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伯母と魔王族としての心構え

 魔界を治める王デジールの居城にて。先代魔王だったアイントラハトにより彼の自室へと呼び出されたデジールは側近のアドラシオンを連れて向かうものの、なぜ自分が呼び出されたのかわからなかった。

 いつもなら用件が有る場合、父アイントラハトが直接デジールの元へと訪れることがほとんどである。わざわざ呼び出すということは緊急か、はたまた父が動けない状況か、少し不安に思いながらもお気に入りのワンピースを着用する彼女はアイントラハトの部屋へと辿り着いた。


「父上、余である」


 ノックをして名乗れば中から「入るがいい」という父の声が聞こえたため、アドラシオンが扉を開けてアイントラハトの部屋に入室した。

 父はティータイム中だったようで優雅に座って紅茶を嗜んでいるのだが、どうやら一人ではないようだ。彼の向かいに座る人物の存在へと目を向けるとデジールは驚愕した。


「!」

「久しいですね、デジール」


 長い濃青の髪を後頭部でひとつに纏め、切れ長のつり上がった目をした淑女は飲んでいたティーカップをソーサーの上に乗せ、ゆっくりとデジールへ顔を向けた。


「は、母上!? いつ戻って来られたのだ!?」

「今朝方戻ったところです」

「コールドレーム様、お久しぶりでございます」

「アドラシオンも元気そうで何よりです」


 頭を下げるアドラシオンに目を向けた母上ことコールドレームはバッと鮮血色の扇子を広げて口元を隠す。鋭く目を細めながら。まるで粗相がないかじっくりと探しているみたいでデジールはごくりと息を飲む。


「二十年ぶりだったが積もる話もあってな、色々と話をしていたところだ」

「えぇ、アイントラハトから伺いました。デジール、少し見ない間に王の器に相応しくなったそうですね」

「え? あ……うむっ! 何せ余だからな! 相応しくないわけないのだ!」

「調子に乗るのは控えなさいと言ったのをもうお忘れですか?」


 褒められたと思って舞い上がったのもつかの間であった。強く睨まれてしまったデジールは震え上がったのちに身を縮こませ「……うぅ、以後気をつけ、ます」としょぼんと落ち込んだ。

 母は厳しい人である。言動は落ち着いているのだが、何かと気になった箇所や王として相応しくない言動をすればすぐに冷徹な目で睨む。そして張り詰める空気まで作り出すのだから萎縮してしまう。

 デジールにとって彼女は父とは別の意味で恐ろしい人なのだ。

 父アイントラハトはというと、その様子を笑いながら眺めていた。父上は母上のあの迫力に気圧されないのかと、デジールはいつも疑問に思う。


「そういえばシンシアと人間の混血児を見つけたと伺いました。偶然か必然か、デジールが懇意にしている人間だったとか」

「! うむっ、イルのことだなっ。あやつは凄いぞ! 女神の恩恵を受け、シンシア叔母上の血が流れているため魔力値も高く、豊富な魔法を使いこなせるのだ。それにイルの作るチョコレートスイーツは絶品である!」


 まるで自分のことのように鼻高々とイルについて語る。母にも親戚となるイルのことを知ってもらいたいがゆえに。


「えぇ、アイントラハトから全て説明を受けました。我が王族の一員に相応しいかどうか一度顔を合わせなければなりませんので、ワタクシが彼女に会うことについては問題ありませんか?」

「う、うむ。それは構わぬが王族に相応しいかどうかは、その、別というか……そもそもあやつは人間として生きておって……」


 デジールの知る限り、イルは王族ではなくただの平民として生きる人間。それに彼女は魔王族に籍は置いていないので魔族ですらない。


「そんなものは関係ありません。親戚と言うのならば王族としての振る舞いや品格があって当然です。それすらない者を親戚だなんてワタクシは認めませんよ」

「う、うむむ……」


 パチン、と勢いよく扇子を閉じては目を光らせるコールドレームにデジールは圧倒されてしまう。そして心の中でイルへと謝罪をした。すまぬ、イルよ……余には母を止めることはできぬ、と、


 そんなアイントラハトの私室前でたまたま聞き耳を立てていた吸血鬼が、慌てて蝙蝠姿で人間界へと向かって行ったことにデジールが気づくことはなかった。



 ◆◆◆◆◆



「んーっ……」


 ゆっくり目覚めた私はベッドから起き上がり、近くの時計を見て朝の割には部屋が薄暗いことに気づく。


「今日は……天気が悪そうだなぁ」


 窓の外を見ればどんよりとした曇り空であった。いつ雨が降ってもおかしくないくらいに。今日はパティスリー・ザーネがお休みの日で良かったかも。雨の中外に出るのは憂鬱だしね。晴れてたらレイヤとデ、デートとかしたかったけど、今日は家で大人しくする方がいいのかな。

 ……それにしてもレイヤとデートできそうな日は天気が悪くなるときが多いなぁ。不運の呪いはなくなったはずなのに正常な運の数値が低いせいでやはり所々運が悪い。

 ま、まぁ、いいんだけどねっ。呪いよりかはマシだし! と、前向きになったところで、ぐうぅぅとお腹の虫が鳴る。それを聞いて溶けるように眠っていたスライムのプニーがむくりと起き上がった。


『ん~……イル、お腹空いたの? の?』

「あ、あはは。そうだね、お腹空いちゃって……」


 は、恥ずかしい……! お腹の音でプニーを起こしてしまうなんて!


『僕もお腹空いてきたかも! も! ご飯食べるっ。るっ』


 けれどプニーは私のお腹の音は気にせず、元気にぴょこぴょこと跳ねる。私の可愛い方の従魔は相変わらずの癒し系で恥ずかしさも吹っ飛んだ。


「そうだね。それじゃあ着替えるからもうちょっと待ってね」

『わかった! た!』


 今日はレイヤが朝ご飯を準備してくれる日だからそろそろリビングに向かわないと。

 ベッドから離れて着替え用の服を準備し、寝間着を脱ぎにかかったその時だった。壁からすり抜けるようにバサバサと羽ばたく音を立てながら部屋へと入ってきた黒い物体にビクリと肩を跳ねる。


「オイ、お前っ! 悪い知ら、いや良い知らせだ! 近いうちにヤベェ人が訪問するからお前がでかい顔をするのもここまで━━」


 当たり前のように透過スキルを使用して家に侵入する蝙蝠の知り合いは一人しかいない。そんな彼は蝙蝠から本来の姿へと戻る。

 見た目は成人前の少年だけど、年齢で見たら私より百歳以上も上。ブルーブラックの髪と三白眼が特徴的なヴァンパイアのグロルである。

 しかし今はタイミングが悪い。何せ私は着替え途中なため上半身は下着姿である。グロルも私が着替え中だとは思っていなかったため石化したように言葉を失い、固まってしまった。


「なっ、ちょっ……!」


 慌てて服で前を隠すが、動揺は隠せない。大声を上げないだけ偉いと思う。もし、そんな声を出したらきっとレイヤやレスペクトが突撃しに来て大騒ぎになることは間違いない……と、考えた時にはもう遅かった。


『イル! 今魔族の小物が侵入してきただろう!』

「ひえぇぇぇっ!?」


 ガシャーン! と大きな音を立てて窓を突き破り、顔だけ出す怖い方の従魔ことカトブレパスのレスペクトがおそらく私の身を心配して駆けつけてきてくれたのだけど、その勢いに驚き、声を上げてしまう。

 いや、それよりもまたレスペクトに窓を壊されてしまった。修理しなきゃ……。

 そこでようやく石化していたグロルがハッと我に返り、一気に顔を赤くさせた。


「おまっ、お前なんて格好してやがんだ! この痴女が!」

「ちっ!? そもそも勝手に入ってきたのはグロルさんでしょ! そ、それよりあっち向いてよっ」

「うるせぇ! 言われなくともお前の貧相な身体なんざ興味━━」

「イルがあっち向けって言ったら早く顔を逸らせ。この変態吸血鬼め」


 グロルは気づかなかったようだが、うるせぇ! と怒鳴る声と重なるように、私の発した声により駆けつけてくれたレイヤが「イル!」と声を上げて部屋の扉を開けたのを私はしっかりと目撃した。

 そして着替え途中の私の様子とグロルの存在に気づいたレイヤは全てを察してくれたのか、グロルの後ろから蜂毒の剣をピタリと首に当てていた。しょ、少々過激ではないだろうか?


