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アップルパイと食材探しの決意

 その日のイルは夜にスイーツを作るための下準備をすると言っていたので何を作るのかと尋ねれば、アップルパイを作ると張り切っていた。

 硬質小麦粉と軟質小麦粉、つまり強力粉と薄力粉をふるいにかけて、よく冷えたバターを1センチくらいに切り、小麦粉の入ったボールに入れると、木ベラでバターを細かく切っていく。

 冷水を入れてさらに混ぜて生地の塊にしていくと、イルは何やら棚から透けるような薄茶のペーパーシートらしき物を取り出した。50センチの正方形くらいのサイズだろうか。

 どうやらそのシートの上に生地を乗せて四角になるように生地を整えてから包み始めた。


「……それは?」

「防乾燥シート。乾燥を防ぐための魔法がかかった食品用のシートでなんと洗って何度も使える代物だよ!」


 ……ラップみたいなもんだろうか。その生地を一時間ほど寝かせるようで冷蔵庫に入れた。その間彼女は風呂へと向かう。

 一時間後、冷やした生地を取り出して、今度は麺棒でパイ生地になるように伸ばして、折って、伸ばして、折っての繰り返しを行う。

 生地が温度によってだれてくる度に冷蔵庫で冷やして取り出しては伸ばす作業を再開。パイ生地を作るのは大変そうだなと見ていると、ふとあんこの入ったパイが食べたくなってきた。


 抹茶、あん、餅などはどうやらこの世界ではメジャーな食材ではないらしく、入手所がわからない。

 あの女神と宣う女から与えられたフードリアリゼーションを使えば思い浮かんだだけで食材を手に入れることが出来るのでそれを使えば一発なんだが、一生使いたくない。

 あの少女漫画脳の女神に与えられたものなんて下心があるに決まってるだろ。

 だったら食材は現地調達しかない。レシピブックにも食材の名前が記載されているなら、探せばどこかにはあるはずだ。

 この世界はゼラチンがないのか、ゼラチンの代用品のようなスライム液というのがレシピに載っているため、恐らく和菓子食材も名前はそのまま同じなので代用品などなく、どこかに存在すると思われる。


「出来た!」


 その声と共にイルの手には再び防乾燥シートに包まれたパイ生地があった。また冷蔵庫に寝かせるらしく、下準備はここまでとなった。


 翌朝、少し早めに起床していたイルがアップルパイ作りを再開させていた。すでに彼女の立つキッチンからは甘く煮たりんごの香りが漂っている。

 鍋には切ったりんごに砂糖、レモン汁、シナモンを加えて火にかけている状態だった。

 イルは俺の存在に気づくと、朝食の準備を始めるのだが、忙しそうだからそれくらい俺がやると皿を用意したり、予めパン屋のリーベで買っていたサンドイッチを準備する。トマトとレタスのサンドイッチだ。

 柔らかくなったりんごの粗熱を取っている間、昨夜寝かせたパイ生地を冷蔵庫から取り出して生地を伸ばし、お下がりのタルト型に敷き詰める。

 ……パイならパイ皿の方がいいんだろうな。まぁ、タルト型でも作れないわけではないか。

 フォークで生地に穴を開けると粗熱が取れたりんごを乗せて、さらにその上を格子状になるようパイ生地を被せる。

 縁には型からはみ出た生地を折り込み、あとは卵でつや出しをして、予熱で温めていたオーブンで焼くだけ。


「そろそろ仕事に行く時間だな、焼き上がりが見れないのは残念だ」

「あ、レイヤ! 今日の夜は仕事ないんだよね? 他に用事はない?」

「? あぁ、ないけど」

「クラフトさんがいつもスイーツを用意してくれるからお礼に今夜夕飯でもどうだ? って言われてて。レイヤも誘われてるんだけど行ける?」

「俺は大丈夫だけど……いいのか?」


 特に娘のリリーフがあまり歓迎しないだろう。警戒されてるから仕方ないと思うが。


「大丈夫だよ。クラフトさんもいいって言ってるし、リリーフは渋々かもしれないけど、交流会だと思って……って、やっぱ嫌かな?」

「いや、せっかく誘ってくれたんだ。招待を受けさせてもらうよ」

「ほんと!? じゃあ、仕事が終わったらベーカリー・リーベに来てくれる?」

「わかった」


 そう約束をして時間も押しているため家を出た。じゃあ、昨夜からせっせとアップルパイ作りをしていたのは今夜持って行くための物なのだろう。

 恐らくだが、イルはクラフトさんに想いを寄せているようだ。彼について語るときは輝かしい目で饒舌に話していたし。

 だが、それなら好都合。なぜか俺とイルをくっつけようとしていた女神の思い通りにならないわけだから俺としては安心だ。


 本日も木こりの親父さんの手伝いとして伐採された木を運ぶ。単純な重労働ではあるが、日本でずっとパソコンと向き合ったり、会議やノルマやらであちこち走り回っていたときに比べると楽なものである。

