エンゼルケーキと翌日の答え
「え……レス、ペクトなのか? その人が?」
帰宅をするとひと足早く戦闘訓練施設から帰っていたレイヤとプニーが知らない人に負ぶされて帰って来た私に驚きながらも警戒心を高めたので慌てて事の経緯を説明した。
もちろん、挫いた足はヒールを使って完全に回復。
『レスペクト小さくなったねー。ねー』
「それでもお前よりは大きい」
『むー。僕も早く大きいスライムになりたいー。いー』
レイヤから聞いたことがあるんだけど、どうやらプニーはジャイアントスライムになりたいらしい。
確かに大きくて普通のスライムよりも強くはあるんだけど、人間を飲み込めるほどの大きさだからそうなったら家にも入らないし、何より肩に乗らなくなってしまう。むしろ潰されるだろう。
……出来れば、出来ればでいいからそのままの姿でいてくれたらいいな。
「よし、夕飯とスイーツの準備するからレスペクトもここでゆっくりしてて」
普段家に入ることが出来ないレスペクトをせっかくなので家で寛いでもらうことにして、私は夕飯の準備を先に始める。
今夜のメニューはコカトリスソテーのバジルソースとポテトグラタン。あとはベーカリー・リーベで購入したバゲット。
今日はコカトリスの肉が安かったから沢山買えたし、人間の身体になったレスペクトも食べるだろうから沢山作らなきゃ。
そしてキッチンに立ち、しばらく料理に時間を割く。ポテトグラタンはオーブンで焼き、フライパンで焼かれるコカトリスソテーもそろそろいい具合に出来上がっている頃。
「……レスペクト、ずっと見てて飽きない?」
「別に」
なぜかレスペクトは寛ぐことをせずにずっと調理をする私の後ろに立って料理する様子を眺めていた。よく見ると、彼の頭にはプニーが乗っている。
確かにレスペクトの前で料理をするのはなかなかないし、彼も珍しく感じるのだろう。
ダイニングテーブルではレスペクトの姿に慣れないレイヤがどうするべきかテーブルを何度も拭きながら困惑しているようだった。……普通でいいんだよ、レイヤ。
結局、ずっと後ろで監視されながら出来上がった夕飯をいつもより一人多い人数で食べることになる。
「……またこの道具を使うのか?」
フォークを手にしながら面倒だというオーラを纏わせるレスペクトに「残念ながら……」と伝える。
「そもそも私は生肉で十分だ」
「それはカトブレパスの身体だから大丈夫なのかもしれないけど、人の身体では生肉は危ないんだよ」
「あと加熱調理をされているから生肉で食べる感覚で食べない方がいい。火傷すると思う」
レイヤの話を聞いて軽く溜め息を吐くレスペクト。いつもの食事なら何も考えずにむしゃぶりついてるのかもしれない。
でも今日だけは我慢してほしい。人の身体でもしものことがあっては大変なんだから。
「今回はナイフもあるから気をつけてね。こうして食べるんだよ」
レスペクトにナイフとフォークを使ってコカトリスのソテーを切って見せる。
それを見たレスペクトも挑戦してくれた。舌打ちをしながらもちゃんとやってくれるのだから彼は本当に話を聞いてくれるいい魔物だ。
たどたどしくはあるけど、一生懸命にナイフとフォークを使うレスペクトが可愛くて微笑ましい。
いつもより沢山作ったご飯はあっという間になくなったのだけど、やはりレスペクトは人の身体を得ても沢山食べられるそうだ。
「私、デザート作ってるからみんなお風呂入ってきて。それでレイヤにお願いがあるんだけど、レスペクトにお風呂の説明頼めるかな?」
「あぁ、わかった」
お風呂は先ほどウォーターとヒートを使ってすでに溜めてある。
魔力も最初の頃と違って随分増えたし、消費魔力軽減スキルもあるから今ではお風呂を一瞬にして沸かすことも可能。本当に楽になった! 素晴らしい生活魔法! ありがとうございますイストワール様!
