海上戦と撃ち放たれる黒い焔
光に包まれたあと、眩しくて目を瞑っていたら耳に大きく波打つ音が聞こえた。
恐る恐る目を開くとそこには荒れた海原。立っている場所は浜辺。つい先ほどまで家の前にいたはずなのに全く見たことのない場所だった。つまり女神のテレポートが成功したと思われる。
周りを確認すると後ろには立派な館。よく見れば大きな窓ガラスが割れていた。イルが向かったパーティーとやらはあそこだったのだろう。ならばここは王都で間違いないな。
しかし、イルの姿はどこにもない。確かあの恋愛脳女神は海の中だって言ってたな。俺を瞬間移動させるのも行動範囲ギリギリまでの所しか飛ばせないとも……。
「イル……」
寒い海風に当たった今になって俺は気づく。この広い海の中のどこかにいるのはわかったが、俺はどうやってイルを助けるつもりなんだ? あんなに息巻いていたのにあまりにも考えがなさすぎる。
俺にはイルのような魔法もなければ、この冬の荒れた海に飛び込むことすら出来ない。
しかし、こうしている間にもイルは危険な目に遭っているんじゃないのか? それこそ襲われて溺れでもしたら……。
躊躇っている暇なんてない。少しでも潜って近くにいないか確認だけでもしよう。
荒れて濃い冬の海に入るなんて我ながら無謀とは思うけど、居ても立ってもいられない。
まるで誘い込むような重たげな波を見つめてから深呼吸を一度し、一歩足を踏み出したそのときだった。
「これはこれは驚いた。なぜ君がここに?」
「!」
背後から声をかけられ後ろを振り返ればそこには俺よりも体格も背も高い男性がいた。向こうは俺を知っているようだが、俺はこの人を知らない。
「確か……レイヤくんだったね?」
「そうですけど……あなたは?」
「僕はスタービレの冒険者ギルドのギルド長、ドルックだよ」
あ、この人がギルド長か。随分とイルを気にかけているという噂の。彼ならイルに何かあったのか知っているかもしれない。
「あの! イルに何があったんですか! 海の中にいるって本当ですか!?」
「……その前にどうして君が知っているんだい? それにこの場所までどうやって来たんだ? 招待した者しか入ることの許されないパーティー会場の敷地でもあるここに」
何かを疑うような、いや、信用ならないと言いたげな表情が俺に向けられる。
確かにそう疑問に思うのも不思議ではない。彼にとって俺は不法侵入者なんだろう。
「イルと従魔達がテレパシーでやり取りをしていて、危険な目に遭っていると言うのを聞いたんです。ここには……知人のテレポートの力を借りて来ました」
詳しいことを口にしていないが嘘ではない。女神の力なんて言っても信用しない可能性が高いだろうし。
しかし、相手の目を見るとそれだけでは納得しなさそうな雰囲気である。
「ふーん? 瞬間移動魔法持ちは結構珍しいのにそんな都合のいい知人が君にいたんだね?」
睨める視線が突き刺さる。気持ち的には事情聴取を受けているような気分になり、悪いことをしてるわけではないのに変に緊張をしてしまう。
「そう、ですね。滅多に会えない人物だったので運良く、ですけど━━」
そのとき、バシャン! と海から勢いよく何かが飛び出るような音が耳に入る。
波の音とは明らかに違うそれに反応して急いで目を向けると、そこには大きなシャボン玉が宙を舞っていた。誰かが中にいるように見える。あれは……。
「イルくん!」
ドルックさんが先にその名を口にする。あのシャボン玉の中にイルがいた……と、思った瞬間、イルの後を追うように大きな生物が海から飛び出てきた。
長く太い身体にまるでエイリアンのようなギザギザ歯の口。何なんだあの巨体は。
しかしあれではイルが食べられてしまう。助けに行きたいのに海と距離が阻む。
「イル……!」
頼むから逃げ切ってほしい。助ける手段が浮かばない自分の無力さに苛立ちながらそう願うとイルは魔物に向けて魔法を放った。
カリュブディスの口から逃げ回ること十分。ウィンドを使って加速しているおかげでまだ捕食されてはいないのだけど、正直なところ結構ギリギリな感じがする。
何度かあの歯にウォーターバブルが当たっているので私の水泡はヒビが入り、その度に新しいウォーターバブルを張っては古い膜を消し去るが、ずっとこうしているわけにもいかない。
ウォーターバブルと並行して魔力消費の高い闇魔法であるナイトビジョンも使い続けているし、いくら魔力量やスキルで補っているとはいえ、いつかは魔力も底を尽き、魔力切れを起こして倒れるだろう。
海の中で火魔法なんて意味がないだろうし、フリーズで凍らそうなんて思っても海中ではこっちも巻き込まれる可能性もあるし、ホワールプールも然り。
その他思いつく攻撃魔法も水の中ゆえに威力が落ちるし、当たっても大したダメージにもならない。
そもそもレイザーですら致命傷にならないし、ドルックさんの攻撃を受けても元気に動き回っているから私で太刀打ち出来るわけない!