「へ、変態じゃねぇ……!」

「いいから部屋を出ろ」


 彼の冷たい目は本当にグロルを斬ってもおかしくないほど迫力があった。レイヤは私に目を向けないようにグロルの首根っこを引っ張りながら部屋の外へと出て行く。

 レ、レイヤってば紳士ー! なんてときめいたのもつかの間。


『さっさと身嗜みくらい整えろ』

「はい……」


 レスペクトに注意を受け、もそもそと服を着る。相変わらず厳しいお父さんタイプだ。そしてレスペクトはもう大丈夫だと判断したのか、窓から突き出した顔を引っ込めて、自分の小屋へと戻って行った。

 ……あとで窓ガラスの破片を片付けなければ。


 プニーを肩に乗せて部屋を出ると、レイヤがグロルの首元に剣の先を突きつけながら彼の動きを封じていた。魔力を込めた剣は黒く輝き、少しでも触れたり掠ったりするとたちまちに身体中に蜂毒が回る。

 グロルもそれを直感的に理解しているのか、冷や汗を流しながら息を呑み、壁に背をつけて微動だにしなかった。


「お、お待たせ……」

「っ、てめー! 何呑気にやってんだこのバカ! 早くこいつをどうにかしろ!」

「女性の寝室に潜り込んでおきながら何言ってるんだ? それ以上イルを罵るなら容赦しないぞ」


 レイヤがさらに剣先を近づけようとするので私は慌てて「大丈夫だからっ! レイヤ落ち着いて! 剣は下ろそう

! ねっ?」と腕を引っ張って今にも斬りかねない彼を止めた。

 そんな私の必死さに気づいてくれたのか、レイヤは私に視線を向けると、怒りのオーラを和らげてくれた。鋭かった瞳は、ほわっとした穏やかなものに変わる。


「イルがそう言うなら」


 私の話を聞いてくれたレイヤが剣を下ろした。私もグロルもホッとする。良かった良かった。


「けれどイルの着替え中に突撃し、覗きという犯罪を犯したのは許せない」

「好きで覗いたわけじゃねーっつーの!」

「立場がまだわかってない物言いだな?」


 あ、ダメだ。安心したと思ったら、グロルがレイヤの神経を逆撫でするような言い方をするのでまたレイヤの怒りのスイッチが入ってしまう。

 再び剣を構えようとするレイヤに何とか冷静になってもらおうともう一度止めに入る。


「グ、グロルさんの言ってることは本当なの! タイミングが悪かっただけで、グロルさんには悪気がなかったんだよっ。それに慌ててたみたいだし、何か知らせようとしてただけだからっ。ね、グロルさん?」


 ひとまず二人の間に入って、それとなくグロルの目的を尋ねた。私の問いに何度も頷くグロルを見て、レイヤは軽く溜め息をつくと、剣を鞘に収めて腕を組んだ。


「じゃあ何の用で来たんだ?」

「……おっかねぇ人があいつに会いに来るって話を聞いたんだよ」

「おっかない人?」


 そういえば部屋に突撃してすぐにヤベェ人がどうのって言ってた気がする。つまり魔族絡みの人が私に会いに来るってことだろうか?


「先王アイントラハト様の奥方」

「……伯父様の……?」

「デジールの母親か……」


 ハッ! そうだ、そういうことになるんだ! アイントラハト様の奥様ということだからデジールのお母さんでもあるわけだ。

 今まで顔を合わせたことはなかったし、デジールの誕生日パーティーにもそれらしい人はいなかったような気もするし、それより何より私のお母さんが実は魔族だったという新事実で大変だったからなぁ……。


「夫人、コールドレーム様は二十年程前にアイントラハト様の意志を魔族に伝え説得するため魔界の各地へと回っていた。……チョコレートの普及と人間への敵対心を和らげるために」


 チョコレートの話題になると苦虫を噛み潰したような表情になってる。やはりまだチョコレートが好きになれないのだろう。魔界では流行ともいえるチョコレートだけど、グロルにとっては忌まわしいものでしかないのだから。


「つまりそのコールドレーム様が二十年ぶりに帰ってきたってことか?」

「あぁ。あのお方がいらっしゃらない間に起きた出来事をアイントラハト様から聞いたんだろ。こいつが王族として相応しいか確かめるために顔を合わせるって言ってたぜ」

「え。いや、私は魔王族になるつもりはなくて……」

「そんなのあの方には関係ねぇよ。王族だろうが平民だろうが魔王族の血が入ってることには変わりないんだからな」


 そんなことを言われても……。もしかしてそのコールドレーム様って結構頑固な人なのだろうか。


「……コールドレーム様ってどんな方なの?」

「あの方は妖狐だ。強さもさることながらとにかく怖ぇ。アドラシオン様の数百倍は……」


 てっきりグロルはデジールよりもアイントラハト様よりもアドの方が怖いというイメージだったんだけどどうやら違ったようだ。さらに上がいたとは。

 誇張表現っぽく思えるのに冷や汗ダラダラな様子を見るとよほど怖いのかもしれない。


「言葉遣いが悪いだの、背筋が悪いだのってだけじゃなく、お辞儀の角度は二度低くしろとか、ヴァンパイアなら牙をしっかり整えろとか何かと細けぇし、睨みつけてくるし」

「間違ったことは言ってなさそうだけどな。そもそもお前の態度が悪いからだろ」

「目上のもんにはちゃんとしてるっつーの!」


 そうやって目上以外の人に噛みつく所がいけないんじゃないのかな……と思ったけど、口にしたらまたギャンギャン言われそうなので胸の中に押しとどめた。


「とにかく! 品のないお前なら絶対にコールドレーム様にボロっカスに言われるから覚悟しとけよな!」

「……なぁ、イル。やっぱりこの吸血鬼を叩き斬ってもいいか?」

『僕が消化液で溶かしてもいいよっ。よっ』


 レイヤに同意するように肩の上に乗るプニーがとんでもないことを言い出した。小刻みにぶるぶる震えるのは怒りのせいなのかもしれない。レイヤだけじゃなくプニーもグロルの言動にご立腹な様子。