心の中で手を組んでイストワール様に感謝の念を飛ばす。届いているかはわからないけど、このご恩はいつまでも忘れません。
「……私は水浴びだけでいい」
「ダメダメ! 風邪引いちゃうから! それにお風呂も気持ちいいんだよ。はい、行った行った」
「わかったから押すな!」
レスペクトの背中を押して浴室へと向かわせようとしたらすぐに観念してくれたのでそのままレイヤとプニーに彼を託した。
「さて、それじゃあ私はスイーツ作りだ」
腕を捲ってキッチンの前に立つと、お馴染みのレシピブックをポンッと出現させる。
今日はエンゼル型を使ってみたいのでエンゼルケーキを作ることに決めていた。天使のケーキだなんてとても心躍る響きだし。
材料は軟質小麦粉、卵白、砂糖、とうもろこし澱粉、カトブレパスのミルク。卵白のみを使うから生地の中身は真っ白とのことらしい。なるほどー! だからエンゼル! 天使のケーキなんだね。
レシピ通りに卵の卵白だけを取り、卵黄は明日の朝食用に回そう。
泡立て器と手にハイスピードの魔法をかけたら素早く混ぜていく。もはやお得意の秘技・人間ハンドミキサーである。
途中で砂糖を分けながら加え、しっかりとしたメレンゲが出来たらハイスピードを解除。ふるいにかけた軟質小麦粉ととうもろこし澱粉も分けて投入。
ヘラに持ち替えて優しくさっくりと混ぜたらエンゼル型に流し入れて、予熱した石窯オーブンで焼けば大体は完成。
焼き上がったあとは冷ましてから生クリームで外側を塗っていけばいいのでひとまず今出来ることは終わった。
そういえばアッシュさんに聞いたんだけど、エンゼル型はシフォン型と違って真ん中の穴は広くて高さも低い。決定的に違うと言えばエンゼル型の底が丸いこと。
またシフォン型を作ってもらったら見比べてみるのもいいかもしれない……なんてことを考えていたら。
「イル。終わったぞ」
「あ、おかえ……タオル巻いて!! あと身体も拭いて!!」
レスペクトがお風呂から上がったと思ったらタオルは肩に乗せただけのびしょびしょな状態で戻ってきたので勢いよく顔を背けた。せめて下半身だけでも隠して!
「巻く? どうすればいいんだ?」
「と、とにかく下半身をタオルに当てて! 結ぶから!」
おそらくレイヤとプニーは交代でお風呂に入ったのだろう。まさかこの状態で出て行くとは彼も思ってなかったのかもしれないが、カトブレパスにとっては人間の常識なんて何もかも初めてだから仕方ない。
レスペクトは言われた通りにタオルを下半身に当てると、ちゃんと局部を隠したのを確認したのち腰をしっかりと結んでおく。
「お前はこのくらいのことでいちいち騒ぎすぎだ」
「人間にとっては普通の反応なんだよ……それにしてもしっかり拭かないと冷えちゃうよ」
もうひとつバスタオルを持ってきてしっかりとレスペクトの身体を拭いてあげる。
「いつもは水浴びをしたらすぐに乾かしてるだろう」
「それはそうなんだけど、人間になったら乾かすのは髪だけだからね」
髪もわしゃわしゃとタオルで水気を取り、レスペクトの髪をヒートとウィンドの合わせ魔法である秘技・人間ドライヤーを使って乾かす。
右手で温風を出して、左手で髪を解す。ちゃんと洗髪剤も使ってくれたようでいい匂いもしてる。
「お風呂はどうだった?」
「熱い……が、あれはあれで悪くなかったな。ただ色々としなければならないから水浴びの方が楽だ」
「そっかぁ。やっぱり楽な方がいいもんね。でもお風呂も悪くないなら良かったよ。あ、目瞑ってて前髪も乾かすから」
「あぁ」
後ろを乾かしていたレスペクトの長い髪を今度は正面に向いてドライヤーをかける。
目が開いていたら温風の勢いで目が見えてしまう恐れがあった。そうなれば私が邪視を受けるかもしれないのでカトブレパスの姿のときから正面で乾かすときは目を閉じるようにお願いしている。
魔物の姿だと目を閉じても毛深いから目がどの辺りにあるのかわからなくていつも優しく撫でるように乾かしていたけど、人の姿だとすぐにドライヤーの風で顔が見えてしまう。
(わぁ……)
ずっと鼻と口しか見えなかったレスペクトの顔がようやく初めて輪郭と目元などが確認出来た。
若干、頬はこけているけど眉は綺麗な形でキリッとしている。眉間はおそらく普段からよく皺を寄せていたのだろう、皺が消えずに残っていた。
そして目は閉じているがややタレ目のようだ。一体目を開けたらどんな形でどんな色をしてるのかな。
「はい。終わったよ」
「……早いな。手を抜いたのか?」
「そんなことないよ。カトブレパスの姿だと全身を乾かすけど、人の姿ならその必要はないからね」
「……」
