが? と、問われたら答えられる自信がなかったから。だが、似合ってると思ったのは嘘じゃない。本音だが、詳しく問い詰められたら答えられない。
答えられなければ目の前の彼女がガッカリするはず。それだけは避けたかった。
しかし、レイヤがあれこれ心配しているなんて思ってもいないイルはこそばゆいような、嬉しいような、照れた表情で笑った。
「ありがとう、レイヤ」
「っ……」
はにかむ様子のイルにレイヤは一瞬だけくらりとしてしまい、胸も熱くなりかけた。
それは消えかけだったチャームスプレーの効果だということを知らない彼は不思議そうに胸元に手を当てるのだが、何もわからなかったため気のせいかと思いながらイルとプニーと共に帰路についた。