「ま、待って二人とも。グロルさんは私を心配してわざわざ知らせに来てくれただけなんだよ」


 そうでなければ嫌いな相手にいちいち言いに来ることはないはず。ね? とグロルに確認すると、彼はみるみるうちに顔を赤くしてわなわなと震えていた。


「だっ、誰がテメーみてぇな奴を心配するかよっ! 調子に乗ってんじゃねーよ! バーーカッ!!」


 勢いよく捲し立てられた。言うだけ言うと、そのあとのレイヤ達の報復を危惧したのか、グロルは蝙蝠の姿に変化し、透過スキルを駆使して玄関の扉を潜り抜けて去ってしまった。

 なぜ、私はここまで嫌われているんだろう? そんな怒らせるようなことを言ったつもりはないのだけど、扱いが難しい子である。反抗期かもしれない。


「……次会ったらただじゃすまない」

『僕も! も!』

「ま、まぁ、いつものことだから私はそこまで気にしてないよ。思春期じゃないかな?」

「ならより一層タチが悪い」


 レイヤの静かなる怒りがどんどん増してくる。窓の外が厚く暗い雲のせいで室内は薄暗いというのに、レイヤの冷めた目が光っているように見えた。

 どうしたら落ち着いてくれるだろうか……と、考えたその時、玄関の扉からコンコンと訪問者を告げるノック音が聞こえた。


「? 誰だろう?」


 少し控えめの音だからリリーフやデジールではなさそうだ。リリーフならもう少し強く叩くだろうし、デジールなら素早く連打するはず。

 二人以外なのは間違いないので「はーい」と留守ではないことを知らせ、玄関の扉を開けた。


「どちらさまで━━」

「王族たるもの、相手を確認せずに姿を見せるとは言語道断。暗殺されても文句は言えませんよ」

「……はい?」


 ドアの前にいたのは落ち着きがありつつ上品でシンプルな装飾を施したワンピース姿のスラリとした見知らぬ女性。深い青色の髪をポニーテールにして纏め、鋭い狐目が私に向けて光った。

 よく見れば彼女の手にはジタバタする蝙蝠を掴んだ状態である。……もしかしなくとも先ほど逃げ帰っていったグロルなのだろうか。


「初めまして、イルさん。ワタクシ、先王アイントラハトの妻、コールドレームと申します」


 王族のマナーに詳しくない私でもわかるくらい完璧かつ綺麗なお辞儀を見せる噂のコールドレーム様。近くにいるだけで自然と背筋が伸びてしまい、凄まじい緊張感に包まれる。


「コッ、コールドレーム様っ! は、じめまして、イルです! ご息女、いや、ご子息……? のデジール、様にはお世話になっておりますっ」


 実際は私がお世話をしている気がしなくもないが、厳しいと言われるコールドレーム様の手前、そんな大それたことは言えず慌てて頭を下げる。

 すると彼女は真っ赤で上品そうな扇子を取り出しては、バッと広げてそのまま自分の口元を隠した。


「頭が下がりすぎです。謝罪として受け取らねかねません。この場合のお辞儀の角度は30度が適切ですよ」

「さんじゅう……」


 グロルの言う通りお辞儀の角度にも厳しいということがよくわかる。それにしても30度って……ど、どのくらいだろうか。客観的に見ない限り適切なお辞儀の角度の感覚が掴めなくて、戸惑いながら「こうかな……」と少し頭を上げてみる。


「まだ深いですね」


 ぴしゃりと言い放つ王太后様に内心手厳しいと叫んでしまう。正解がわからなくてまごまごしていたら、後ろから優しく肩に触れられたことに気づいた。そしてそのまま少しだけ上体を上げてくれる。


「このくらいのはず」


 レイヤが補助してくれた。そんな助け舟を出してくれたレイヤに感激していたらコールドレーム様の口から「えぇ、その通りです」という判定をいただき、ようやくお辞儀から解放され、頭を上げることができた。


「しかしぎこちなさもありますので、次からは流れるような動きをお願いします」

「は、はい……精進、します……」


 いや、なぜ私は厳しいマナーに励むような流れになっているのか……?


「えっと、それでどのようなご用件でしょうか……?」

「グロルから聞いていませんでしたか? てっきりお話をしに来ていたと思ったのですが。私の用件はただひとつです。シンシアの血が流れているあなたが王族に相応しいかどうか確かめるため訪問をいたしました」


 グロルの話通りだった。心做しかコールドレーム様に捕まったままのグロルがより一層暴れ出し「ほら、みろ! 俺の言った通りだろ!」と訴えているような気もしなくはない。


「あの、王族に相応しいかどうかで問われると私は全く相応しくはないです……。母も人間の平民として生きていましたし、私も同じように育ちましたので……」


 恐る恐る伝えると吊り上がった彼女の目がさらにカッとキツくなり、手にした扇子を勢いよく閉じた。それだけじゃなく曇り空からゴロゴロと雷の存在を知らせる音が聞こえてくる。


「自分は王族に相応しくないと言いながら我が子や夫に家族として振る舞うという無礼を働いていたのですか!?」


 強い口調で非難されると同時に彼女の背後から大きな落雷が起こった。まるでコールドレーム様の怒りに同調したかのようだ。

 あまりにもタイミングがぴったりすぎて、私や肩にいたプニー、グロルがびくりと身体が跳ねる。レイヤに至っては微動だにしなかったが、目は大きく見開いていた。


「えっ、あの、そういうわけでは……!」

「アイントラハトは先王、デジールは王です! 同じ王族ならば多少の不躾な言動は大目に見ますが、きっぱりと王族じゃないと発言するならばそれ相応の態度に改めなさい! そのような甘い考えでワタクシの家族を都合のいいように接するのはおやめくださいっ!」

「あ……」


 扇子の先端が私へと向けられる。同時に彼女の言葉が強く胸に突き刺さった。だって否定できないほどの正論だったから。あくまでも私は人間の平民である。例え種族は違うが親戚とはいえ、デジールやアイントラハト様は王族であることは間違いない。本来ならば気軽に会ったり話をしたりするべき身分ですらないのだ。

 私は今まで距離が近かったことや彼らの優しさに甘えていたのかもしれない。もっと線引きをしなければならないのに馴れ馴れしくしすぎてしまったようだ。

 顔を俯かせて、コールドレーム様の言葉を重く受け止める。するとレイヤが私の前に立って、コールドレーム様と顔を突き合わせた。


「失礼ですが、そのようにイルを責めるのならお帰りいただけますか?」

「……不躾ですね、どなたですか?」

「イルとお付き合いさせていただいている者です」


 レイヤの言葉を聞いてつい顔が赤くなったけど、コールドレーム様にあえて名乗らない様子に今度は顔を青くしてしまう。さすがにそれは失礼なのではと、あわあわするも彼は話を続ける。


「全部イルが悪いと言わんばかりの物言いは聞いていて不愉快です。そんなに家族とイルが関わることに不満なら、アイントラハト様とデジールにしっかりと話していただけますか? そもそも遠慮なく接して来ているのはそちら魔族の方々です」

『そうだよっ! よっ! イルを虐めないで! で!』


 私の肩にいたプニーがレイヤの肩へと飛び移り、ぷんぷんと怒るように身体を伸び縮みさせている。

 二人の気持ちは嬉しいけれど、これではコールドレーム様の怒りを買ってしまう可能性が非常に高い。

 このままではまずいと考えて二人をなだめようとしたが、今度はコールドレーム様の背後から強い圧力を感じてびくりと肩が跳ねてしまう。


『また、魔族がうちの従者にちょっかいを出しているのか?』


 今度は不機嫌オーラを漂わせ、身体に響くプレッシャーを与えるレスペクトがやって来た。これは良くない。コールドレーム様の言い分はもっともなのに、彼女を責め立てるようなことはとてもよろしくない。


