レスペクトと魔法薬
魔界の王の執務室では魔王デジールと側近の作戦会議が開かれていた。
「では、イルを魔界に引き入れる作戦を考えるぞ。前に貴様はイルの周りを崩すと言っていたが具体的にどうするのだ?」
「デジール様。あなたの望む結果はおそらく長期戦になるかと思います。イルさんの周りから手懐けるには確実に一人ずつ相手しなければなりませんので」
「ふむ。それで? 何か策は練っておるのか?」
問いかける主を前にアドラシオンはポケットから小洒落た瓶を一つ取り出して、デジールのデスクの上に置いた。
中身は深海の色をした液体で、それを目の前に出されたデジールは小首を傾げる。
「なんだこれは?」
「こちらは人間の姿に変えられる魔法薬です」
「余もアドも元より人の形をしてるではないか」
「いえいえ。私達にではなく、カトブレパスを懐柔するために使用します」
「どうするつもりだ?」
「もちろん、彼に魔法薬を使います」
「……なんのために?」
訳がわからんと顔を顰めるデジールにアドラシオンは説明した。
カトブレパスはイルと共に生活をするにあたって、その身体の大きさゆえに不便な思いをすることもあるだろう。
そんな彼のために人間の姿に変えられる魔法薬を使って人としての生活を体験させ、その快適さに人間の姿もいいものだと思わせる。
だがしかし、人の姿を保てるの一日だけ。魔界でしか生成されないため大量の魔法薬を持ってくることは出来ない。
人間になれる魔法薬を欲するであろうカトブレパスのためにある提案をする。
魔界に居住してみてはどうか? もちろん、契約者である彼女と共に。
「カトブレパスが魔界に移住するとなればイルさんも彼に着いて行こうとするでしょう。そして彼女の働き口として専属パティシエの仕事をお願いすれば完璧かと」
「おぉ……! なんだか頭の悪そうな計画ではあるがアドが言うなら可能性はあるのだな!」
「あなた様に頭が悪いと言われるのは心外です」
「とにかくすぐにカトブレパスの元へ向かうぞ!」
イルを自分専属のパティシエにするため、デジールは勢いよく立ち上がると、テレポートを使ってイルの住む人間の領土へと移動した。
イルの自宅敷地内へと瞬時に辿り着いたデジールとアドラシオンは彼女の住居横にある大樹の下で寛ぐレスペクトを見つけた。
今回の目的は彼なので二人でレスペクトの元へと近づけば、気配を察したカトブレパスがその身を起こし、垂れ下げていた頭を上げる。
『いつも我が従者の元へと向かう魔族が何用だ?』
精神的な圧力が魔力量の高い二人に向けられる。ビリビリと身体に伝わる殺気は人間が浴びれば倒れてしまうほど強かった。これ以上近づけば命はない、と言われているような気さえするほど、彼の警戒心は高い。
「今回はレスペクト殿に話があって来ました」
『私にはない』
「残念ながら私にはありますので少しばかりお耳を拝借させていただきたいと存じます。まず、こちらをご覧ください」
パチン、と指を鳴らすと空中に小さな黒い穴が出来た。亜空間を使った収納魔法のアイテムバッグである。そこに手を突っ込むと、人間になる魔法薬を取り出した。
「レスペクト殿。今の生活に不満などはございませんか? いえ、言わずともわかります。あなたは不満、または不便だと思うことが何かしらひとつはおありでしょう。あなたのその周りを威圧するような体格は魔物としてはとても素晴らしいですが、今や人と従魔契約をした身。そして人間の生活を合わせなければならなくなった。その中で起こる弊害に悩まされたことがあるでしょう?」
『……』
(なんだ、この胡散臭いセールストークは……)
「その身体が大きすぎるゆえに危険な目に合った契約者の元へと駆けつけるのが困難だったり、彼女の住まいに入れず近くで守ることすら出来ない。実に歯痒いことでしょう━━しかし、これさえあれば大丈夫! 魔界にしか手に入らない『人間の姿になれる魔法薬』があれば全ての困りごとが解決します! 材料は全て魔界産のみの安心安全の物のみ使用。着色料もなし。味は甘く子どもにも飲みやすい。しかし、飲むのが苦手なら浴びるだけでも良しという代物です!」
怪しい商品を買わせようとする商人のような言葉をぺらぺらと口にするアドラシオンにデジールは若干引き気味で見ていた。
レスペクトもただ黙って聞いたのち、深い溜め息を吐き捨てる。
『実にくだらん。なぜ私が人間なんぞの身体を手にしなければならんのだ』