海の中で戦える方法は思いつかないのでもう逃げるしか道はないんだ。
せめて海から出たら勝機はあるかもしれないけどあまり期待は出来ない。
とにかく私は海面に向かいたいのだけど、それをカリュブディスがことごとく邪魔をしてくる。私を逃がさないようにと長い胴体と大きな二重口で何度も妨害されて、ただでさえ逃げ道が少ないのにあまりにも不利な状況だ。
カリュブディスの身体が大きいせいで逃げても逃げても相手を抜くことは出来ないから何か隙がないかと考えるもなかなか思いつかない。
「せめてあの身体が短かったら出し抜けるのに……」
そうすれば胴体に進行を阻まれることもないはずだ。そう、短ければ。
「……ん?」
ふと、思いついた。もしかしたら出来るかもしれないと。考える暇なんてないので一か八かやらないよりかはやってみようと私は動いた。
ウィンドの風力を最大限に使って素早くカリュブディスの口から逃げ回りながら慎重に軌道を変えていく。
時には旋回したり、Uターンしてみたり、カリュブディスの身体に沿って逃げつつ、そろそろ頃合いかなと思い、仕上げに輪っかのように絡まり始めた相手の胴体の間を通れば━━。
「やった!」
長い身体を短くするなら結び目を作って絡ませたらいいんじゃないかな。そう思って試してみたら案外上手く絡まってくれたので安心した。
狭い胴体の間を潜りながら逃げるのは心臓に悪かったけど、思いのほか複雑に絡んでいるのでこれなら胴体を使って囲みながら逃げ道を減らすという妨害はなくなるだろう。
心做しか動きも鈍くなっているようなのであとは逃げるだけだ。
「ウィンド!」
風力をエンジン代わりに全力で地上を目指す。ずっと上昇を阻んでいたカリュブディスからなんとか逃げることが出来るものの、災厄の魔物は諦めていなかった。
スピードは落ちたとはいえ、それでも私を食らうつもりで追いかけてくる。あの身体でだ。
「ひ、ひぇっ! なんて諦めの悪い魔物なんだ!」
狙った獲物は逃さない主義なのかは知らないけど、そろそろ諦めて深海で休んでほしい!
でも、スピードが落ちている今なら振り切れるはずだ。そんな自信があったのだけど、突然私の方の動きが鈍くなったような気がした。おかしい、進んでいるはずなのに逆に引っ張られているような。
不安に駆られながらカリュブディスをよく見ると、相手は物凄い勢いで海水を吸い込んでいた。まるで渦潮が発生しているかのような。
あれで私を飲み込もうとしているんだ。絶対に、絶対に飲まれるわけにはいかない。
もうすぐ海面に出るはずなのに。もう地上はすぐそこなのに。何がなんでも逃げ延びなければ。
少しずつ距離を詰められながらもこちらも負けじと最大出力の風を噴射しながらカリュブディスの吸い込みに耐えて逃げる。
「っ……! ウィンド、ウィンド、ウィンド!」
何度も風魔法を連呼して風力のエンジンを上げて、私はようやく海から出ることに成功した。
ウィンドの効果で勢いよく海面から飛び出た私は水泡と共に高く高く空に上がる。
しかし、数秒後にはカリュブディスも高く口を開けながら飛んできたのだ。このままでは食べられてしまう。けれど、海に出ることが出来た今なら躊躇っていた攻撃魔法が可能かもしれないと思い、私は空を舞いながらカリュブディスに向けて魔法を放つ。
「フリーズ!!」
あの巨体を凍らせるほどの威力があるかはわからないけど、少しでもその勢いを止めることが出来れば御の字だ。
そして目一杯の凍結魔法を受けたカリュブディスは瞬く間にその身を凍らせていった。海水で濡れているのもあるのか、その速さは尋常ではない。
あっという間に大きな魔物の氷像が完成したが、威力が強すぎたのか、カリュブディスだけでなく海一面しっかりと凍らせてしまった。
しかし、これで終わりではない。あのカリュブディスのことだ。氷漬けにしたところで自力で割って出てくるかもしれないのでこの滞空時間内にとどめとまではいかないが、致命傷になる攻撃魔法を放ちたい。
おそらく今の私にとっては最火力であろう魔法だけど、出来れば倒れてほしい。
「インフェルノ!」
瞬間、見たことのない黒い炎が凍りついたカリュブディスに絡みつくようにその全身に纏わりつくと一気に飲み込み、ドンッ! とまるで地震でも起こったのかと錯覚するような黒炎の大きな柱がカリュブディスを包んだ。
しかし、その威力が強くて業火が天高く昇り、私も飲み込まれそうになったが、炎の勢いで吹き飛ばされたので直接黒炎に巻き込まれることはなかったけど、水泡は炎に触れたのか弾けてしまう。
ちょっと触れただけかもしれないのにそれだけで割れてしまうなんてよほど攻撃力が高い技なんだ。
いや、今はそんなこと考えてる暇なんてない。ウォーターバブルの中にいたから軽々と空高く飛んでいたのに割れてしまったら一気に重力がかかり、滞空時間も消えて落下するだけになる。
「わ、ちょっ、いっ、やああああぁぁぁぁっ!!」
待って待って待って! 下は凍りついた海面。しかも荒れていたから歪な形で凍ってたりするし、こんな高さから落ちたら怪我ですむはずがない!