「ま、待って、みんな落ち着いてっ。コールドレーム様は何も間違ったことは言ってないから、ねっ?」

「もういいです。居心地が悪いので私はこれにて失礼させていただきます」


 はぁ、とコールドレーム様が軽く溜め息をつくと、再び大きな雷鳴が響き渡った。轟雷の音とともに彼女は瞬時にその場から消え去ってしまう。もちろん、捕まったままのグロルも一緒にいなくなっていた。


「帰っちゃった、のかな……」


 ホッとするものの、どう見ても怒って帰ってしまったのは間違いないので、これはもしかして魔族と人間の間に亀裂が入ったのではないだろうかと危機感を抱く。

 もしかしたらデジールは後々コールドレーム様から「何なんですかッ、あの者達は!」と怒られるのかもしれない。そう思うととんでもなく申し訳ないことをしたし、彼女を責めるような展開になってしまったこともご本人に謝罪したく思う。


「早々に帰ってくれて何よりだ」

「でも……」


 コールドレーム様は意地悪で言ったわけではないだろうし、レイヤ達も私を守ろうとしてくれただけで責めるつもりはない。私が酷く落ち込んだのがいけなかったのだろう。だからみんなに心配をかけさせてしまい、コールドレーム様を責めさせてしまった。……もっと私がしっかりと受け止めていれば良かったのに。


「やはりこうなったか」


 え? と思ったのもつかの間、すぐにコールドレーム様がいた場所にアイントラハト様が姿を現したのだ。言葉から察するに先程のやりとりを見ていたものと思われる。


「おっ、伯父様!?」

「すまなかったな、イルよ。我が妻は少々厳しい物言いをするのだが、決してそなたをいびるつもりはないということを理解してほしい」

「あ、はいっ。それはもちろんっ」


 厳しくて怖くはあったけど、悪意を持っているとは思っていない。それにこうしてアイントラハト様がフォローしに来てくださっているということは、コールドレーム様は勘違いされやすい可能性がある。


「突然訪問して頼んでもいないのに王族に相応しいかどうかチェックをする上に馴れ馴れしくするなと言われて理解しろなんて勝手が過ぎるんじゃないんですか?」


 レイヤがここぞとばかりに不服を申し立てる。いつもはおおらかなアイントラハト様もこの時ばかりは苛立ったのか、眉をピクリと反応した。

 やはり奥様のことを悪くは言われたくないのだろう。家族のことだもんね。その気持ちもわかるし、レイヤが私のために言ってくれることもわかるので、私としてはどう対応したらいいか悩んでしまう。

 しかし、アイントラハト様はすぐにニッと笑みを浮かべた。まるで何かを企むような。思えばあまり見ることのない表情だった気がする。


「そなたがどう思っていようが関係ないだろう。我が姪が勘違いしなければそれで構わん。━━というわけだ、イル。妻のことをよく知ってもらいたいので我に付き合ってもらうぞ」

「え? あ、はい。それじゃあ、中でお話を━━」


 詳しい話を聞こうと家の中に招き入れようとしたその時、アイントラハト様に手を掴まれた。

 一体どうしたのだろうと彼の顔を見上げるが、改めてアイントラハト様の身体は大きくて迫力があるなと思わずにはいられない。近距離で見下ろされているせいもあってかちょっと怖く感じる。


「あの……?」

「実際に見てもらった方が早いので場所を変えよう」

「え?」


 それってもしかして? そう口にする瞬間、レイヤが先に気づいたのか、ハッとした表情に変わる。


「! 待て!」

「テレポート」


 アイントラハト様が転移の魔法を口にした。その瞬間、私に向けて腕を伸ばそうとするレイヤとプニー、そして助走をつけようとするレスペクトの姿は消えてしまう。いや、転移したので消えたのは私の方ではあるのだけど。


 自宅前だった景色は打って変わり、豪勢な個人部屋へと辿り着いた。

 高い天井に堅固な石材の壁には本棚や沢山の肖像画が並んでいる。おそらく歴代の魔王様だろうか。アイントラハト様の絵も飾られていた。他にも魔物と思わしき頭蓋骨も並べている。ちょっと怖い……。

 窓も大きく、そこから見える空の色は若干赤黒い。夕方の色ではなく、元より魔界の空は昼夜問わず赤みがかっているため。

 人間の領土から離れているとはいえ、魔界の領地の空の色が違うのは何だか不思議である。

 部屋の中はそんなに明るいわけではなく、柔らかく光るランプや青紫に燃える燭台が必要最低限灯っているだけ。

 床は高級そうな赤い絨毯に、黒と金の糸でドラゴンが刺繍されていた。

 部屋の奥には大きなベッドも見えたので紛れもなくここはアイントラハト様の私室と言える。


「さて、すぐに妻が来るだろうからそなたはこいつで身を包み、そのままここに隠れるといい」


 クローゼットと思わしき折れ戸扉を開けて、そこから黒いマントのようなものを取り出すと、私の肩に引っ掛けた。

 かなり大きくアイントラハト様のマントなのでは、と思っていたらそのままクローゼットの中へと隠れるように言われる。


「えっ、でもさすがにバレるのでは……?」

「その外衣は気配遮断効果があるので問題ない。後ほど私と妻は部屋を出るので、その間にイルは転移魔法で家に帰るといい」

「は、はい」

「━━そろそろ来る。では、そこで見ていてくれ」


 そう告げるアイントラハト様に返事をしようとしたが、ぐいっと手を引っ張られ、クローゼットの中に押し込まれるとすぐに扉が閉められた。

 扉の隙間から少しだけ室内の様子が見える。何だか隠れんぼしてるみたいだなぁって思った矢先、コンコンとアイントラハト様の部屋の扉からノック音が聞こえた。


「レームだな。入るといい」


 アイントラハト様はコールドレーム様のことをレームと愛称で呼んでるんだ。本当に仲が良さそうでいい関係なんだろうなぁ。

 少し微笑ましく思っていたら、入室の許可が出たことにより扉の開く音が聞こえる。そしてすぐにコールドレーム様の姿を扉の隙間から確認できた。彼女に見つからないかドキドキしつつ無意識に息を飲む。


「……失礼いたします」

「我が姪に会ったのだろう? どうだった?」

「思っていたよりも魔王族に甘えているようでしたので、少し苦言を呈しました……が、彼女を取り巻く人間と魔物に歯向かわれました」

「あやつらはイルを守るのに必死ではあるからな」

「……ワタクシはあなたやデジールを親戚として接するなら王族としての振る舞いを身につけるべきだと考えています。この先も城を出入りする可能性があるのならなおのこと。そうでないと王城で働く者達に舐められてしまいますし、生みの親であるシンシアのイメージも損なわれてしまうでしょう」


 改めてコールドレーム様の考えを耳にし、私だけでなく母のことも思って注意してくれたのだと理解する。決して意地悪をしに来たわけじゃないという確信になった。


「……ですが、伝わっていないのかもしれません。やはり、ワタクシの……この、顔のせいで怖がらせてしまったのかも……」


 ん? 少しコールドレーム様の様子が変わった。声が震えている。それだけじゃなく、鼻を啜る音まで聞こえるような……。


「せ、せっかく、デジールと仲良くしてくださった……人達に、ワタ、ワタクシはキツく言ってしまい、まし、た……」


 扉の隙間から見える限りでは、コールドレーム様が自分の顔を両手で覆っているように見えた。……もしかしなくとも、コールドレーム様は泣いていらっしゃる……?