「おや? 惹かれませんか? 人間になればいつでもあなたの契約者の傍に立てるんですよ。彼女を近くで守りたいと、助けたいと思いませんか?」
『何を勘違いしてるのか知らんが、私は従者の面倒は見るものの、そのような過保護なことまでするわけなかろう。確かにあやつは鈍臭くて抜けてはいるがな』
(私達が彼女に近づくだけで殺意を向ける方が過保護じゃないと言い張るとは)
アドラシオンは思ったことを口にはしなかった。機嫌を損なうことは目に見えていたから。しかし、彼は一度拒否されただけで諦めはしない。
「それでも一度は人としての生活を体験してみるのもいいのではないでしょうか? そこからイルさんのことをよく知るきっかけにもなりますし、人になれるとはいえその期間は一日のみなので軽い気持ちで試してみては?」
『断る。そもそも魔族が生み出した魔法薬なぞ信用出来ん』
「不安に思うのも無理はありませんが、こちらはちゃんと魔物や人ならざる身体を持つ魔族が試したところみんな等しく人間としての姿を得ることが出来ましたよ。まぁ、難点があるとすれば元より人の身体を持つ相手には試したことがないのでどうなるかはわからないですけど。和平条約を結んでいるため、人間を使った実験は禁止されてますので。もし、誤って使用した際には皮膚が爛れるかもしれませんし、喉が潰れるかもしれません」
「え……それは余も初耳だぞ!」
ギョッとした顔でアドラシオンを見るデジールに側近はこそっと耳打ちをした。
「この魔法薬は人間との戦争時にて開発した物ですし、当時捕らえた人間に試したこともあります。特に何も変わりはないのでご安心を」
「そ、そうか。ならばなぜその事実を隠すのだ……」
「あとでわかります」
意味深に笑みを浮かべる側近の言葉にデジールは少しだけ身を震わせた。一体何を企んでるのか、魔王にもわからないままアドラシオンは今一度レスペクトに魔法薬を薦める。
「別にあなたから何かを頂こうというつもりもなく、いつもイルさんに良くしてもらっている身としては何か恩返しをしたいだけなんです。彼女のためにも一度試してみてはいかがでしょう?」
『くどい。何度も言わせるな。とっとと失せろ』
レスペクトは頑なに魔法薬を拒否した。これは失敗だな、とデジールが思ったそのとき、イルの自宅からその主が出てきた。
「あれ? デジールとアド? 来てたんだね」
「う、うむ。邪魔してるぞ」
「イルさん、こんにちは」
「こんにちは。珍しいね、二人がレスペクトと話をしてるなんて」
『好きで話してるわけではない』
「そうなの?」
「私達はレスペクト殿に素敵なプレゼントをお持ちしたのですが、どうやら気に入っていただけないようでして……」
「え? 一体何をプレゼントしたの?」
「デジール様。こちらをイルさんの近くでご説明を」
「ん? うむ。わかった」
アドラシオンから魔法薬を受け取ったデジールがイルの元へと見せに向かう。すると、アドラシオンは手を下に向けて小さく指を弾いた。
「イル! これはな、うちでしか作れない魔法薬で、えっ!?」
その瞬間、デジールが踏み出そうとした足先に小石が飛んだ。そうとは知らずに小石が当たって足を取られた彼女はバランスを崩し派手に転ぶ。その拍子に持っていた魔法薬が手から抜け出した。
「デ、デジール!?」
大丈夫!? と声をかけて駆け寄るイルだったが、彼女の頭上には魔法薬が落下しようとしていた。蓋はアドラシオンが緩く閉めていたせいで中身が外気に晒される。
その様子はまるでスローモーションのようだった。しかし、魔法薬がこぼれることを知るのはアドラシオンとレスペクトのみ。
そんな中、レスペクトはアドラシオンの言葉を思い出し、すぐにその巨体を動かした。人間に使用すると何が起こるのかわからないという言葉を信じて。
「? えっ、うわっ!?」
突然、自分の元へと走り出すレスペクトにイルは何事かと思ったその瞬間、服の裾を口に咥えたレスペクトにより勢いよく引っ張られ転がされた。
そのおかげでイルは中身が出た魔法薬を浴びることなく、代わりにレスペクトがバシャッとその身に受ける。
「い、いたた……。どうしたの、レスペクト……突き飛ばされるのかと思っ……」
また何か彼を怒らせることをしてしまったのかと思いながらゆっくり身体を起こし、レスペクトへと目を向けたがイルは言葉に詰まった。
なぜならレスペクトがいたはずのその場所に湯気を纏った中肉中背で衣類を一切身に纏わないの男が座り込んでいたから。