どどどどうしようっ! 何か、何か方法はない!? 使えそうな魔法はっ!?
「フ、フロート!」
自身に浮遊魔法をかけると落下する身体はピタリと止まった。心臓がバクバクし、冷や汗が流れるけど最悪な事態にはならなかったようでひとまず安心する。
フロートでの移動は常にゆっくりだ。スピードは上げられない。
飛行魔法だったら自分の意思で自由に速度を変えて空を飛べるのだろうけど、浮遊魔法はあくまでも物を動かす程度に過ぎないし、出来ないわけではないが人が空で移動するにはあまりにも遅くて不向きである。
「死ぬかと思っ、たぁっ!?」
安心したのもつかの間、今度は海風に吹かれてバランスが崩れる。
フロートの効果があるのでバランスを悪くしても落下する心配はないが、どこまで吹き飛ばされるかわかったものではない。
「っ、ウィンドオペレーション!」
風操作魔法を使って自分に向かう海風の勢いを弱める。風を操る魔法なんて使う機会はないと思っていたから存在を忘れかけたけど思い出して良かった。
そういえば落下の心配をしてすっかり忘れていたけど、カリュブディスはどうなったのだろう? 確かめようと視線を向けるとまだ黒い焔に包まれていて思わず息を飲む。
攻撃が効いているのか、カリュブディスは大きな奇声を放ちながら身悶えているように見えた。
その間も私はゆっくり、ゆっくりとフロートの力を使って下降を続ける。
そしてようやく氷の海の上へと降り立つと黒炎は消えた。そこには真っ黒に焦げたカリュブディスの姿があったが、力尽きたのかあの巨体は大きな地響きと共に倒れる。
氷が割れないか心配だったが、氷上にヒビなどの類は見受けられなかった。
まるで炭のように変わり果てたカリュブディスはピクリとも動かない。よく見れば所々身体の形を保てなくなっているのか、ボロボロと身体が崩れていく。
「……倒したのかな」
はぁはぁと息を切らしながらカリュブディスだった黒焦げの魔物を見て呟く。
まだ心臓が落ち着かなくて深呼吸をすると、後ろから声が聞こえてきた。
「イル!」
「イルくん!」
海岸から近かったのか、氷の海の上を渡り駆け寄ってきたのはドルックさんと……えっ? レイヤ!? なぜレイヤが王都に!?
「え、レイヤ、どうしてここに?」
「その話はあとでする。それより大丈夫なのかっ?」
「う、うん。なんとか無事な感じかな」
「本当かい? どこも怪我はないんだね?」
「はい。運が良かったと思います」
いや、どちらかといえばカリュブディスに狙われた時点でかなりの運の悪さだった気がするけど……。
でも、無傷だったことを考えるとプラマイゼロってやつだろうか。いや、一歩間違えればあの魔物に食べられたのかもしれないと思うと明らかにマイナスの割合が多いのでは? 今回ばかりは本当に死んじゃうのかと思ったし。
それにもう襲われる心配はないと実感したら、どっと疲れてしまった。頭も痛い気がする。
「━━くん、イルくん、聞こえてるかい?」
「えっ……? あ、すみません! ちょっとボーッとしちゃって……」
名前を呼ばれてハッとした私は慌ててドルックさんの顔を見た。いくらなんでもカリュブディスを退治したからといって気を抜きすぎだ。そのせいなのかドルックさんは心配げな表情をしている。
「本当に大丈夫? もしかしてかなり魔力を消費したんじゃない?」
「イル、顔が少し青いぞ。無理をしたんじゃないのか」
言われてみればずっと魔法を使い続けていたし、多分あのインフェルノはかなり魔力を消費したと思う。
あぁ、身体が重い。
私の意識はそこでプツリと途切れてしまった。
イルが業火の魔法を放ったすぐのこと。雲を貫き天までも届く勢いの黒炎は遠くの地までその存在を目撃された。
そんな得体の知れぬ炎に人々は恐怖を覚えただろう。中でも特に怯えたのは老人達である。
腰を抜かしたり、手を合わせて命乞いをする者までいて、まるで何かを知っているかのような反応に周りをさらに不安にさせる悪循環を生む。
そんな各地がどよめく中、とある人物だけは歓喜に震えていた。
ローズピンクでボブの髪を持つその女性は一人旅をしているのか、険しい岩道を歩いている最中にその魔法を目にしたのだ。
一目見た途端、全身に鳥肌が立ち高揚する感情に突き動かされた彼女は声を発する。
「やっと、目覚めたのですね……魔王様……!」
恍惚とした表情と艶のある声で黒炎が消えるまで彼女は見つめ続けていた。