「どう、しましょう……あなた……もし、ワタクシのせいで、デジールと関わるのをやめてしまったら……あの子に合わせる顔が、ありません……」


 あんなにキリッとしていたコールドレーム様が肩を震わせながら不安を吐露する。そんな彼女を見てしまいあわあわと慌てふためくことしかできない私は隠れている身でもあるということなので結局見守ることに徹した。


「イル達はそのようなことでデジールを見放すような心狭い者達ではない。安心するといい」

「そう、だといいのですが……ですが、ワタクシの印象は、もう……取り返しがつかないほど悪くなりました……イルも、怯えてしまっているでしょう……せっかく新たな家族ができたというのに、もうワタクシのことを伯母とは呼んでくれません……!」


 張り詰めた糸が切れるようにわんわんと声を上げて泣きじゃくるものだからさらに動揺する。

 思わずそんなことないですよっ! と声を上げたくなるがここは我慢だ。

 心許す旦那さんの前だからこそ弱音を吐き、泣き姿を見せているのかもしれないと思うと、彼女の本当の姿を私は知っちゃいけない気がした。


「そんなことはない。イルならば必ず呼んでくれるだろう。我が断言する」


 ……これはつまり、伯母様と呼ぶように、ということですね? 断言されてしまったのなら何がなんでもコールドレーム様を伯母様と呼ばなければならない。アイントラハト様のためにも、コールドレーム様のためにも。


「レーム、そんなに泣いては身体の水分もなくなってしまう。お茶でもしようではないか」

「はい……失礼いたしました。お見苦しい姿をお見せしてしまいましたね」

「何を言うか。このように我の前では素直に申してくれるお前を独占できるのだから気にする所など何ひとつない」


 そのような独占の場にお邪魔してすみません……。

 指の背で涙を拭い、泣き止んだコールドレーム様はアイントラハト様の提案に乗って、二人は部屋から出ていった。

 突然戻って来ることも考え、もう少しだけ息を潜ませて時間を置く。

 数十秒くらい経った頃にクローゼットの扉をゆっくり開けて、辺りを見回す。よし、大丈夫そうだ。そう判断した私はアイントラハト様から借りたマントをきちんと戻したあとにクローゼットから出た。


「アイントラハト様にお礼を言いたいけど、さすがに今顔を合わすわけにもいかないよね……」


 何せコールドレーム様とお茶をしているのだから邪魔をするわけにもいかないし、なぜ私が魔界にいるのかとコールドレーム様に怪しまれる。

 じゃあこのまま静かに帰るしかないかな……と、思った矢先、執務デスクとはまた違うアイントラハト様専用のテーブルらしき机上にメモとペンがあることに気づく。

 それを見た瞬間、直接お礼が言えないのならメモに残そうと決めて、心の中で「一枚いただきます」と呟き、一本だけ立たせていたペンを手に取った。

 手短に「伯父様、お気遣いありがとうございました。コールドレーム様の気持ちが聞けて良かったです」と文末には自分の名前を書き、メモはテーブルの上に載せたままにする。


「それじゃあ帰ろうかな。レイヤ達も心配する━━」

「父上ーー!!」


 テレポートで帰ろうとした瞬間、まさかの人物が愛らしくも美しく装飾されたワンピースを揺らしながらアイントラハト様の部屋に突撃した。ノックもなしに。そんなことができるのはやはりというか、アイントラハト様に父上と呼ぶ魔族はただ一人だけ。


「ん? イルではないかっ? なぜ父上の部屋にいるんだ?」

「デジール……」


 相変わらず忙しないときは礼儀に欠けているようだ。例え相手がアイントラハト様であっても。


「……いや、そもそも母上が会いに行っていたはずなんだが、もしや母上に連れてこられたのか?」

「連れてこられたのは確かだけどその相手はアイントラハト様だよ」

「そうなのか? しかしちょうど良かった。イルに会いに行った母上のことを父上に尋ねたかったのだ。……その、母上に怒られはしなかっただろうか……?」

「忠告をされたくらいで怒られてはいないよ」


 ……さっきのコールドレーム様を見なければ怒られたかも、と言ってしまったかもしれないけど。アイントラハト様に言われた通り勘違いはしない。


「そ、そうか! 母上は厳しいお人でなっ。イルが不快だったり、悲しんでなければ良いのだ!」

「心配してくれてありがとう。でもコールドレーム様には私がここに来たことは内緒にしててね」

「? わかった。父上に連れられたのだったな。そもそもどのような用件だったんだ?」

「えー……と、また美味しいスイーツを食べたいのでそれを作るようにお願いされたくらいで」


 コールドレーム様のことは伏せておこう。何かの拍子にデジールがポロッと話さないとも限らないし。


「わざわざそのためにイルを……? いや、でも新しく何かを作ってくれるのだろう!? 是非とも余にも食べさせてくれ!」

「う、うん。もちろんそのつもりだよ」


 咄嗟に言ってしまった言葉がデジールにとっては大きな興味を示す結果になってしまった。いや、仕方ない。これは私の誤魔化しがいけなかったのだ。うーん、新しいスイーツの用意を考えなければいけないか……。

 それについてはまたレシピブックを見て決めることにした私はすぐに「あ」と思いついた。


「デジール。魔王ならマナーの勉強とかもするよね?」

「な、なんだ、突然……まぁ、確かにしないこともないが」


 少し吃りながら目を泳がせる。そんな彼女の反応からすると礼儀作法は得意ではなさそうだ。それならばと私はデジールにあることをお願いした。


「だったら、マナーに関する教本とかないかな? 魔王族の礼儀について勉強してみたいの」

「なぜイルが魔王族のマナーを……ハッ! やはり母上に王族の教養について強く言われたのかっ!?」

「いや、そこまでじゃないよっ! 私が気になったっていうこともあって!」

「そうか? 無理に強いられたわけでないのなら。教本なら色々とあるのでしばし待っておれ」


 そう言ってすぐに部屋を出たデジールはものの数分で分厚い本を五、六冊抱えて戻ってきた。あまりの厚みに僅かな拒否反応が芽生えるも、コールドレーム様の思いを無駄にしないため私は全部借りさせてもらった。

 しかしその本が重いので亜空間に入れようとアイテムバッグを使用して本を収納する。


 その後、デジールにお礼を告げて、私はすぐに転移魔法で家の前へと戻った……のだけど、そこにはレイヤと二匹の従魔が不機嫌なオーラを漂わせながら待っていたので思わずびくりと肩が跳ねてしまう。

 すると険しい顔をしていたレイヤの表情は少し緩んだ。


「イル!」

『イルーー!!』

「わぶっ! た、ただいま……」


 レイヤが私の元へ駆け寄り、レイヤの肩に乗っていたプニーが私の顔面へと飛びつく。ひとまず顔に張りついたプニーをゆっくり剥がして腕の中へと抱えた。


「……大丈夫か?」

「大丈夫だよ。本当にお話をしただけだから」

「確かにアイントラハト様ならイルを危ない目に遭わせる心配はないと思っていたけど……連れ攫われるような形だったから」

『イルが魔界から戻って来ないと思ったの! の!』

「そんなことないから心配しないで」


 一応親戚の家に行ったようなものなんだけど、突然連れて行かれたせいか、みんなにかなり心配をかけさせてしまったようだ。

 腕の中でぶるぶると震えるプニーをあやしつつ、レイヤにも大丈夫だよと笑みを向けると、彼は手を伸ばしてプニーごと私を抱きしめた。


「!?」


 突然のことでボッと火が噴きそうなくらい顔に熱が集まった。え、あの、と言葉にならない声が出てしまう。


「いくらイルの親戚とはいえ、誰かにイルを攫われるのはいい気はしない」


 とても近い距離でレイヤの言葉が耳に入った。抱きしめる腕の温もりも伝わるので心臓がうるさいくらい心音を立てる。もはや胸が痛いくらいなんだけど、全然嫌じゃない。でも全身が熱くてどうにかなりそうだった。心臓にもよろしくない……!