サラサラツヤツヤの髪になったレスペクトを見て満足した私は彼に新しい衣類を着てもらった。
レイヤ達がお風呂に上がるまでの間にエンゼルケーキの外側にクリームを塗り、戻ってきたタイミングでデザートの時間をみんなと共にする。
レスペクトの好きな生クリームを使ったスイーツなので彼も顔には出さないが喜んで食べてくれた。心なしかフォークの使い方も良くなっている。
私もエンゼルケーキを食べて新しい水魔法であるウォーターウォールという水で壁を作る防御魔法を使用出来るようになった。
そしてその日、レスペクトにはレイヤと同じ両親が使っていた部屋で寝てもらうことにした。ベッドも二台あるから丁度いいし。
しかし、当初は牛舎で寝るつもりだったらしく、さすがに冬の季節に入るというのに人の姿でそこに寝かせるわけにはいかなくて必死に説得した。
外は寒いよ! ベッドも気持ちいいよ! ふかふかしてるよ! 何事も経験だよ! と、伝えると渋々折れてくれた。
そして翌日、ちょうどレスペクトが魔法薬を被って一日が経った頃、アドラシオンの言う通り彼は元のカトブレパスの姿に戻った。
元に戻る前に自宅にいるとカトブレパスの身体では家から出ることも出来ないので早めに外に出しておいた良かった……。
その後、私は早速配達用のミルクを搾り、パティスリー・ザーネに届けようと準備をしていた頃、デジールとアドラシオンがやってきた。
「こんにちは、イルさん」
「来たぞ、イル!」
「あ、二人とも! ちょ、ちょっと待ってね! 私配達を先に済ませなきゃだから!」
思いの外早い到着に私は慌てて足にハイスピードをかけてダッシュでレスペクトのミルクを届けに向かった。
「相変わらずお忙しいようで」
(余は早くスイーツが食べたいんだが……)
イルの姿があっという間に見えなくなった。デジールは昨日からイルのスイーツをお預けだったため、一刻も早く彼女の帰宅を願う中、アドラシオンはにっこりと笑みを浮かべながら魔物の姿に戻ったレスペクトに話しかける。
「レスペクト殿、一日ではありましたが人間の生活はいかがでしたか?」
『フン……随分と面倒臭いことばかりだ。食事には道具を使えだの、風呂には石鹸や薬剤を使って洗えだの、布切れを纏わなければならなかったりと指図ばかりだ』
「最初はそう思うものですよ。慣れてしまえばその程度は気にならないかと。ですが、良いことくらいひとつはありませんでしたか?」
『……確かに悪いことばかりではなかったな。普段見ぬ従者の姿を見たり、いつもとは違う過ごし方をするのもなかなかに面白かった』
人の姿で過ごした時間を思い出しながら、カトブレパスの姿に比べるとイルと関わる時間は大いに増えた。煩わしいと思ったこともあったが、いつもとは違う距離感は彼にとっても悪くは思わなかった。
「そうでしたかそうでしたか! レスペクト殿が人間の姿を気に入っていただけるならあの魔法薬をまたあなたに差し上げたいと思います。しかし、こちらの魔法薬は全て魔界のみでしか取れない材料のため、定期的に薬を使うのならば魔界に住居を変えるのがいいと思います。よろしければイルさんと共に引越しなど━━」
『いらん』
レスペクトを人間の姿に依存させる作戦は成功だと思ったアドラシオンがぺらぺらと口早に次の段階に踏もうとしたが、すぐに相手から言葉を遮られる。
ニコニコ顔を引き攣らせながらアドラシオンは「なぜ、ですか?」と彼に問う。
『言わんとわからんのか? この姿がいいからに決まってるだろう』
「お言葉ですが、人間の姿の方がイルさんとの距離は近いと思わなかったのですか?」
『そんなもの関係ない。こっちの方が勝手がいい』
彼の中で思い出すのはイルにドライヤーをかけられたときのこと。
カトブレパスの姿では日課だった身体を乾かす時間は初めこそ面倒臭いと思っていたが、今ではレスペクトにとってはお気に入りの時間のひとつだった。
温かい風に当たり、毛を撫で梳かされ、そしてなんてことのない会話をする。
実に悪くない時間だったが、人の身体ではその時間も大幅に減ってしまった。その呆気なさと物足りなさが元の身体へと固執する理由のひとつになる。
「……そうですか。まぁ、またご用意しますので必要なときがあればお申し付けください」
『いらん』
きっぱりと断られてしまったアドラシオンは作戦が失敗したことを認めるしかなかった。
(やはり一日では足りなかったのでしょうか? それともカトブレパスは私が思っている以上にイルさんを慕っているわけではないとか……)
(……こいつ、もしかして使えないな?)
彼の主君であるデジールは計画通りにいかなかった現状を見て、ジト目で側近を睨みつけた。