ダークブラウンの長い髪で目元が隠れているため顔の表情はわからない……が、男性としての大事な場所が隠されていないのでイルが顔を赤くしながら勢いよく視線を逸らした。
「だ、だ、誰っ!? なんで裸!?」
「イルさん。そちらの方はあなたの従魔でもあるレスペクト殿です」
にっこりと笑ったアドラシオンがイルの目線に合わせる。彼の言葉を聞いたイルは男の顔とアドラシオンを交互に見てから驚きの声を上げた。
派手に転んだデジールはというと「なぜ王である余がこのような目に合わねばならないのか」と思いながら起き上がることすら億劫になり、遠い目をしていた。
その後、イルはアドラシオンから詳しい話を聞き、現状を理解したが、目のやり場に困るため生前使用していた父の衣服を持ってレスペクトへと押し付けた。
しかし、着方がわからない彼はイルに尋ねるも面と向かって会話出来ない姿のため顔を逸らされながら「アドに聞いて!」と言われてしまう。
数分後、アドラシオンから着付けされたレスペクトはようやくイルと顔を合わせることが出来るようになった。
「……人は面倒臭い物を身に纏わせているな」
「動物型の魔物達にとっては慣れない物なので仕方ありませんね」
「ふむ。本当にどこからどう見ても人間だな」
アドラシオンとデジールがマジマジと人間のレスペクトを見つめる中、イルは恐る恐る人の姿を得た彼に近づく。
「ほ、本当にレスペクトなんだよね?」
「私の声を忘れたというのか?」
魔物としてのレスペクトと関わっていたイルにとってはいまだに信じられない光景だった。しかし、聞き覚えのある不機嫌そうな声を聞いてイルは本物のレスペクトだと瞬時に理解する。
それだけでなく、彼の右手にも従魔管理リングが装着されているので本人であることに間違いない。だが、カトブレパスのときに比べるとリングは大きくてぶかぶかしてる様子だった。
「……こんなに小さな身体になるとは。不愉快だ。さっさと戻せ」
「魔法薬の効果は一日ですので時間が経つ以外戻す術はありません」
「死にたいのか貴様」
「まさか。私も命は大事にしております」
「良いではないか、カトブレパスよ。人の身体でしか得られないものもあるのだからな!」
「……」
元凶の一人なのに気にすることなく笑うデジールの態度にレスペクトは拳を握り締めプレッシャーを与えようとしたが、いち早く気がついたイルが止めようと彼の腕を引っ張る。
「お、落ち着いてレスペクト!」
「……」
イルに腕を掴まれる機会がないレスペクトはその行為にすら違和感を抱く。だが、不思議と悪い気はしない。
「せっかくですのでお二人でお出かけなどいかかでしょうか? レスペクト殿はいつもこちらにいますので、町に行けばいい刺激にもなりますよ」
「フン。人間の多い場所になぜ私が行かねば━━」
「そうだね! レスペクト、今の姿なら町に行っても平気だし、案内したい所も色々あるんだよ!」
イルが嬉しそうにアドラシオンの意見に賛成した。言葉を遮られたレスペクトは不服そうな表情を見せる。
「行かんと言ってるだろ」
「でも、レスペクトに紹介したいお店もあるんだよ。ザーネさんの特製ショートケーキはレスペクトのミルクをふんだんに使った生クリームだから絶対食べてほしいし」
「……。そこだけなら付き合ってやる」
自身の生クリームが好物でもあるレスペクトはイルからの惹かれる誘いにしばらく考えたあと仕方ないという態度で町に行くことを決めた。
そんなレスペクトの様子を見たアドラシオンはちょろいなぁと思ったのはここだけの話である。
「では、我々はまた明日レスペクト殿の様子を見に参りますので本日はごゆっくりお過ごしください」
「うん。ありがとう、また明日スイーツを用意するね!」
「絶対だぞ! 約束したからな!」
デジールとアドラシオンと別れ、イルはレスペクトを連れて町へと向かった。
二人の姿が見えなくなった頃、アドラシオンは口を開く。
「やはりカトブレパスはイルさんをよほど大事にされているようですね。主を大切にするのは良いことです」
「お前はもう少しその主を大切にせんか! そもそも余が転ばなければならない意味はあったのかっ?」
「もちろんです。私のような真面目な重臣が魔法薬をぶちまけるなんてわざとらしく有り得ない姿ですから、一番粗略な扱いを仕出かしそうなデジール様にぴったりです」
「お前は本当に主を主と思ってないな!?」
キーキーと騒ぐデジールを聞き流すアドラシオンは胸の中で「人間の姿を堪能してくださいね。依存してしまうくらいに」と悪い顔で笑みを浮かべ、騒いでたデジールを黙らせた。