「ご、ごめんね……! ほんとに心配かけさせちゃって! せめてプニー達にテレパシーを飛ばして事情を話せば良かったんだけど……!」

「……いや、俺の方こそごめん」


 そう呟くとレイヤは腕を緩めた。顔を赤くしているであろう私とは違って、レイヤは行き場のない悔しさに堪えるような苦々しい表情をしていた。


「魔界に行く術がなくて結局待っていることしかできなかった自分が腹立たしく思うし、攫われるイルの手を掴むこともできなかった自分の判断の遅さに嫌気がさした。俺が弱いせいで、いつかまた同じようにイルが連れ攫われるんじゃないかって……」


 待って待って! ちょっと思いつめすぎじゃないかなっ!? さすがにそれは考えすぎの領域だと思うんだけどっ!


「レイヤ、自分を責めないでっ。レイヤは弱くないし、そもそも攫われたって行ってもアイントラハト様が相手だからレイヤも本心では大丈夫だって思ってたはずだよっ。もし本当に危険な状況だったら例えどこであってもレイヤは私のために動いているのは間違いないよ。ね? レイヤはいつだって私を助けようとしてくれるのはよくわかってるから。だから、えっと、大丈夫! 本当に攫われるようなことがあっても私はレイヤ達がどうにかしてくれるって信じてるし、何なら私も足掻くから!」


 元気づけようと捲し立てるように言ってしまったけど、これってちゃんとレイヤの落ち込みを払拭できるのかな? 励ましが下手くそすぎないかなっ?

 不安そうにレイヤを見つめると、彼はほんの少しだけ口元を緩めてくれた。


「そうだな、イルの言う通りだ。そこまで信じてくれてありがとう」


 真顔でいることが多いレイヤが柔らかく笑みを浮かべてくれたのでホッとした。レイヤは真面目だからあれこれ深く考えてしまったのだろう。少しでも不安が和らいでくれたら何よりだ。


『イルとレイヤ仲良し! し!』


 抱きかかえていたプニーが嬉しそうな声を上げる。改めてそう言われると何だか恥ずかしくなるが、それでも擽ったい気持ちになり「えへへ」と笑ってしまう。


『イル……』


 しかしそんな和やかな雰囲気を壊すような低く怒りのこもった声を聞いた私はドバッと冷や汗が大量に流れた。怖い方の従魔がお怒りのようです……。


『お前は何度も何度も面倒なことに巻き込まれているくせになぜそうヘラヘラしている? そんなだから誰も彼もお前に厄介事を持ち込んでくるのだろうがっ』

「ご、ごめんなさいっ?」


 わ、私が悪いの? さすがに今回の件は不可抗力だと思うのだけど! でもそれで納得するような相手ではないので大人しく謝るしかなかった。疑問形にはなってしまったけれども。


『そもそもお前は覇気がない。だから舐められるんだ。先ほどの魔族の女にも言われっぱなしで悔しくはないのかっ?』


 レスペクトのお説教は受けたくないのだけど、彼なりに私の心配をしてくれていることはすっごくわかる。しかしレスペクトの放つプレッシャーはとてつもなく強いのでレイヤとは違う意味で心臓によろしくない……。


「あ、あのね、コールドレーム様は私を舐めているとかじゃなくて、純粋に私のために思っての言葉だったんだよ」


 みんなにコールドレーム様の隠された本当の気持ちや優しさを語った。もちろん泣いていたことは秘密にして。

 最初はみんなあまり納得してくれない雰囲気だったけど、そこは私が頑張って説得した。力強い説明のおかげか、三人とも「イルがそこまで言うのなら……」みたいな空気になり、何とかコールドレーム様への不満を和らげることに成功する。


「コールドレーム様の言う通り、デジール達と家族として親しくするならやっぱり最低限は王族としての品位は身につけるべきだと思うの。私だけが特別扱いを受けるわけにはいかないし、それを許したデジールやアイントラハト様の沽券に関わるから私は頑張って王族の礼儀を学ぶつもりだよ」


 グッと両手で拳を作り、やる気を表明する。そんな私にレスペクトは盛大な溜め息をついた。そんなあからさまな……。


『好きにしろ。お前は変なところで頑固な奴だ』


 折れてくれたのか、もう話すことはないと言わんばかりにレスペクトはゆっくりとした足取りで自分の小屋へと戻っていった。もっと反対するかと思っていたけど、私が嫌々やっているわけではないとわかったからなのか、許しが出たので良かった。


「……まぁ、学ぶこと自体に悪いことはないし、イルがやると言うのならいいと思う」

『イルが無理しないならいいよー。よー』


 レイヤとプニーからも同じ返事をもらい、その日から私はデジールから借りた本を読み込んだ。分厚いけれど、なぜそのような礼儀をするのかという理由や歴史などが書かれていて、図説付きということもあり読みやすかった。

 そもそも魔界について知らないことの方が多いので、礼儀作法だけじゃなく魔界の常識なども書かれていて面白ささえあったのだ。


 例えば魔界の住人達は会議や話し合いを行う際は急ぎや非常事態でない限り夜に行うのだそうだ。

 その理由は夜の方が魔族にとって頭が冴えるのだとか。元より魔族は夜行性が多く、暗夜に活動する種族も多いため夜に議会が開くことが当たり前とされている。

 とはいえ、他種族が魔族として生きる道を選ぶこともある近年では必ずしも夜に行うわけではなく、参加する人に合わせるのだそうだ。昼、朝などもあれば、間をとって夕方に会議をすることもある。時代の変化なのだと書かれていた。


 そんな魔界の生活を知るきっかけになってついつい読み耽ってしまい、ダイニングテーブルに突っ伏して寝落ちしたこともある。そのときはレイヤに寝室へと運ばれたりしたんだけど、我ながら世話を焼かせてしまって申し訳なかった……。