 昼休憩のとき、話題のネタとして木こりの人達に尋ねてみた。


「珍しい食材がある場所だと? ドラゴンの卵とか、人魚の肉のことか?」

「い、いえ、その……あんことか抹茶とかの類なんですけど……聞いたことありますか?」


 ドラゴンに人魚だなんて……日本じゃ考えられない生き物だ。まぁ、魔物がいる世界だからドラゴンだっていてもおかしくないだろうが……おっかないだろうな。


「聞いたことねぇな」

「そうですよね……」


 スタービレの町の中も探してはみたが、それらしい食材は見当たらないので地元の人が知ってるわけがないか。落胆の溜め息を吐くしかない。


「まぁ、珍しい物が集まるならやっぱ王都にあるんじゃねぇか?」

「王都、ですか。ここからだとどのくらいかかります?」

「俺も行ったことねぇからな……馬車を乗り継いで早くて三日、遅くて一週間ってとこか?」


 三日と一週間って差がありすぎる……。まぁ、馬が人を運ぶんだし、誤差はあるだろうな。馬車を乗り継ぐとなると、タイミングが悪けりゃ翌日にならないと乗れないということか。

 ……王都、か。行く価値はあるのかもしれない。


 仕事を終え、約束通りベーカリー・リーベへと向かう。店は少し早めに閉店しているらしくCLOSEの札が掛けられていた。中に入っていいか迷いながらも、ここへ来るように言われたから念のためノックをしてドアを開けた。

 扉のベルが鳴ると、二階の自宅に繋がる階段から足音が聞こえてくる。姿を現したのはイルだった。


「レイヤ、お疲れ様ー。上がってきて」


 言われるがままイルのあとをついて行くと、リビングでは夕飯の準備をしていた。メインはラザニアのようだ。


「おう、レイヤ。よく来てくれたな。まぁ、席に座ってくれ」

「あ、はい」


 クラフトさんに言われるがまま、近くの席に座ると隣をイルが座った。対面するのはクラフトさん、その隣がリリーフだ。リリーフが真正面に座らなくて安心した……わだかまりが消えない限り顔を合わせづらいからな。

 ちらりと対角線にいるリリーフの様子を見るが、こちらの視線に気づいた彼女はふんっとでも言いそうな表情で顔を逸らされる。


「それじゃあ、食べるとするか! いただきます!」


 クラフトさんの一声により、卓を挟む俺達も食べる前の挨拶をして、夕飯を頂くことになった。

 ラザニアと付け合せのパンとしてロールパンもあったが、そのままでも十分に美味しいけどミートソースに付けて食べるとまた格別だ。やはりパン屋なだけあるな。

 食事を始めるとイルとリリーフ、俺とクラフトさんの同性同士で話が盛り上がった。

 クラフトさんの話は主に娘の話と亡き妻との出会いなどの家族の話が多くて、聞けば聞くほどクラフトさんは嫁を愛しているのがひしひしと伝わる。伝われば伝わるほどイルは報われないような気がしてならないが、これも運が悪いせいなのか……?


 ラザニアを食べ終わるとイルが立ち上がってアイテムバックを使い、何やら取り出そうとしている。あぁ、アップルパイだろうか。


「それじゃあ、今回はアップルパイを作ってみたからみんなで食べよう!」


 やはり、彼女から出されたのはアップルパイだった。湯気も立ち込めているので恐らく出来上がったばかりのパイをすぐにアイテムバックへとしまったのだろう。


「へぇ、いい匂いじゃない」

「おぉ、美味そうだ」

「それじゃあ切り分けよっか」

「貸しなさい、あたしがやるわ。あんたに任せたらまた床にぶちまけかねないんだから」

「うぅ、反論出来ないのが辛い……」


 おずおずとリリーフにアップルパイを差し出せば、包丁を手に取って慣れた手つきで切り分ける。

 クラフトさんから聞いたが、母親が亡くなってからはリリーフが料理をするらしく、俺が口にしたラザニアも彼女が作ったそうだ。

 カットされたアップルパイが皿に移され、各自に配られる。シナモンの香りがして美味しそうだ。早速、フォークで刺して一口。


「出来たてのままだからか、余計に美味いな」

「ほんとー? ありがとう、レイヤ」

「うん、パイもいい感じね。りんごも甘くて食べやすいし」


 確かにりんごは食べやすい大きさだが、個人的にはくし切りくらいの大きさが食べ応えもあって好きだな。そう思いながら食べると、クラフトさんが一口食べただけで手が止まってしまった。その様子に少しハラハラしてしまう。