 でもレイヤは優しいからその件で謝罪とお礼を告げても「気にするほどのことじゃない。むしろその役目を担えるのは光栄なくらいだ」と返してくれる。

 ちょっと大袈裟すぎだとは思うけど、レイヤにそう言われると嬉しくもあり恥ずかしくもあった。


 そんなこんなで少しずつ魔王族のマナーを頭に叩き入れる日々を送っていく。しかしあの日以来コールドレーム様が家に訪ねてくることはなかった。

 気を遣われてるのかな……。いや、彼女の性格からすると用件がない限り訪問することはなさそうだ。


 それならばと考えた結果……。


「ねぇ、デジール。コールドレーム様にちゃんと挨拶したいから会わせてほしいの」


 家に遊びに来たデジールのお城にお邪魔させてもらい、コールドレーム様に会いたいとお願いする。

 最初こそは躊躇うデジールだったが、何とか説得してお城へ招待してもらうことができた。


 デジールに案内してもらい、二人でコールドレーム様のお部屋へと向かう途中、長い廊下を歩いているところで従者を引き連れる王太后様と出くわした。

 私の存在に気づいた彼女はぴたりと足を止めるけれど冷然としている。何も知らなかったら睨まれていると思って萎縮しちゃったのかもしれない。

 しかし表情や態度に出さないだけで、コールドレーム様の方が驚いていると思う。彼女は感情を隠すのがとても上手なのだ。だからそんな彼女に倣って、私も慌てず冷静に、頭に入れて練習した成果を披露する。


「王太后コールドレーム様にご挨拶を申し上げます」


 正装ではないけれど、礼儀としてスカートの裾を軽く摘んで腰を落とし、頭を下げる。


「!」


 おそらくコールドレーム様は私が礼儀に沿った挨拶をするとは思っていなかったはず。それでも動揺する様子は感じられない。頭を下げているから彼女の表情は見えないけれど、完璧を求める彼女ならあくまでも平然としているはず。私はただコールドレーム様からの声がかかるまで体勢を崩さないように努めるだけ。


「……顔をお上げなさい」


 許可が下りたのでゆっくり顔を上げて下ろしていた腰も上げる。しかしまだ気は抜けない。立つ姿勢も意識しなければ。

 胸をしっかりと張りつつ、手は前で組む。その際片手は拳を作り、もう片手で包むようにして。こうすれば「私はあなたに危害を加えることも、魔法を放つこともありません」という意味になるらしい。

 そして許可が出るまでは王族と視線を合わせない。無礼に当たるから。そのため視線はコールドレーム様の顎辺りへ向けた。


「少し見ない間に様になりましたね」

「ありがとうございます」


 これは褒められてると自負していいはず。ここまででやらかしてはいないことに少しだけ安心した。


「……」

「……」


 しかし、だ。それ以上の会話はない。彼女の後ろに控えている従者の方達やデジール達も何とも言えない空気に戸惑っているようだった。だ、大丈夫かなこれっ!?

 狼狽える表情を出さないように何とか笑みを浮かべるが引き攣っているかもしれない。

 ヘマをやらかす前に私から話を断ち切るべきなのかもしれない。唇を動かそうとしたその時だった。


「デジール、イルさんと二人でお話しますので席を外してください」

「え? あ、うむっ」

「あなた達も部屋で待機なさい」

「「かしこまりました」」


 ここでまさかの対応を取られてしまう。デジールと従者の人達を下がらせ、一瞬にして静寂した廊下にてコールドレーム様と二人きりになってしまった。

 こ、これは緊張する……! ちゃんと王族の礼儀作法について勉強してますよと伝えるための挨拶だったのだけど、もしかして完璧に頭に入れたのか確認しようとしてるとかっ? さすがに全ては対応しきれていないので過度な期待はやめていただきたいのですが!

 どうしよう……先に説明するべきなのかな……。


「動揺が顔に出ていますね。それではまだまだ政治には向きません」


 政治に参加するつもりは毛頭ございません……。


「ワタクシに叱責され、意趣返しとして付け焼き刃で覚えたのか、それとも王族としての心構えを持つようになったのか、目を見て話すことを許しますので正直に答えなさい」


 血のように赤い扇子を取り出したコールドレーム様は軽く扇ぎながら問いかける。その言葉はやはり強くて、冷徹に感じてしまう。心做しか空気も支配されるように思えた。

 息を飲んだ私はコールドレーム様の言う通りに目をしっかりと合わせる。


「……私は相変わらず王族に相応しいとは思っていません」


 そう語るとコールドレーム様の狐目が鋭くなる。けれど話はまだ終わらせるつもりはなくて「ですが」と言葉を続けた。


「そんな私でも快く接してくれたデジールやアイントラハト様、そして母の名誉を傷つけないため、礼儀のない家族とは思われないように魔王族のマナーは完璧に覚えるつもりです。付け焼き刃ではありません。心構えがなくても、王族に相応しいと周り認められるように振る舞いますっ」

「……」


 コールドレーム様の扇ぐ手の動きが止まった。叱られるかな……。いや、例え叱られてもそれは私のことを思っての言葉だからしっかり受け止めるつもりだ。


「60点です」

「……え?」

「振る舞うというのなら心構えも持つように振る舞いなさい。自分を騙すくらいに演じきれば100点です」

「は、はい……」


 60点なら私にしては高い方に思えるのだけど、コールドレーム様にとっては違うのかな……。


「王族として生きるつもりはないけれど、家族の品位を落とさないように決めたことは評価しましょう」

「あっ、ありがとうございますっ……でも、コールドレーム様の言葉あってのことですので……」

「理解をしていただいてるのならこれからも精進するように」

「はいっ」


 雷が落ちることはなさそうなので、良かったと胸を撫で下ろす。


「……ひとまずあなたを王族の一員と認めます」

「え? あ、ありがとうございますっ!」


 パチンと扇子を閉じて呟くコールドレーム様の言葉に一瞬耳を疑ったが、聞き間違いではないと断言できるため、慌ててお礼を伝えた。


「……ワタクシもあなたを家族として接しましょう」

「あ、はいっ。光栄です!」

「……」


 なぜかしばらく黙った後、彼女は溜め息を吐き捨てた。……え、何かやらかしたっ? 私の頭に入ってない無礼なことを仕出かしたのかな……。

 でもそれならはっきりと口にするだろうし、しかし何か言いたげな気もしなくはない。

 すると「あ」と思い出した私は恐る恐ると口を開いた。


「あの、もしよろしければなんですけど……アイントラハト様には伯父様とお呼びしていますので、コールドレーム様のことは伯母様とお呼びしてもよろしいでしょうか……?」

「……えぇ、わかりました。お好きに呼んでいただいても構いません」


 こんなにも平然としていると、本当にクローゼットの中で見たコールドレーム様と同一人物なのか、それとも幻覚だったのかと疑ってしまうが、拒絶しないのなら問題はないのだろう。


「ありがとうございますっ。私のこともイルとお呼びください」

「ではそのようにいたしましょう。……そしてあなたにこちらを授けます」


 そういうとコールドレーム様は、ふーっと息を吹いた。すると薄い小さな煙ができて雲のようにふわふわと漂うそれは私の頭上へと到着し、やがてパンッと音を立てて割れる。煙は霧のように私の身体へと纏って消え去った。


「?」

「妖狐族では霧の贈与と呼ばれるものです。与えた者への幸運を願う軽い挨拶のようなものですね」

「そうなんですかっ? 素敵な挨拶ありがとうございますっ! では私も挨拶を……宵闇が常にあなたを守りますように」


 それは魔族の間にて行われる守護の挨拶。左手は心臓に当てて、右手は額くらいの高さまで上げて軽く手を開く。自分の顔に影を作るようにして。

 表情については明記されていなかったのでそこはとびきりの笑顔で。

 するとコールドレーム様は閉じた扇子の先端で私の右手の小指をくいっと上げた。


「今、この時からその挨拶の際に小指を上げることを許しましょう」

「? 小指を、ですか?」


 確か読んだ教本では五指は平行と書いていたのだけど……? でも、間違ってるわけではなさそうだ。コールドレーム様が許すと言ったので。これも何かのマナーなのだろうか?


「あの、不勉強で申し訳ないのですが、小指を上げることに何か意味が変わったりしますか?」

「そんな大したことはありません。ワタクシがイルに小指を上げることを許した。ただそれだけです」

「? えっと、ありがとうございます」


 何だか濁された気がした。少し気にしつつも、コールドレーム様は「デジールの元に戻りなさい。部屋であなたを待っているでしょう」と仰ったので、再度お礼と挨拶をしてコールドレーム様と別れ、デジールの部屋へと向かった。






「イル……それはだな、母上がイルの後ろ盾になったことを示しておるのだ」

「……え?」


 早速デジールの部屋にて先ほどの守護の挨拶を披露した出来事について話をしたら、彼女は何とも言えない表情で静かに語った。


「そもそも守護の挨拶は魔王族一人一人アレンジを加えるのが主流でな」

「ア、アレンジ? え? こうじゃないってこと?」


 本に書かれていた挨拶の仕方をデジールに見せる。小指は立たせずに。


「ば、馬鹿者! 他人に見せるのなら母上に許可された形にせんか!」

「??」


 なぜデジールに注意されたのかわからず、彼女の言う通りにしようとコールドレーム様が直してくれたように小指を上げる。


「いいかイル。王族以外の魔族なら先ほどの形が基本的な守護の挨拶で間違いはない。しかし王族である余達は別でアレンジを加えている。それは気に入った相手やバックアップしたい者がいた場合に同じポーズをとることを認めて、周りに知らしめるのだ」

「つまり、この小指を上げるスタイルはコールドレーム様のアレンジってこと?」

「うむ……そういうことになる。まぁ、母上がイルを認めている証拠ということなので、そなたにとって悪いことではないが」

「な、何だか恐れ多い気がする……」

「しかし先ほどのように他の者の前で母上が許可した守護の挨拶をせねば裏切り行為となり、最悪命がないぞ?」

「とても物騒!!」


 小指を上げないだけで私の命に関わるだなんて……! 軽い気持ちで挨拶したらとんでもないお返しがきてしまうとは……。


「で、でもデジールから借りた本にはそこまで書いてなかったよ……?」

「あー……確かに礼儀作法本によっては記載されていないものもあったかもしれんな……」

「そっ、か……でも私すでにデジールとアイントラハト様から魔血晶も受け取っているから後ろ盾は十分すぎる気が……」


 私の胸に飾る紅に光るブローチ。以前、バレンタインのお礼にとデジールから受け取ったもので、デジールとアイントラハト様の血でできた結晶である。

 赤い石には魔王族のシンボルらしいドラゴンと炎のように見える模様が刻まれていて、魔界に訪れる際には身につけるように言われた代物。これを見ると私の後ろ盾には魔王族がいるという証明になるらしい。

 とても禍々しいけれどお守りみたいなものとして、着用させてもらっている……のだけど、これに加えてコールドレーム様専用の守護の挨拶まで授かったということになるわけだ……。


「本来ならイルも王族という括りになるわけだからイル用にアレンジされた守護の挨拶をするべきなのだが、母上がイルに伝授したのでそれもできなくなるな」

「まぁ、私はそれで大丈夫だけど……」


 今思えばコールドレーム様もさっきこのブローチを見て、魔王族が後ろ盾になっていることに気づいたのかも。


「もしかして気を遣わせちゃったとかかな……」

「それはないだろう。母上がイルの後ろ盾になると決めるのはそなたを気に入っていることに間違いはないのだからな」

「そ、そうだよねっ。それにコールドレーム様、霧の贈与っていうのもやってくださったし━━」

「霧の贈与だと!?」


 デジールに物凄く驚かれてしまった。それはもう食い入るくらいに。思わずこちらもびっくりして声を上げてしまう。


「え、えっ!? 何っ? 駄目だった!?」

「駄目という問題ではなく、そもそも妖狐族にとって霧の贈与というのはよほど信頼できる相手でないと行わぬ儀式で、それ以前に魔力の消費が激しいため霧の贈与をすること自体稀なことなのだぞ!」

「えぇっ!? コールドレーム様は簡単な挨拶だって言ってたのに……」

「確かに母上の魔力は高いので簡単なのかもしれぬが……まさかそこまでするとは……そなた、一体何をしたのだ?」

「何もしてないと思うけど……?」


 ただ覚えた作法を披露したくらいだし。何をしたわけでもないはず。……うーん?


「うむ、イルがわからないのなら答えは出ないだろうな。とはいえ妖狐族の霧の贈与というのは加護を与えるものだ。もしかしたらイルの身に何かしら変化があるのやもしれぬぞ」

「変化? 見た目は特に変わりはなさそうだから……」


 試しに自分のステータスを確認する。体力や魔力の数値に変化はない……が、運の数値を見た瞬間、思わず声を上げる。


「嘘っ!?」

「お? 何か変化はあったのか?」

「わ、私の運が18から23に上がってる……!」


 不運を招く呪いがなくなってから当初マイナス100もあった私の運は18という数値になった。しかしそれはレイヤから貰った幸運のラピスラズリのブレスレットを装着しての数字。身につけていなかったら私の運は13である。


「……呪いが解けた割には低いのだな」


 デジールに同情される目を向けられた。信じたくはなかったけど、やっぱり低いんだなぁ……。


「で、でも5も上がったよっ」

「母上の加護を与えても5しか上がらんのか」

「えぇ……」


 5でも十分過ぎるんだけど……。デジールにとっては少ない数字らしい。いや、それよりも幸運を願うと言っていたのはただの挨拶じゃなかったんだ。

 そういえばこの運の上昇は一時的なものかな? さすがに最大値が上がるほどの強い加護じゃないよね?



 ◆◆◆◆◆



 コールドレームはイルと別れたあと、アイントラハトを誘って自室でお茶を共にした。

 話の内容は先ほど会ったばかりのイルのことである。彼女と会話した内容や、彼女に与えたものなど全て。


「ほう。レームの守護の挨拶を許可しただけじゃなく霧の贈与まで授けたのか。随分と大盤振る舞いをしたのだな」

「伯母と呼んでくれましたのでつい舞い上がってしまって……。思わず魔力が溢れてしまいそうだったので霧の贈与を行いました」


 ほんのりと頬を染めながらコールドレームは紅茶を一口含む。カップから唇を離すと彼女は話を続けた。


「その上、守護の挨拶まで受けるとは思ってもなかったので、お返しとして私の挨拶を許可しました。……イルは控えめ過ぎますが、とても良い子ですね」

「そうであろう。しかし今頃イルも驚いているのではないか? レームが与えたものの素晴らしさに。何せ運の最低値を上げたのだからな」

「気休め程度です。……イ、イルは喜んでくれるでしょうか?」


 気休め程度と口にしてからコールドレームの表情はみるみるうちに暗くなる。気休め程度では喜んでもらえないのでは? と不安になったからだ。


「もちろんだ。レームの贈り物を喜ばぬ者はいない。特に我が姪は長年不運に見舞われていたから運が上がったと知ると大喜びするのは間違いないだろう」


 自信満々に答えるアイントラハトにコールドレームは安堵の表情をし、彼にしか見せない柔らかい微笑みを浮かべた。


 上がった運の数値が永続的だとイルが気づき驚きの声を上げるまであと数時間。


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