 まさか口に合わなかったとか? いや、しかし、これは普通に美味いと思うのだが……。イルが一番感想を聞きたいであろう相手なのに、何も言わないのだろうか。

 イルがそわそわしている。リリーフは不思議そうに父を見ている。娘が何も気づかないところを見ると、クラフトさんの様子がおかしいのかもしれない。


「美味しいですよね、クラフトさん?」


 反応しない目の前の彼に同意を求めるように尋ねてみると、どこか心ここに在らずなクラフトさんがハッと気づいたような表情をしてから顔を上げる。


「……あ、あぁ。すまんすまん! 凄く美味くて驚いちまったようだ! 妻より美味いパイだったからよ」

「ほ、ほんとですか!?」


 ホッ。嬉しそうに席を立つイルを見て安心した。ここで彼への恋を諦めてしまったら少女漫画脳の女神がいつ俺とくっつくのかとニヤニヤするのは間違いない。あの女神の玩具になってたまるかよ!


「妻は菓子作りは苦手でよく焦がしてたんだよ。それでも諦めない負けず嫌いな奴でな……いつも悔しそうにパイやタルトを作ってたんだ」

「……そ、うですか」


 昔を懐かしむように、優しく語るクラフトさんは誰がどう見ても妻のことを愛しいという目をしていた。その思い出話があまりにも良すぎるため、イルが苦々しく笑う。報われないな……。






「だから言ったでしょ。パパはママのことがずっと好きなのよ」


 食事を終えて家に帰ろうとする俺とイルはリリーフに外まで見送られることになったのだが、落ち込むイルにトドメを刺すような一言を突きつける。薄々と感じていたが、友人相手でも容赦ないな。


「で、でも、私の方が美味しいって言ってたからもっと沢山スイーツを作ってクラフトさんをメロメロにさせるよ!」

「やめてよ、ほんと」


 イルは打たれ強いのか、前向きなのかはわからないが、クラフトさんへの気持ちは諦めないようだ。一先ず女神の狙っている展開にはならないようなので安心した。

 しかし、リリーフは眉を寄せて不満げな表情をする。まぁ、仮に再婚したとするとイルがリリーフの母親になるわけだから、友人が母になるなんて娘からしたら微妙な心境なのかもしれない。


「それじゃあ、帰るね。リリーフありがとう、ご馳走様!」

「気をつけて帰るのよ」

「ラザニア、美味しかった。ご馳走様」

「あら、そう」

「……」


 素っ気ないのは仕方ない。まだ嫌味を言われないだけマシだと思うべきだろう。

 リリーフと別れてイルの家へ帰る道中、俺は彼女に話を切り出した。今日、聞いた話をずっと考えて決心したから。


「なぁ、イル」

「ん?」

「俺、王都に行こうと思う」

「えっ?」

「ここにはない食材を自力で確保するために調べに行きたいんだ」


 驚いた顔で瞬きを繰り返していたイルが次第に真面目な顔つきで俺の話に耳を傾ける。


「お前には恩があるし、まだ返しきれないとも思っている。でも、ここで手に入らない食材があればイルの作る菓子のレパートリーも増えるだろうし、クラフトさんも喜ぶスイーツもあるかもしれない。だから、旅……というのだろうか、探しに行ってもいいか?」


 もちろん、俺が和菓子を食べたいという理由もあるが、部屋を貸してくれた恩があるのも間違いではない。俺も和菓子が食えるし、彼女のレベルアップをする手助けにもなる。お互いにとっていいことではあるんだ。


「……レイヤ、私に許可なんて取らなくていいんだよ。レイヤにはレイヤの生きたいようにしてくれていいんだし、私に恩返しなんて考えなくていいよ。いつ帰って来てもいいんだからね」


 どこか寂しそうに笑うイルになんだか申し訳なくなる。別に悪いことをしてるわけではないんだけど。


「俺は生きたいように生きてるつもりだ。イルは恩人でもあるし、友人とも思っているからお前にはいい人生も送ってほしい。だから沢山スイーツを作って不運を追い払ってやろうぜ」


 さすがに-100は哀れすぎるからな……。世話になってる人物だし、報われてほしいし。


「レイヤ、そこまで考えてくれてたんだ……ありがとうっ! 私も頑張るよっ! せめて運の数値が0になるように!」


 ……0を目指すのもどうかと思うが、スタートが-100だから確かにそう思っても仕方ないのだろう。拳を突き上げて気合いを入れるイルに深いツッコミを入れることなく、俺は「そうだな」と呟きながら帰路についた。


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